最近の出来事をつらつらと書いてみます。
■衆議院選挙と投票所について
先週末に行われた衆院選。我が家に指定された投票所は、なんと僕が卒業したK小学校!前回選挙の時は歩いてすぐの公民館だったのですが、激坂を20分登る山の上の小学校が投票所になったのです。もちろん車で行けなくもないのですが、坂道の多い近所を散歩する機会もないだろうから、と、選挙権を持つ19歳の長女と妻と一緒に散歩がてら登っていきました。
実に数十年ぶりに入った母校ですが、古くなったなあという実感です。そりゃそうか、卒業してから35年以上経ってますもんね。
懐かしさに浸る一方、投票所としてこの立地はどうなのか?と疑問に思いました。まず、車移動できる人はともかく、徒歩で行くには僕たちでも正直キツい。となると、お年寄りは投票にいけたのか?と、近所に住む高齢世帯のおじいちゃん、おばあちゃんたちの顔を思い浮かべていました。老人ホームなどに入居しているお年寄りは不在者投票などの仕組みを利用できますが、投票所によっては、これから益々足が遠のくお年寄りが増えるのでは。僕たちが投票に行った時間帯でも、お年寄りはまったく来ておらず、同じ世代の大人ばかり。結構高齢化している地域なんですけどね。
なにかと話題になる「シルバー民主主義」ですが、人口の多い高齢者の意見がとおりやすく、若い人の意見がとおりにくいという議論があり、まあ確かにそうかもしれない。でも、僕が見えている景色では、むしろ物理的に投票に行けないお年寄りが増えているのではないかと思うのです。祖母が生きている頃も「自分はもうしんどいから投票には行けない。若い人に任せる」と言っていましたしね。まあ、これに関してはかなり地域差はありそうですが。
そして、逆に若い人たち(長女のような10代の若者含め)は結構みんな投票に行ってるのです。たとえば、高校3年生の次女。彼女は3月生まれなので今回投票権はなかったのですが、18歳を迎えている部活の同級生は、みんな投票行ってたよ〜と言っていました。確かに人口は少ないかもしれないけど、政治に対する関心は高いのかもしれません。親の教育ももちろんあるでしょう。それが、20代に支持されたといわれる国民民主党の躍進に繋がったのかもしれませんね。
とにかく、社会や暮らしを人任せにせず、自分ごとにするという意識は大切です。文句を言う前に自ら動こう。義務を果たそう。若い人たちを見ていると、大人よりも真剣に将来のことを考えている気がします。
こんな記事もありました。若い候補者に投票したい、というお年寄りも多いようです。
「シルバー民主主義は本当? 実験で見えた高齢者の意外な投票行動」
■神社仏閣めぐりと「成長」について
先日、和歌山の丹生都比命神社と高野山に行ってきました。高野山は久しぶりだったのですが、開山1200年の奥の院、苔むした墓所には戦国大名の墓もあります。信長の墓所、秀吉の墓所。古いなあと思っても、今から450年前。高野山の歴史の中では、比較的新しい方なのかもしれませんね。
このブログでいつも書いていますが、僕は時間を100年単位で見るようにしています。特に神社仏閣めぐりをするようになってから、よりその意識が強くなりました。神社の歴史に比べると、自分たちが生きている数十年なんてたかだか一瞬。だからおろそかにするというのではなく、ちゃんと務めを果たして次世代にバトンをつなぐのが役目だと思うのです。
昨日、白秋共同研究所が主宰する企業人事向けの研修「HCT Hakushu Career Transition」が開催されました。その中で、成長のメカニズム四象限があり、
【1】成長体験(成長を経験したエピソード)
【2】成長の定義(成長を自分なりに言語化)
【3】成長の図化(2を踏まえて、成長を図や絵で表現)
【4】行動習慣(成長するための行動習慣3つ)
これらを書いて話し合うというワークがあったのですが、自分は最後の「成長のための行動習慣」3つを、①居心地の悪い場所を探して飛び込む ②常に大局観に立つ(物事を100年単位で考える)③でも、無理はしない を挙げました。
