当たり前のことをこつこつと積み重ねる力

努力とは何かと考える時、それは当たり前のことを継続する力なのではないかなと思うのです。

オリンピック選手たちの活躍を見ていると、日々決めたことをこつこつとやり続け、積み上げ続けることの偉大さを感じます。結局、最短距離ってないんだろうな。日々、継続。時にロボットのように、感情を脇に置いて黙々と行う。先に「当たり前のこと」と書いたけど、それは基本的なこととも言い換えることができるかもしれないし、基礎的なことと言うこともできるかもしれない。

何かを成し遂げようとすると、それには時間が掛かるし、飽きることもあるだろうし、スランプだってもちろんあるだろうけど、続けることをやめないことこそ、力。

昨日、和歌山の深い森の中で杉の大木を見上げながら、この森を大切に守り続けてきた人たちのたゆまぬ努力と、積み上げた歴史の長さを見た時にも、同じことを感じました。今があるのは、先人たちの日々の小さな努力の積み重ね。その歴史が1000年以上。

自分に置き換えた時に何を思うか。
今、体調面でスランプな時期が続いていて、思うように動けない身体に苛立ちを感じるし、焦るし、落ち込むのだけど、継続することだけを考えよう。大きなことはできない。ジャンプをして高いところにある物なんて掴むことはできない。でもそれでいい。

長い持病生活の中で得たことは、調子の悪い時こそ感情を殺してロボットのように振る舞い、調子の良い時は工夫をすること。調子の良い時は、ちゃんと調子に乗って良いこと。

元気に動ける時間が少ないからこそ、動ける時間を最大化する。

明日からもコツコツと。

パワーチャージに森の中へ

パワーチャージに大好きな森の中へ。
大きな杉の大木を見上げているだけで心が落ち着きます。

小さな種が、数百年という年月を掛けて成長する。
悠久の時の流れに軽く目眩を感じつつ、命の強さを感じます。

誰もいない森の中で目を閉じると、風の音と、川の音と、鳥のさえずり以外は何も聞こえません。人工的な物は一切なし。

自然の音、それだけ。

疲れたな〜 
そう思った時にパワーチャージとデトックスに来るお気に入りの場所です。

若いっていい。でも自分だって今この瞬間が一番若い。

おかげさまでありがたいことに、分刻みの忙しい日々を過ごさせていただいています。そんな中でも色々と楽しいことはありましてね。今日は少しだけそんな「楽しいこと」をご紹介したいと思います。

5月からスタートした全4回の工学部学生を受け入れてのインターンが終了しました。受け入れ部隊となった開発部のみなさん、今年もお疲れさまでした。

毎年、某工業大学の学生を当社に受け入れてIoT製品開発実習を行っています。今年は昨年の倍の4チーム16人。ハード組とソフト組に分かれて、Arduinoを使用した製品(もちろんプロトタイプです)を開発してもらうのですが、各班、アイデア出しからスタートして、回路を描いて、基板をレイアウトして、部品を選定して、制御プログラムを書くということをやってもらっています。

実習では、生基板に部品を半田実装までしてもらって動作を確認することもしています。半田の香りっていいよね〜(同意少なそう)

学生さんたちと混じってものづくりをするのは楽しいですね。
大変なこともたくさんありますが、動く動かないで一喜一憂したり、部品が足らないことが分かってその場で手配したり、そんなバタバタも楽しい(メンターのみんなは楽しんでいられないでしょうが・・・笑)

で、やっぱりこういう時に思うのは、「若いっていいな」っていうこと。学生は学生の時にしかできないことがたくさんある。今この瞬間をどれだけ有意義に過ごせるか。まあ、卒業しなきゃ分からないんですけどね、そのありがたさは。でも、やはり若さは大きな武器だ。

ある番組ディレクターの「若い子には、可能性は無限大ではないけど、選択肢は無限大だよと言っています」との言葉を思い出します。そう、若さの良さは「選択肢」が多いこと。あらゆることにチャレンジして、可能な限りたくさんの選択肢を試すことができる。

でもね、大人になっても、何でもできるっちゃできるんです。
僕のように40代半ばを過ぎても、「今この瞬間が一番若い」のですから。この歳になって新たな出会いもたくさんあるし、新しいことにチャレンジすることもある。そりゃ、選択肢は学生に比べると少ないかもしれないけれど、それは諦める理由にはなりません。今でも知らない分野を調べたり、論文読んだり(必要に迫られて、が多いですが笑)できることはありがたいことですね。

なんてったって、自分史上、今が一番若いのですから。

一年先に何をやっているかなんて分からないし、決めなくて良い

金曜日の夜、心地良い風が吹き込んできます。

日中は暑かったですが、仕事が忙しくてずっと自宅に引きこもり。唯一のリフレッシュは風呂上がりの夜に窓を全開にして涼むこと。あー気持ち良い!


