今年初のエントリーです。
早いもので新年を迎えてはや20日が過ぎました。クリスマス前後から体調を崩し、そのまま仕事初めまで二週間強、寝たきりになってしまったため、新たな気持ちで今年の抱負を考えるという気力も体力もなく正月休みが終わり、日常生活が再開して仕事でバタバタ・・・という感じで今に至ります。
このような冬眠期間を経て今はすっかり元気になったので、今年一年をどのように過ごすかを改めて整理してみました。とはいうものの、ここ数年は「予定は立てるが、目標は持たない」というスタンスに切り替えていますので、基本はこの方針を継続します。
「目標は持たない」
なぜか。目標って立てても忘れてしまうし、そのとおりになったためしはないし、この変化の早い世の中で一年先がどうなるかなんて分からないので、意味ないなと思ってしまったんですね。立派な目標を立てても、それは(あくまで僕にとってはですが)一時的な自己満足にしか過ぎないなと。一応、会社経営をしているので売上や利益に関心がないことはありませんが、なんら特別なことをしていないのに毎年売上が右上がりで勝手に伸びているので、これについても深堀りした分析はせず、日々自分がしていることは間違っていないんだな、くらいの気持ちでありがたく受け入れようと思っています。
というのも、いわゆる物質的な充足であったり、こうしたい、こうなりたいという願望はすっかり薄れてしまい、今の関心は、地域の歴史的・文化的ストックをどのように活用していくか、食や組織に共通する協生とはなにか、地縁や血縁、居住や非居住によらない選択的「縁」と共同体の関係とはなにか、といった、およそビジネスからは程遠いところにあるからです。
そういう意味では、寝たきり期間を活用して社会的共通資本や祭礼と共同体に関係する書籍や論文を読む時間はしっかり確保でき、それが今のところ読書の習慣として継続できています。先人の研究って偉大ですね。「巨人の肩の上に立つ」とは、Google Scholarのトップページに掲載されている標語ですが、人ってどうしたら幸福に生きていけるのだろう、という壮大でもあり、プリミティブでもあるテーマについて、自分なりに深堀って言語化できる一年になればいいな、と思っています。
そうこうしていると、同じようなことを考えている人たちの縁がたくさんでき、年始から様々なシーンで議論する機会をいただいています。いや〜なんか自分は意識して行動していないのに、勝手にいろんな動きが生まれていて面白いです。大きなうねりが推進力となり、前へ前へ動かされているような気分です。
というわけで引続き目標は持たず、一日一日を一生懸命に生きていくことだけを心掛けながら。今年一年もどうぞよろしくお願いいたします。
「素敵な事」カテゴリーアーカイブ
昭和100年を迎えるにあたって
2025年は、昭和100年になるそうですね。
昭和元年生まれの父方の祖母は来年100歳を迎えますし、昭和三年生まれの母方祖母は、今年6月に96歳で亡くなりました。昭和は64年間続いたし、激動の時代だったということもあり、未だに昭和という時代の重たさ、存在感のようなものを感じます。
100年。
人生100年時代と言われていますが、ちょうど自分も折り返し地点が見えてきました。白秋共同研究所では「人生100年時代、50歳からが本番だ」と謳っているわけですが、じゃあこれからのステージ本番をどう生きるか、それぞれが試行錯誤しています。当然ですよね、前代未聞の長生き時代がやってきているんですもん。
でも考えてみれば、だからこそ「なんでもあり」なわけで、まさに自由。
自由は、「自分に理由があること」ということもできます。
自分はどうしたいか
自分はどう生きたいか
自分で決定し、自分で選択する。
周りとの関係においては、お互いの選択と「理由」を尊重し合い、助け合い、分かち合い、共存共栄していく。まさに和合。自分で決定し、選択するというのは、ウェルビーイングの要素のひとつと言われています。
白秋ホワイトクラブでも、毎回これが話題になります。
参加者のこれまでの歩みや、最近の出来事などを順番に伺いながら、自分自身と絡めて、こう思う、ああ思うなど、皆で意見を繰り出しています。同席した人のライフストーリーや進行中の取り組み、趣味の話などを聞くことで、自分の思考や感情とも対話し、「自分はどうしたいか、そのためにどうすれば良いか」の答えを導くヒントを得ることができます。
