北陸三県 浄化の旅〜語られるナラティブと人々のいとなみ

為政者の都合により後から語られるナラティブは変わるけれど、それぞれの時代、その瞬間に生きていた人々一人ひとりの感情はどんなものだったのか。

北陸三県を旅し、行く先々に色濃く残る神仏習合、明治の神仏分離令による廃仏毀釈の影響を強く感じながら、坐禅によって目指した悟りの姿と苦しみからの解放、立山、白山それぞれを霊峰と崇めて信仰し、修験による自然との一体化と衆生済度を目指した人々の気持ちを考える時間を四日間たっぷり過ごしてきました。そして、ここ最近忙しかった自分にとっては心身ともに浄化の旅となりました。

富山の雄山神社中宮では、たまたま神主さんとお話をする機会があり、立山信仰について色々と教えていただきました。恵みを与えてくれる神の山であると同時に、死者が集まる「あの世」とも捉えられた立山。浄土と地獄が混在する山を信仰の対象とし、救いを求めた。地震、洪水、飢饉、戦などの苦難を乗り越え生きる姿に人間の儚さの中にある強さを見、明治の廃仏毀釈で存亡の危機に面した寺と立山信仰が「雄山神社」として形を変えて今に至ることなど、深く考えさせられました、

立山修験については未だに分かっていないことも多いらしく、県外から資料が出てきたりすることもあるそうです。中宮に隣接する富山県立立山博物館には、地学的な立山連峰の歴史と、立山信仰の資料が多数展示されていました。ゆっくりじっくり周りながら、曼荼羅で表された浄土と地獄の世界に驚くとともに、1200年の歴史に思いを馳せました。

ちなみに、立山博物館。
さすが富山県初の県立総合博物館ということもあり、マニアックですがめちゃくちゃ気合が入った展示になっています。興味のある方には本当におすすめです。

博物館一階の資料コーナーを興味深く見ていると、学芸員さんと思われる女性が声を掛けてくださり、公式ホームページにある「立博電子紀要」にたくさん論文がアップされていて面白いですよと教えてくださいました。アクセスしてみると確かにPDFで無料閲覧可能。

「秋の夜長にぴったり、でも、読んでいたら沼ります〜 笑」

いやいや、素敵な沼ではないですか。
今、祈りと身体の関係について個人的に興味があり(自分は出家するつもりは今のところありませんが)、特に各地の祭りや修験、講に残る文化を調べています。

寺にこだわらずに神社として形を変えたり、破壊されても何度でも再建される寺院を目の当たりにし、悲しい歴史の中にある人々の「繋ぐ」という想い、無常の中に美を見出す価値観、色即是空、空即是色に表現される、物質への執着ではなく、認知、精神に価値をおく精神性を学ぶことができました。

今回は福井の永平寺、吉峰寺、石川の白山比咩神社、富山の雄山神社前立社壇、雄山神社中宮祈祷殿、射水神社、気多神社、大佛寺(高岡大仏)の、三寺五社を巡る旅となりました。それぞれの土地で美味しいものをいただき、出会った素敵な皆さんに感謝を込めて。

ありがとうございました。

永平寺(福井県)

吉峰寺(福井県)

雄山神社 前立社壇

雄山神社 中宮殿

白山比咩神社

祈る姿に尊さを感じる

「祈り」について考えることが多い一ヶ月でした。

9月から10月にかけて二週に渡り、実行委員を務めさせていただいている「服部足祭り」と「飛脚まらそん」が続いたことで、人々の祈りにふれる機会が多かったのです。

足祭りでは足の健康を祈り、飛脚まらそんでは願い輪を周回ごとに納めて足への感謝や誰かのために祈ります。

清めの儀
願掛け場での願い輪奉納

祈りという行為は、地球上の生き物の中で人間だけが行う特有のものだそうです。命や知能の有限性を自覚しているからこそ、祈る。自分の力ではどうすることもできないことがあるから、委ねる。

人間はいつか必ず死ぬという有限性が「なぜ生きているのだろう」というテーマを探求し続けるモチベーションにもなるし、無知の知という自覚も同時に生み出すのだろうと思います。僕は人々の祈りの姿を目の当たりにする時に、そこに生き物としての弱さ、儚さと同時に、生きることへの強い決意を感じます。人間って強いなあ。

