水に浄化される、まどろみの旅。瀧川神社〜三嶋大社へ

仕事とプライベートの境目がない生活をしていますので、今年の盆休みも特に定めていませんでしたが、8/11山の日がちょうど関東出張の前日ということもあり、静岡県の三島に途中下車して一泊し、以前からお参りしたかった瀧川神社に行こうと計画しました。

瀧川神社の話は、六甲比命神社の大江先生から瀬織津姫様の生誕地であるとお聞きしていたことや、神社境内の横に山田川が流れていて、山の斜面から滝が川に流れ落ちていることなど、川好き、滝好きの自分としては絶対に行ってみたい場所だったのです。

三島駅でレンタカーに乗り、ナビを頼りに向かうと、畑の向こうに小さな社殿が見えました。この社殿、2003年に火災で消失したそうですが、奇跡的に御神体は無事で、その後、伊勢神宮から式年遷宮の古材を譲り受け、神宮の饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)を移築して無事再建されたそう。神宮から古材が提供されるとは、内宮の饗土橋姫であり、荒祭宮の天照大御神荒御魂たる瀬織津姫様の御神縁でしょうね。

20年前に再建された社殿

到着した日は昼前ということもあり、次から次へと参拝者が途絶えることなく訪れていました。中にはお盆休みを利用して来ましたという、自分と同じような観光客もいて、小さな神社ながら各地から参拝者を集めているような雰囲気でした。

想像通りとても気持ちの良い場所だったので、これは是非、朝の空気も感じてみたいと思い、翌朝も参拝させていただきました。境内には誰もおらず、朝の新鮮な空気の中、一人、滝の前で目を閉じていると、前日の雨で増水した川がごうと流れる音、滝のざーっという音だけしか聞こえず、心身共に浄化されるようでした。本当に時間を忘れるかのような感覚で、身体が軽くなるような浮遊感を感じました。

しばらくすると、車が二台到着しました。
地元の方々が朝拝と清掃に来られたようでした。兵庫県から来ましたというと、遠いところからわざわざ、と歓迎してくださいました。六甲山の瀬織津姫様の磐座がある六甲比命神社のこともご存知で、ご親切に文字岩(弘法大師が書いた文字が残るという伝説)に案内していただいたり、滝の正面のベンチがベストポジションですよ、と教えてくださいました。そして、山の斜面から流れる滝は、川から流れ落ちるものではなく、湧水を源にしていて、箱根水系の水が湧き出ているとのことでした。

「箱根の九頭龍神社の湧水と同じ水なんですよ」

そうか。三島は富士山を源とする富士山水系と、箱根を源とする箱根水系の二つの水が出ると聞いたことがありましたが、瀧川神社は箱根水系なんだと知りました。

フレンドリーで、ニコニコとうれしそうにお話して下さるお二人の表情から、この神社を心から愛していらっしゃる様子が伝わってきました。派手さはないし、社務所もないし、小さな神社だけれど、控えめな中に芯の強さを感じる、地域の方々に大切に管理されている素敵な神社。ここ、冗談抜きで何時間でもいれます。なんとなく、これから毎年来るんだろうな・・・と感じました。

滝の上には不動明王が鎮座

三島は柿田川や源兵衛川など、湧水がとにかく有名です。なにげない住宅街の軒先にも湧水が湧くような水の町。

その後、東京から三島に移住した友人と合流して、高田屋で鰻を食べてから、三嶋大社や間眠(まどろみ)神社にも参拝させていただきましたが、どこ行っても「水」を感じることができました。

人間の身体は60%が水で出来ているといいます(厳密には、体重の55%〜60%が水分量)。水って人間にはなくてはならないもの。

生存のために必要であることはもちろんのこと、心身の浄化にも必要ですね。毎月、和歌山県の「ゆの里」に水を汲みに行っているような自分ですが、これからももっと水を大切にしたいと再認識した旅になりました。そういえば、7月には愛媛県西予市の樽滝にも行きましたし、ここ二ヶ月で偶然にも水場へ赴くことが重なりました。

友人との再会もとても楽しく、相変わらずマニアックな話題で盛り上がりました。間眠神社の境内地だった場所に建つ築100年の古民家を購入して絶賛改装中だそうで、完成後は「まどろみハウス」としてオープンするようです。ぜひ、Instagramのアカウントをフォローしてみてください。