先日、長女が二十歳の誕生日を迎え、ささやかなお祝いをしました。
長女が二十歳ということは、僕自身も父親歴20年のハタチというわけです。第一子というのは何もかもが初めての経験で、親も必死なら、子も必死。何が正解が分からないけれど、とにかく愛情を注ぎ、育て、親子で共に一生懸命生きてきた一つの区切りが二十歳の誕生日なんですよね。
長女と「何歳の区切りが一番なんだろうね〜」と話していたのですが、二人の中では、一位:20歳、二位:100歳、三位:60歳 ということになりました。そこに大きな理由はありませんが、なんとなくです。笑
年齢を重ねるにつれ、「幸せとは」を深く考えることが増えました。
本当にありがたいことに、僕は今、一番幸せかもしれません。純粋に在り方を追求し、それを仕事にし、仲間に恵まれ、大好きなコミュニティに身を置き、自然に囲まれながら恵みに感謝する毎日です。娘たちとの何気ない対話ひとつひとつにも、一緒に庭仕事やDIYをしている時にも、最高の幸せを感じます。
「和合」という言葉について、「エネルギーを波紋のように外に伝搬すること」と教えていただきました。仏教用語の「空寂」とは、宇宙のすべての事物は実態のないもの、空であると説きます。宇宙は無限に広がりを見せています。すなわち「空」も、ひろく広がること、ということができるかもしれません。ちなみに、この「空寂」の文字、松田家本家の墓に刻まれている二文字です。
2025年もっともっと、幸せとは、を広げていきたいと思っています。
自分の「したい」を形にする
先日、白秋共同研究所の企業向けシニア研修で、これから自分がしたいことをレゴで形にするというワークショップを行いました。面白いのは、企業内研修ではなく合同研修という設計なので、いろんな企業の方々が肩を並べてワークショップをするという点です。
全三回あるプログラムの二回目、参加者は皆、50〜60歳くらいの白秋世代の方ですので、自分のキャリアを含めた自己紹介も、若い人とは比べ物にならないくらい濃くて、本当に面白い。社会人になって30年とかですから、公私ともにそれだけ様々な経験をされているので濃く長くなるのは当然ですよね。営業畑、技術畑、人事総務畑・・・それぞれの経験の中で感じたこと、仕事に対する思い、そして定年を迎えた後どういう人生を歩んでいくのか。これだけで映画が何本も出来そうな勢いです。
さて、自分はこれから何をしたいのか。
これは老若男女問わず、誰もが常日頃から考えていることではないでしょうか。特にシニア世代は子育ても落ち着き(親の介護問題はあるものの)、仕事面ではセカンドキャリアを意識した動きをする中で、多くの方とお話をしていると、やはり「社会の役に立つことをしたい」という思いが強いように感じます。実際、自分もそうです。
それぞれ、想いをレゴで表現しました。
こちらは当日、僕が作ったレゴです。
左の黃緑のブロックは畑、隣の正方形は自宅、その右隣の茶色いのはガゼボ(東屋)を表現しました。(お隣は講師アッコさんの作品です。やりたいことが共通して、レゴを繋げてみました笑)
最近、自宅の敷地の一部で協生農法に小さく取り組み始めたこともあり、なにかを育てたい、育てたものを自分で食べたい、食の安全性と健康の関係をもっと知りたい、収穫したもの皆で分かち合いたいという思いが強くなっています。また、自宅裏の倉庫を取り壊して、ここにガゼボを作り、10人くらいが集まれるようなスペースを作って、皆で収穫したものを食べたり、それぞれの得意を持ち寄って勉強会やお茶会ができればなあと想像しています。ちなみに、倉庫は来月取り壊すので、早ければ一年くらいで実現するかもしれません。
大人が集まれる場、大人が楽しめる場をつくりたい。もちろん、近所の子どもたちも自由に出入りしてほしい。大人(白秋世代)が楽しんでいる社会って、子どもも明るい未来をイメージできると思うんですよね。
シニア世代の良さって、若い頃よりも良い意味で選択肢が狭くなり、したいことに集中できる、時間やお金の使い方もある程度分かっているので実現の確度が高くなることだと思います。先日のワークショップのおかげで、自分の「したい」がより明確になりました。いや、ワクワクしかないです、ほんとに。やりたいことがたくさんあるので、いつまでも元気に動けるように、健康と体力を維持しないと!
