社会的「林」の中で生きる

仕事柄、今後のキャリアについて相談されることが多くあります。

「今後」と言っても、その人が何歳なのかによって随分見え方が変わるものですが、自分自身が一般社団法人 白秋共同研究所 の理事をしていることもあり、シニア世代、または予備軍(特に40代)の方々からの相談が多く、この世代は特に「今後」を強く意識しておられる方々が多くいらっしゃいます。ポジティブというよりは、どちらかというとネガティブに将来を見ておられるように感じますが、結論からいうと、実は50歳からが人生の黄金期だそうで、いやこれ、事実であれば人生の後半戦を迎えるのが非常に楽しみなわけです。

このブログでも何度か書いていますが、世界では人生を4つに分けて考えることが多いようです。

中国では、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」としていますし、古代インドでは、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という考え方があります。最近よく耳にする「人生100年時代」に当てはめて考えると、それぞれ、0〜25歳、25歳〜50歳、50歳〜75歳、75歳〜100歳と区分できるかもしれません。

老いの工学研究所によると、インドの四住期において「林住期」が人生最高の期間とされるようです。

●「学生期(がくしょうき)」
 まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。

●「家住期(かじゅうき)」
仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。

●「林住期(りんじゅうき)」
世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。

●「遊行期(ゆぎょうき)」
人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤。

この中で、「林住期」が人生最高の期間とされるようです。

学生期、家住期、林住期、遊行期(インドの四住期)【高齢期に関わる用語集】https://www.highness-co.jp/churakubou/detail/215

林住期の「自分らしく自由に、人間らしく生きる時期」とはどういう意味なのでしょうね。この時期は自分の夢を実現し、必要からではなく興味によって何事かをする時期と作家の五木寛之さんは書いておられます。

振り返ってみると、自分も20代から40代半ばまで一生懸命働き(家族を養い、子どもを育て、経験を積むという必要性があったと思います)、46歳で興味によって何事かをする時期にシフトしたように思います。

具体的には、会社勤めを辞めて若手や後進にバトンタッチをし、フリーに身軽に働けるようにして、自分の会社で収益を上げつつも、関心が向く方に多くのリソースを割けるようになりました。「関心が向く方」と「ビジネス」は両立しない場合が多く、自分の場合は複数ある社団法人の活動やコミュニティ運営、地域活性、シニアキャリア、神社のお祭りなどは収益とはほど遠い場所にあります。むしろ、持ち出しの方が圧倒的に多いかもしれません。でも、これらの活動に注力できているのは25年間の「家住期」があったからなんですよね。

「林」という表現が面白いな〜と思います。街ではなく、林。憩いの場所、落ち着く場所、静かな場所、里山のようなイメージ。でも街から遠くは離れていない。家住期の人たちに混じってがんばるのではなく、少しだけ距離を置いて興味関心に向き合う。なにかあれば、街の人たちを手伝ってあげる。

こう考えると、家住期にどれだけがんばれるかがとても大切なのかもしれません。20代〜30代の方、急がず焦らず、楽しみながら泥臭くがんばりましょう。どのみち急いでも何者にもなれませんから(笑)、安心して目の前のことをひとつづつね。

と、前置きが長くなりましたが、こういったことってなかなか一人で出来るものでもありません。相談できる場所や仲間も必要です。そこで、白秋共同研究所では、「White Club(ホワイトクラブ)」というサロン型のコミュニティで、月に一回、神戸のカフェ・テイストなコワーキングスペース「Sowelu」に集まり、ワイワイガヤガヤと様々な話や情報交換をしています。

今日書いたような情報は、月に二回メルマガとして「白秋世代エンジョイニスト」であり、合同会社アーベント代表の吉川公二さんにコラムを書いていただき、発信しています。

このホワイトクラブですが、実は誰でも参加できます。原則、毎月第四水曜日の18:30に、10人ほどで集まって、ゲストスピーカーの身の上話を30分聴き、その後は乾杯スタート。王子公園のグルメをケータリングでいただきながら、みんなで最近あった出来事や関心事などを話しています。こちら、興味がある方はお気軽にゆるっとご参加ください。会場代、飲食代を入れて 3,000円です。