ふと自分のキャリアを振り返ってみて思うのですが、一年先に何をやっているかなんて自分でも分からないし、逆に決めなくていいなと思うのです。自分の場合、仕事面ではITや技術の枠は基本的に出ないものの、その中で新しい分野に進出しては誰かに引き継ぎ、また新たな分野に進出して切り開いては誰かに引き継ぐ。

こういうことを何年もずっと繰り返してきたように思います。
だから来年どんな仕事をしているか分からないし、それがまた楽しいと思える。不安はない。今までもずっと成功してきたじゃないか。

直接仕事に関わらないプライベートの活動でも、いつの間にか色々なコミュニティに属している自分がいます。今年のプライベートのテーマ「お金にならないことに一生懸命」を地で行っていると、新たな出会いやお声掛けもたくさんいただき、社会課題を解決するために大学が中心となっている産学官民連携の活動に参画したり、新たな地域コミュニティに参加したりして毎月のように新しいネットワークが繋がり、出会いの中から新たな人脈も生まれています。

不思議なのは、これらは自分から動いて獲得したというよりも、敷かれたレールの上に乗っているというような感覚なのです。自分がしていることは、根本の芯だけをぶらさずにしっかり持っているということだけ。勝手にレールが目の前に敷かれている感じ。

あとはレールに乗るだけで、何もしない。
焦りもしないし、どこに行きたい、という目標や目的地も持たない。

良い意味でこだわりがない。

自分はこうありたい (こうなりたい、ではなく)、こういう社会にしたい、こういう価値観で生きて行きたい。そこさえ間違えなければ、成長曲線に勝手に乗せてもらえるような感じです。株と同じで、好きな会社を見つけて投資したら、あとはほったらかしにしておくといつの間かすごい利益が出ていたというのと似ています(ちょっと違うか)

そういう意味で、来年の目標とか数年後の目標とか決めなくて良いのではないかと思っています。その時その時で起きる出来事、開かれる道、出会う人々を大切にするだけ。

それだけで上手く行くと思えば、肩の力が抜けて、とても楽になります。
明日はどんな出会いがあるのか、何が起こるのか。

ワクワクしますし、毎日をとても楽しく過ごすことができています。

感じたことを確認し、受け入れて、前に進む

自然の中に身を置くことで、脈絡もなく混沌と考えている思考の絡まりがすっと解けることがある。頭と身体が軽くなり、進むべき道がはっきり見えることがある。

知らない道に一歩踏み出す時や不確実性が高い選択をする時、不安と恐れから、前に進むことを躊躇したり、少しだけ開いた扉の向こうを隙間からちょっと覗いて閉じてしまったりすることもある。でも、自分の「行きたい」「進みたい」という気持ちは、その扉を閉じてしまった時にどこに行ってしまうのか。

感じたことを確認し、受け入れて、前に進む。

まっすぐに伸びる杉の大木に囲まれていると、僕、このまま進んでいけば大丈夫かもしれない。と背中を後押しされているように感じます。

目の前で起きた、あるいは起きている出来事をどのように解釈するかは人それぞれだけど、それを自分が前向きに生きていくためのエールのように感じることが大切なのではないでしょうか。

持論と共感の関係について

今日は神戸ラン。いつもの国道コースではなく、ちょっと気分を変えてみたかったので山手幹線(阪神間を東西に貫く山の手の道路です)をラン。このコースは気持ち良い。気になった路地や森など、自由気ままに立ち寄りながら三宮方面へ。

結局、芦屋→岡本→六甲八幡神社→水道筋商店街→王子動物園→新神戸駅→異人館→三宮という15kmのラン行となりました。今日のヘッダーイメージ写真は、王子公園の神戸文学館です。今日は単独ランでしたので、疲れた脳を空っぽにしながら走ることを心がけました。それでもあれこれと考えるものです。

最近のテーマは「結局人間ってわがままな生き物だよな」ということです。

みんな勝手に考えて勝手に行動して。当たり前のことなんですけどね。悪いのは、それをあたかも正論のように押し付けること。これがいけない。

考え方が人それぞれなのは当たり前。世の中に誰一人同じ人はいない。みんな個性があるし、生い立ちも違うし、育つ環境も違います。その中で人格が形成がされてゆき、経験の中で学びながら成長するので考え方が違うのも頷けます。ある人は卑屈でネガティブな考え方かもしれないし、ある人はおおらかで余裕があるかもしれない。仕事に対する考え方も経営に関する考え方も人それぞれ。みんな持論があるからこそ、面白いのですよ。譲れないものもありますしね。