また、僕自身もInstagramで神社巡り等の写真を掲載しています。こちらもぜひフォローしてください。

源頼朝ゆかりの、間眠神社(まどろみ神社)御祭神は、あの豊受大神です。びっくりしました。
三嶋大社 御祭神は大山祇神と積羽八重事代主神。瀬織津姫も大山祇一族の出身です。
人気店、高田屋のうなぎ
三島駅前の源氏で、桜海老の天丼と蕎麦の定食を

宿題の提出と答え合わせ〜愛媛県の樽滝観音にて

後から振り返ると、あの時の出来事がここに繋がるのか、という体験をすることがあります。その時は分からなかったけれど、後になって答え合わせが出来る。スティーブ・ジョブズの「点と点が線になる」、まさにそんな感じでしょうか。

先週、愛媛の西予市に行きました。
目的は「宿題の提出と答え合わせ」です。

昨年の春、大洲市の少彦名神社に御礼参りに行った際(その時の記事はこちら→「後になって分かることがある(旅先での出会いから)」(2025年4月30日))、境内で出会った男性に言われた「今度来られた時は、西予の樽滝に行くといいですよ」という言葉。
これがずっと耳に残っていて、何か新しい宿題をいただいた気分になり、今年のどこかで行かなければと思っていたのです。

伊丹から松山まで飛行機で飛び、市内の定宿にチェックインした後、松山城の城山中腹にある東雲神社を参拝し、「坂の上の雲」で有名な秋山好古、真之兄弟生誕地へご挨拶。このルーティンは何年も続けています。

翌日、レンタカーを借りて大洲方面へ。
樽滝へは麓の集落から山道を30分ほど登って行かなければなりません。事前にグーグルマップで確認していたので迷うことはなかったのですが、山道がなかなかアドベンチャー。眼下の川から距離はあるのにサワガニがたくさん歩いています。カニさんたちと一緒に滝を目指してぐんぐん登る。知る人ぞ知るという場所なので人に出会うこともありません。

この道で合っているのか?
不安になりながらも無事に到着。想像していたよりも大きな滝で驚きました。
滝の裏側に小道があり、裏見しながら観音堂に行くことができます。

無事にたどり着けたことの御礼とともに、今回の観音様との出会いが将来なにかに繋がることへの期待、自分で良ければなにかしら社会のお役に立たせていただきます、ということをお伝えしてきました。

樽滝と樽滝観音

無事に宿題を提出した安堵の気持ちに浸りながら、考えてみました。

今回の旅が何のサインか、将来何に繋がるのかは分からない。でも、ここ数年を振り返ってみた時に、自分の力で道を切り拓くというよりも、示されたサインに従い、拓かれた道をそのまま素直に進んでいるという実感があります。

「どうぞ、自分を好きなように使ってください」という気持ちで、流れに身を任せ、進路も行き先もすべて委ねてしまう。そして毎日を丁寧に、大切にすべきことを大切に生きていたら、自分の想像以上に良い結果が伴ってくる。

目の前に現れるサインに気付くためには、心と時間の余白(間)が必要だと思うんですよね。余白を作るためには、心身共に穏やかであること。そうすれば目の前に現れるサインを見逃さず、誰かに道案内してもらえるような気がするし、実際にそうなっています。

これからも「君はこの道を進みなさい」と示されるサインを見逃さず、大切にしていこうと思います。

【おまけ】
旅先での楽しみといえば食事です。
今回は食べログ100名店にも選ばれた、焼鳥の名店「炭心」さんへ行きました。噂に違わず丁寧な仕事がされた一串一串、とても美味しかったです。素敵な御夫婦で切り盛りされていて、なんとも言えない優しい空気に包まれた店内でした。

つなぐこと、残すことについて

4月28日に、京都府京丹後市の比沼麻奈為神社へ正式参拝させていただきました。

昨秋、六甲比命神社の管理人でありホツマツタヱ研究者である大江先生、株式会社ことだまの荻野さんたちと参拝させていただいた際、次回は久次岳の麓、比沼麻奈為神社が管理する不動明王様の縁日(4月28日)に合わせて参りましょうという話になり、半年ぶりの参拝となりました。