既に林住期を迎えている方でなくても、家住期の現役の方、30代の方なんかは今後のキャリアの参考になるとも思います。ほんといろんな人がいて面白いですよ。

あと、「林住期の面白い方」も常に探しています。僕の方からゲストスピーカーとして急にお声を掛けるかもしれませんので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。笑

WEBサイトはこちらから
https://hakushu-lab.com/whiteclub.html

伊勢紀行〜旅する皇女の足跡を訪ねて

先週末、一般社団法人グローバル人事塾の合宿で伊勢に行ってきました。

集合時間は伊勢市駅に朝11時だったのですが、どうしても、早朝の凛とした空気に満たされた、人のいない内宮を参拝したく、朝3時に起きて車を走らせました。本来であれば外宮→内宮のルートが一般的なのですが、皆と合流した後に再度、外宮→内宮をお参りする予定だったのでフライングさせていただいたのです。

早朝の内宮参道
宇治橋鳥居と宇治橋

今回の旅では、神宮以外にも、別宮や猿田彦神社、二見興玉神社などを巡りました。
特に、別宮である瀧原宮、伊雑宮は絶対に行きたかったお宮です。

伊勢神宮はおよそ2000年前に第11代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)により創建されました。

それまで、宮中で祀られていた皇祖神・天照大神を、天下泰平・安寧のために宮廷の外で祀るという新しい形を求めた大和王朝の第10代崇神天皇と、天照大神の祭祀を司った皇女である豊鋤入姫の意思を継いだ第11代垂仁天皇は、娘である倭姫命に天照大神の祭祀を託します。倭姫命は天照大神の御杖となり、新たにお祀りする場所を求めて、現在の奈良県桜井市を出発し、40年の歳月をかけて、伊賀、近江、美濃を経て、現在の内宮がある五十鈴川の上流に行き着いたと言われています。

そのため、伊勢では至るところに「天照大神と共に旅する皇女」である倭姫命の史跡があります。

磯宮(二見興玉神社)の夫婦岩

日本の統一と安寧を求め、大和から伊勢へと旅され、瀧原宮と神宮を創建された倭姫命。甥っ子である日本武尊(やまとたける)に草薙の剣を授け、東征に出したのは有名な話です。その日本武尊は西にも東にも出征し、やがて国を統一しました。
(一般財団法人 京都宮廷文化研究所「倭姫命と日本武尊の歴史的役割」参照)

倭姫命が創建されたもう一つの神宮、瀧原宮は、瀧原宮と瀧原竝宮が並列になっています。

瀧原宮

これが本来の伊勢神宮の形であると言われており(瀧原宮の由緒書きにも記載されています)、現在の内宮の正宮と荒祭宮の位置関係も、元は横並びであったとされています。

また、現在の伊雑宮の御祭神は「天照坐皇大御神御魂」となっていますが、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀っていました。伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書においては、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれ、同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」と記載されており、玉柱屋姫命と瀬織津姫は同一神と見なされているようです。(Wikipedia 伊雑宮 参照)

伊雑宮

天照大神の御杖となって旅をされた倭姫命は、天照大神と瀬織津姫の御夫婦を並列に祀られたということなのでしょう。

天照大神は一般的には女神と解釈されていますが、実際は男神であり、そのお后が瀬織津姫であった。この夫婦の関係が、世の中のバランスを取っていたと考えられています。太古の昔から、太陽と月、陰と陽、男と女、夫と妻、潮の満ち引き、など、陰陽のバランス、調和、和合が日本の歴史・文化そのものであり、このバランスが崩れた時に戦や争い、現代では分断や格差が生じているものと思います。