ただ、同時に現代社会においては「祈ること」は弱さのように捉えられることが多いのでないかと思います。苦しい時の神頼み、とか、最後は祈るしかない、などの表現には、祈りへのネガティブなイメージを感じてしまいます。それは恐らく現代社会の勝者は自らの力ですべてをコントロールできるとされる「強い者」であることが求められるからではないのか。かつての自分もそう思っていました。

特にビジネスの場では、人間の弱さや限界を超える超人的な強さを求められることも多くあるのではないかと感じます。常に競争を強いられ、優劣で判断される。でも、自然の中で生きている人間、たとえば農業や林業に携わっていたり、探検家や冒険家のような人は、最終的には自然の力の前では頭を垂れて祈るしかないという状況に幾度となく直面しておられるでしょう。気象や天候はコントロールできませんものね。

祈ることは、自らが自然の一部であるとの認識、謙虚さ、感謝の表れなのかもしれません。

昨日は高野山に行き、次の連休は福井の永平寺、富山の雄山神社という北陸ルートを巡る予定です。

それぞれの時代に生きた先人たちの歩みと祈りにもう少し思いを馳せたいと思います。

余白と間

先日、ある方との会話で「余白」という言葉が出てきました。
日々の暮らしの中で余白を作ることの大切さを実感しておられるとのことでした。

時間の余白、気持ちの余白。

余白があると、道端の草花に目を向け季節の移ろいを感じ、散歩の途中で神社に手を合わせ、目を閉じて呼吸をし、今この瞬間に生きていることに感謝できます。畑や庭の土を触り、植物に触れ、森の中を散歩していると、いかに人間という生き物が自然の中で生かされているかを実感し、目の前に当たり前のようにある山や木々、変わりゆく空の色の美しさに感動します。手仕事の中にも、自然と調和しながら生きてきた先人の知恵を感じることができます。味噌、醤油、納豆、糠・・・時間とともに変化する発酵の過程に生命を感じます。

先日の白秋ホワイトクラブで参加者の方と話していた時に、素敵な言葉に出会いました。その方は、最近、御夫婦でトワイライト・エクスプレス瑞風に乗って山陰本線の旅に行かれたそうですが、車窓から見える田園風景があまりに美しく、豪華な料理や個室の内装もさることながら、車窓からの景色に見惚れていたといいます。なんてことのない日本の田園風景に改めて感動したと。

「年を重ねれば重ねるほど、日本人になっていくんですよね」

と、その方はおっしゃいました。
「日本人になる」・・・なるほど。

日本人と「間」についても考えさせられました。
白黒をはっきりさせず、新旧、異物を積層的に融合し、和合する。言葉の向こう側にある意味を感じとり、曖昧を良しとし、矛盾をそのまま受け入れる。不完全すら美とし、完成を目指さない無常の先に永遠を感じる。

恐らくこういう感覚は西洋にはないのでしょう。それをすることに意味があるかないか、儲かるか儲からないか、敵か味方か、勝つか負けるか、効率的か非効率か。受容か排除か。

間の文化は、そういう価値観とは無縁の世界。
ただ在ることを良しとし、調和し、時間の流れの中にある変化と移ろいに身を任せる。目に見えるものより、見えないものに価値を置き、静かに生と死を見つめる。

最近ようやく梅仕事が一段落しました。

大して世話もしていない庭の梅の木ですが、たくさんの実をつけてくれました。実りを収穫する時間、黙々と梅仕事をする時間に考えていたことは、グローバルという均質化された価値観がいかに浅はかで、格差を生み、文化を破壊してきたかということです。

区別する、分類する、名付ける、仕組化する、理論化する。

それらが生んできたものは、争いであり、優劣の区別であり、進歩という名の退化であり、効率化という奴隷制度であり、理論という名の押し付けであったのかもしれません。

自分の生活の中に、余白と間を意識的に作ることで、本当に大切なことは何なのか、生きるということはどういうことなのかを考えさせられます。それと同時に、こういう話が出来る仲間たちが周りに増えてきていることもうれしいことです。

猛暑日が続きます。
どうぞ皆様お身体ご自愛くださいませ。

土用干しの梅

今のところ旅は続いているようです。〜ブログ開設20年を迎えて

2005年6月にスタートしたこのブログ、今月で丸20年を迎えました。ハタチです。長女と同じ歳、20歳です。

さすがに20年も経つと色々と変化があるものです。フィジカル面、精神面の変化。娘たちの成長、自らの成長。良いのか悪いのか分かりませんが、考え方は自分でも驚くほど大きく変わりました。今と昔じゃ書いている内容がまるっきり違います。