この日は、大江先生の研究では瀬織津姫様が神上がりされた日ではないかということもあり、大変重要な日となっています(4月28日といえば、大好きだった祖母の誕生日、我々夫婦の結婚記念日ということで、個人的にも縁が深い日です)。

比沼麻奈為神社は伊勢神宮外宮の御祭神、豊受大御神をまつる神社で「豊受宮」と称されます。また近くには史跡「月の輪田」もあり、農耕の神、豊受大御神のお膝元ならでは、稲作発祥の地でもあります。

今回の参拝でも「残す、つなぐ」ことについて深く考えさせられました。

地域の方々が比沼麻奈為神社と不動明王を大切に管理されていること、我々のような外部の人間が突然現れても、多少驚きながらも温かく迎えて入れていただき、ジュースやお菓子を振る舞ってくださったこと。農道や山道を丁寧に整え、誰が来ても受け入れる、まさに不動明王の温かさを感じることができました。

「本当に大切なモノ・コトは自然に広がり残る」というのが僕自身の持論ではありますが、そこにはやはり守っておられる方がおられ、毎年のお祭りを大切にされている居住者と、我々のように遠隔からの「通い」による非居住者の協力(今の言葉でいうと「推し活」でしょうか)により、維持発展していくことを改めて再認識しました。

観光地のようにただ人が集まり、お金を落としてくれれば良いというわけではなく、この地の価値や大切さを知り、本当に大切にしたいという人に届けばと願います。

奇しくも、自宅の倉庫の解体作業を行っているところで、古い着物や白黒の写真などがたくさん出てきています。もうこの世にはいない先人たちの姿を見るに、ご先祖たちが必死で繋いできたバトンを大切に受け取り、次に繋いでいくという使命の大切さを再認識するとともに、自分が住む地元も大切にしながら、動ける範囲で仲間たちと一緒に他の地域のお手伝いもできればと思いを新たにしています。

関わらせていただいている服部足祭り飛脚まらそんに加え、今月の総会で「なにわ名物開発研究会」の幹事にも就任させていただくお話もあり、ますます地域活動や文化・コミュニティ活動に軸足が移って行きそうですが、お前の役割だ、やれ、といわれていると思い、謙虚かつ一生懸命がんばります。

最後に告知です。
第25回「なにわ大賞」の募集がスタートしました。
大阪・なにわの文化に資する魅力を発掘し、地域の発展に寄与する優れた「ヒト」「コト」「モノ」を表彰する賞です。
エントリーお待ちしています!

空海の風景を読む

春を目一杯楽しんでいます。
梅の花が散った後は、桃、桜と続き、庭の鉢植えや宿根草も次々と花を咲かせてくれています。家庭菜園では、ほうれん草、春菊、人参、大根などの種まきも終わり、それぞれが小さな芽を出してくれています。モッコウバラの蕾も膨らみ始め、ゴールデンウィークには満開のバラを楽しめそうです。

前回のブログ「上昇志向モンスターから、晴耕雨読の日々へ」には多くの反響をいただきました。自分でも、これからの人生をどう生きていくか、さらに思考を深めています。思考を深める際には、草花の成長や木々の芽吹きを眺めながら、古代から変わることのない自然の悠久のいとなみに思いを馳せています。できるだけ、社会から遠いところに身を置きたいだけなのかもしれません。

NHKで「第28回 菜の花忌シンポジウム」を視聴しました。
菜の花忌とは、司馬遼太郎さんの命日に合わせて開催されるイベントで、今年のテーマは「空海の風景を読む」でした。「空海の風景」は司馬遼太郎さんの代表作の一つです。平安時代に生きた知の巨人、空海の一生を小説化したもので、その思想のスケールの大きさに目眩を覚えます。

読み直した、空海の風景

真言密教の総本山である高野山は僕も大好きな場所ですが、密教そのものは難解であるものの、空海が留学先の長安で感じた「人間を人種でみず、風俗でみず、階級でみず、単に人間という普遍性としてのみとらえた」(空海の風景より)という点は、無限に広がる宇宙と、始めがなく終わりがない時間の中で繰り返される、生命の誕生と死、わずか数十年という寿命の中での「人間の営みそのもの」を肯定し、衆生済度を説きました。

