気張るな、というメッセージをいただきました

いろんな方から悩みや相談をお聞かせいただく中で、共通して感じるのは人の根底にある「不安」です。

人って、先が見えない時や、自分がコントロールできない時、見たことのないものが目の前に表れた時に不安を感じるものです。特に、自分のコントロールが効かない状況になった時に、不安になり、恐れ、攻撃的になる傾向があるように思います。

幼い時から、目標を持つこと、なりたい自分像を明確にすること、夢に日付を書き、逆算して行動することなどを徹底的に教え込まれて来ましたので、そのとおりにならないと、やばい、どうしてだろう、と焦ったりもします。不安だから、人の評価も気にします。人からどう思われているだろうかという不安が根底にあるので、キラキラ投稿をしたり、ビジネスやってますアピールをしたり、はたまた世の中を分かったかのように憂い、批判する投稿をしてみたりするんですよね。かまってほしいんですよ、不安だから。

最近、不安を感じるのって「自分がずっと生きている」ことを前提にしているからだよな〜と気づきました。なんとなく、いつかは死ぬとは思っているものの、それがいつか分からない。分からないことを分かろうとするからがんばるんです。分からないことはリリースすれば良いのにね。

自分の人生にとっての時間は有限かもしれませんが、時間そのものは無限です。

神社仏閣巡りをしていると、物事を千年から二千年の単位で考えざるを得ません。このブログでは何度も書いていますが、時間というのは、歴史の年表のように左から右へ直線的にリニアに繋がっているもので、それが何万年と続く中で、たまたま今生まれて来た人が80年かそこら生きているだけのことなんですよ。それに、今目に見えている世界がすべてでもなく、この80年そこらで一旦地球という「バーチャルフィールド」に降りてきて、ちょっと色々と経験して、また別の世界に飛び立つということで、現世は修行の場、という仏教的な考え方もあれば、現世は感謝の場、という神道的な考えもあり、いずれにしてもテンポラリーな「場」としての捉え方もできるということなんですね。

みんな違ってみんないい。
心配事の99%は起こらない。
大丈夫、気張らなくてもなんとかなる。
世の中の経済の仕組みを知れば分かるけど、自分の稼ぎは誰かの借金。
一人で豊かになっている人は、その他大勢を貧しくしているということ。

そういえば、最近「気張るな」というメッセージを尊敬する方からいただきました。そうか、自然体でいいんだ。無理に仕事もがんばらないし、無理に付き合いを広げることもなくなったし、そのおかげで周りには価値観の合う気持ちの良い人だけが残り、ストレスとは無縁の生活を送ることができるようになりました。

幸せになるのは、未来ではなく、今の自分の心なんですよね。
目の前にあることを感謝して生きることが大切ですね。

「変わらないもの」に対する関心が深くなっている理由

自分自身の興味関心が変化していることを実感しています。
具体的には「変わらないもの」に対する関心がどんどん深くなっている、という感じでしょうか。

世の中には、変わるものと変わらないものがあります。
経済や政治の仕組みや技術は時代によって変わるもの、人の暮らしを支える農業や漁業、お祭りなどは変わらないものと定義することができるかもしれません。

数百年、数千年と続いてきた営みは文化と呼べますし、その文化というのは、いつの時代も人が「生きる」ということと密接に関係しています。生きていく上で必要なのは、水、空気、食べ物です。神社などに行くと、太陽や水や土それぞれに神が宿っていて、五穀豊穣を願い、実りに感謝することがお祭りという形になっていることが分かります。一方、寺は人々が強く生きていく上で大切な心を鍛える修行の場であり、救いの場と捉えることもできるかもしれません。

生きていく上で最も重要な水、空気、食物ですが、特に食べ物について、最近特に気にするようにしています。前回のブログでも書きましたが、医療が発達して平均寿命が延びたにもかかわらず、ガンや認知症などの増加で健康寿命は思うほど延びていない、働き盛りの子が親の介護をしなければならない(僕の祖父母世代は親の介護なんて経験したことがなかった)などの状況を見ていると、これは果たして技術が進歩したといえるのか?と思うのです。誰もが望む「ピンピンコロリ」ですが、それも思うようにいかず、結局は人の世話になってしまうという現状もあります。