グローバルからローカルへ
テクノロジー重視からプリミティブ思考へ
ビジネスから哲学・歴史・文化へ
上昇志向からがんばらない生き方へ
得るより与えるへ
競争から自分らしい生き方へ
地位財から非地位財へ
拘りから手放しへ
目標を持つ生き方から目標を持たない生き方へ

体調不良や病気やコロナや、きっかけは色々とあったと思います。40代半ばで経験したミッドライフクライシスも大きく影響しました。人間って面白いですね。自分ではどうすることもできない状況に抗えず、ただ身を任せるしかない状況の中では、生物(いきもの)として生きるために「こうあるしかない」という方向に心身共に向かっていくようで、自然と落ち着くところに落ち着いたような気がします。

抗わない、受け入れる、ただそのままでいることで、今、自分が想像していたよりもはるかに居心地の良い場所にランディングできたことに感謝しています。自然に任せるってすごいですよね。任せるって勇気のいることではあるんですけどね。

人生100年とした時に、ようやく半分。残りの人生をどのように生きていきたいか、どうしたら恩返し、恩送りができるか。日頃からそのように考えていると、本当に自分がしたいこと、すべきことに時間とお金を自由に投入できている幸せ、ありがたさを感じています。色々と経験し自分なりに克服してきたことに与えられたギフトのようなものかもしれません。

とはいえ課題がないわけではありません。
自然の中で生活していると人と関わることが億劫になってくるので、バランスを保つようにすること、厭世的になり過ぎないようにすること。

このブログ、いつまで続けることができるか分かりませんが、21年目に入った今、また新たな気持ちで、その時の自分を書き残していきたいと思っています。

これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。

上昇志向モンスターから、晴耕雨読の日々へ

寒かった二月が過ぎ、ようやく暖かくなってきました。
庭の梅の花も満開で、春を感じられるのはうれしいです。

年々寒さが苦手になっているので、気温が10度を上回るとホッとします。身体って変化していきますよね。基礎スキーに真剣に取り組んでいた20代、雪山ごもりをしていたのが信じられません。真冬でも旅館の中では半袖、一番好きな季節は冬って言ってましたもんね。

最近、身体の変化とそれに伴う思考の変化を静かに楽しんでいます。

人生で最も長い時間を共に過ごすのは、ほかでもない自分。その自分を客観視し、身体の変化だけでなく、物の見方、考え方の変化などすべてを含めて、自分自身とどれだけ上手に死ぬまで付き合っていけるか。

身体ってほんと言うことを聞いてくれません。
年末から二月にかけて、高熱による強制リセットが二回あり、体重も10kg減りました。足かけ四週間の寝たきり期間、予定はほとんどキャンセル、新規の仕事のオファーもお断りするような状況で、多方面にご迷惑をおかけしました。ただただ、身体が動けるようになるのを待つだけの日々で考えていたのは、「積極的な諦め」と「手放し」です。

かつて当たり前のように出来ていたことが出来なくなっている自分を憂いることは簡単だけど、そこからは何も生まれない。今まで出来ていたことは、神様からお預かりしていたもの、出来なくなったことは、お返ししたもの。そう考えると、これが今の自分、これが日常と受け入れられた時に、色んなものから解放されて気持ちが楽になりました。感情が揺さぶられることも人のことを気にすることもなくなり、本当に穏やかな日々です。

かつては「上昇志向モンスター」で、クリアすべき目標を立て、それに向けて仕事もプライベートも全力で取り組んでいました。ウルトラマラソンなど克服型のスポーツに打ち込み、寝る時間を惜しんで働き、世界を飛び回っていました。

でも、今は晴耕雨読、日々を滔々と静かに過ごすだけの人間になりました。前回のブログで書いたとおり、目標も持ちません。なにかを気合いで乗り越えようとしたり、押し込んだり、コントロールしたりすることもなく、庭木や小鳥たちを眺めながら季節の移ろいを感じ、旬のものを料理して食べ、動ける時は軽いウォーキングやジョギングを楽しみ、今こうして生きていることに感謝しています。過去は過去、今は今。もう、がんばらない。