僕自身、世俗の色々や社会システムや己の限界などに辟易して、ついつい厭世的になりがちな自分がいる中で、煩悩やあらゆる欲を含めて人間そのものを寛容に受け入れ、人間を自然と同化し、宇宙の一部にさえ同化していこうとする壮大な試みは、たいした知識も学も持ち合わせていない自分でも、その偉大さと覚悟くらいは分かります。人間を自然の一部とし、「ただ、在るだけで良い」のかな。もしそうだとすると、これは個人的に生きる上で大きなモチベーションになりそうです。

庭木を見ていると、肥料もやらないし世話もしないのに、夏の暑さと冬の寒さに耐えて、春になれば花を咲かせる。それを毎年毎年黙って繰り返す。咲かせる花や、実が本当に美しいのです。生きているということは美しいことですね。

予定は立てるが、目標は持たない

今年初のエントリーです。
早いもので新年を迎えてはや20日が過ぎました。クリスマス前後から体調を崩し、そのまま仕事初めまで二週間強、寝たきりになってしまったため、新たな気持ちで今年の抱負を考えるという気力も体力もなく正月休みが終わり、日常生活が再開して仕事でバタバタ・・・という感じで今に至ります。

このような冬眠期間を経て今はすっかり元気になったので、今年一年をどのように過ごすかを改めて整理してみました。とはいうものの、ここ数年は「予定は立てるが、目標は持たない」というスタンスに切り替えていますので、基本はこの方針を継続します。

「目標は持たない」

なぜか。目標って立てても忘れてしまうし、そのとおりになったためしはないし、この変化の早い世の中で一年先がどうなるかなんて分からないので、意味ないなと思ってしまったんですね。立派な目標を立てても、それは(あくまで僕にとってはですが)一時的な自己満足にしか過ぎないなと。一応、会社経営をしているので売上や利益に関心がないことはありませんが、なんら特別なことをしていないのに毎年売上が右上がりで勝手に伸びているので、これについても深堀りした分析はせず、日々自分がしていることは間違っていないんだな、くらいの気持ちでありがたく受け入れようと思っています。

というのも、いわゆる物質的な充足であったり、こうしたい、こうなりたいという願望はすっかり薄れてしまい、今の関心は、地域の歴史的・文化的ストックをどのように活用していくか、食や組織に共通する協生とはなにか、地縁や血縁、居住や非居住によらない選択的「縁」と共同体の関係とはなにか、といった、およそビジネスからは程遠いところにあるからです。

そういう意味では、寝たきり期間を活用して社会的共通資本や祭礼と共同体に関係する書籍や論文を読む時間はしっかり確保でき、それが今のところ読書の習慣として継続できています。先人の研究って偉大ですね。「巨人の肩の上に立つ」とは、Google Scholarのトップページに掲載されている標語ですが、人ってどうしたら幸福に生きていけるのだろう、という壮大でもあり、プリミティブでもあるテーマについて、自分なりに深堀って言語化できる一年になればいいな、と思っています。

そうこうしていると、同じようなことを考えている人たちの縁がたくさんでき、年始から様々なシーンで議論する機会をいただいています。いや〜なんか自分は意識して行動していないのに、勝手にいろんな動きが生まれていて面白いです。大きなうねりが推進力となり、前へ前へ動かされているような気分です。

というわけで引続き目標は持たず、一日一日を一生懸命に生きていくことだけを心掛けながら。今年一年もどうぞよろしくお願いいたします。

近況と雑記:投票所の光景、成長のメカニズム

最近の出来事をつらつらと書いてみます。

■衆議院選挙と投票所について

先週末に行われた衆院選。我が家に指定された投票所は、なんと僕が卒業したK小学校!前回選挙の時は歩いてすぐの公民館だったのですが、激坂を20分登る山の上の小学校が投票所になったのです。もちろん車で行けなくもないのですが、坂道の多い近所を散歩する機会もないだろうから、と、選挙権を持つ19歳の長女と妻と一緒に散歩がてら登っていきました。

実に数十年ぶりに入った母校ですが、古くなったなあという実感です。そりゃそうか、卒業してから35年以上経ってますもんね。

懐かしさに浸る一方、投票所としてこの立地はどうなのか?と疑問に思いました。まず、車移動できる人はともかく、徒歩で行くには僕たちでも正直キツい。となると、お年寄りは投票にいけたのか?と、近所に住む高齢世帯のおじいちゃん、おばあちゃんたちの顔を思い浮かべていました。老人ホームなどに入居しているお年寄りは不在者投票などの仕組みを利用できますが、投票所によっては、これから益々足が遠のくお年寄りが増えるのでは。僕たちが投票に行った時間帯でも、お年寄りはまったく来ておらず、同じ世代の大人ばかり。結構高齢化している地域なんですけどね。