物事を百年単位で考えると、経済でも政治でも大きな流れの中での「今」として捉えることができ、右往左往せずに済みます。今、この状態があるのは、いつ、何が起点だったのか。歴史の中でどういう転換期があったのか。この感覚を常に持っていたいものです。
「旅」カテゴリーアーカイブ
気張るな、というメッセージをいただきました
いろんな方から悩みや相談をお聞かせいただく中で、共通して感じるのは人の根底にある「不安」です。
人って、先が見えない時や、自分がコントロールできない時、見たことのないものが目の前に表れた時に不安を感じるものです。特に、自分のコントロールが効かない状況になった時に、不安になり、恐れ、攻撃的になる傾向があるように思います。
幼い時から、目標を持つこと、なりたい自分像を明確にすること、夢に日付を書き、逆算して行動することなどを徹底的に教え込まれて来ましたので、そのとおりにならないと、やばい、どうしてだろう、と焦ったりもします。不安だから、人の評価も気にします。人からどう思われているだろうかという不安が根底にあるので、キラキラ投稿をしたり、ビジネスやってますアピールをしたり、はたまた世の中を分かったかのように憂い、批判する投稿をしてみたりするんですよね。かまってほしいんですよ、不安だから。
最近、不安を感じるのって「自分がずっと生きている」ことを前提にしているからだよな〜と気づきました。なんとなく、いつかは死ぬとは思っているものの、それがいつか分からない。分からないことを分かろうとするからがんばるんです。分からないことはリリースすれば良いのにね。
自分の人生にとっての時間は有限かもしれませんが、時間そのものは無限です。
神社仏閣巡りをしていると、物事を千年から二千年の単位で考えざるを得ません。このブログでは何度も書いていますが、時間というのは、歴史の年表のように左から右へ直線的にリニアに繋がっているもので、それが何万年と続く中で、たまたま今生まれて来た人が80年かそこら生きているだけのことなんですよ。それに、今目に見えている世界がすべてでもなく、この80年そこらで一旦地球という「バーチャルフィールド」に降りてきて、ちょっと色々と経験して、また別の世界に飛び立つということで、現世は修行の場、という仏教的な考え方もあれば、現世は感謝の場、という神道的な考えもあり、いずれにしてもテンポラリーな「場」としての捉え方もできるということなんですね。
みんな違ってみんないい。
心配事の99%は起こらない。
大丈夫、気張らなくてもなんとかなる。
世の中の経済の仕組みを知れば分かるけど、自分の稼ぎは誰かの借金。
一人で豊かになっている人は、その他大勢を貧しくしているということ。
そういえば、最近「気張るな」というメッセージを尊敬する方からいただきました。そうか、自然体でいいんだ。無理に仕事もがんばらないし、無理に付き合いを広げることもなくなったし、そのおかげで周りには価値観の合う気持ちの良い人だけが残り、ストレスとは無縁の生活を送ることができるようになりました。
幸せになるのは、未来ではなく、今の自分の心なんですよね。
目の前にあることを感謝して生きることが大切ですね。
伊勢紀行〜旅する皇女の足跡を訪ねて
先週末、一般社団法人グローバル人事塾の合宿で伊勢に行ってきました。
集合時間は伊勢市駅に朝11時だったのですが、どうしても、早朝の凛とした空気に満たされた、人のいない内宮を参拝したく、朝3時に起きて車を走らせました。本来であれば外宮→内宮のルートが一般的なのですが、皆と合流した後に再度、外宮→内宮をお参りする予定だったのでフライングさせていただいたのです。
今回の旅では、神宮以外にも、別宮や猿田彦神社、二見興玉神社などを巡りました。
特に、別宮である瀧原宮、伊雑宮は絶対に行きたかったお宮です。
伊勢神宮はおよそ2000年前に第11代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)により創建されました。
