選択する力

3月に入り、寒暖の差が激しいことに加え、毎年3月からGWにかけては体調を大きく崩す時期ということもあり、いよいよ今年も本格的にやばい季節がスタートしたという感じです。

東西を仕事で行き来しながら、その合間に神社めぐりやゴルフ、ランチめぐりなどをしているのですが、体調がいつどうなるか分からず、なかなか先の予定も立てにくいところに身内の入院なども重なり、スケジュールをかなり調整させていただくことになりました。各方面、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

さて、いよいよ世の中も混沌としてきた感がありますが、経済面では株価が40,000円を突破して過去最高を更新した瞬間、また38,000円台に戻るという面白いことになっています。さらにここへ来て、時期尚早ともいえるマイナス金利政策解除のニュースもあり、今後株価は更に調整局面を迎えるでしょう。米国株も一旦頭打ち、新興国のドル離れもあり、上昇機運に乗っかってジャンピングキャッチしてしまった方、新NISAをスタートした方は、少ししんどい一年になるかもしれません。

いつも思うのですが、「こうすれば大丈夫」というテンプレートが何もない世の中において、マスコミや有識者、人の言うことはあてにできず、自分の身は自分で守るということがより求められています。攻略難度が年々高くなっているRPGの主人公のように、自分の選択を自分で信じるしかない。そのために「選択する力」をどう養うか。これに尽きるわけです。

マズローは、選択には、成長の選択と、退行の選択の二種類があると説いています。

成長の選択 = 自己実現に近づくけれども、当面、苦労する選択肢


退行の選択 = 自己実現からは遠ざかるけれども、当面、楽な選択肢

退行の選択は、安全や依存と結び付けられることもあります。セーフティゾーンから出たくないというのは、安全への欲求の裏返しだし、当面楽な選択ですが、それは自己実現から遠のいていくことになるかもしれません。人間として生きている以上、将来後悔しないために、一歩踏み出す勇気が求められるということです。

また、その選択をするためには、やはり物事の本質を見る力と抽象化能力が求められると思っています。抽象化能力って、意外と歴史を学ぶことで培われるものだと思っているのですが、それは、歴史を学べば、人間は同じことを繰り返しているだけだということが分かるからなんですね。

貧しい時代は子がたくさん生まれ(その代わり平均寿命も短い)きれいなピラミッド型の人口構成図になります。産めや増やせやで、経済が発展します。そしてある程度豊かになると出生率は低下して、高齢化が進み、人口は減少します。どんな王朝も政治形態も、成長期、安定期、衰退期を繰り返してきました。

人間が人間である以上、これが正解というのはない。そもそも、自然災害や戦争や食糧危機のリスクも含めて、いつどうなるか分からない時代にセーフティーゾーンはどこにも存在しないので、結局は「成長の選択」をしなければならないことになるんですよね。
どうせやるなら、思い切って。


選択する力、自分で自問自答する毎日です。
ビジネスの順調さとは裏腹に、いかんせん身体が思うように言うことを聞いてくれないこともあり、日々もどかしい思いをしている中で、選択する力について考えながら、自らを奮い立たせている今日この頃です。

調査結果:70歳以降働く人、最多の39%を受けて

2月中旬の日経新聞のトップに「70歳以降働く 最多39%」という記事が出ました。

将来に対する不安については「生活資金など経済面」が7割で、健康面の不安を上回ったということです。高齢になっても働く意思を持つということは素晴らしいですが、その理由が「経済的な問題」というのも、いかにも日本の状況を表しているといえます。

もっとも、自分の周りには気持ちも若く、経済的な事情というよりは、社会に貢献したい!という気持ちで定年を超えてもいきいきと働いている方もたくさん知っています。

人生100年時代。寿命が伸びたは良いが、普通にサラリーマンをしていると55歳をピークに給料は下がり、60歳で定年を迎え、雇用延長して働けたとしても65歳まで。定年引き上げで70歳まで働けたとしても、そこから15年、20年をどうしていくか。子供がいてもいなくても、自分の生活は自分でなんとかしていかなくてはならない。年金だけでは足りないし、いつまで貰えるかどうかも分からない。日本社会はシュリンクするのが見えているので、これから先が不安・・・というのが数字に出ているのでしょう。