貧困と肥満率の相関関係を見ても分かるとおり、今の世の中で健康に生きようと思うと、お金と時間が必要です。なんでなんでしょうね。人は仕事に追われ、時間がないのでコンビニやファーストフードなどで添加物や糖質の多い食事をしてとりあえず腹を満たし、健康を害し、病院に行き、医療費や保険のためにまた働くという悪循環を繰り返しています(かつての自分がそうでした)。アメリカでオーガニックな野菜を手に入れようと思うと、高級スーパーに行かなければ手に入りませんし、高額です。庶民にはとても手が届きません。

そのような現状を解決するために、経済成長や技術革新や医療の進歩がなにか寄与してきたか?と思うと、僕の中では答えが見い出せず、ただ格差を生んだだけではないのか?と思うのです(経済成長や技術を否定するものではありません)。

食や病気だけでなく、戦争や暴力、搾取がいつまで経ってもなくならないのも同じですけど。

そういうわけで、自分は「ビジネス」に対する関心は徐々に薄れ、今は、人間が人間らしく幸福に生きていける枠組み、システムなどに深い興味を注いでいます。ビジネスをすればするほど誰かが貧しくなっている気すらします。最近、文化人と呼ばれる人、具体的には、芸術家、大学教授、作家さんなどとお話をする機会が増えているのもそういう理由からかもしれません。人にもよりますが、このような方の視座は高く、全体を俯瞰したり、物事を別角度から分析したり、歴史を百年単位で考える思考をお持ちです。自分もお祭りの企画や運営に携わっている手前、日本古来の歴史や文化について深く考えることが多く、今の世の中に本当に必要なものって何?と考えることが多くなりました。

松田さんは稼いでいるからそんな悠長なことが言えるんですよ、と言われることもありますが、決してセーフティゾーンから物を見ているわけではなく、本当になんとかならんか、と思っているところです。まだ答えは全然見つかっていませんが、とりあえず、これと思うことに心血を注いで行きたいと思います。

高層ビルとホームレースのコントラスト サンフランシスコ,2019年

さあ、これから何して遊ぼう

思えば遠いところまでやってきたなあ、というのが実感です。
このブログは2005年の6月に始め、今月で丸19年を迎え、20年目に入りました。

たかだか20年とはいえ、その間、様々なステージチェンジがありました。0歳だった長女は大学生になり、始めた当時は生まれていなかった次女も高校生になりました。僕自身のキャリアも色々と変化がありました。絶好調の時もあれば、絶不調の時もありました。そのような山谷を乗り越えながら、なんとか生きている。結果的に生きてきた。そんな感じでしょうか。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは、パスカルが「パンセ」の中で書いた言葉と言われています。

この言葉、若い頃は意味が分からず、なんて刹那的な言葉なんだろう、もっと人生には深い意味があるのではないのかと思っていたのですが、今となっては、ああ、人生って確かに死ぬまでの暇つぶしなんだなと素直に共感しています。今生きている人が、それぞれ思い思いに暇つぶしをしている。その手段が仕事であったり、何かの活動であったり、趣味であったり、結婚や子育てであったりするのですよね。「生きがい」というものを見つけ、それぞれがそれぞれの人生をまっとうする。「暇つぶし」とは、時間を無駄にしているような印象を受けますが、時間の使い方と考えると、そういうものだよな、と納得します。

養老孟司先生は、何かのインタビューで「生きることの意味?生まれてきたんだから、生きるしかない」というようなことをおっしゃっていて、腹落ちしたことがあります。生まれてきたからには生きるしかない。そこに意味なんてなく、生まれたからには、死ぬまでどう生きるか、それだけ。というシンプルな答えにたどり着きます。親から受けたバトンを、80年か90年生きて、子や次の世代にバトンを渡して、死ぬ。

その間、自ら問いを立て、その問いにどう答えていくか。
その繰り返しと積み重ねですよね。

仕事柄、人と会うことが多いのですが、色々な人と話をしていると、この人はこういうところで生まれて、このように生きてきたんだ、と、それぞれの今までの人生を想像しています。人それぞれの「暇つぶし」の仕方を聞くのは楽しいですよね。ああ、あなたはこういう方法を選んだんだ、それ、面白そうですね!僕はこんな方法で暇つぶしをしていますよ、というような感覚です。周りの人に寛容になれるし、重たいものを背負う必要もないし、楽しめたらそれでいい、という感覚になり、肩の力が抜けます。