ビジネスやキャリアで相談を受けることも多いですが、それなりにアドバイスはするものの、心の中では「いや、生きているだけで十分立派だよ」と思っています。

いや、ほんと。
この世の中で、生きているだけで立派なこと。胸を張っていいんです。

昭和100年を迎えるにあたって

2025年は、昭和100年になるそうですね。
昭和元年生まれの父方の祖母は来年100歳を迎えますし、昭和三年生まれの母方祖母は、今年6月に96歳で亡くなりました。昭和は64年間続いたし、激動の時代だったということもあり、未だに昭和という時代の重たさ、存在感のようなものを感じます。

100年。
人生100年時代と言われていますが、ちょうど自分も折り返し地点が見えてきました。白秋共同研究所では「人生100年時代、50歳からが本番だ」と謳っているわけですが、じゃあこれからのステージ本番をどう生きるか、それぞれが試行錯誤しています。当然ですよね、前代未聞の長生き時代がやってきているんですもん。

でも考えてみれば、だからこそ「なんでもあり」なわけで、まさに自由。
自由は、「自分に理由があること」ということもできます。

自分はどうしたいか
自分はどう生きたいか

自分で決定し、自分で選択する。
周りとの関係においては、お互いの選択と「理由」を尊重し合い、助け合い、分かち合い、共存共栄していく。まさに和合。自分で決定し、選択するというのは、ウェルビーイングの要素のひとつと言われています。

白秋ホワイトクラブでも、毎回これが話題になります。
参加者のこれまでの歩みや、最近の出来事などを順番に伺いながら、自分自身と絡めて、こう思う、ああ思うなど、皆で意見を繰り出しています。同席した人のライフストーリーや進行中の取り組み、趣味の話などを聞くことで、自分の思考や感情とも対話し、「自分はどうしたいか、そのためにどうすれば良いか」の答えを導くヒントを得ることができます。

先日、長女が二十歳の誕生日を迎え、ささやかなお祝いをしました。
長女が二十歳ということは、僕自身も父親歴20年のハタチというわけです。第一子というのは何もかもが初めての経験で、親も必死なら、子も必死。何が正解が分からないけれど、とにかく愛情を注ぎ、育て、親子で共に一生懸命生きてきた一つの区切りが二十歳の誕生日なんですよね。

長女と「何歳の区切りが一番なんだろうね〜」と話していたのですが、二人の中では、一位:20歳、二位:100歳、三位:60歳 ということになりました。そこに大きな理由はありませんが、なんとなくです。笑

年齢を重ねるにつれ、「幸せとは」を深く考えることが増えました。
本当にありがたいことに、僕は今、一番幸せかもしれません。純粋に在り方を追求し、それを仕事にし、仲間に恵まれ、大好きなコミュニティに身を置き、自然に囲まれながら恵みに感謝する毎日です。娘たちとの何気ない対話ひとつひとつにも、一緒に庭仕事やDIYをしている時にも、最高の幸せを感じます。

「和合」という言葉について、「エネルギーを波紋のように外に伝搬すること」と教えていただきました。仏教用語の「空寂」とは、宇宙のすべての事物は実態のないもの、空であると説きます。宇宙は無限に広がりを見せています。すなわち「空」も、ひろく広がること、ということができるかもしれません。ちなみに、この「空寂」の文字、松田家本家の墓に刻まれている二文字です。

2025年もっともっと、幸せとは、を広げていきたいと思っています。

近況と雑記:投票所の光景、成長のメカニズム

最近の出来事をつらつらと書いてみます。

■衆議院選挙と投票所について

先週末に行われた衆院選。我が家に指定された投票所は、なんと僕が卒業したK小学校!前回選挙の時は歩いてすぐの公民館だったのですが、激坂を20分登る山の上の小学校が投票所になったのです。もちろん車で行けなくもないのですが、坂道の多い近所を散歩する機会もないだろうから、と、選挙権を持つ19歳の長女と妻と一緒に散歩がてら登っていきました。