仕事につけるかつけないかは、需要と供給に依存しますが、シニアになると転職や再就職がしにくいのも現実です。最近はリスキル、リカレント教育など、学び直しがフォーカスされることも多いですが、何を学べば良いのかと相談を受けることがあります。
新卒で入社した企業でずっと生きてきて、50を過ぎて何か新しいことを初めようとすることには高いハードルがありますし、プログラミングやコーディングの勉強を今からやるには遅すぎる。独立起業を考えても、人を雇うお金もない、サービスを開発したいけど元手がない、というのもよく聞きます。

生成AIが一般の人にも広く知られるようになってきました。

今では、普通に使いこなしている人も多くいます。実際、僕自身も議事録や提案書の草案はGPTにしてもらって、内容を確認してちょこちょこと手入れをしたり、データを放り込んで分析してもらったり、色々と活用しています。仕事の相談相手にもなってくれますしね。

このようなライトな使い方だけでなく、自分のスタッフのように使いこなすことができるのがAI時代なんですよね。なので、今後は転職や起業に、生成AIを使いこなすことが必須になると思います。変に興味が持てない、興味が沸かないことをやるより、生成AIのプロンプトを学んだほうがいいと個人的に思っています。ほんと、何でもできます。

でも、実際、何から着手して良いか分かりませんよね。自分が少しお手伝いさせてもらっている自然言語解析ベンチャーの新サービスをご紹介します。初心者でもChatGPTを使いこなせるようになる、実践型のeラーニング教材です。もし興味がある方はぜひご覧ください。

「習うより慣れよ ChatGPT初級実践講座」
https://www.cade-ai.com/onlinelesson

【活用例】
企業の社員研修
ミドル・シニア向けの研修プログラム
現場で生成AIを使用して業務効率を向上したい個人の方
セカンドキャリアを見据え、今から生成AIを使いこなして起業や転職に活かしたい方

これからの仕事は、ポータブルスキルに加えて、生成AIと友達になること、この2つがキーワードですね。

それにしても、予測しにくい世の中になってきました。もうほんと難しい。
でも、明るい未来が来るのを待つのではなく、自分たちで作っていかなければならない。前向きに、考えていきたいものです。

空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか

鈍ってきたなと思うことが多々あります。
頭の回転も、体力も、気力も。

年齢の問題もあるかもしれませんが、色んな意味で満たされてきたのかもしれません。若い頃は足りないことばかりで、自分に対しても、周りに対しても「もっとこうしたい」「もっとこうあるべき」という気持ちが強く、その満たされない思い(ハングリー精神)から、色々な考えを発信し、遅くまで飲みながら仲間たちと話し込み、仕事もプライベートも、睡眠時間を削りながらがむしゃらにがんばってきたと思うのです。

ところが、人生経験もある程度積んできて(「ある程度」というところがポイントです)、経済的にも社会的にも満たされつつも、一方で、なんとなく社会や経済の仕組み、金儲けの仕方、組織や人の在り方と限界、理想と現実の間に存在するギャップ、長い歴史から見る人間の営みと愚かさ、栄枯盛衰などについて理解してくると、まあ、こんなもんかなと、すべてを受け入れられるようになってくる。

良い意味でいうと、角が取れてくる。
角が取れると、自分に出来ることと出来ないことがはっきり分かるし、出来ないことは素直に「出来ない」と認めて、出来る人に任せれるようになるし、出来る人が羨ましいとも思わなくなる。逆に、出来ないことはどんどん手放し、ストレスフルな環境から離れ、人生の最適化を行うようになるんですよね。

これって、とてもストレスフリーなんです。ある意味とっても幸せな状態。でも角がないので、全部受け入れられる状態になり、色々な意味で鈍ってくるのと、生き物として「弱い」んです。満腹状態の動物って、空腹の動物と喧嘩したら負けるのは明らかなのですから。腹が減っては戦はできぬ、ではなく、腹が減っているから戦をする、なんでしょうね。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれている人々のように、明治維新で国家が誕生し、ちょんまげだった民衆や畑仕事をしていた農民が、慣れない「国民」となり、無理やり近代化を急速に推し進めていきながら日露戦争に勝利したのは飽くなきハングリー精神の賜物だし、戦後の焼け野原から高度成長期を経て世界第二位の経済大国になったのも「腹いっぱい食いたい」との思いからだったに違いありません。でも一旦満たされると、あとは衰退の一途をたどってしまう。諸行無常、栄枯盛衰ですね。