さあ、これから何して遊ぼう。
皆さんの遊びもお聞かせくださいね。

このブログでは、日常生活から日頃考えていることまで幅広く書いていますが、これも一つの暇つぶし。今どきブログも流行りませんが、自分に対する備忘録として、インターネットという海に浮かぶ過疎の島で細々と何かを書いて発信すること、続けられる限りは続けて行きたいと思っています。

20年目もよろしくお願いいたします。

近況1:先週、モデルのお仕事をさせていただいた有馬グランドホテルで
近況2:同じ日の夜、関大梅田キャンパスで「人のこころに寄り添うプロデュース」と題してお話させていただきました。

水の大切さについて本気で考える

先週の金曜日、和歌山県橋本市にある「ゆのさと」に行ってきました。
ここは「月の雫」という水で有名な場所で、温泉施設でありながら、多くの方がタンク持参で来られて、水を汲んで帰るという場所です。僕たちが行った日は平日でしたが、他府県ナンバーの車も多く(品川ナンバーもあった!)、全国からゆのさとの水を求めてやってくるという話は本当なんだと実感しました。僕も20リットルのタンク2個に水をいただき、毎日飲料や食事に使っています。

人間の身体の水分量は60%と言われていますよね。
水で出来ているとは過言ですが、それだけ水は人間にとって必要不可欠、最も大切なものだと言えます。ゆのさとの訪問がきっかけで水について色々と調べていた時、2年前に熊本で開催された水サミットでの天皇陛下の記念講演を知りました。下記のリンクから全文を読むことができます。

宮内庁ホームページ
第4回アジア・太平洋水サミットにおける天皇陛下記念講演(2022年、令和4年4月23日)

長年、水の研究をライフワークとされている天皇陛下が、ご専門ならではの知見で水に関する民族信仰についてお話されています。先祖代々続く人々と水との関わりが、その地域固有の文化と社会を形成してきたと。あれこれ言わないので、とにかく読んでください。

この話のすごいところは、水=龍神(弁財天や九頭竜)や蛇の神(宇賀神、ナーガ)、亀蛇(妙見祭)など、水と神との関係は、日本のみならず、形を変えてアジア太平洋全域に広がっていることから、わたしたちは一つ、みんな一緒なんだよ、ということを伝えられているということなんですね。だから共存共栄していきましょう、と。まさに大和=和合の精神。水から民族信仰、和の精神に論理を発展されるところが、平和と安寧を願っておられる陛下ならではなのですよ。誰もがこの精神を持っていたら、争いや分断、格差なんて起こらないでしょうよ。

ビジネスマンの僕がいうのもおかしいのですが、資本と技術を追求し続けると世の中は金、物の世界になってしまいます。金、物の世界って、限界があるんですよね。そもそも人口が増え続け、消費が右肩上がりで増え、投資を永遠にし続けることが前提のシステムになっているので、お金を永遠に増やさなければならない。人口が減少している今の世の中では成り立たないし、物を売るためには、「人々が満足しないように」しなければならないわけです。つまり、常に人々を不安な状態にさせること。戦争や疫病は技術を進歩させ、産業が活性化します。ひどい話だけど。でも、そのお金も価値が下がりつつあります(物価が上がっているのではなく、お金が増えすぎてお金の価値が下がっている)。そろそろ限界なんじゃないかな。

一方、生物としての人間としての「在り方」を追求すると、縄文時代の村のように、争いもなく、皆が共に汗をかき、畑を耕し、自然に感謝しながら平和に暮らす世の中になる。どっちがいいのでしょうね。実態のないもの、終わりのないものを、体力気力をすり減らしながら追いかけ続けることに何の意味があるのでしょうね。それだけの体力気力があれば、僕は後者に進路を取って行きたいなと思います。

さて、先の記念講演で、陛下が「奈良県の室生には、龍が棲むという洞穴があり」と、吉祥龍穴に言及されておられたことが個人的に胸アツでした。僕の大好きな室生龍穴神社の奥宮です。知る人ぞ知る秘境のことを陛下が知っておられたとは。ちなみに、竹生島や天河弁財天にも言及されてるんですよ!お分かりになる方はピンとこられると思いますが・・・