先日、アマゾンプライムでジム・キャリー主演の映画「イエスマン」を見たのですが、超ネガティブで人のことを信用しなかった銀行員が、すべてに「イエス」というようになってから幸せな人生を歩み大成功を収めるというストーリーでした。このなんでも「イエス」というのも「ノー」というのも一つの持論なわけですが、結局はその人の考えであり、それと相反する人がいるのも事実。大切なのは、自分と異なる考え方を受け入れるということです。

どうしても、自分の意見を相手に押し付けたければ、共感ができるようにしなければなりませんね。共感してもらうということはとても大切なことです。結局その考え方の良し悪しは、共感する人の数の多さで決まります(死後、認められるというケースもありますが、当の本人には関係のないことです)。

僕はその人の「人徳」を見る時に、その人が「利害関係のない仲間をどれだけたくさん持っているか」を見るようにしています。これ、間違いないです。お金や仕事の繋がりで人脈があるのは当たり前。大事なのは「利害関係がない」ということ。みなさんもその目線で見てみてはいかがでしょうか。

理由は簡単。その人の言動が共感を生むから、周りに人が集まるんです。大衆迎合や人気取りのために無理してやっている人もちゃんとバレます。自分では分からないかもしれないけれど、周りの人間ほどよく見ているものです。所詮メッキは剥がれますから裏表のある人も残念な結果になります。

ローマは一日にしてならず。
相手の立場に立って物事を考え、感情移入し、違う考え方は受け入れつつ、お互いを認めつつ、自己研鑽に励む。自戒を込めて。

そんなことを考えながらのランでした。

本質を見極めることと、抽象化能力の関係について あーもうなんかやだやだ

本質思考、というのは言うは易し。

でも本質思考ってどんな考え方なのかをちゃんと理解している人ってすごく少ないのではないのかなと思うです。前提条件として本質思考に必要なのは抽象化能力です。抽象(英語:Abstraction)とは、「物事の共通部分を抽出して、把握すること。一般化。上位の概念に物事を昇華して考えること」。具体的に言うと、ひまわり、チューリップ、パンジーの上位概念が「花」であること、ガスト、サイゼ、すかいらーくを抽象化すると「ファミレス」であるということを瞬時に発想できるかどうかなのです。

日本企業の問題点について、先日、冨山和彦さんがこのようにツイートしておられました。

出てきました「抽象化能力の欠如」。まさにそのとおり。

日本が得意なのはプロセス管理と社内規定のチェックリストを満足させることで、ビジネスアーキテクチャを構想できない。本来どうあるべきなのか、何が目的なのかを見失って時間・費用などのコストが増大して機会損失という最悪のロスに繋がるケースがとても多い。加えて、成功体験にあぐらをかかずに真面目に成功体験を深堀りし精度を上げることで方針転換が出来なくなるという「パラダイムの不条理」=「方針転換は悪」という考え方が更に泥沼にいざなうケースもあります。もう何度見てきたことか。

参考:「レナウン、シャープも陥った不条理 真面目だから失敗する日本企業」(日系ビジネス)

冨山さんにもリツイートしていただいたのですが、僕自身、日々仕事をしている中で多くの会社がこの「抽象化能力」に欠けているのではないかと実感する場面に直面することがあります。新しい設備を導入する際に、本来入手したい技術やスペックとは無関係な安全基準を優先させるための調整に時間が掛かり致命的な納期ロスが発生してしまうケースとか。これによってまた世界からどんどんと置いていかれてしまうリスクの方がよほど深刻なのではなかろうか。

ではどうすればよいの、ということなのですが、もうこれは教育の問題ではないかと思っています。予め正解が決められていて、テストで◯☓を付けられて判定されるようなこと。お手本があって、それを倣うこと。画一化された価値観。はみ出したら村八分。日本が工業国になったのは勤勉さ、真面目さゆえでしたが、そこには欧米列強というお手本がありました。ゼロイチが生まれにくい。

加えて、完璧な物を作ろうとするあまり時間が掛かり、先に市場をごっそり持っていかれる。ハードにこだわりすぎてソフトが弱い、など色々と。とはいえ、単一民族、日本語という難しい言語、空気を読む文化に守られた1.2億の市場があるので、その中で幸せにやって行く方法もあるのでいいんですけどね。