実に数十年ぶりに入った母校ですが、古くなったなあという実感です。そりゃそうか、卒業してから35年以上経ってますもんね。

懐かしさに浸る一方、投票所としてこの立地はどうなのか?と疑問に思いました。まず、車移動できる人はともかく、徒歩で行くには僕たちでも正直キツい。となると、お年寄りは投票にいけたのか?と、近所に住む高齢世帯のおじいちゃん、おばあちゃんたちの顔を思い浮かべていました。老人ホームなどに入居しているお年寄りは不在者投票などの仕組みを利用できますが、投票所によっては、これから益々足が遠のくお年寄りが増えるのでは。僕たちが投票に行った時間帯でも、お年寄りはまったく来ておらず、同じ世代の大人ばかり。結構高齢化している地域なんですけどね。

なにかと話題になる「シルバー民主主義」ですが、人口の多い高齢者の意見がとおりやすく、若い人の意見がとおりにくいという議論があり、まあ確かにそうかもしれない。でも、僕が見えている景色では、むしろ物理的に投票に行けないお年寄りが増えているのではないかと思うのです。祖母が生きている頃も「自分はもうしんどいから投票には行けない。若い人に任せる」と言っていましたしね。まあ、これに関してはかなり地域差はありそうですが。

そして、逆に若い人たち(長女のような10代の若者含め)は結構みんな投票に行ってるのです。たとえば、高校3年生の次女。彼女は3月生まれなので今回投票権はなかったのですが、18歳を迎えている部活の同級生は、みんな投票行ってたよ〜と言っていました。確かに人口は少ないかもしれないけど、政治に対する関心は高いのかもしれません。親の教育ももちろんあるでしょう。それが、20代に支持されたといわれる国民民主党の躍進に繋がったのかもしれませんね。

とにかく、社会や暮らしを人任せにせず、自分ごとにするという意識は大切です。文句を言う前に自ら動こう。義務を果たそう。若い人たちを見ていると、大人よりも真剣に将来のことを考えている気がします。

こんな記事もありました。若い候補者に投票したい、というお年寄りも多いようです。
「シルバー民主主義は本当? 実験で見えた高齢者の意外な投票行動」


■神社仏閣めぐりと「成長」について

先日、和歌山の丹生都比命神社と高野山に行ってきました。高野山は久しぶりだったのですが、開山1200年の奥の院、苔むした墓所には戦国大名の墓もあります。信長の墓所、秀吉の墓所。古いなあと思っても、今から450年前。高野山の歴史の中では、比較的新しい方なのかもしれませんね。

このブログでいつも書いていますが、僕は時間を100年単位で見るようにしています。特に神社仏閣めぐりをするようになってから、よりその意識が強くなりました。神社の歴史に比べると、自分たちが生きている数十年なんてたかだか一瞬。だからおろそかにするというのではなく、ちゃんと務めを果たして次世代にバトンをつなぐのが役目だと思うのです。

昨日、白秋共同研究所が主宰する企業人事向けの研修「HCT Hakushu Career Transition」が開催されました。その中で、成長のメカニズム四象限があり、

【1】成長体験(成長を経験したエピソード)
【2】成長の定義(成長を自分なりに言語化)
【3】成長の図化(2を踏まえて、成長を図や絵で表現)
【4】行動習慣(成長するための行動習慣3つ)

これらを書いて話し合うというワークがあったのですが、自分は最後の「成長のための行動習慣」3つを、①居心地の悪い場所を探して飛び込む ②常に大局観に立つ(物事を100年単位で考える)③でも、無理はしない を挙げました。

物事を百年単位で考えると、経済でも政治でも大きな流れの中での「今」として捉えることができ、右往左往せずに済みます。今、この状態があるのは、いつ、何が起点だったのか。歴史の中でどういう転換期があったのか。この感覚を常に持っていたいものです。

高野山 奥の院
白秋ホワイトクラブ
和歌山 ゆの里

気張るな、というメッセージをいただきました

いろんな方から悩みや相談をお聞かせいただく中で、共通して感じるのは人の根底にある「不安」です。

人って、先が見えない時や、自分がコントロールできない時、見たことのないものが目の前に表れた時に不安を感じるものです。特に、自分のコントロールが効かない状況になった時に、不安になり、恐れ、攻撃的になる傾向があるように思います。

幼い時から、目標を持つこと、なりたい自分像を明確にすること、夢に日付を書き、逆算して行動することなどを徹底的に教え込まれて来ましたので、そのとおりにならないと、やばい、どうしてだろう、と焦ったりもします。不安だから、人の評価も気にします。人からどう思われているだろうかという不安が根底にあるので、キラキラ投稿をしたり、ビジネスやってますアピールをしたり、はたまた世の中を分かったかのように憂い、批判する投稿をしてみたりするんですよね。かまってほしいんですよ、不安だから。