それまで、宮中で祀られていた皇祖神・天照大神を、天下泰平・安寧のために宮廷の外で祀るという新しい形を求めた大和王朝の第10代崇神天皇と、天照大神の祭祀を司った皇女である豊鋤入姫の意思を継いだ第11代垂仁天皇は、娘である倭姫命に天照大神の祭祀を託します。倭姫命は天照大神の御杖となり、新たにお祀りする場所を求めて、現在の奈良県桜井市を出発し、40年の歳月をかけて、伊賀、近江、美濃を経て、現在の内宮がある五十鈴川の上流に行き着いたと言われています。
そのため、伊勢では至るところに「天照大神と共に旅する皇女」である倭姫命の史跡があります。
日本の統一と安寧を求め、大和から伊勢へと旅され、瀧原宮と神宮を創建された倭姫命。甥っ子である日本武尊(やまとたける)に草薙の剣を授け、東征に出したのは有名な話です。その日本武尊は西にも東にも出征し、やがて国を統一しました。
(一般財団法人 京都宮廷文化研究所「倭姫命と日本武尊の歴史的役割」参照)
倭姫命が創建されたもう一つの神宮、瀧原宮は、瀧原宮と瀧原竝宮が並列になっています。
これが本来の伊勢神宮の形であると言われており(瀧原宮の由緒書きにも記載されています)、現在の内宮の正宮と荒祭宮の位置関係も、元は横並びであったとされています。
また、現在の伊雑宮の御祭神は「天照坐皇大御神御魂」となっていますが、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀っていました。伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書においては、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれ、同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」と記載されており、玉柱屋姫命と瀬織津姫は同一神と見なされているようです。(Wikipedia 伊雑宮 参照)
天照大神の御杖となって旅をされた倭姫命は、天照大神と瀬織津姫の御夫婦を並列に祀られたということなのでしょう。
天照大神は一般的には女神と解釈されていますが、実際は男神であり、そのお后が瀬織津姫であった。この夫婦の関係が、世の中のバランスを取っていたと考えられています。太古の昔から、太陽と月、陰と陽、男と女、夫と妻、潮の満ち引き、など、陰陽のバランス、調和、和合が日本の歴史・文化そのものであり、このバランスが崩れた時に戦や争い、現代では分断や格差が生じているものと思います。
伊勢(いせ)の語源は、妹(いも)と背(せ、または、おせ)と言われています。「いもおせ」とは、男女、陰陽を表しています。性差による作りの違いを理解し、それぞれの役割を担うこと。これが重要なんでしょうね。
今回の旅で、自らの使命を受け入れて神宮創建に尽力された倭姫命の功績に触れることができました。
それが2000年経つ今でも受け継がれ、残されている。自分に何ができるか分かりませんが、今この時代を生きている人間の努めとして、自分だけが良ければいい、とか、自己実現とか、そういう目先のことだけでなく、受け継がれてきたものを引き継ぎ、また、自分の子や孫の世代にバトンを渡していく。
それが努めなんだろうと思います。今自分たちが生きている日本は、先祖が必死で守ろうとした日本の未来ですね。
ーーーーー
瀧原宮、内宮と荒祭宮については、Youtubeの「トの教えチャンネル」で、六甲比命講代表であり、関西ホツマの会代表の大江先生(林先生)が詳しく解説されているので、興味のある方はぜひ。
「瀧原宮は伊勢神宮の真の姿」(トの教えチャンネル)
「伊勢神宮総集編」
「変わらないもの」に対する関心が深くなっている理由
自分自身の興味関心が変化していることを実感しています。
具体的には「変わらないもの」に対する関心がどんどん深くなっている、という感じでしょうか。
世の中には、変わるものと変わらないものがあります。
経済や政治の仕組みや技術は時代によって変わるもの、人の暮らしを支える農業や漁業、お祭りなどは変わらないものと定義することができるかもしれません。