というわけで、今日はこのあたりで。
水について、しっかり考えてみましょう。

吉祥龍穴(室生龍穴神社奥宮) 松田撮影
奈良県、大峰山龍泉寺の湧水 松田撮影
善女龍王、高龗神(ともに瀬織津姫)が祀られている室生龍穴神社 松田撮影

自分で決めてやるしかない時代

3月も終わりが近づいてきました。
卒業式シーズンも一段落、これからは入社式、入学式、始業式と、新たな門出に胸踊る季節です。自分も独立するまでは4月1日といえば入社式でした。入社式の後は新入社員研修が続き、4月は研修シーズンでGW前にようやく落ち着くという生活でしたが、今は自分ひとりで仕事をしているので、せいぜい、支援先企業のお手伝いくらいになりました。

なんとなく、あの入社式の独特の雰囲気が今となっては懐かしく感じます。

新卒一括採用の良いところは、これといった特別なスキルや専門性がなくても、それなりに研修や教育で仕事のノウハウを教えてもらい、現場でビジネススキルを身に着け、ジョブローテで様々な職務を経験しながら一通りの仕事ができるようになることでしょう。時として、先輩や上司からの無茶振りや理不尽も経験しつつ、これらを燃料にして成長できる(させてもらえる)のです。

ここ数年、生成AIの台頭により、プロンプトを使いこなすことで仕事の生産性を上げる(CaDE-aiにリンク) ことができるようになってきましたが、新入社員にとってやはり基礎は大切。その基礎をどのように身につけることができるかというと、「学びと実践」以外にありません。

よく20代の人から「早く成長したい」「早く稼げるようになりたい」という相談を受けるのですが、そういう気持ちがある人には「一番の近道は短期集中ですよ」と伝えています。

どうせやるなら短期間に凝縮させる

例えば、新卒未経験で入った会社で3年間、慣れない仕事を覚えるために死にものぐるいで勉強し、土日も本を読み、仕事を優先した3年間と、仕事はそこそこにアフター5や週末は趣味や友達との時間に費やす3年間とでは、どちらがスキルアップのスピードが速いでしょうか。

答えは明白ですよね。前者です。
これは、どっちが良い生き方かという議論ではなくて、成長しようと思うと努力は避けて通れないということです。それゆえ「早く成長したい」と思うのであれば、短期間にその努力を集中させることが一番の近道なんです。これね、やっとくと後が楽なんですわ。将来、独立したい、リッチになりたい、多くの人の役に立ちたいと思う人は、(一部の天才は除き)できるだけ若いうちに修行だと思って努力と苦労を買ってでもやるようにしましょう。

特に最近は会社が無茶をさせてくれないので、「成長してやる!」との決意に自分でコミットしてがんばるしかありません。昔はピンからキリまで、イヤイヤでも無茶させられたので、気づくとある程度成長できていたのですが、今はやる人とやらない人で強烈な差が付いてしまいますので、大変ですよね。一応「そうじゃない生き方もある」ということは付け加えておきます。

知り合いがいない場所に積極的に出かけよう

人にとって居心地の良い環境というのは、地元の友達や学校の同級生と一緒に遊んだり、会社の同僚と飲みに行ったりすることだと思います。知った仲ですから、とても楽です。

でも成長しようと思うと、楽なメンバーとばかり一緒にいては何も得ることはできません。出来るだけ、知り合いがいない場所に出かけて色んな人から刺激や学びを得ることが大切です。これは、驚くほど成長に繋がります。

まず、知り合いがいない場所に行くと、誰も自分のことを紹介してくれません。自分から人に声を掛けなければ何も始まりませんよね。以下に場面を想定してみます。【】内はその場面で必要なスキルです。

1,初対面の人に声を掛ける【勇気、積極性】
2,その人と会話を続ける【話題の豊富さ、コミュニケーション能力】
3,その人に気に入ってもらう【思いやり、謙虚さ、気づかい】
4,その人の知り合いに紹介してもらう【好感度、さわやかさ】

【】内を見るだけでも、どれだけのスキルが必要か。4については相手が判断するものなので少し違うかもしれませんが、でも一度これらのスキルを身につけると、どこに行っても、どんな場所でも、誰とでも仲良くなることができます。もちろん、これは先天的なものではなく、やはり努力と惜しみないインプットによって獲得するものです。