伊勢(いせ)の語源は、妹(いも)と背(せ、または、おせ)と言われています。「いもおせ」とは、男女、陰陽を表しています。性差による作りの違いを理解し、それぞれの役割を担うこと。これが重要なんでしょうね。

今回の旅で、自らの使命を受け入れて神宮創建に尽力された倭姫命の功績に触れることができました。

それが2000年経つ今でも受け継がれ、残されている。自分に何ができるか分かりませんが、今この時代を生きている人間の努めとして、自分だけが良ければいい、とか、自己実現とか、そういう目先のことだけでなく、受け継がれてきたものを引き継ぎ、また、自分の子や孫の世代にバトンを渡していく。

それが努めなんだろうと思います。今自分たちが生きている日本は、先祖が必死で守ろうとした日本の未来ですね。

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瀧原宮、内宮と荒祭宮については、Youtubeの「トの教えチャンネル」で、六甲比命講代表であり、関西ホツマの会代表の大江先生(林先生)が詳しく解説されているので、興味のある方はぜひ。

「瀧原宮は伊勢神宮の真の姿」(トの教えチャンネル)

「伊勢神宮総集編」

「変わらないもの」に対する関心が深くなっている理由

自分自身の興味関心が変化していることを実感しています。
具体的には「変わらないもの」に対する関心がどんどん深くなっている、という感じでしょうか。

世の中には、変わるものと変わらないものがあります。
経済や政治の仕組みや技術は時代によって変わるもの、人の暮らしを支える農業や漁業、お祭りなどは変わらないものと定義することができるかもしれません。

数百年、数千年と続いてきた営みは文化と呼べますし、その文化というのは、いつの時代も人が「生きる」ということと密接に関係しています。生きていく上で必要なのは、水、空気、食べ物です。神社などに行くと、太陽や水や土それぞれに神が宿っていて、五穀豊穣を願い、実りに感謝することがお祭りという形になっていることが分かります。一方、寺は人々が強く生きていく上で大切な心を鍛える修行の場であり、救いの場と捉えることもできるかもしれません。

生きていく上で最も重要な水、空気、食物ですが、特に食べ物について、最近特に気にするようにしています。前回のブログでも書きましたが、医療が発達して平均寿命が延びたにもかかわらず、ガンや認知症などの増加で健康寿命は思うほど延びていない、働き盛りの子が親の介護をしなければならない(僕の祖父母世代は親の介護なんて経験したことがなかった)などの状況を見ていると、これは果たして技術が進歩したといえるのか?と思うのです。誰もが望む「ピンピンコロリ」ですが、それも思うようにいかず、結局は人の世話になってしまうという現状もあります。

貧困と肥満率の相関関係を見ても分かるとおり、今の世の中で健康に生きようと思うと、お金と時間が必要です。なんでなんでしょうね。人は仕事に追われ、時間がないのでコンビニやファーストフードなどで添加物や糖質の多い食事をしてとりあえず腹を満たし、健康を害し、病院に行き、医療費や保険のためにまた働くという悪循環を繰り返しています(かつての自分がそうでした)。アメリカでオーガニックな野菜を手に入れようと思うと、高級スーパーに行かなければ手に入りませんし、高額です。庶民にはとても手が届きません。

そのような現状を解決するために、経済成長や技術革新や医療の進歩がなにか寄与してきたか?と思うと、僕の中では答えが見い出せず、ただ格差を生んだだけではないのか?と思うのです(経済成長や技術を否定するものではありません)。