数百年、数千年と続いてきた営みは文化と呼べますし、その文化というのは、いつの時代も人が「生きる」ということと密接に関係しています。生きていく上で必要なのは、水、空気、食べ物です。神社などに行くと、太陽や水や土それぞれに神が宿っていて、五穀豊穣を願い、実りに感謝することがお祭りという形になっていることが分かります。一方、寺は人々が強く生きていく上で大切な心を鍛える修行の場であり、救いの場と捉えることもできるかもしれません。
生きていく上で最も重要な水、空気、食物ですが、特に食べ物について、最近特に気にするようにしています。前回のブログでも書きましたが、医療が発達して平均寿命が延びたにもかかわらず、ガンや認知症などの増加で健康寿命は思うほど延びていない、働き盛りの子が親の介護をしなければならない(僕の祖父母世代は親の介護なんて経験したことがなかった)などの状況を見ていると、これは果たして技術が進歩したといえるのか?と思うのです。誰もが望む「ピンピンコロリ」ですが、それも思うようにいかず、結局は人の世話になってしまうという現状もあります。
貧困と肥満率の相関関係を見ても分かるとおり、今の世の中で健康に生きようと思うと、お金と時間が必要です。なんでなんでしょうね。人は仕事に追われ、時間がないのでコンビニやファーストフードなどで添加物や糖質の多い食事をしてとりあえず腹を満たし、健康を害し、病院に行き、医療費や保険のためにまた働くという悪循環を繰り返しています(かつての自分がそうでした)。アメリカでオーガニックな野菜を手に入れようと思うと、高級スーパーに行かなければ手に入りませんし、高額です。庶民にはとても手が届きません。
そのような現状を解決するために、経済成長や技術革新や医療の進歩がなにか寄与してきたか?と思うと、僕の中では答えが見い出せず、ただ格差を生んだだけではないのか?と思うのです(経済成長や技術を否定するものではありません)。
食や病気だけでなく、戦争や暴力、搾取がいつまで経ってもなくならないのも同じですけど。
そういうわけで、自分は「ビジネス」に対する関心は徐々に薄れ、今は、人間が人間らしく幸福に生きていける枠組み、システムなどに深い興味を注いでいます。ビジネスをすればするほど誰かが貧しくなっている気すらします。最近、文化人と呼ばれる人、具体的には、芸術家、大学教授、作家さんなどとお話をする機会が増えているのもそういう理由からかもしれません。人にもよりますが、このような方の視座は高く、全体を俯瞰したり、物事を別角度から分析したり、歴史を百年単位で考える思考をお持ちです。自分もお祭りの企画や運営に携わっている手前、日本古来の歴史や文化について深く考えることが多く、今の世の中に本当に必要なものって何?と考えることが多くなりました。
松田さんは稼いでいるからそんな悠長なことが言えるんですよ、と言われることもありますが、決してセーフティゾーンから物を見ているわけではなく、本当になんとかならんか、と思っているところです。まだ答えは全然見つかっていませんが、とりあえず、これと思うことに心血を注いで行きたいと思います。
土地と豊かさと健康
酷暑の西宮を離れ、信州の蓼科高原に滞在しています。
少しは涼しいかなと期待していましたが、信州とはいえ、盆地は盆地、高原は高原、といった感じでしょうか。松本や安曇野は盆地ならでは、日中は猛烈な暑さ。でも朝夕の霧ヶ峰や蓼科高原はさすがの涼しさです。
こちらでの楽しみはなんといっても無農薬の新鮮な野菜がいただけることです。
最近、身の回りで亡くなる人、体調を崩す人、発ガンする人が続出していて(極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、親戚、取引先を含め本当に「続出」しているのです)、自分自身も50歳を手前にしてここ数年は体調が悪かったこともあり、やはり健康を維持するにはどうすればよいかを考えながら、昨年から食生活の見直しを図っています。