その結果、居心地の良い閉じた小さな世界では出会えない属性の人々から学びや気づきを得たり、思わぬ人と繋がったり、人脈が広がって趣味や遊びや仕事の幅が広がったりするのです。ちなみに、人脈は、広げようと思って追っかけるものではなく、富や立場と同じで「結果として」ついてくるものだと思います。

4月が近づいてきたので、新入社員の方に向けて少しでもヒントになるようなことを書いてみました。昔と今は時代が違うとよく言われますが、最近のスポーツ選手の活躍やインタビューを見ていても、成功者はものすごい努力を積み重ねていますよね。見えないところでどれだけコツコツやれるかが大切なのだと思います。

自由だけど不自由、自己責任とは聞こえはいいが、事実、切り捨ての時代をどう生き延びるか、ですね。

選択する力

3月に入り、寒暖の差が激しいことに加え、毎年3月からGWにかけては体調を大きく崩す時期ということもあり、いよいよ今年も本格的にやばい季節がスタートしたという感じです。

東西を仕事で行き来しながら、その合間に神社めぐりやゴルフ、ランチめぐりなどをしているのですが、体調がいつどうなるか分からず、なかなか先の予定も立てにくいところに身内の入院なども重なり、スケジュールをかなり調整させていただくことになりました。各方面、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

さて、いよいよ世の中も混沌としてきた感がありますが、経済面では株価が40,000円を突破して過去最高を更新した瞬間、また38,000円台に戻るという面白いことになっています。さらにここへ来て、時期尚早ともいえるマイナス金利政策解除のニュースもあり、今後株価は更に調整局面を迎えるでしょう。米国株も一旦頭打ち、新興国のドル離れもあり、上昇機運に乗っかってジャンピングキャッチしてしまった方、新NISAをスタートした方は、少ししんどい一年になるかもしれません。

いつも思うのですが、「こうすれば大丈夫」というテンプレートが何もない世の中において、マスコミや有識者、人の言うことはあてにできず、自分の身は自分で守るということがより求められています。攻略難度が年々高くなっているRPGの主人公のように、自分の選択を自分で信じるしかない。そのために「選択する力」をどう養うか。これに尽きるわけです。

マズローは、選択には、成長の選択と、退行の選択の二種類があると説いています。

成長の選択 = 自己実現に近づくけれども、当面、苦労する選択肢


退行の選択 = 自己実現からは遠ざかるけれども、当面、楽な選択肢

退行の選択は、安全や依存と結び付けられることもあります。セーフティゾーンから出たくないというのは、安全への欲求の裏返しだし、当面楽な選択ですが、それは自己実現から遠のいていくことになるかもしれません。人間として生きている以上、将来後悔しないために、一歩踏み出す勇気が求められるということです。

また、その選択をするためには、やはり物事の本質を見る力と抽象化能力が求められると思っています。抽象化能力って、意外と歴史を学ぶことで培われるものだと思っているのですが、それは、歴史を学べば、人間は同じことを繰り返しているだけだということが分かるからなんですね。

貧しい時代は子がたくさん生まれ(その代わり平均寿命も短い)きれいなピラミッド型の人口構成図になります。産めや増やせやで、経済が発展します。そしてある程度豊かになると出生率は低下して、高齢化が進み、人口は減少します。どんな王朝も政治形態も、成長期、安定期、衰退期を繰り返してきました。

人間が人間である以上、これが正解というのはない。そもそも、自然災害や戦争や食糧危機のリスクも含めて、いつどうなるか分からない時代にセーフティーゾーンはどこにも存在しないので、結局は「成長の選択」をしなければならないことになるんですよね。
どうせやるなら、思い切って。


選択する力、自分で自問自答する毎日です。
ビジネスの順調さとは裏腹に、いかんせん身体が思うように言うことを聞いてくれないこともあり、日々もどかしい思いをしている中で、選択する力について考えながら、自らを奮い立たせている今日この頃です。

日の出に感謝

典型的な朝型人間なので、毎朝5時台には目が覚めます。
先週は天気が悪い日が多かったのですが、雨が降る前の朝焼けってすごくきれいなんですよね。まるで夕日のような、燃えるような色をしているのです。