食や病気だけでなく、戦争や暴力、搾取がいつまで経ってもなくならないのも同じですけど。

そういうわけで、自分は「ビジネス」に対する関心は徐々に薄れ、今は、人間が人間らしく幸福に生きていける枠組み、システムなどに深い興味を注いでいます。ビジネスをすればするほど誰かが貧しくなっている気すらします。最近、文化人と呼ばれる人、具体的には、芸術家、大学教授、作家さんなどとお話をする機会が増えているのもそういう理由からかもしれません。人にもよりますが、このような方の視座は高く、全体を俯瞰したり、物事を別角度から分析したり、歴史を百年単位で考える思考をお持ちです。自分もお祭りの企画や運営に携わっている手前、日本古来の歴史や文化について深く考えることが多く、今の世の中に本当に必要なものって何?と考えることが多くなりました。

松田さんは稼いでいるからそんな悠長なことが言えるんですよ、と言われることもありますが、決してセーフティゾーンから物を見ているわけではなく、本当になんとかならんか、と思っているところです。まだ答えは全然見つかっていませんが、とりあえず、これと思うことに心血を注いで行きたいと思います。

高層ビルとホームレースのコントラスト サンフランシスコ,2019年

土地と豊かさと健康

酷暑の西宮を離れ、信州の蓼科高原に滞在しています。
少しは涼しいかなと期待していましたが、信州とはいえ、盆地は盆地、高原は高原、といった感じでしょうか。松本や安曇野は盆地ならでは、日中は猛烈な暑さ。でも朝夕の霧ヶ峰や蓼科高原はさすがの涼しさです。

こちらでの楽しみはなんといっても無農薬の新鮮な野菜がいただけることです。

最近、身の回りで亡くなる人、体調を崩す人、発ガンする人が続出していて(極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、親戚、取引先を含め本当に「続出」しているのです)、自分自身も50歳を手前にしてここ数年は体調が悪かったこともあり、やはり健康を維持するにはどうすればよいかを考えながら、昨年から食生活の見直しを図っています。

わさびでもニンニクでもショウガでも、チューブタイプの購入はやめ、無農薬のものをすりおろして使っています。人気ですぐに売り切れてしまう大王わさび園の採れたてわさび、朝8時のオープンと同時に入園して購入しました。

認知防止、老化防止に効くブルーベリー。
普段はコストコの冷凍ブルーベリーを食べていますが、蓼科にはブルーベリー農家も多く、地元の農家さんに連絡して、3kg収穫させていただきました。時々つまみ食いしながら、です。

こちらは9時にオープンする蓼科自由農園。

開店前から大勢の人で賑わっています。新鮮で人気のある野菜は早いものがちです。今はトウモロコシの季節です。8本購入しました。その他、夏大根、きゅうり、トマト、にんにく、みょうが、キャベツ・・・あっという間に車のトランクがいっぱいになりました。

最近、自然農をされている方と知り合う機会が多く、いろんなことを教えていただいています。自分も今は無農薬玄米、発酵食品、無添加無着色のものばかり選んで食べています。自宅では、梅干しと発酵ショウガを手作りし、にがり、酢、クエン酸、重曹などを積極的に接種。おかげで見違えるほど元気になりました。

よく考えると、便利さと効率の良さを追求したがゆえの、添加物まみれの食生活がいかに身体を蝕んでいたか、ですよね。寿命は延びたかもしれませんが、健康寿命はどうなのでしょう。認知症の増加や病気などで下の世代が高齢の親の介護を余儀なくされています。

興味深いことに、僕の祖母の世代は介護をした経験がないのです。せいぜい高齢の親の食事の世話くらいで、介護なんてしたことなかったと聞きました。そもそも寿命が短かったというのもあるし、自然死していたからなのでしょうか。今の世代は親の介護が絶対に必要でしょう。なぜなんでしょう。複合的な要素が複雑に絡み合っていますが、じっくり考えてみたいと思います

自分も、母、祖母と看取ってきた経験から、今は良くても、将来、子どもや周りの人に迷惑をかけないよう(かけても最低限で済むよう)、健康に十分意識した生活をしたいと思うし、こういうところに来ると、人間が生きていく場所はこういうところなんだよな〜と実感するのです。古来の日本人の知恵を大切に、現代風にアレンジする。