他の参加者の「したい」も素敵なものばかりでした。
こうして皆で実現したいことを共有できるのって素晴らしいですよね。今から、12月の第三回がとても楽しみです。
1が並ぶ11/11の日に、小さな協生農園づくりの第一歩を踏み出しました
これだけ暖かいと「秋が深まる」とは到底思えず、いつになったら秋が来るのかな、ひょっとして秋を飛び越えて冬が来てしまうのだろうと思わずにはいれません。とはいえこの快適な季節、神社仏閣巡りにゴルフに温泉にと、秋を存分に楽しんでいます。皆さんはどのような楽しみ方をされていますか?
さて、今日は11月11日。1が並ぶ日です。なにかを始めるのに最適の日ではないですか。というわけで、大学から半ドンで帰ってきた長女と一緒に庭に種まきを行いました。協生農園を庭の一部に作るべく、小さな小さな第一歩です。
なぜ協生農園づくりに興味を持ったのか。きっかけとなったのは、先日、三重県名張市で協生農法を実践する森さんの畑を見学させていただき、大変な感銘を受けたからです。
参考記事:持続可能な「食べられる森」 協生農法で150種 名張の森さん
協生農法とは、土地を耕さず、肥料や農薬を使用せずに、多種多様な植物を混生密生させて生態系を作り、虫や鳥などを呼び込んで機能を高めて果樹や野菜を生産する栽培法です。森さんの畑は、一見うっそうと茂った雑木林のように見えましたが、150種の有用植物が植わっていました。ニラ、いちじく、春菊、かぼちゃ、トマト、きゅうり・・・数え切れません。ニラ、甘かった!フルーツほおずき、美味しかった!みかんが大きい!
菌糸ネットワークで植物同士が根で会話し、もともとその畑にいた植物が新しく入ってきた新入り(種)にこの土地にあった育ち方を教える、虫や鳥と植物が会話しながら豊かな生態系を作っていく。生態系はピラミッドではなく、フラットに網の目上に広がっている、邪魔者扱いしない、排除しない、自然のありように任せるというお話を伺いながら、農業だけでなく、社会のあり方すら考えさせられました。
ここ一年間、体質改善のために食生活の大幅な見直しをしているところで体調が劇的に良くなったこともあり、自分たちで食べるものはできるだけ自分たちで作りたいという思いも強くなったこと、そして、庭の一角に、かつて祖母が畑をしていた場所があり、協生農法で推奨されている必要な果樹(柚子や金柑、杏、梅などの果樹から、ミント、ラベンダー、レモングラスなどのハーブ)があるから、鳥も虫も来るし、混生密生の土壌は既にできている!と、勝手に期待しています。
もちろん、限られたスペースで出来ることなんて小さいですし、すぐに上手くいくとは思っていませんが、まずはやってみることが大切ですよね。失敗上等!最近は温暖化の影響で、この時期から種を撒いても全然OKだそう。
みんな、我が庭の木々や虫たちに情報を聞きながら、元気に育ってね!
近況と雑記:投票所の光景、成長のメカニズム
最近の出来事をつらつらと書いてみます。
■衆議院選挙と投票所について
先週末に行われた衆院選。我が家に指定された投票所は、なんと僕が卒業したK小学校!前回選挙の時は歩いてすぐの公民館だったのですが、激坂を20分登る山の上の小学校が投票所になったのです。もちろん車で行けなくもないのですが、坂道の多い近所を散歩する機会もないだろうから、と、選挙権を持つ19歳の長女と妻と一緒に散歩がてら登っていきました。
実に数十年ぶりに入った母校ですが、古くなったなあという実感です。そりゃそうか、卒業してから35年以上経ってますもんね。
懐かしさに浸る一方、投票所としてこの立地はどうなのか?と疑問に思いました。まず、車移動できる人はともかく、徒歩で行くには僕たちでも正直キツい。となると、お年寄りは投票にいけたのか?と、近所に住む高齢世帯のおじいちゃん、おばあちゃんたちの顔を思い浮かべていました。老人ホームなどに入居しているお年寄りは不在者投票などの仕組みを利用できますが、投票所によっては、これから益々足が遠のくお年寄りが増えるのでは。僕たちが投票に行った時間帯でも、お年寄りはまったく来ておらず、同じ世代の大人ばかり。結構高齢化している地域なんですけどね。
なにかと話題になる「シルバー民主主義」ですが、人口の多い高齢者の意見がとおりやすく、若い人の意見がとおりにくいという議論があり、まあ確かにそうかもしれない。でも、僕が見えている景色では、むしろ物理的に投票に行けないお年寄りが増えているのではないかと思うのです。祖母が生きている頃も「自分はもうしんどいから投票には行けない。若い人に任せる」と言っていましたしね。まあ、これに関してはかなり地域差はありそうですが。
