「粋」考察と、筋肉のハリ。

今日は隣町の友人誘って、ゴルフの練習に行きました。

昨日は一人。今日は二人。

やはり、二人であーだこーだ言いながらの方が楽しいですね。

二日も連続で行くなんて、

来週のラウンドが楽しみなのか、

昨日セット入れ替えた(9/10参照 )からフィッティングしなけれと思うのか、

自分でも、「気合入ってるなぁ・・・」と感心してしまいます。

とりあえず、スコアに直結すればいいなと思いますが。ww

お陰様で、いい感じの筋肉のハリ。笑

これきっかけに、運動不足解消がんばります♪

さて、

先日の「ルパンの美学考 」で、

aqua氏と「粋」について話が盛り上がったので、

ちょっと「粋」について書いてみたいと思います。

「粋」とは、辞書で引くと、

気質・態度・身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、

しかも色気があること。また、そのさま。

とあります。なるほど、感覚的には分かる気がする言葉です。

僕も大好きな、芦屋在住で神戸女学院大学の内田樹先生も、

ご自身のブログ「内田樹の研究室」 の、7月17日の記事の中で、

「粋」を論じてらっしゃいます。

つまり、

「粋」という言葉は、日本にしか存在しない独特の美的概念で、

コツや、本質を理解して、すぐに「粋」を論じれる、

というようなものではない、とこのことです。

より分かりやすく、「粋」と対語の「野暮」を比較してみると、

例えば、

ベンツは野暮で、ジャガーは粋。
麦茶は野暮で、抹茶は粋。
サックスは野暮で、フルートは粋。
ジーパンは野暮で、デニムは粋。
焼き肉は野暮で、肉うどんは粋。
昼寝は野暮で、仮眠は粋。
スーパードライは野暮で、エビスは粋。

のようになるのでしょうが、結局は、

「なんとなくわかるけど、どうしてそうなるのか、いえない」

というあいまいなものですし、
しかも、このリストの「粋」と「野暮」を全部ひっくり返しても、

それはそれで「一回半ひねりした、憎いほどの趣味のよさ」

に思えなくもないから不思議です。

内田先生によると、

「そういう人は洟をかんでも「いき」だし、

満員電車の中での「押され方」が「いき」だし、

スーパーのレジでおつりの1円玉を受け取るときも「いき」である。
ニーチェ風に言えば、「いきな行為」や「いきな選択」があるのではなく、

「いきな人間」がやることは全部「いき」なのである。
「いき」というのは属人的な現象である。
本質なんか、ない。
「いき」な人は身体の粒子が細かい。
だから、そのときそのときの現実の「なまもの」との

インターフェイスの肌理が細かい。
洟をかむときでも、ティッシュの繊維の襞への入り込み方が深い。
ティッシュに触れつつ、ティッシュから触れられている。
人がティシュか、ティシュが人か・・・鞍上人なく、鞍下馬なく、

人とティッシュが天然のまま一体となっている。
だから動きに「あまみ」が出る。」

そうです。笑

感覚的にしか分からない「粋」。

きっとルパンも「粋」。

僕も、「粋」を追求してみます。

背伸びしない程度に。笑