改たな目標ができたので、10年計画で準備を進めていきたいと思います。



旅雑誌や機内誌のコラムを地で行くような楽しみ方

夏ってイベントが多い季節ですよね。
毎週のように暑気払いや会合など、仲間たちと集まる機会が多く楽しく過ごしています。

飛脚まらそん大会運営チームの決起集会、社団法人主催のシニアコミュニティの会合、ランニングコミュニティの10周年、所属ゴルフクラブの有志飲み会、三重県ゴルフ合宿・・・毎日のように行事ごとがあり、色んな意味でアツい。皆さん元気で何よりです。

先日のブログで、コミュニティは空気のようなもの、と書きました。
「新しい文化を作る」2024年7月26日

様々なコミュニティに属していると感じるのですが、誰もが「ここが心地良い」と思って集っている人の集団なので、やはり根底に、価値観や文化の共通の土台のようなものが横たわっています。先日、そんなコミュニティのある人と、関西エルマガジン社が発行するMeets Regionalの話題で盛り上がりました。

僕はMeetsを20年前くらいに熟読していて、江編集長や内田樹先生、中場利一さん、バッキーイノウエさん、ひさうちみちおさんなど、ちょっと斜めな人たちが書くコラムが大好きでした。街場の◯◯考として、下町や地域に根ざす店などを一風変わった角度で考察したり、時事ネタを面白く扱ったり、とにかく毎号楽しく読んでいたのです。街を知り尽くした賢くカッコいい大人たちに憧れたものです。少しアカデミックな視点が入っているところもあり、読むと賢くなれたような気もしました。

久しぶりに、当時のMeetsがどれだけ面白かったか(もちろん、今でも面白いと思いますが)を共通言語で語れる人がいたのが嬉しかった!そんな話で盛り上がりながら、僕はその頃から地域の小さな経済圏や、文化や、郷土史が好きだったんだな、と再確認できたのも収穫でした。

今、各地の神社仏閣めぐりをしながら、その土地の歴史や文化を学び、地域の産物に舌鼓をうち、道の駅で買い物をして帰るような旅を趣味のようにしていますが、そのルーツは、Meetsにあったのかもしれません。紙媒体や活字が好きなのも昔から。こんなことを書いていたら、図書館に行きたくなってきました。

旅先での街歩き、小料理屋での店主や女将さん、地域の常連さんとの会話。
惹かれるままに、思いのままに。旅行雑誌や機内誌のコラムを地で行くような楽しみを、これからも続けて行きたいと思います。

さて、告知です。
お手伝いしている「服部足祭り」ですが、この度、7月28日(なにわの日)に開催された「第24回 なにわ大賞」の「大賞」を受賞しました!「なにわのいちびりさん」に与えられる歴史ある栄誉ある賞をいただけたこと、関係企業、運営スタッフ、ボランティアの皆さんと一緒に喜びを分かち合えたことが本当に嬉しいです。
そして、8名の審査員の方々が、カッコいい大人の方々なのでした。

服部足祭り、今年は10月5日、6日に開催されます。
ぜひ、遊びにきてくださいね。

新しい文化をつくる

人の「想い」に触れることが多い今日この頃です。
様々なプロジェクトに携わらせていただく中で、決して派手だったり、目立つわけではないけれど、心の内に秘めた温かさや思いやりをじんわりと感じることができるのは、本当に幸せです。

類は友を呼ぶといいますが、自分が持っている価値観、物事の捉え方、人への接し方、人生に対する考え方などに近しい方々が自然に集まります(不思議なんですけどね)

コミュニティにおけるこのような循環がオートマティックにまわり始めると、集まる人々が醸し出す温かさ、優しさ、思いやりが大気のようにコミュニティを包み、その空気を吸うことが心地良いと感じる人々が集団を形成していくんですよね。僕は優しく、温かく、誰も攻撃したり排除したりしないコミュニティが大好きです。日本の「和合」という文化を大切にしています。