我が家のリビングは東向きなので、はるか遠く大阪平野の東端にある生駒山から昇る朝日を見ることができますが、その色の美しさったら!朝焼けがきれいに見えると天気が崩れるといいますが、まさにそのとおりの先週でした。

前回のブログで「何をモチベーションにするか」ということを書きました。
空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか(2024年2月17日)

あれから色々と考えていたのですが、自分の場合はただ単純に、毎日生かされていることに対する感謝の気持ちがモチベーションになっていることを再認識しました。せっかく生かされているのだから、誰かの何かのお役に立ちたい。願わくば、周りにいるひとたちを少しでも幸せにできればいい。

毎朝、太陽が昇ることに感謝
水や空気があることに感謝
その日、元気に生きていることに感謝

感謝すべきことを数えあげればきりがありません。
それは自然に対してだけでなく、人や社会に対しても同じ。社会的な生きものである人間にとって、一人で生きていくことは難しい。仕事をさせてもらえていることも、美味しい食べ物をいただいていることも当たり前ではないし、自分の力で出来てることって何もないよな。自分のためにはがんばる気持ちは沸かないけれど、人のためにはやる気が出るな。不思議ですよね。

さて、あっという間に2月も終わりです。
確定申告も早々に終わらせましたので、スッキリした気持ちで3月を迎えることができそうです。年度末という区切り、4月からの新たなスタート。春から夏の予定もたくさん入ってきて、今からワクワクしています。

昨春は体調を大きく崩し、通院、入院、検査続きの春でした。
この経験のおかげで人生と向き合い、色んなことを学ぶことができた一方、先々の予定を入れることの難しさも実感しました。今年は上手に乗り越えれるでしょうか。まあ、先のことは分からないので、その時々の判断ですね。

とりあえず、今のところは元気です。

空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか

鈍ってきたなと思うことが多々あります。
頭の回転も、体力も、気力も。

年齢の問題もあるかもしれませんが、色んな意味で満たされてきたのかもしれません。若い頃は足りないことばかりで、自分に対しても、周りに対しても「もっとこうしたい」「もっとこうあるべき」という気持ちが強く、その満たされない思い(ハングリー精神)から、色々な考えを発信し、遅くまで飲みながら仲間たちと話し込み、仕事もプライベートも、睡眠時間を削りながらがむしゃらにがんばってきたと思うのです。

ところが、人生経験もある程度積んできて(「ある程度」というところがポイントです)、経済的にも社会的にも満たされつつも、一方で、なんとなく社会や経済の仕組み、金儲けの仕方、組織や人の在り方と限界、理想と現実の間に存在するギャップ、長い歴史から見る人間の営みと愚かさ、栄枯盛衰などについて理解してくると、まあ、こんなもんかなと、すべてを受け入れられるようになってくる。

良い意味でいうと、角が取れてくる。
角が取れると、自分に出来ることと出来ないことがはっきり分かるし、出来ないことは素直に「出来ない」と認めて、出来る人に任せれるようになるし、出来る人が羨ましいとも思わなくなる。逆に、出来ないことはどんどん手放し、ストレスフルな環境から離れ、人生の最適化を行うようになるんですよね。

これって、とてもストレスフリーなんです。ある意味とっても幸せな状態。でも角がないので、全部受け入れられる状態になり、色々な意味で鈍ってくるのと、生き物として「弱い」んです。満腹状態の動物って、空腹の動物と喧嘩したら負けるのは明らかなのですから。腹が減っては戦はできぬ、ではなく、腹が減っているから戦をする、なんでしょうね。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれている人々のように、明治維新で国家が誕生し、ちょんまげだった民衆や畑仕事をしていた農民が、慣れない「国民」となり、無理やり近代化を急速に推し進めていきながら日露戦争に勝利したのは飽くなきハングリー精神の賜物だし、戦後の焼け野原から高度成長期を経て世界第二位の経済大国になったのも「腹いっぱい食いたい」との思いからだったに違いありません。でも一旦満たされると、あとは衰退の一途をたどってしまう。諸行無常、栄枯盛衰ですね。