最近、不安を感じるのって「自分がずっと生きている」ことを前提にしているからだよな〜と気づきました。なんとなく、いつかは死ぬとは思っているものの、それがいつか分からない。分からないことを分かろうとするからがんばるんです。分からないことはリリースすれば良いのにね。

自分の人生にとっての時間は有限かもしれませんが、時間そのものは無限です。

神社仏閣巡りをしていると、物事を千年から二千年の単位で考えざるを得ません。このブログでは何度も書いていますが、時間というのは、歴史の年表のように左から右へ直線的にリニアに繋がっているもので、それが何万年と続く中で、たまたま今生まれて来た人が80年かそこら生きているだけのことなんですよ。それに、今目に見えている世界がすべてでもなく、この80年そこらで一旦地球という「バーチャルフィールド」に降りてきて、ちょっと色々と経験して、また別の世界に飛び立つということで、現世は修行の場、という仏教的な考え方もあれば、現世は感謝の場、という神道的な考えもあり、いずれにしてもテンポラリーな「場」としての捉え方もできるということなんですね。

みんな違ってみんないい。
心配事の99%は起こらない。
大丈夫、気張らなくてもなんとかなる。
世の中の経済の仕組みを知れば分かるけど、自分の稼ぎは誰かの借金。
一人で豊かになっている人は、その他大勢を貧しくしているということ。

そういえば、最近「気張るな」というメッセージを尊敬する方からいただきました。そうか、自然体でいいんだ。無理に仕事もがんばらないし、無理に付き合いを広げることもなくなったし、そのおかげで周りには価値観の合う気持ちの良い人だけが残り、ストレスとは無縁の生活を送ることができるようになりました。

幸せになるのは、未来ではなく、今の自分の心なんですよね。
目の前にあることを感謝して生きることが大切ですね。

「変わらないもの」に対する関心が深くなっている理由

自分自身の興味関心が変化していることを実感しています。
具体的には「変わらないもの」に対する関心がどんどん深くなっている、という感じでしょうか。

世の中には、変わるものと変わらないものがあります。
経済や政治の仕組みや技術は時代によって変わるもの、人の暮らしを支える農業や漁業、お祭りなどは変わらないものと定義することができるかもしれません。

数百年、数千年と続いてきた営みは文化と呼べますし、その文化というのは、いつの時代も人が「生きる」ということと密接に関係しています。生きていく上で必要なのは、水、空気、食べ物です。神社などに行くと、太陽や水や土それぞれに神が宿っていて、五穀豊穣を願い、実りに感謝することがお祭りという形になっていることが分かります。一方、寺は人々が強く生きていく上で大切な心を鍛える修行の場であり、救いの場と捉えることもできるかもしれません。

生きていく上で最も重要な水、空気、食物ですが、特に食べ物について、最近特に気にするようにしています。前回のブログでも書きましたが、医療が発達して平均寿命が延びたにもかかわらず、ガンや認知症などの増加で健康寿命は思うほど延びていない、働き盛りの子が親の介護をしなければならない(僕の祖父母世代は親の介護なんて経験したことがなかった)などの状況を見ていると、これは果たして技術が進歩したといえるのか?と思うのです。誰もが望む「ピンピンコロリ」ですが、それも思うようにいかず、結局は人の世話になってしまうという現状もあります。

貧困と肥満率の相関関係を見ても分かるとおり、今の世の中で健康に生きようと思うと、お金と時間が必要です。なんでなんでしょうね。人は仕事に追われ、時間がないのでコンビニやファーストフードなどで添加物や糖質の多い食事をしてとりあえず腹を満たし、健康を害し、病院に行き、医療費や保険のためにまた働くという悪循環を繰り返しています(かつての自分がそうでした)。アメリカでオーガニックな野菜を手に入れようと思うと、高級スーパーに行かなければ手に入りませんし、高額です。庶民にはとても手が届きません。

そのような現状を解決するために、経済成長や技術革新や医療の進歩がなにか寄与してきたか?と思うと、僕の中では答えが見い出せず、ただ格差を生んだだけではないのか?と思うのです(経済成長や技術を否定するものではありません)。