取り決めもルールもなく、目に見えない不文律がゆるやかに包む。同調圧力でも、押し付けでもなく、出入り自由。みなさん、どうぞご自由に。シンプルに、その場の空気が心地良いと思う人々が集団を形成しているんです。

そんなコミュニティから生まれたイベントのひとつが「飛脚まらそん」です。

江戸時代において、飛脚は手紙や書という形で人々の想いを運びました。親が子を、子が親を想う気持ち、愛する人を想う気持ち。少しでも早く、想いを伝えたい。

自分も15年のキャリアを持つランナーなので、多くのランナーさんを見てきました。距離やタイムを追い続けるのも尊いことですが、自分のように体調を崩したり、故障したりして以前のように走れなくなってしまった人、SNSのキラキラ投稿ばかりがタイムラインに流れてきて、他の人と自分とを比べてしまい、走ることの楽しさを見失ってしまった人、参加費の高騰で都市型マラソンに辟易してしまった人。

でも、きっと、走ることは嫌いじゃないんです。
それぞれ、自分と戦いながら、大切な人を想いながら走ることの素晴らしさを知っている。そんな想いを「飛脚」に重ねて走ってみましょう、というのが「飛脚まらそん」です。

距離は、1里(約4km)、5里(約20km)、10里(約40km)の部。
タイム計測はありません。

家族で楽しめるように、親子かけっこ教室もあります。

ちなみに、飛脚まらそん実行委員会は、日本人初6大陸のアドベンチャーレースを走破し、先日もヒマラヤ1700km横断レースを完走された、プロランナー北田雄夫さんを委員長に、全国各地で数々のレースを主催するGRlabさん、「ランナーズ」でおなじみのアールビーズさん、そして足の神様服部天神宮さんが実行委員のメンバーとして名を連ねています。

プロランナーや第一線の実業団ランナーたちが主催しているのに?

なぜ飛脚?

僕はそんな疑問に対して「日本古来の文化を見直し、走ることに対する新しい文化を作りたいから」と、答えています。極限の厳しさを知り、世界を見た人の優しさは本物です。それぞれが自由に新しい文化を楽しんでみませんか?

当日はボランティアスタッフも募集しています。
走る側でも、支える側でも。

ぜひ、一緒に新しい文化を作りましょう。

近況報告〜肩の力を抜きつつ11期目がスタート

7月に入りましたね。毎日暑い日々が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。こちらは色んなことが重なり、非常にバタバタしていました。

近況としては、まず、自社の10期目の決算を6月に迎えました。
今期(いや、7月に入ったから前期ですね)は、おかげさまで過去最高益、前年比300%以上増で着地。顧客、取引先には大変お世話になりました。2022年3月に独立してから、ようやくあるべき形やペースが見えてきたこと、良い評判をいただいて色んなルートから仕事を紹介いただけることになったこと、領域がコンサル、マーケ、採用、事業開発以外にも拡大し、ご支援させていただける企業や団体が増えてきたことで、このような結果になったのだと思います。

ペースという意味では、今でも平日休日関係なしの生活をしています。平日でもゴルフや神社めぐりをしているし、予定のない週末は大好きな図書館やカフェで仕事をしています。会いたい人には会いに行き、行きたいところがあれば行く。時間や場所に拘束されないライフスタイルというのが、僕自身の理想であり、そのために一人でフットワーク良く動けるように環境づくりをしています。

弊社は7月から11期目に入りました(実は独立前の役員時代から二足のわらじを履いています)。ありがたいことに今期も既にたくさんのご相談をいただいています。どんなご相談でも恩返し、恩送りと思ってお受けさせていただいていますのでお気軽にお声がけください。