そして、逆に若い人たち(長女のような10代の若者含め)は結構みんな投票に行ってるのです。たとえば、高校3年生の次女。彼女は3月生まれなので今回投票権はなかったのですが、18歳を迎えている部活の同級生は、みんな投票行ってたよ〜と言っていました。確かに人口は少ないかもしれないけど、政治に対する関心は高いのかもしれません。親の教育ももちろんあるでしょう。それが、20代に支持されたといわれる国民民主党の躍進に繋がったのかもしれませんね。
とにかく、社会や暮らしを人任せにせず、自分ごとにするという意識は大切です。文句を言う前に自ら動こう。義務を果たそう。若い人たちを見ていると、大人よりも真剣に将来のことを考えている気がします。
こんな記事もありました。若い候補者に投票したい、というお年寄りも多いようです。
「シルバー民主主義は本当? 実験で見えた高齢者の意外な投票行動」
■神社仏閣めぐりと「成長」について
先日、和歌山の丹生都比命神社と高野山に行ってきました。高野山は久しぶりだったのですが、開山1200年の奥の院、苔むした墓所には戦国大名の墓もあります。信長の墓所、秀吉の墓所。古いなあと思っても、今から450年前。高野山の歴史の中では、比較的新しい方なのかもしれませんね。
このブログでいつも書いていますが、僕は時間を100年単位で見るようにしています。特に神社仏閣めぐりをするようになってから、よりその意識が強くなりました。神社の歴史に比べると、自分たちが生きている数十年なんてたかだか一瞬。だからおろそかにするというのではなく、ちゃんと務めを果たして次世代にバトンをつなぐのが役目だと思うのです。
昨日、白秋共同研究所が主宰する企業人事向けの研修「HCT Hakushu Career Transition」が開催されました。その中で、成長のメカニズム四象限があり、
【1】成長体験(成長を経験したエピソード)
【2】成長の定義(成長を自分なりに言語化)
【3】成長の図化(2を踏まえて、成長を図や絵で表現)
【4】行動習慣(成長するための行動習慣3つ)
これらを書いて話し合うというワークがあったのですが、自分は最後の「成長のための行動習慣」3つを、①居心地の悪い場所を探して飛び込む ②常に大局観に立つ(物事を100年単位で考える)③でも、無理はしない を挙げました。
物事を百年単位で考えると、経済でも政治でも大きな流れの中での「今」として捉えることができ、右往左往せずに済みます。今、この状態があるのは、いつ、何が起点だったのか。歴史の中でどういう転換期があったのか。この感覚を常に持っていたいものです。
少なくとも自分が見えている範囲では暮らしやすい社会になってきた
我が家の庭も秋の雰囲気。金木犀の香りが漂い、タマスダレも満開になりました。秋は大好きな季節です。
つくづく、良い時代になってきたな〜と実感しています。
というのも、人々が自立に向かっているし、みんなで助け合って生きていこうよ、という思いが強くなっているように感じるんですよね。
特に若い人を中心に、このような考え方が広まっていると感じます。社会そのものが成熟してきて、人は人、自分は自分というスタイルが強くなり、同調圧力のようなものが薄れてきています。少なくとも僕が見えている世界では、違いに対するリスペクトがまず最初にあり、自分も他人も大切にするという考えと共に、地域の役に立ちたい、社会に貢献したいという人が増えています。良い時代になってきました。
自立に向かうというのはとても大切なことですよね。ウェルビーイングの要素のひとつに「自分で決定する」というものがあります。仕事や学びの選択、人や社会との距離感、住む場所、一日の時間の使い方、お金の使い方。誰かに指示されるのではなく、「自分で決める(自己決定)」ことが、幸福度に繋がるのですよね。
情報に対しても同じで、SNS、マスメディアや大企業、政府の情報を鵜呑みにしないのはもちろん、医療の選択、食べる物、着る物も自分で吟味して決定する人が増えてきました。僕もそのうちの一人です。無添加のものやスーパー、コンビニの出来合いのものは極力購入せず、できるだけ自宅で作れるものは作って生活しています。TVもほとんど見ません。必要な情報は自ら検索して取りに行く。そのために、自分の審美眼を養い、真贋を見分ける力を身につけることが大切です。一見すごいように見えることでも、中身がなかったり、ハリボテだらけのものが多いですから。(過去記事「コピペ社会をどう生きるか〜持てる武器を増やす」2024/05/14参照)
