【Vol.1】 一つのことを長く続けることには、どんな意味があるのだろう

(心で見た景色を言葉にしよう 〜 辺境のソーシャルTips 第一回目)

「ないものねだり」という言葉がある。

自分も良い特質を持っているのに、別のある人が持つ特質をうらやましく思うことだが、どちらかというと器用貧乏な僕も、他に出来ることはなくても何か一つのことにとても秀でている人、深く掘り進めている人を見るにつれ、とてもうらやましく思うことがある。中途半端に器用なのは、何も持っていないのと同じだと考えているからだ。そんな折、ある人から松田さんは何でも出来て羨ましいと言われた(もちろん何でもできる訳はないのだが、少なくともその人の目にはそう映っているらしい)。逆に僕は一つのことに特筆した才能を発揮しているその人を見て、同じことを思っていたところなので、これこそが「ないものねだり」だなと実感したところだったのだ。

いずれにしても、僕の目からみて何か一つのことを愚直にまっすぐに追求している人はとても魅力的だ。それは「自分はこれをやるぞ」と、何かの原石を見つけてそれを一生懸命に磨いていこうという決意の表れでもあるし、苦もなく出来ることが才能と言えるのであれば、その人は、その才能を発揮できる仕事に巡り合った幸運な人だと思うから。

さて、話を戻したいと思う。

一つのことを長く続けることには、どんな意味があるのだろう。

物事には様々な側面があり、それぞれ一長一短があるものだが、今回はこのテーマについて考えてみたい。

例えば、同じ会社で長く働き、同じ仕事を長く続けている人がいる。同じ会社で働き続けることのメリットは、その職務に熟練できることに加え、取引先と長い関係性を保つことができるということだ。この長い関係性というのは実はビジネスの世界では一定の意味を持つ。新卒で入社した会社に10年、20年もいると(その会社がずっと存続していればの話であるが)取引先とも仲良くなり、共に成長していくことができる。その人が積極的で色んなところに顔を出すような人であれば、共通の業界にいる人たちと大体知り合いになり、いろんなネットワークを生かして仕事の幅を広げることもできるし、初めて会った人とでも共通の知り合いが見つかってその人の話で盛り上がることができるのもなかなか楽しい。

しかし、経済的、精神的安定性を優先させて他の選択肢と比較した結果その会社にいるか、それとも、本当にその仕事、会社が好きかどうかで、その意味は大きく異る。前者を目的としているのであれば、いわゆるただの「ぶらさがり」であり、その人は先ほどのネットワークを活かした仕事や人脈の拡張などを求めることはできない。同じ長く勤めるにしても、その動機は後者である方が結果は大きく変わるのではないだろうか。

2つ目は、自分の専門性を深めることが出来るということである。先ほどのメリットと相反するかもしれないが、専門性を持っているとジョブホッピングができる。自分の腕一本で色んな会社を渡り歩くことができるし、独立をしようと思えば、いつでも独立することができる。

シリコンバレーに長年住んでいる友人のMさん(僕は彼の大ファンです)は、元大手電機メーカーのエンジニアで、今はサンノゼでフリーのエンジニアをしながら、日本からの大学生を迎え入れてテックキャンプを開催したりしている。彼は生粋のインディビデュアル(個人)だ。自分が作りたいものを作って売り、オーダーが入れば、開発の受託も行う。平時であろうが、今回のコロナ禍のように都市がロックダウンしようが、自宅で電子回路を描き、プリント基板を設計し、基板に部品を半田付けしてモジュールを作る。世の中にどんな変化があろうと、やっていることは変わらないのだ。

シリコンバレーにはこのようなエンジニアがたくさんいる。たとえば自分は電気エンジニアで、何かの製品を作りたいと思って、メカニカル・エンジニアを探すとする。そのような専門性を持った人は企業の中にいて表目には分からないものだが、それが、ここシリコンバレーではコワーキングスペースやミートアップですぐに会える。みんな会社の看板を背負ってではなく、一人のインディビデュアルとして様々な場所に出掛けるのだ。とにかく、周りの目を気にせず自分がしたいことを黙々とやっている人間の総数と分野の幅がすごいのである。

Mさんはいつも「技術と技術の交差点がイノベーション」とおっしゃっているが、何か一つのことを愚直に長く続けている人と、別の何かを続けている人がぶつかったところに新しいモノが生まれるというのは、とても面白いし、なんだかいいなあと思う。なぜなら、ただでさえ情報量が多いこの時代に、溢れるハウツーやノウハウに消化不良を起こすくらいであれば、自分が打ち込めることだけに集中すればいいし、そういう「ギーク」な人同士が出会うことで無数のイノベーションの種が生まれるからだ。

もちろん、これはテックに偏った話ではない。どんな分野でも「これ」というものを見つけてそれを続ける人には「専門性」が与えられ、その専門性をして、その人のプレゼンス(存在)が生まれ、社会に貢献をし、その人のパフォーマンスによって救われる人がたくさん出てくるのである。

もちろん、いますぐ「これ」というものが見つからない場合もある。というより、ほとんどの人が、自分が何をしたいのか、何を続けたいのか分からないのではないだろうか。その場合は「探し続ける」ことを続ければいい。やってみて面白くなければ撤退し、また新しいことを始めればいい。これはスティーブ・ジョブズのあの有名なスタンフォード大学の卒業スピーチ「keep Looking, Don’t settle.(探し続けるんだ、諦めちゃいけない)」のメッセージに通じる。

重要なのは、諦めないこと、思考を停止させないこと。考えること、探し続けることをやめないこと。

一つのことを長く続けること、愚直に掘り進めることは一見地味に思うかもしれないが、実は探し続けて、見つけたものを大切に育てた人だけに与えられたギフトのようなものなのかもしれない。