そして、もう一つ。
6月末に、96歳の祖母が亡くなり、通夜葬儀の喪主として見送りました。

昭和3年生まれ、終戦後に若くして嫁ぎ、数え切れないほどの苦労があったことは容易に想像ができるし、夫(祖父)を22年前に、長女(母)を3年前に亡くして寂しかっただろうけど、認知症もなく、家族親族を大切にし、義理人情に厚く、記憶力抜群の聡明な女性でした。おばあちゃんは僕自身の良い理解者で、いつも僕がすることを心配しつつも応援してくれていました。

親戚やご近所の方が弔問に訪れてくれた際、松田さんは本当に賢い人だった、という言葉を何度も聞きました。「賢い」とはどういう意味なのかを考えていたのですが、恐らく、記憶力が良いこと、勘が良くどんなことでも器用にこなすこと、常に周りの人間のことを考えて一歩二歩先の手を打っておくこと、そんな感じなのかなと思います。

おおよそ100年、ひとつの世紀を生きたわけですから、大往生といわずしてなんというのか。我が家としては一つの時代が終わったな、という感じです。戦前、戦中、戦後を強く逞しく生き抜いた昭和の女性の強さはマネできるとは思っていませんが、僕は僕なりに、受け継いだものを守り、祖母を安心させてあげれたら、と思っています。

今週は東京出張からスタートです。
一週間がんばりましょう。

さあ、これから何して遊ぼう

思えば遠いところまでやってきたなあ、というのが実感です。
このブログは2005年の6月に始め、今月で丸19年を迎え、20年目に入りました。

たかだか20年とはいえ、その間、様々なステージチェンジがありました。0歳だった長女は大学生になり、始めた当時は生まれていなかった次女も高校生になりました。僕自身のキャリアも色々と変化がありました。絶好調の時もあれば、絶不調の時もありました。そのような山谷を乗り越えながら、なんとか生きている。結果的に生きてきた。そんな感じでしょうか。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは、パスカルが「パンセ」の中で書いた言葉と言われています。

この言葉、若い頃は意味が分からず、なんて刹那的な言葉なんだろう、もっと人生には深い意味があるのではないのかと思っていたのですが、今となっては、ああ、人生って確かに死ぬまでの暇つぶしなんだなと素直に共感しています。今生きている人が、それぞれ思い思いに暇つぶしをしている。その手段が仕事であったり、何かの活動であったり、趣味であったり、結婚や子育てであったりするのですよね。「生きがい」というものを見つけ、それぞれがそれぞれの人生をまっとうする。「暇つぶし」とは、時間を無駄にしているような印象を受けますが、時間の使い方と考えると、そういうものだよな、と納得します。

養老孟司先生は、何かのインタビューで「生きることの意味?生まれてきたんだから、生きるしかない」というようなことをおっしゃっていて、腹落ちしたことがあります。生まれてきたからには生きるしかない。そこに意味なんてなく、生まれたからには、死ぬまでどう生きるか、それだけ。というシンプルな答えにたどり着きます。親から受けたバトンを、80年か90年生きて、子や次の世代にバトンを渡して、死ぬ。

その間、自ら問いを立て、その問いにどう答えていくか。
その繰り返しと積み重ねですよね。

仕事柄、人と会うことが多いのですが、色々な人と話をしていると、この人はこういうところで生まれて、このように生きてきたんだ、と、それぞれの今までの人生を想像しています。人それぞれの「暇つぶし」の仕方を聞くのは楽しいですよね。ああ、あなたはこういう方法を選んだんだ、それ、面白そうですね!僕はこんな方法で暇つぶしをしていますよ、というような感覚です。周りの人に寛容になれるし、重たいものを背負う必要もないし、楽しめたらそれでいい、という感覚になり、肩の力が抜けます。

さあ、これから何して遊ぼう。
皆さんの遊びもお聞かせくださいね。

このブログでは、日常生活から日頃考えていることまで幅広く書いていますが、これも一つの暇つぶし。今どきブログも流行りませんが、自分に対する備忘録として、インターネットという海に浮かぶ過疎の島で細々と何かを書いて発信すること、続けられる限りは続けて行きたいと思っています。