わさびでもニンニクでもショウガでも、チューブタイプの購入はやめ、無農薬のものをすりおろして使っています。人気ですぐに売り切れてしまう大王わさび園の採れたてわさび、朝8時のオープンと同時に入園して購入しました。
認知防止、老化防止に効くブルーベリー。
普段はコストコの冷凍ブルーベリーを食べていますが、蓼科にはブルーベリー農家も多く、地元の農家さんに連絡して、3kg収穫させていただきました。時々つまみ食いしながら、です。
こちらは9時にオープンする蓼科自由農園。
開店前から大勢の人で賑わっています。新鮮で人気のある野菜は早いものがちです。今はトウモロコシの季節です。8本購入しました。その他、夏大根、きゅうり、トマト、にんにく、みょうが、キャベツ・・・あっという間に車のトランクがいっぱいになりました。
最近、自然農をされている方と知り合う機会が多く、いろんなことを教えていただいています。自分も今は無農薬玄米、発酵食品、無添加無着色のものばかり選んで食べています。自宅では、梅干しと発酵ショウガを手作りし、にがり、酢、クエン酸、重曹などを積極的に接種。おかげで見違えるほど元気になりました。
よく考えると、便利さと効率の良さを追求したがゆえの、添加物まみれの食生活がいかに身体を蝕んでいたか、ですよね。寿命は延びたかもしれませんが、健康寿命はどうなのでしょう。認知症の増加や病気などで下の世代が高齢の親の介護を余儀なくされています。
興味深いことに、僕の祖母の世代は介護をした経験がないのです。せいぜい高齢の親の食事の世話くらいで、介護なんてしたことなかったと聞きました。そもそも寿命が短かったというのもあるし、自然死していたからなのでしょうか。今の世代は親の介護が絶対に必要でしょう。なぜなんでしょう。複合的な要素が複雑に絡み合っていますが、じっくり考えてみたいと思います
自分も、母、祖母と看取ってきた経験から、今は良くても、将来、子どもや周りの人に迷惑をかけないよう(かけても最低限で済むよう)、健康に十分意識した生活をしたいと思うし、こういうところに来ると、人間が生きていく場所はこういうところなんだよな〜と実感するのです。古来の日本人の知恵を大切に、現代風にアレンジする。
改たな目標ができたので、10年計画で準備を進めていきたいと思います。
旅雑誌や機内誌のコラムを地で行くような楽しみ方
夏ってイベントが多い季節ですよね。
毎週のように暑気払いや会合など、仲間たちと集まる機会が多く楽しく過ごしています。
飛脚まらそん大会運営チームの決起集会、社団法人主催のシニアコミュニティの会合、ランニングコミュニティの10周年、所属ゴルフクラブの有志飲み会、三重県ゴルフ合宿・・・毎日のように行事ごとがあり、色んな意味でアツい。皆さん元気で何よりです。
先日のブログで、コミュニティは空気のようなもの、と書きました。
(「新しい文化を作る」2024年7月26日)
様々なコミュニティに属していると感じるのですが、誰もが「ここが心地良い」と思って集っている人の集団なので、やはり根底に、価値観や文化の共通の土台のようなものが横たわっています。先日、そんなコミュニティのある人と、関西エルマガジン社が発行するMeets Regionalの話題で盛り上がりました。
僕はMeetsを20年前くらいに熟読していて、江編集長や内田樹先生、中場利一さん、バッキーイノウエさん、ひさうちみちおさんなど、ちょっと斜めな人たちが書くコラムが大好きでした。街場の◯◯考として、下町や地域に根ざす店などを一風変わった角度で考察したり、時事ネタを面白く扱ったり、とにかく毎号楽しく読んでいたのです。街を知り尽くした賢くカッコいい大人たちに憧れたものです。少しアカデミックな視点が入っているところもあり、読むと賢くなれたような気もしました。
久しぶりに、当時のMeetsがどれだけ面白かったか(もちろん、今でも面白いと思いますが)を共通言語で語れる人がいたのが嬉しかった!そんな話で盛り上がりながら、僕はその頃から地域の小さな経済圏や、文化や、郷土史が好きだったんだな、と再確認できたのも収穫でした。