なにかと話題になる「シルバー民主主義」ですが、人口の多い高齢者の意見がとおりやすく、若い人の意見がとおりにくいという議論があり、まあ確かにそうかもしれない。でも、僕が見えている景色では、むしろ物理的に投票に行けないお年寄りが増えているのではないかと思うのです。祖母が生きている頃も「自分はもうしんどいから投票には行けない。若い人に任せる」と言っていましたしね。まあ、これに関してはかなり地域差はありそうですが。

そして、逆に若い人たち(長女のような10代の若者含め)は結構みんな投票に行ってるのです。たとえば、高校3年生の次女。彼女は3月生まれなので今回投票権はなかったのですが、18歳を迎えている部活の同級生は、みんな投票行ってたよ〜と言っていました。確かに人口は少ないかもしれないけど、政治に対する関心は高いのかもしれません。親の教育ももちろんあるでしょう。それが、20代に支持されたといわれる国民民主党の躍進に繋がったのかもしれませんね。

とにかく、社会や暮らしを人任せにせず、自分ごとにするという意識は大切です。文句を言う前に自ら動こう。義務を果たそう。若い人たちを見ていると、大人よりも真剣に将来のことを考えている気がします。

こんな記事もありました。若い候補者に投票したい、というお年寄りも多いようです。
「シルバー民主主義は本当? 実験で見えた高齢者の意外な投票行動」


■神社仏閣めぐりと「成長」について

先日、和歌山の丹生都比命神社と高野山に行ってきました。高野山は久しぶりだったのですが、開山1200年の奥の院、苔むした墓所には戦国大名の墓もあります。信長の墓所、秀吉の墓所。古いなあと思っても、今から450年前。高野山の歴史の中では、比較的新しい方なのかもしれませんね。

このブログでいつも書いていますが、僕は時間を100年単位で見るようにしています。特に神社仏閣めぐりをするようになってから、よりその意識が強くなりました。神社の歴史に比べると、自分たちが生きている数十年なんてたかだか一瞬。だからおろそかにするというのではなく、ちゃんと務めを果たして次世代にバトンをつなぐのが役目だと思うのです。

昨日、白秋共同研究所が主宰する企業人事向けの研修「HCT Hakushu Career Transition」が開催されました。その中で、成長のメカニズム四象限があり、

【1】成長体験(成長を経験したエピソード)
【2】成長の定義(成長を自分なりに言語化)
【3】成長の図化(2を踏まえて、成長を図や絵で表現)
【4】行動習慣(成長するための行動習慣3つ)

これらを書いて話し合うというワークがあったのですが、自分は最後の「成長のための行動習慣」3つを、①居心地の悪い場所を探して飛び込む ②常に大局観に立つ(物事を100年単位で考える)③でも、無理はしない を挙げました。

物事を百年単位で考えると、経済でも政治でも大きな流れの中での「今」として捉えることができ、右往左往せずに済みます。今、この状態があるのは、いつ、何が起点だったのか。歴史の中でどういう転換期があったのか。この感覚を常に持っていたいものです。

高野山 奥の院
白秋ホワイトクラブ
和歌山 ゆの里

気張るな、というメッセージをいただきました

いろんな方から悩みや相談をお聞かせいただく中で、共通して感じるのは人の根底にある「不安」です。

人って、先が見えない時や、自分がコントロールできない時、見たことのないものが目の前に表れた時に不安を感じるものです。特に、自分のコントロールが効かない状況になった時に、不安になり、恐れ、攻撃的になる傾向があるように思います。

幼い時から、目標を持つこと、なりたい自分像を明確にすること、夢に日付を書き、逆算して行動することなどを徹底的に教え込まれて来ましたので、そのとおりにならないと、やばい、どうしてだろう、と焦ったりもします。不安だから、人の評価も気にします。人からどう思われているだろうかという不安が根底にあるので、キラキラ投稿をしたり、ビジネスやってますアピールをしたり、はたまた世の中を分かったかのように憂い、批判する投稿をしてみたりするんですよね。かまってほしいんですよ、不安だから。