いずれにしても、抽象化能力に長けている人は、勘所のつかみが早く、判断が早くて正確です。それは会社も同じ。モノ作っても売れない、一年で市場環境が変わる時代だからこそ、必要なのは抽象化能力=本質を見極める力です。

自分もガッカリするくらい全然足りていないんですけどね。マジで自戒をこめて投稿しておきます。

降りてくる瞬間は逃してはならない

あれこれ考え続けても答えが出ないこともあれば、ぱっと何かが降りてきて、すっと抜ける時がある。

ブレイクスルーのきっかけが何かは明確に分からないけれど、パッと視界が開けて「これだ!」という時は絶対に逃してはなりません。その時に出た答えを忘れない内にすぐにメモをする。僕の場合はGoogleドキュメントをアイデア帳のようにしていて、すぐにメモを取るようにしています。

しかも、そのアイデア帳もカテゴリに分けていて(例えば、経営戦略、人材育成、マインドセットなど)、メモを取る時は日付も記載するようにしています。

ここのところ、忙しさと混沌の中でずっとマドルスルー状態だったのですが、昨日、すっと視界が開けた瞬間がありました。日々、95%がもがく時間。5%がクリアになる時間。

起きている時間の95%は仕込みということです。

学びと焦りと

いつの間にか3月に入っていた。

なんだかあっという間に時間が流れていく。そしてバタバタしていると3月に入って三日も経つというのにブログの更新も出来ずにいたことに気付く。まだ先だと思っていたけれど4月の入社式もすぐそこだし、春以降の予定もどんどん入ってきて、自分の意思とは裏腹に、時間は正確かつ急ぎ足で進んでいく。

そんな中、今夜はグローバル人事塾の第142回セミナー。リークルートワークス研究所の主任研究員の中村さん、千野さんをお迎えし、働きがいの原資となる【トータル・リワード】について。グループディスカッションもある非常にインタラクティブな回で、学びが多かった。金銭的な報酬(リワード)だけなく、多岐にわたるというトータルリワードの視点から「FESTimeリレーション」という概念が提唱された。FESとは、幸福度を Financial(金銭的報酬)、Enviromental(環境的報酬)Social(関係的報酬)を三項目に分けて縦軸に、横軸にキャリアの時間軸を、安心、喜び、成長、展望という4つの項目に分けて配置してマトリックス型に考える。さて、もはや金銭的報酬について先進国で最下位に沈む日本、これからどうするか。


どうしてもマラソンの話になってしまうのだけど、4月の富士五湖ウルトラマラソン100kmの中止が発表されて意気消沈していた時に、5月の鯖街道ウルトラマラソンのエントリーが始まり、2年ぶりに72km、累積標高差1800mの行程を走れる権利を獲得。

ぎっくり腰などで2月はほとんど走れなかったので焦りもあるけれど、またロング走とトレイルランを再開しないと。

そんな忙しくも充実した日々が、速いスピードで過ぎていく。

覚悟を決めてチャレンジする人の言葉には無駄がなく、そして温かい

逃げ道をなくし、覚悟を決めて挑む前人未到のチャレンジ。

日本人で初めて挑む、極寒のアラスカ Iditarod Trail Invitational レース(標高1000m、最低気温マイナス40度、距離560km)に出場されるプロ・アドベンチャーランナー北田雄夫さんと、大和田さんのお二人と現地アラスカをつないだZoom交流会が行われました。

氷点下0度〜40度の極寒、民家もなく、マーキングもない道なき道を、食料や着替えなどをソリで引きながら昼夜問わずに進む。サポートはなし。野生動物遭遇、氷が解けた河川や湖転落などの緊急事態も自己責任で対応。10日間という時間制限で560kmを走破。560kmというと、東京から岡山くらいの距離ですからそのすごさが分かります。

そのような前人未到のレースに日本人として初めてFootの部で挑む北田さんと、大和田さんの言葉には、命の危険を掛けて挑む人の決意と哲学が見えました。必ず完走してみせる、生きて生還するという決意と、一方で、命より大切なものはないのでエスケーププランも用意しておくという冷静さ。

逃げ道をなくし、立てた旗に向かう人が語る言葉には無駄がない。
そして、温かい。

積み重ねた努力から来る自信、力のある人間が語るクレバーな言葉。そして、他の人を傷つけない愛情あるメッセージ。

学ぶことばかりです。

■告知
そんなプロランナーがクラウドファンディングを開始されました。既に目標を半分以上クリアしていますが、まだまだご支援お待ちしています。

日本人初アラスカ560km・ヒマラヤ850kmに挑戦し、日本中に希望を届けたい!
https://camp-fire.jp/projects/view/362974