政治に対する関心が若い人の間で高まっているのも事実で、「自分ごとにする」という考えが強いので、人や国任せにせずに、自分たちでなんとかしなければならないという思いの元、選挙に行く若者が増えているのも嬉しいことです。今月の衆院選は、僕も19歳の長女と一緒に投票に行きます。まあ、国民として、自分の生活だけでなく、今の選択が子どもや孫の将来にも直結するので、当たり前といえば当たり前なんですけどね。
先ほどの「思いやり」でいうと、信号機のない横断歩道でも一旦停止をして、歩行者を優先させる車が増えてきました。元々日本では、信号のない横断歩道では車が優先で、渡りたい歩行者は車の往来を待ってから渡るというのが一般的でした。
自分の仕事先だったアメリカでは全く逆で、横断歩道は歩行者優先で車は一旦停止しなければならない(あるいは、バンプが設置されていて減速を余儀なくされる)のに、なんで日本は車優先なの?と帰国する度に違和感を感じたこともありましたが、最近、街中に高齢者がぐんと増えてきたこともあり、信号のない横断歩道でも一旦停止をし、歩行者を先に渡らせる車が増えてきました。高齢の人や身重な人に優しい社会になってきたなと思います。
人が足りないのも承知の上、様々なサービスが手薄になってきたり、コンビニの営業時間が短縮されたとしても、あるもので満足したり、自動化できるものは自動化したり、みんなで助け合えばいいじゃないかという感じですね。良い社会です。ただ、まだまだ過渡期。一部、昭和の残り香を身にまとっている方々もいて、価値観が混在しているのは事実ですが、それはそれで良いでしょう。歴史を振り返ればそういう過渡期は数十年単位で発生しています。徐々に徐々に、自然の流れで変わっていき、最適化されていくものなのです。
あくまで、自分が見えている世界だけの話ですが、こうして、人と社会と距離を置きながら客観的に観察していると、経済的、安全保障的問題は多々あれど、ミクロ視点では本当に良い社会になってきたな、と実感するのです。
気張るな、というメッセージをいただきました
いろんな方から悩みや相談をお聞かせいただく中で、共通して感じるのは人の根底にある「不安」です。
人って、先が見えない時や、自分がコントロールできない時、見たことのないものが目の前に表れた時に不安を感じるものです。特に、自分のコントロールが効かない状況になった時に、不安になり、恐れ、攻撃的になる傾向があるように思います。
幼い時から、目標を持つこと、なりたい自分像を明確にすること、夢に日付を書き、逆算して行動することなどを徹底的に教え込まれて来ましたので、そのとおりにならないと、やばい、どうしてだろう、と焦ったりもします。不安だから、人の評価も気にします。人からどう思われているだろうかという不安が根底にあるので、キラキラ投稿をしたり、ビジネスやってますアピールをしたり、はたまた世の中を分かったかのように憂い、批判する投稿をしてみたりするんですよね。かまってほしいんですよ、不安だから。
最近、不安を感じるのって「自分がずっと生きている」ことを前提にしているからだよな〜と気づきました。なんとなく、いつかは死ぬとは思っているものの、それがいつか分からない。分からないことを分かろうとするからがんばるんです。分からないことはリリースすれば良いのにね。
自分の人生にとっての時間は有限かもしれませんが、時間そのものは無限です。
神社仏閣巡りをしていると、物事を千年から二千年の単位で考えざるを得ません。このブログでは何度も書いていますが、時間というのは、歴史の年表のように左から右へ直線的にリニアに繋がっているもので、それが何万年と続く中で、たまたま今生まれて来た人が80年かそこら生きているだけのことなんですよ。それに、今目に見えている世界がすべてでもなく、この80年そこらで一旦地球という「バーチャルフィールド」に降りてきて、ちょっと色々と経験して、また別の世界に飛び立つということで、現世は修行の場、という仏教的な考え方もあれば、現世は感謝の場、という神道的な考えもあり、いずれにしてもテンポラリーな「場」としての捉え方もできるということなんですね。
みんな違ってみんないい。
心配事の99%は起こらない。
大丈夫、気張らなくてもなんとかなる。
世の中の経済の仕組みを知れば分かるけど、自分の稼ぎは誰かの借金。
一人で豊かになっている人は、その他大勢を貧しくしているということ。
そういえば、最近「気張るな」というメッセージを尊敬する方からいただきました。そうか、自然体でいいんだ。無理に仕事もがんばらないし、無理に付き合いを広げることもなくなったし、そのおかげで周りには価値観の合う気持ちの良い人だけが残り、ストレスとは無縁の生活を送ることができるようになりました。