今、各地の神社仏閣めぐりをしながら、その土地の歴史や文化を学び、地域の産物に舌鼓をうち、道の駅で買い物をして帰るような旅を趣味のようにしていますが、そのルーツは、Meetsにあったのかもしれません。紙媒体や活字が好きなのも昔から。こんなことを書いていたら、図書館に行きたくなってきました。
旅先での街歩き、小料理屋での店主や女将さん、地域の常連さんとの会話。
惹かれるままに、思いのままに。旅行雑誌や機内誌のコラムを地で行くような楽しみを、これからも続けて行きたいと思います。
さて、告知です。
お手伝いしている「服部足祭り」ですが、この度、7月28日(なにわの日)に開催された「第24回 なにわ大賞」の「大賞」を受賞しました!「なにわのいちびりさん」に与えられる歴史ある栄誉ある賞をいただけたこと、関係企業、運営スタッフ、ボランティアの皆さんと一緒に喜びを分かち合えたことが本当に嬉しいです。
そして、8名の審査員の方々が、カッコいい大人の方々なのでした。
服部足祭り、今年は10月5日、6日に開催されます。
ぜひ、遊びにきてくださいね。
新しい文化をつくる
人の「想い」に触れることが多い今日この頃です。
様々なプロジェクトに携わらせていただく中で、決して派手だったり、目立つわけではないけれど、心の内に秘めた温かさや思いやりをじんわりと感じることができるのは、本当に幸せです。
類は友を呼ぶといいますが、自分が持っている価値観、物事の捉え方、人への接し方、人生に対する考え方などに近しい方々が自然に集まります(不思議なんですけどね)
コミュニティにおけるこのような循環がオートマティックにまわり始めると、集まる人々が醸し出す温かさ、優しさ、思いやりが大気のようにコミュニティを包み、その空気を吸うことが心地良いと感じる人々が集団を形成していくんですよね。僕は優しく、温かく、誰も攻撃したり排除したりしないコミュニティが大好きです。日本の「和合」という文化を大切にしています。
取り決めもルールもなく、目に見えない不文律がゆるやかに包む。同調圧力でも、押し付けでもなく、出入り自由。みなさん、どうぞご自由に。シンプルに、その場の空気が心地良いと思う人々が集団を形成しているんです。
そんなコミュニティから生まれたイベントのひとつが「飛脚まらそん」です。
江戸時代において、飛脚は手紙や書という形で人々の想いを運びました。親が子を、子が親を想う気持ち、愛する人を想う気持ち。少しでも早く、想いを伝えたい。
自分も15年のキャリアを持つランナーなので、多くのランナーさんを見てきました。距離やタイムを追い続けるのも尊いことですが、自分のように体調を崩したり、故障したりして以前のように走れなくなってしまった人、SNSのキラキラ投稿ばかりがタイムラインに流れてきて、他の人と自分とを比べてしまい、走ることの楽しさを見失ってしまった人、参加費の高騰で都市型マラソンに辟易してしまった人。
でも、きっと、走ることは嫌いじゃないんです。
それぞれ、自分と戦いながら、大切な人を想いながら走ることの素晴らしさを知っている。そんな想いを「飛脚」に重ねて走ってみましょう、というのが「飛脚まらそん」です。
距離は、1里(約4km)、5里(約20km)、10里(約40km)の部。
タイム計測はありません。
家族で楽しめるように、親子かけっこ教室もあります。
ちなみに、飛脚まらそん実行委員会は、日本人初6大陸のアドベンチャーレースを走破し、先日もヒマラヤ1700km横断レースを完走された、プロランナー北田雄夫さんを委員長に、全国各地で数々のレースを主催するGRlabさん、「ランナーズ」でおなじみのアールビーズさん、そして足の神様服部天神宮さんが実行委員のメンバーとして名を連ねています。
プロランナーや第一線の実業団ランナーたちが主催しているのに?
なぜ飛脚?
僕はそんな疑問に対して「日本古来の文化を見直し、走ることに対する新しい文化を作りたいから」と、答えています。極限の厳しさを知り、世界を見た人の優しさは本物です。それぞれが自由に新しい文化を楽しんでみませんか?