20年目もよろしくお願いいたします。

近況1:先週、モデルのお仕事をさせていただいた有馬グランドホテルで
近況2:同じ日の夜、関大梅田キャンパスで「人のこころに寄り添うプロデュース」と題してお話させていただきました。

大人の林間学校 広島〜山口

旅の記録が続きます。
先週末、広島県と山口県に一泊二日でゴルフ合宿に行ってきました。自分が所属しているゴルフクラブの提携コースの一つに、山口県の周南カントリークラブがあり、メンバーの皆さんと一緒に一度回ってみましょう、という企画です。

周南CCは土曜日にラウンドすることが決まっていたので、金曜日は広島県の別のゴルフ場でラウンドすることにしました。初日はAM3:30に集合。車で約3時間30分、まずは広島県三原市の白竜湖カントリークラブへ。

最高の天気です!
調べてみると、かつてはポカリスエットオープン(1982年〜1994年)が開催されていたトーナメントコースのようでした。

この辺りは、祖母の家も近く、車で走っていても馴染みのあるところばかりなので、なんとなくホーム感はあるのですが、ゴルフだけの目的で来るのは新鮮でした。コースは平日なのにまあまあの人。コンペでも開催されていたのかもしれませんね。

ホールアウト後は、本日の宿、山口県岩国市へ。
チェックインまで少し時間があったので、錦帯橋へ行きました。

若い女子たちのマネをして、錦帯橋ポーズ

青い空に美しいアーチが映えますね。
そして、翌日は、周南CCへ。

1966年開場、数々のランキングで上位に入る山口県屈指の名門コース(WEB調べ)だそうです。僕たちのメンバーコースである千刈CCが1965年開場ですから、ほぼ同じ年なんですね。だから提携しているのかも。

ここは、JLPGAステップアップツアーの「山口周南レディースカップ」」が開催されているとのことで、クラブハウスには選手のサインがずらり。

木々でセパレートされた庭園のようなコース。

コース内には、巨石もありました。古代の祭祀が行われていた磐座かな?と一瞬思いましたが、マグマが固まったものが長い年月をかけて表層に押し上げれたのだそう。巨石好きとしてはたまりません。

前の週から出張が続き、今回の合宿もなかなかのハードスケジュールでしたが、やっぱり楽しい。一昨年の富士CC、伊豆大仁CC、そして昨年の三重県ココパリゾートに続く、提携コースを巡る旅。

大人の林間学校でしっかりリフレッシュできたので、また今週からがんばりたいと思います。

ご一緒いただいた皆様、ありがとうございました!
(腰痛が悪化しているのでしっかり治さなきゃ・・・)

6月といえば

6月といえば、梅雨。梅雨といえば、紫陽花ですね。
あちらこちらで紫陽花が咲き始めていますが、先日、関西では「花寺」として有名な、奈良県の長谷寺に行ってきました。西国三十三所の第八番のお寺です。

まずは門前町で腹ごしらえ。
このあたりは三輪素麺で有名なところですので、どのお店でも素麺や柿の葉寿司などを楽しむことができます。

お会計の時に、お店の奥さんから「紫陽花はまだ三分咲きくらいかな」と教えていただいたのですが、実際、地植えの紫陽花はまだまだ。でも、鉢植えの紫陽花は満開でした!
 
たくさん人がいるので、人が入らないように撮影するのは至難の業です。

奇跡的瞬間!人がいない!
長谷寺といえば、登廊ですよね

慌ただしく過ぎていく日々の中で、季節を感じながら生活することを心がけています。自分たちは自然の中で生かされているのだという実感を得ることができるからです。花ってすごいですよね。その季節になったら花を咲かせるのですから。

自宅の温室では、カトレアが咲いています。
庭の梅の収穫も終わったので、これからは梅干しづくり。

日々コツコツと。