最近、不安を感じるのって「自分がずっと生きている」ことを前提にしているからだよな〜と気づきました。なんとなく、いつかは死ぬとは思っているものの、それがいつか分からない。分からないことを分かろうとするからがんばるんです。分からないことはリリースすれば良いのにね。

自分の人生にとっての時間は有限かもしれませんが、時間そのものは無限です。

神社仏閣巡りをしていると、物事を千年から二千年の単位で考えざるを得ません。このブログでは何度も書いていますが、時間というのは、歴史の年表のように左から右へ直線的にリニアに繋がっているもので、それが何万年と続く中で、たまたま今生まれて来た人が80年かそこら生きているだけのことなんですよ。それに、今目に見えている世界がすべてでもなく、この80年そこらで一旦地球という「バーチャルフィールド」に降りてきて、ちょっと色々と経験して、また別の世界に飛び立つということで、現世は修行の場、という仏教的な考え方もあれば、現世は感謝の場、という神道的な考えもあり、いずれにしてもテンポラリーな「場」としての捉え方もできるということなんですね。

みんな違ってみんないい。
心配事の99%は起こらない。
大丈夫、気張らなくてもなんとかなる。
世の中の経済の仕組みを知れば分かるけど、自分の稼ぎは誰かの借金。
一人で豊かになっている人は、その他大勢を貧しくしているということ。

そういえば、最近「気張るな」というメッセージを尊敬する方からいただきました。そうか、自然体でいいんだ。無理に仕事もがんばらないし、無理に付き合いを広げることもなくなったし、そのおかげで周りには価値観の合う気持ちの良い人だけが残り、ストレスとは無縁の生活を送ることができるようになりました。

幸せになるのは、未来ではなく、今の自分の心なんですよね。
目の前にあることを感謝して生きることが大切ですね。

伊勢紀行〜旅する皇女の足跡を訪ねて

先週末、一般社団法人グローバル人事塾の合宿で伊勢に行ってきました。

集合時間は伊勢市駅に朝11時だったのですが、どうしても、早朝の凛とした空気に満たされた、人のいない内宮を参拝したく、朝3時に起きて車を走らせました。本来であれば外宮→内宮のルートが一般的なのですが、皆と合流した後に再度、外宮→内宮をお参りする予定だったのでフライングさせていただいたのです。

早朝の内宮参道
宇治橋鳥居と宇治橋

今回の旅では、神宮以外にも、別宮や猿田彦神社、二見興玉神社などを巡りました。
特に、別宮である瀧原宮、伊雑宮は絶対に行きたかったお宮です。

伊勢神宮はおよそ2000年前に第11代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)により創建されました。

それまで、宮中で祀られていた皇祖神・天照大神を、天下泰平・安寧のために宮廷の外で祀るという新しい形を求めた大和王朝の第10代崇神天皇と、天照大神の祭祀を司った皇女である豊鋤入姫の意思を継いだ第11代垂仁天皇は、娘である倭姫命に天照大神の祭祀を託します。倭姫命は天照大神の御杖となり、新たにお祀りする場所を求めて、現在の奈良県桜井市を出発し、40年の歳月をかけて、伊賀、近江、美濃を経て、現在の内宮がある五十鈴川の上流に行き着いたと言われています。

そのため、伊勢では至るところに「天照大神と共に旅する皇女」である倭姫命の史跡があります。

磯宮(二見興玉神社)の夫婦岩

日本の統一と安寧を求め、大和から伊勢へと旅され、瀧原宮と神宮を創建された倭姫命。甥っ子である日本武尊(やまとたける)に草薙の剣を授け、東征に出したのは有名な話です。その日本武尊は西にも東にも出征し、やがて国を統一しました。
(一般財団法人 京都宮廷文化研究所「倭姫命と日本武尊の歴史的役割」参照)

倭姫命が創建されたもう一つの神宮、瀧原宮は、瀧原宮と瀧原竝宮が並列になっています。

瀧原宮

これが本来の伊勢神宮の形であると言われており(瀧原宮の由緒書きにも記載されています)、現在の内宮の正宮と荒祭宮の位置関係も、元は横並びであったとされています。

また、現在の伊雑宮の御祭神は「天照坐皇大御神御魂」となっていますが、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀っていました。伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書においては、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれ、同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」と記載されており、玉柱屋姫命と瀬織津姫は同一神と見なされているようです。(Wikipedia 伊雑宮 参照)