人間、ある程度「腹が減っている」状態の方がいい。がんばれる。

不条理に対して「なんでやねん」と食って掛かるくらいの気持ちをいかに持ち続けることができるか。実力も結果も全然伴っていない若者が「こうあるべき」「こうしたら成功する」と発信しているのを見て、いや何も分かってないな〜とは全然思わないんです。満たされていないことは、強さだ。

じゃあ、自分はどうなのか。何に対してアツくなれるのか。今年はどういうテーマでがんばろうかと思っていましたが、アツくなれるものを探すのが一つのテーマになりそうです。

日本人は誰を、何を守ろうとしているのだろう

ちょっと前にお正月を迎えたと思ったら、もう二週間が経とうとしています。
皆さまはどのように年末年始の休暇を過ごされましたか?

僕は普段と同じペースで生活をしながら、地元の廣田神社、越木岩神社、芦屋神社を周り、6日には日帰りで伊勢神宮にお参りしてきました。

伊勢神宮。
2000年続く、生きた神殿。

深い森、大きな木々、美しい五鈴川のせせらぎを見ながら、心の底から清らかな気分になりました。それと同時に、僕の頭は少し混乱してきました。そうか、ここは遺跡でも遺産でもなく、2000年間ずっと人が維持し、守り、呼吸をし続けてきた「生きた神殿」なんだ、と。

世界には様々な神殿がありますが、パルテノンやアンコールワットなど、いつしか人がいなくなり、遺構だけが残されているところがたくさんあります。そのようなところは「世界遺産」として登録されている。でも、伊勢神宮は違う。なぜなんだろう。なぜ、世界で唯一ここだけが数千年の歴史を保っているのだろう。日本人は、誰を、何を守ろうとしているのだろう。

伊勢神宮には、20年に一度、外宮と内宮のすべての社殿が建て替えられる「式年遷宮」があります。前回の遷宮は2013年でしたから、次は2033年の予定。第63回目となるそうです。持統天皇の時代から始まった式年遷宮の回数が記録に残っているのもすごいことですが、1300年続くこのお祭りのために、神宮は木々を育てる森と、その水源となる森の両方を有し、萱山で屋根を葺くための萱を育てているそうです。

環境保護とかSDGsとか色々と言われていますが、なんのことはない。
八百万の神々の思想を持つ日本人は、2000年の間、自然と調和し、自然を敬い、大切にしてきたのでしょう。森を守り、水を守る。当たり前のようで、今となってはとても難しいことをさらりとやってきた。そこにはある種の秩序やルールのようなものがある。

自然界には「エントロピー増大の法則」があります。物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはないということです。沸騰したお湯は放っておくと冷めるし、家を放置しておくと荒れ廃れてしまいます。エネルギーは低下し、無秩序の状態に変化していくのです。でも、ここは常に人の手で守られてきた。式年遷宮により、技術と精神性が受け継がれてきたんですよね。

そう考えると、自然破壊や、水源を外国資本に簡単に売却するようなことは、どれだけ浅はかで馬鹿馬鹿しいことかと思うのです。技術は進歩し、便利な世の中になり、医学が進歩したおかげで寿命も延びた。でもそれが本当の豊かさなんだろうか。むしろそれは地球から見たら、人間が傲慢で自分たちのことしか考えないモンスター化しているだけなのではないだろうか。それは進化ではなく退化なのではないか。

そして、もう一つ気付いたことがあります。
本物には自然と人が集まる、ということです。

宣伝したり、PRしなくても、いつの時代でも人々が足を運び、お参りする場所というのもすごいことだと思います。廃れたことがないのです。親から子、子から孫へと、日本人の中に脈々と生き続けてきたこと。それって一体なんでしょうね。

最近の僕の関心は、ビジネスでも技術でもなく、日本という国はどういう国で、日本人は一体何を、どんな目的で守ってきたのか、ということです。あまりに長く、深い歴史と文化に、目眩がしそうです。僕の頭では到底理解が及びませんが、今、自分が生きている短い間だけでも、少しでも社会が良くなるよう、皆が幸せに生きることが出来る世の中になるよう、できることをコツコツとやっていけたら、と思うのです。

起業はプロボノの延長線にあった方が良い理由

新年明けましておめでとうございます。
今年は辰年(龍年)ですね。辰年早生まれの僕は今年は年男。干支が4周します。昇竜のごとく勢いをつけていきたいところですが・・・コツコツと目先の仕事に全力投球していきたいと思います。