幸せになるのは、未来ではなく、今の自分の心なんですよね。
目の前にあることを感謝して生きることが大切ですね。
社会的「林」の中で生きる
仕事柄、今後のキャリアについて相談されることが多くあります。
「今後」と言っても、その人が何歳なのかによって随分見え方が変わるものですが、自分自身が一般社団法人 白秋共同研究所 の理事をしていることもあり、シニア世代、または予備軍(特に40代)の方々からの相談が多く、この世代は特に「今後」を強く意識しておられる方々が多くいらっしゃいます。ポジティブというよりは、どちらかというとネガティブに将来を見ておられるように感じますが、結論からいうと、実は50歳からが人生の黄金期だそうで、いやこれ、事実であれば人生の後半戦を迎えるのが非常に楽しみなわけです。
このブログでも何度か書いていますが、世界では人生を4つに分けて考えることが多いようです。
中国では、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」としていますし、古代インドでは、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という考え方があります。最近よく耳にする「人生100年時代」に当てはめて考えると、それぞれ、0〜25歳、25歳〜50歳、50歳〜75歳、75歳〜100歳と区分できるかもしれません。
老いの工学研究所によると、インドの四住期において「林住期」が人生最高の期間とされるようです。
●「学生期(がくしょうき)」
まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。●「家住期(かじゅうき)」
仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。●「林住期(りんじゅうき)」
世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。●「遊行期(ゆぎょうき)」
学生期、家住期、林住期、遊行期(インドの四住期)【高齢期に関わる用語集】https://www.highness-co.jp/churakubou/detail/215
人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤。
この中で、「林住期」が人生最高の期間とされるようです。
林住期の「自分らしく自由に、人間らしく生きる時期」とはどういう意味なのでしょうね。この時期は自分の夢を実現し、必要からではなく興味によって何事かをする時期と作家の五木寛之さんは書いておられます。
振り返ってみると、自分も20代から40代半ばまで一生懸命働き(家族を養い、子どもを育て、経験を積むという必要性があったと思います)、46歳で興味によって何事かをする時期にシフトしたように思います。
具体的には、会社勤めを辞めて若手や後進にバトンタッチをし、フリーに身軽に働けるようにして、自分の会社で収益を上げつつも、関心が向く方に多くのリソースを割けるようになりました。「関心が向く方」と「ビジネス」は両立しない場合が多く、自分の場合は複数ある社団法人の活動やコミュニティ運営、地域活性、シニアキャリア、神社のお祭りなどは収益とはほど遠い場所にあります。むしろ、持ち出しの方が圧倒的に多いかもしれません。でも、これらの活動に注力できているのは25年間の「家住期」があったからなんですよね。
「林」という表現が面白いな〜と思います。街ではなく、林。憩いの場所、落ち着く場所、静かな場所、里山のようなイメージ。でも街から遠くは離れていない。家住期の人たちに混じってがんばるのではなく、少しだけ距離を置いて興味関心に向き合う。なにかあれば、街の人たちを手伝ってあげる。
こう考えると、家住期にどれだけがんばれるかがとても大切なのかもしれません。20代〜30代の方、急がず焦らず、楽しみながら泥臭くがんばりましょう。どのみち急いでも何者にもなれませんから(笑)、安心して目の前のことをひとつづつね。
と、前置きが長くなりましたが、こういったことってなかなか一人で出来るものでもありません。相談できる場所や仲間も必要です。そこで、白秋共同研究所では、「White Club(ホワイトクラブ)」というサロン型のコミュニティで、月に一回、神戸のカフェ・テイストなコワーキングスペース「Sowelu」に集まり、ワイワイガヤガヤと様々な話や情報交換をしています。