当日はボランティアスタッフも募集しています。
走る側でも、支える側でも。
ぜひ、一緒に新しい文化を作りましょう。
さあ、これから何して遊ぼう
思えば遠いところまでやってきたなあ、というのが実感です。
このブログは2005年の6月に始め、今月で丸19年を迎え、20年目に入りました。
たかだか20年とはいえ、その間、様々なステージチェンジがありました。0歳だった長女は大学生になり、始めた当時は生まれていなかった次女も高校生になりました。僕自身のキャリアも色々と変化がありました。絶好調の時もあれば、絶不調の時もありました。そのような山谷を乗り越えながら、なんとか生きている。結果的に生きてきた。そんな感じでしょうか。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは、パスカルが「パンセ」の中で書いた言葉と言われています。
この言葉、若い頃は意味が分からず、なんて刹那的な言葉なんだろう、もっと人生には深い意味があるのではないのかと思っていたのですが、今となっては、ああ、人生って確かに死ぬまでの暇つぶしなんだなと素直に共感しています。今生きている人が、それぞれ思い思いに暇つぶしをしている。その手段が仕事であったり、何かの活動であったり、趣味であったり、結婚や子育てであったりするのですよね。「生きがい」というものを見つけ、それぞれがそれぞれの人生をまっとうする。「暇つぶし」とは、時間を無駄にしているような印象を受けますが、時間の使い方と考えると、そういうものだよな、と納得します。
養老孟司先生は、何かのインタビューで「生きることの意味?生まれてきたんだから、生きるしかない」というようなことをおっしゃっていて、腹落ちしたことがあります。生まれてきたからには生きるしかない。そこに意味なんてなく、生まれたからには、死ぬまでどう生きるか、それだけ。というシンプルな答えにたどり着きます。親から受けたバトンを、80年か90年生きて、子や次の世代にバトンを渡して、死ぬ。
その間、自ら問いを立て、その問いにどう答えていくか。
その繰り返しと積み重ねですよね。
仕事柄、人と会うことが多いのですが、色々な人と話をしていると、この人はこういうところで生まれて、このように生きてきたんだ、と、それぞれの今までの人生を想像しています。人それぞれの「暇つぶし」の仕方を聞くのは楽しいですよね。ああ、あなたはこういう方法を選んだんだ、それ、面白そうですね!僕はこんな方法で暇つぶしをしていますよ、というような感覚です。周りの人に寛容になれるし、重たいものを背負う必要もないし、楽しめたらそれでいい、という感覚になり、肩の力が抜けます。
さあ、これから何して遊ぼう。
皆さんの遊びもお聞かせくださいね。
このブログでは、日常生活から日頃考えていることまで幅広く書いていますが、これも一つの暇つぶし。今どきブログも流行りませんが、自分に対する備忘録として、インターネットという海に浮かぶ過疎の島で細々と何かを書いて発信すること、続けられる限りは続けて行きたいと思っています。
20年目もよろしくお願いいたします。
大人の林間学校 広島〜山口
旅の記録が続きます。
先週末、広島県と山口県に一泊二日でゴルフ合宿に行ってきました。自分が所属しているゴルフクラブの提携コースの一つに、山口県の周南カントリークラブがあり、メンバーの皆さんと一緒に一度回ってみましょう、という企画です。
周南CCは土曜日にラウンドすることが決まっていたので、金曜日は広島県の別のゴルフ場でラウンドすることにしました。初日はAM3:30に集合。車で約3時間30分、まずは広島県三原市の白竜湖カントリークラブへ。
最高の天気です!
調べてみると、かつてはポカリスエットオープン(1982年〜1994年)が開催されていたトーナメントコースのようでした。
この辺りは、祖母の家も近く、車で走っていても馴染みのあるところばかりなので、なんとなくホーム感はあるのですが、ゴルフだけの目的で来るのは新鮮でした。コースは平日なのにまあまあの人。コンペでも開催されていたのかもしれませんね。
ホールアウト後は、本日の宿、山口県岩国市へ。
チェックインまで少し時間があったので、錦帯橋へ行きました。
青い空に美しいアーチが映えますね。
そして、翌日は、周南CCへ。
1966年開場、数々のランキングで上位に入る山口県屈指の名門コース(WEB調べ)だそうです。僕たちのメンバーコースである千刈CCが1965年開場ですから、ほぼ同じ年なんですね。だから提携しているのかも。
ここは、JLPGAステップアップツアーの「山口周南レディースカップ」」が開催されているとのことで、クラブハウスには選手のサインがずらり。
木々でセパレートされた庭園のようなコース。
コース内には、巨石もありました。古代の祭祀が行われていた磐座かな?と一瞬思いましたが、マグマが固まったものが長い年月をかけて表層に押し上げれたのだそう。巨石好きとしてはたまりません。
前の週から出張が続き、今回の合宿もなかなかのハードスケジュールでしたが、やっぱり楽しい。一昨年の富士CC、伊豆大仁CC、そして昨年の三重県ココパリゾートに続く、提携コースを巡る旅。
大人の林間学校でしっかりリフレッシュできたので、また今週からがんばりたいと思います。
ご一緒いただいた皆様、ありがとうございました!