さて、新年ということもあり、決意を新たにしている方も多いのではないでしょうか。やはり気になるのは自分自身のキャリアについて。僕自身が早々に会社勤めを辞めて一人会社を経営しているということもあり、起業(フリーランスを含む)を志す方から相談を受けることが多くあります。

起業というのは、確かに魅力的な選択肢です。人生100年時代、寿命が延びた分、働く期間もそれだけ長くなるわけですよね。平均寿命が70歳の時代は定年60歳で良かったのですが、平均寿命が90歳になると、これからは80歳までは普通に働かなければならなくなります。そういうことを考えると、一つの会社に依存するのではなく、自分でなにかしら飯の種を持っておいたほうが良い。

しかし難しいのは、起業したはいいが稼げるの?ということなんですね。

個人的な考えですが、起業には向き不向きがあると思っています。
どうも世の中的に、テクニック先行の起業支援みたいなものが多くありますが、どうなんでしょうね。テクニックで稼げている人、僕はほとんど見たことがありません。

一例として、僕が知っている起業家は、学部生の頃になんとなく起業したいという思いから、仕事もなく、ビジネスのコアも定まっていないのに、とりあえず株式会社を登記し、そこから自分たちが得意だった動画制作を軸に、広告マネジメントに事業を拡大させ、都内の一等地にオフィスを構え、社員も増やして会社を成長させています。

理念やパーパスは後付け、SNSでの発信もなし。
最初に仕事をくれたクライアントを大切にし、少しづつ仕事を増やし、経験したことがないことは学び、結果を出し、良い評価を得て、満足したクライアントがまた別のクライアントを口コミで紹介して仕事を増やし・・・という基本的なプロセスを充実に回しているだけです。阪神タイガースの岡田監督が「当たり前のことをやれば勝てる」と言っているのと同じなんですよね。稼げている会社の創業者って、こういうパターンが圧倒的に多いです。ピッチなんて、したことないんじゃないかな。

僕は個人投資もしているので、比較的スタートアップスを色々と見ている方だとは思いますが、その基本がないのに「自分がこうしたい」という思いや理想だけが先行して、ビジネスにならない人を山ほど見てきました。そういう人に限ってSNSでの情報発信は立派なのですが、中身がない。他にも、稼ぎたい!という思いでブルーオーシャンに飛びこんだは良いが、マーケットニーズがなくて売上が上がらず、出資先へのリターンも出せずに頓挫したケースも枚挙に暇がありません。

これに関しては過去記事をご覧ください。
思いはあっても仕事はないという現実にどう対処するか(2023年8月11日)

個人的な意見ですが、起業はセンスが9割だと思っていて、自治体やVCなどによるベンチャー支援やスタートアップス投資などのプログラムには非常に懐疑的な部分もあります。誰でも起業とは聞こえは良いが、無理ですって。(いろんな人を敵に回しそう・・苦笑)

結局、補助金や出資金頼みで実利も上がらずにシャブ漬け状態になり、撤退、廃業というケースが多すぎる。そもそもセンスがないんだと思うし、ピッチのテクニックだけが向上し、先に書いた「ビジネスの基本」が出来ていないケースが多いのではないでしょうか。

では、どうするか。
まずは会社員として会社勤めをしながら、社外での越境プロボノ活動やボランティア活動を積極的にすることで人脈を広げ、経験を磨くことをおすすめしています。会社経営で必要なのは、様々な財布(稼ぎのチャンネル)をたくさん持っておくこと。起業しても、クライアント一社からの受託業務をメインに仕事している方も多いですが、それでは契約社員と変わらないし、なにかあったらすぐに切られてしまうということで非常にリスキーです。

いずれにしても会社員をしながら、新しいことにチャレンジし、お小遣い稼ぎレベルでも良いから、本業以外で稼ぐことをやってみる。その積み重ねの先に起業があるのではないでしょうかね。

とにかく、今年は円高基調が予想されるとはいえ、ビジネス環境が厳しいのに代わりはありません。今年も様々な業界で淘汰が進むでしょう。今一度気を引き締めて、がんばってまいりましょう!すべての人にとって今年一年が素晴らしい年になりますように。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

元日の六甲山