伊雑宮

天照大神の御杖となって旅をされた倭姫命は、天照大神と瀬織津姫の御夫婦を並列に祀られたということなのでしょう。

天照大神は一般的には女神と解釈されていますが、実際は男神であり、そのお后が瀬織津姫であった。この夫婦の関係が、世の中のバランスを取っていたと考えられています。太古の昔から、太陽と月、陰と陽、男と女、夫と妻、潮の満ち引き、など、陰陽のバランス、調和、和合が日本の歴史・文化そのものであり、このバランスが崩れた時に戦や争い、現代では分断や格差が生じているものと思います。

伊勢(いせ)の語源は、妹(いも)と背(せ、または、おせ)と言われています。「いもおせ」とは、男女、陰陽を表しています。性差による作りの違いを理解し、それぞれの役割を担うこと。これが重要なんでしょうね。

今回の旅で、自らの使命を受け入れて神宮創建に尽力された倭姫命の功績に触れることができました。

それが2000年経つ今でも受け継がれ、残されている。自分に何ができるか分かりませんが、今この時代を生きている人間の努めとして、自分だけが良ければいい、とか、自己実現とか、そういう目先のことだけでなく、受け継がれてきたものを引き継ぎ、また、自分の子や孫の世代にバトンを渡していく。

それが努めなんだろうと思います。今自分たちが生きている日本は、先祖が必死で守ろうとした日本の未来ですね。

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瀧原宮、内宮と荒祭宮については、Youtubeの「トの教えチャンネル」で、六甲比命講代表であり、関西ホツマの会代表の大江先生(林先生)が詳しく解説されているので、興味のある方はぜひ。

「瀧原宮は伊勢神宮の真の姿」(トの教えチャンネル)

「伊勢神宮総集編」

「変わらないもの」に対する関心が深くなっている理由

自分自身の興味関心が変化していることを実感しています。
具体的には「変わらないもの」に対する関心がどんどん深くなっている、という感じでしょうか。

世の中には、変わるものと変わらないものがあります。
経済や政治の仕組みや技術は時代によって変わるもの、人の暮らしを支える農業や漁業、お祭りなどは変わらないものと定義することができるかもしれません。

数百年、数千年と続いてきた営みは文化と呼べますし、その文化というのは、いつの時代も人が「生きる」ということと密接に関係しています。生きていく上で必要なのは、水、空気、食べ物です。神社などに行くと、太陽や水や土それぞれに神が宿っていて、五穀豊穣を願い、実りに感謝することがお祭りという形になっていることが分かります。一方、寺は人々が強く生きていく上で大切な心を鍛える修行の場であり、救いの場と捉えることもできるかもしれません。

生きていく上で最も重要な水、空気、食物ですが、特に食べ物について、最近特に気にするようにしています。前回のブログでも書きましたが、医療が発達して平均寿命が延びたにもかかわらず、ガンや認知症などの増加で健康寿命は思うほど延びていない、働き盛りの子が親の介護をしなければならない(僕の祖父母世代は親の介護なんて経験したことがなかった)などの状況を見ていると、これは果たして技術が進歩したといえるのか?と思うのです。誰もが望む「ピンピンコロリ」ですが、それも思うようにいかず、結局は人の世話になってしまうという現状もあります。

貧困と肥満率の相関関係を見ても分かるとおり、今の世の中で健康に生きようと思うと、お金と時間が必要です。なんでなんでしょうね。人は仕事に追われ、時間がないのでコンビニやファーストフードなどで添加物や糖質の多い食事をしてとりあえず腹を満たし、健康を害し、病院に行き、医療費や保険のためにまた働くという悪循環を繰り返しています(かつての自分がそうでした)。アメリカでオーガニックな野菜を手に入れようと思うと、高級スーパーに行かなければ手に入りませんし、高額です。庶民にはとても手が届きません。

そのような現状を解決するために、経済成長や技術革新や医療の進歩がなにか寄与してきたか?と思うと、僕の中では答えが見い出せず、ただ格差を生んだだけではないのか?と思うのです(経済成長や技術を否定するものではありません)。