(腰痛が悪化しているのでしっかり治さなきゃ・・・)
水の大切さについて本気で考える
先週の金曜日、和歌山県橋本市にある「ゆのさと」に行ってきました。
ここは「月の雫」という水で有名な場所で、温泉施設でありながら、多くの方がタンク持参で来られて、水を汲んで帰るという場所です。僕たちが行った日は平日でしたが、他府県ナンバーの車も多く(品川ナンバーもあった!)、全国からゆのさとの水を求めてやってくるという話は本当なんだと実感しました。僕も20リットルのタンク2個に水をいただき、毎日飲料や食事に使っています。
人間の身体の水分量は60%と言われていますよね。
水で出来ているとは過言ですが、それだけ水は人間にとって必要不可欠、最も大切なものだと言えます。ゆのさとの訪問がきっかけで水について色々と調べていた時、2年前に熊本で開催された水サミットでの天皇陛下の記念講演を知りました。下記のリンクから全文を読むことができます。
宮内庁ホームページ
第4回アジア・太平洋水サミットにおける天皇陛下記念講演(2022年、令和4年4月23日)
長年、水の研究をライフワークとされている天皇陛下が、ご専門ならではの知見で水に関する民族信仰についてお話されています。先祖代々続く人々と水との関わりが、その地域固有の文化と社会を形成してきたと。あれこれ言わないので、とにかく読んでください。
この話のすごいところは、水=龍神(弁財天や九頭竜)や蛇の神(宇賀神、ナーガ)、亀蛇(妙見祭)など、水と神との関係は、日本のみならず、形を変えてアジア太平洋全域に広がっていることから、わたしたちは一つ、みんな一緒なんだよ、ということを伝えられているということなんですね。だから共存共栄していきましょう、と。まさに大和=和合の精神。水から民族信仰、和の精神に論理を発展されるところが、平和と安寧を願っておられる陛下ならではなのですよ。誰もがこの精神を持っていたら、争いや分断、格差なんて起こらないでしょうよ。
ビジネスマンの僕がいうのもおかしいのですが、資本と技術を追求し続けると世の中は金、物の世界になってしまいます。金、物の世界って、限界があるんですよね。そもそも人口が増え続け、消費が右肩上がりで増え、投資を永遠にし続けることが前提のシステムになっているので、お金を永遠に増やさなければならない。人口が減少している今の世の中では成り立たないし、物を売るためには、「人々が満足しないように」しなければならないわけです。つまり、常に人々を不安な状態にさせること。戦争や疫病は技術を進歩させ、産業が活性化します。ひどい話だけど。でも、そのお金も価値が下がりつつあります(物価が上がっているのではなく、お金が増えすぎてお金の価値が下がっている)。そろそろ限界なんじゃないかな。
一方、生物としての人間としての「在り方」を追求すると、縄文時代の村のように、争いもなく、皆が共に汗をかき、畑を耕し、自然に感謝しながら平和に暮らす世の中になる。どっちがいいのでしょうね。実態のないもの、終わりのないものを、体力気力をすり減らしながら追いかけ続けることに何の意味があるのでしょうね。それだけの体力気力があれば、僕は後者に進路を取って行きたいなと思います。
さて、先の記念講演で、陛下が「奈良県の室生には、龍が棲むという洞穴があり」と、吉祥龍穴に言及されておられたことが個人的に胸アツでした。僕の大好きな室生龍穴神社の奥宮です。知る人ぞ知る秘境のことを陛下が知っておられたとは。ちなみに、竹生島や天河弁財天にも言及されてるんですよ!お分かりになる方はピンとこられると思いますが・・・
というわけで、今日はこのあたりで。
水について、しっかり考えてみましょう。