今日書いたような情報は、月に二回メルマガとして「白秋世代エンジョイニスト」であり、合同会社アーベント代表の吉川公二さんにコラムを書いていただき、発信しています。
このホワイトクラブですが、実は誰でも参加できます。原則、毎月第四水曜日の18:30に、10人ほどで集まって、ゲストスピーカーの身の上話を30分聴き、その後は乾杯スタート。王子公園のグルメをケータリングでいただきながら、みんなで最近あった出来事や関心事などを話しています。こちら、興味がある方はお気軽にゆるっとご参加ください。会場代、飲食代を入れて 3,000円です。
既に林住期を迎えている方でなくても、家住期の現役の方、30代の方なんかは今後のキャリアの参考になるとも思います。ほんといろんな人がいて面白いですよ。
あと、「林住期の面白い方」も常に探しています。僕の方からゲストスピーカーとして急にお声を掛けるかもしれませんので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。笑
WEBサイトはこちらから
https://hakushu-lab.com/whiteclub.html
伊勢紀行〜旅する皇女の足跡を訪ねて
先週末、一般社団法人グローバル人事塾の合宿で伊勢に行ってきました。
集合時間は伊勢市駅に朝11時だったのですが、どうしても、早朝の凛とした空気に満たされた、人のいない内宮を参拝したく、朝3時に起きて車を走らせました。本来であれば外宮→内宮のルートが一般的なのですが、皆と合流した後に再度、外宮→内宮をお参りする予定だったのでフライングさせていただいたのです。
今回の旅では、神宮以外にも、別宮や猿田彦神社、二見興玉神社などを巡りました。
特に、別宮である瀧原宮、伊雑宮は絶対に行きたかったお宮です。
伊勢神宮はおよそ2000年前に第11代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)により創建されました。
それまで、宮中で祀られていた皇祖神・天照大神を、天下泰平・安寧のために宮廷の外で祀るという新しい形を求めた大和王朝の第10代崇神天皇と、天照大神の祭祀を司った皇女である豊鋤入姫の意思を継いだ第11代垂仁天皇は、娘である倭姫命に天照大神の祭祀を託します。倭姫命は天照大神の御杖となり、新たにお祀りする場所を求めて、現在の奈良県桜井市を出発し、40年の歳月をかけて、伊賀、近江、美濃を経て、現在の内宮がある五十鈴川の上流に行き着いたと言われています。
そのため、伊勢では至るところに「天照大神と共に旅する皇女」である倭姫命の史跡があります。
日本の統一と安寧を求め、大和から伊勢へと旅され、瀧原宮と神宮を創建された倭姫命。甥っ子である日本武尊(やまとたける)に草薙の剣を授け、東征に出したのは有名な話です。その日本武尊は西にも東にも出征し、やがて国を統一しました。
(一般財団法人 京都宮廷文化研究所「倭姫命と日本武尊の歴史的役割」参照)
倭姫命が創建されたもう一つの神宮、瀧原宮は、瀧原宮と瀧原竝宮が並列になっています。
これが本来の伊勢神宮の形であると言われており(瀧原宮の由緒書きにも記載されています)、現在の内宮の正宮と荒祭宮の位置関係も、元は横並びであったとされています。
また、現在の伊雑宮の御祭神は「天照坐皇大御神御魂」となっていますが、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀っていました。伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書においては、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれ、同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」と記載されており、玉柱屋姫命と瀬織津姫は同一神と見なされているようです。(Wikipedia 伊雑宮 参照)
天照大神の御杖となって旅をされた倭姫命は、天照大神と瀬織津姫の御夫婦を並列に祀られたということなのでしょう。
天照大神は一般的には女神と解釈されていますが、実際は男神であり、そのお后が瀬織津姫であった。この夫婦の関係が、世の中のバランスを取っていたと考えられています。太古の昔から、太陽と月、陰と陽、男と女、夫と妻、潮の満ち引き、など、陰陽のバランス、調和、和合が日本の歴史・文化そのものであり、このバランスが崩れた時に戦や争い、現代では分断や格差が生じているものと思います。