食や病気だけでなく、戦争や暴力、搾取がいつまで経ってもなくならないのも同じですけど。

そういうわけで、自分は「ビジネス」に対する関心は徐々に薄れ、今は、人間が人間らしく幸福に生きていける枠組み、システムなどに深い興味を注いでいます。ビジネスをすればするほど誰かが貧しくなっている気すらします。最近、文化人と呼ばれる人、具体的には、芸術家、大学教授、作家さんなどとお話をする機会が増えているのもそういう理由からかもしれません。人にもよりますが、このような方の視座は高く、全体を俯瞰したり、物事を別角度から分析したり、歴史を百年単位で考える思考をお持ちです。自分もお祭りの企画や運営に携わっている手前、日本古来の歴史や文化について深く考えることが多く、今の世の中に本当に必要なものって何?と考えることが多くなりました。

松田さんは稼いでいるからそんな悠長なことが言えるんですよ、と言われることもありますが、決してセーフティゾーンから物を見ているわけではなく、本当になんとかならんか、と思っているところです。まだ答えは全然見つかっていませんが、とりあえず、これと思うことに心血を注いで行きたいと思います。

高層ビルとホームレースのコントラスト サンフランシスコ,2019年

土地と豊かさと健康

酷暑の西宮を離れ、信州の蓼科高原に滞在しています。
少しは涼しいかなと期待していましたが、信州とはいえ、盆地は盆地、高原は高原、といった感じでしょうか。松本や安曇野は盆地ならでは、日中は猛烈な暑さ。でも朝夕の霧ヶ峰や蓼科高原はさすがの涼しさです。

こちらでの楽しみはなんといっても無農薬の新鮮な野菜がいただけることです。

最近、身の回りで亡くなる人、体調を崩す人、発ガンする人が続出していて(極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、親戚、取引先を含め本当に「続出」しているのです)、自分自身も50歳を手前にしてここ数年は体調が悪かったこともあり、やはり健康を維持するにはどうすればよいかを考えながら、昨年から食生活の見直しを図っています。

わさびでもニンニクでもショウガでも、チューブタイプの購入はやめ、無農薬のものをすりおろして使っています。人気ですぐに売り切れてしまう大王わさび園の採れたてわさび、朝8時のオープンと同時に入園して購入しました。

認知防止、老化防止に効くブルーベリー。
普段はコストコの冷凍ブルーベリーを食べていますが、蓼科にはブルーベリー農家も多く、地元の農家さんに連絡して、3kg収穫させていただきました。時々つまみ食いしながら、です。

こちらは9時にオープンする蓼科自由農園。

開店前から大勢の人で賑わっています。新鮮で人気のある野菜は早いものがちです。今はトウモロコシの季節です。8本購入しました。その他、夏大根、きゅうり、トマト、にんにく、みょうが、キャベツ・・・あっという間に車のトランクがいっぱいになりました。

最近、自然農をされている方と知り合う機会が多く、いろんなことを教えていただいています。自分も今は無農薬玄米、発酵食品、無添加無着色のものばかり選んで食べています。自宅では、梅干しと発酵ショウガを手作りし、にがり、酢、クエン酸、重曹などを積極的に接種。おかげで見違えるほど元気になりました。

よく考えると、便利さと効率の良さを追求したがゆえの、添加物まみれの食生活がいかに身体を蝕んでいたか、ですよね。寿命は延びたかもしれませんが、健康寿命はどうなのでしょう。認知症の増加や病気などで下の世代が高齢の親の介護を余儀なくされています。

興味深いことに、僕の祖母の世代は介護をした経験がないのです。せいぜい高齢の親の食事の世話くらいで、介護なんてしたことなかったと聞きました。そもそも寿命が短かったというのもあるし、自然死していたからなのでしょうか。今の世代は親の介護が絶対に必要でしょう。なぜなんでしょう。複合的な要素が複雑に絡み合っていますが、じっくり考えてみたいと思います

自分も、母、祖母と看取ってきた経験から、今は良くても、将来、子どもや周りの人に迷惑をかけないよう(かけても最低限で済むよう)、健康に十分意識した生活をしたいと思うし、こういうところに来ると、人間が生きていく場所はこういうところなんだよな〜と実感するのです。古来の日本人の知恵を大切に、現代風にアレンジする。

改たな目標ができたので、10年計画で準備を進めていきたいと思います。