食や病気だけでなく、戦争や暴力、搾取がいつまで経ってもなくならないのも同じですけど。

そういうわけで、自分は「ビジネス」に対する関心は徐々に薄れ、今は、人間が人間らしく幸福に生きていける枠組み、システムなどに深い興味を注いでいます。ビジネスをすればするほど誰かが貧しくなっている気すらします。最近、文化人と呼ばれる人、具体的には、芸術家、大学教授、作家さんなどとお話をする機会が増えているのもそういう理由からかもしれません。人にもよりますが、このような方の視座は高く、全体を俯瞰したり、物事を別角度から分析したり、歴史を百年単位で考える思考をお持ちです。自分もお祭りの企画や運営に携わっている手前、日本古来の歴史や文化について深く考えることが多く、今の世の中に本当に必要なものって何?と考えることが多くなりました。

松田さんは稼いでいるからそんな悠長なことが言えるんですよ、と言われることもありますが、決してセーフティゾーンから物を見ているわけではなく、本当になんとかならんか、と思っているところです。まだ答えは全然見つかっていませんが、とりあえず、これと思うことに心血を注いで行きたいと思います。

高層ビルとホームレースのコントラスト サンフランシスコ,2019年

さあ、これから何して遊ぼう

思えば遠いところまでやってきたなあ、というのが実感です。
このブログは2005年の6月に始め、今月で丸19年を迎え、20年目に入りました。

たかだか20年とはいえ、その間、様々なステージチェンジがありました。0歳だった長女は大学生になり、始めた当時は生まれていなかった次女も高校生になりました。僕自身のキャリアも色々と変化がありました。絶好調の時もあれば、絶不調の時もありました。そのような山谷を乗り越えながら、なんとか生きている。結果的に生きてきた。そんな感じでしょうか。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは、パスカルが「パンセ」の中で書いた言葉と言われています。

この言葉、若い頃は意味が分からず、なんて刹那的な言葉なんだろう、もっと人生には深い意味があるのではないのかと思っていたのですが、今となっては、ああ、人生って確かに死ぬまでの暇つぶしなんだなと素直に共感しています。今生きている人が、それぞれ思い思いに暇つぶしをしている。その手段が仕事であったり、何かの活動であったり、趣味であったり、結婚や子育てであったりするのですよね。「生きがい」というものを見つけ、それぞれがそれぞれの人生をまっとうする。「暇つぶし」とは、時間を無駄にしているような印象を受けますが、時間の使い方と考えると、そういうものだよな、と納得します。

養老孟司先生は、何かのインタビューで「生きることの意味?生まれてきたんだから、生きるしかない」というようなことをおっしゃっていて、腹落ちしたことがあります。生まれてきたからには生きるしかない。そこに意味なんてなく、生まれたからには、死ぬまでどう生きるか、それだけ。というシンプルな答えにたどり着きます。親から受けたバトンを、80年か90年生きて、子や次の世代にバトンを渡して、死ぬ。

その間、自ら問いを立て、その問いにどう答えていくか。
その繰り返しと積み重ねですよね。

仕事柄、人と会うことが多いのですが、色々な人と話をしていると、この人はこういうところで生まれて、このように生きてきたんだ、と、それぞれの今までの人生を想像しています。人それぞれの「暇つぶし」の仕方を聞くのは楽しいですよね。ああ、あなたはこういう方法を選んだんだ、それ、面白そうですね!僕はこんな方法で暇つぶしをしていますよ、というような感覚です。周りの人に寛容になれるし、重たいものを背負う必要もないし、楽しめたらそれでいい、という感覚になり、肩の力が抜けます。

さあ、これから何して遊ぼう。
皆さんの遊びもお聞かせくださいね。

このブログでは、日常生活から日頃考えていることまで幅広く書いていますが、これも一つの暇つぶし。今どきブログも流行りませんが、自分に対する備忘録として、インターネットという海に浮かぶ過疎の島で細々と何かを書いて発信すること、続けられる限りは続けて行きたいと思っています。

20年目もよろしくお願いいたします。

近況1:先週、モデルのお仕事をさせていただいた有馬グランドホテルで
近況2:同じ日の夜、関大梅田キャンパスで「人のこころに寄り添うプロデュース」と題してお話させていただきました。