伊勢(いせ)の語源は、妹(いも)と背(せ、または、おせ)と言われています。「いもおせ」とは、男女、陰陽を表しています。性差による作りの違いを理解し、それぞれの役割を担うこと。これが重要なんでしょうね。
今回の旅で、自らの使命を受け入れて神宮創建に尽力された倭姫命の功績に触れることができました。
それが2000年経つ今でも受け継がれ、残されている。自分に何ができるか分かりませんが、今この時代を生きている人間の努めとして、自分だけが良ければいい、とか、自己実現とか、そういう目先のことだけでなく、受け継がれてきたものを引き継ぎ、また、自分の子や孫の世代にバトンを渡していく。
それが努めなんだろうと思います。今自分たちが生きている日本は、先祖が必死で守ろうとした日本の未来ですね。
ーーーーー
瀧原宮、内宮と荒祭宮については、Youtubeの「トの教えチャンネル」で、六甲比命講代表であり、関西ホツマの会代表の大江先生(林先生)が詳しく解説されているので、興味のある方はぜひ。
「瀧原宮は伊勢神宮の真の姿」(トの教えチャンネル)
「伊勢神宮総集編」
「変わらないもの」に対する関心が深くなっている理由
自分自身の興味関心が変化していることを実感しています。
具体的には「変わらないもの」に対する関心がどんどん深くなっている、という感じでしょうか。
世の中には、変わるものと変わらないものがあります。
経済や政治の仕組みや技術は時代によって変わるもの、人の暮らしを支える農業や漁業、お祭りなどは変わらないものと定義することができるかもしれません。
数百年、数千年と続いてきた営みは文化と呼べますし、その文化というのは、いつの時代も人が「生きる」ということと密接に関係しています。生きていく上で必要なのは、水、空気、食べ物です。神社などに行くと、太陽や水や土それぞれに神が宿っていて、五穀豊穣を願い、実りに感謝することがお祭りという形になっていることが分かります。一方、寺は人々が強く生きていく上で大切な心を鍛える修行の場であり、救いの場と捉えることもできるかもしれません。
生きていく上で最も重要な水、空気、食物ですが、特に食べ物について、最近特に気にするようにしています。前回のブログでも書きましたが、医療が発達して平均寿命が延びたにもかかわらず、ガンや認知症などの増加で健康寿命は思うほど延びていない、働き盛りの子が親の介護をしなければならない(僕の祖父母世代は親の介護なんて経験したことがなかった)などの状況を見ていると、これは果たして技術が進歩したといえるのか?と思うのです。誰もが望む「ピンピンコロリ」ですが、それも思うようにいかず、結局は人の世話になってしまうという現状もあります。
貧困と肥満率の相関関係を見ても分かるとおり、今の世の中で健康に生きようと思うと、お金と時間が必要です。なんでなんでしょうね。人は仕事に追われ、時間がないのでコンビニやファーストフードなどで添加物や糖質の多い食事をしてとりあえず腹を満たし、健康を害し、病院に行き、医療費や保険のためにまた働くという悪循環を繰り返しています(かつての自分がそうでした)。アメリカでオーガニックな野菜を手に入れようと思うと、高級スーパーに行かなければ手に入りませんし、高額です。庶民にはとても手が届きません。
そのような現状を解決するために、経済成長や技術革新や医療の進歩がなにか寄与してきたか?と思うと、僕の中では答えが見い出せず、ただ格差を生んだだけではないのか?と思うのです(経済成長や技術を否定するものではありません)。
食や病気だけでなく、戦争や暴力、搾取がいつまで経ってもなくならないのも同じですけど。
そういうわけで、自分は「ビジネス」に対する関心は徐々に薄れ、今は、人間が人間らしく幸福に生きていける枠組み、システムなどに深い興味を注いでいます。ビジネスをすればするほど誰かが貧しくなっている気すらします。最近、文化人と呼ばれる人、具体的には、芸術家、大学教授、作家さんなどとお話をする機会が増えているのもそういう理由からかもしれません。人にもよりますが、このような方の視座は高く、全体を俯瞰したり、物事を別角度から分析したり、歴史を百年単位で考える思考をお持ちです。自分もお祭りの企画や運営に携わっている手前、日本古来の歴史や文化について深く考えることが多く、今の世の中に本当に必要なものって何?と考えることが多くなりました。
松田さんは稼いでいるからそんな悠長なことが言えるんですよ、と言われることもありますが、決してセーフティゾーンから物を見ているわけではなく、本当になんとかならんか、と思っているところです。まだ答えは全然見つかっていませんが、とりあえず、これと思うことに心血を注いで行きたいと思います。