人間、ある程度「腹が減っている」状態の方がいい。がんばれる。

不条理に対して「なんでやねん」と食って掛かるくらいの気持ちをいかに持ち続けることができるか。実力も結果も全然伴っていない若者が「こうあるべき」「こうしたら成功する」と発信しているのを見て、いや何も分かってないな〜とは全然思わないんです。満たされていないことは、強さだ。

じゃあ、自分はどうなのか。何に対してアツくなれるのか。今年はどういうテーマでがんばろうかと思っていましたが、アツくなれるものを探すのが一つのテーマになりそうです。

ここはかつて温泉街だった

自宅から、昭和初期の苦楽園二番町付近の住宅地図が出てきました。

地図の上部に「六甲三楽園、六甲苦楽園 住宅経営地」と書かれています。
現在の苦楽園バス停がある山椒橋(現在は、三笑橋)を中心に、この地図には今は跡形もなくなってしまった旅館やホテルなどが記載されています。

僕は、自分が生まれ育った西宮市苦楽園が明治末期から昭和の初期までラジウム温泉街として栄えていた、ということは知っていたのですが、実際、どこにどのような旅館があったのかということは知りませんでした。

この地図を見ると、大観楼、松雲楼、長春楼といった旅館や、当時の社交場だった六甲ホテルの記載もあります。ちょうど自宅がある場所が、山椒橋と松雲楼の間くらいにありますので、ここも元は旅館の敷地だったということが分かります。

また興味深いことに、地図の上部には、阪神西宮駅から苦楽園までを繋ぐ「摂津電気軌道予定線」という線路も描かれています。そう、かつてこの苦楽園の山上まで電車を通そうという計画もあったんですよね(それも聞いたことがあります)。土地勘のある方は分かると思いますが、あの急勾配をどうやって電車通すの?と思われるかもしれませんが・・・もしかすると麓からはケーブルカーを敷設する計画だったのかもしれません。

この地の歴史については、「西宮ペディア 苦楽園ラジウム温泉」に詳しく書かれています。このサイトにも我が家にあるのと同じ地図が掲載されていました。

苦楽園ラジウム温泉には、多くの著名人が訪れ、当時の写真には、大隈重信や、犬養毅の奥様が人力車のようなものに乗って温泉に療養に訪れている写真も残されています。また、関東大震災から逃れてきた谷崎潤一郎が滞在していたのは、菊水館や萬衆館だったようです。

下の地図を見ると、「山上プール」の上に小さく「稲荷神社」とありますが、ここは今の苦楽園神社ですね。苦楽園神社には、清瀧龍王、大国龍命の石があり、南無阿弥陀仏と書かれた石碑の下には「豊受大神・三玉大神・蚕玉大神」と彫られています。苦楽園神社は、清瀧龍王(おそらく、善女龍王と清瀧権現=瀬織津姫がごっちゃになったものと思われます・・・)と、なんと伊勢神宮外宮の「豊受大神」が鎮座しているのは、個人的に胸アツなのですが、いずれにしても神仏習合の名残でしょうね。

郷土史って面白いですね。
かつて栄えた温泉地も、昭和13年の集中豪雨による阪神大水害で大打撃をうけたことで温泉が出なくなったこと、そして、戦争へ向かう世の中で次第に廃れ、今の閑静な住宅街となっていったことが分かります。

とはいえ、自宅の庭に残る石垣や、1995年の阪神・淡路大震災で半壊するまで残っていた実家のかつての姿をみると、ここが温泉地だった名残が今も残されていることが分かります。

震災で建て替える前の我が家

100年前は温泉地だったところも、今は住宅地になりました。
これから100年先はどうなるのでしょうね。

僕と村上さんの間に、48万8千枚の歴史が存在した

先日、神戸のピノッキオ(PINOCCHIO)というピザ・レストランに行きました。ここは1962年創業の老舗で、水を使わずにミルクのみで生地を仕上げることで有名です。

60年の歴史を感じる佇まい。お店の外観も店内もレトロな雰囲気で、多くの方に愛されてきたんだなと感じます。神戸にはこのような歴史のある洋食屋やバーが数多くあります。

僕は事前にお店の情報を調べずに行くタイプなのですが、席についてはじめて、ここのピザには創業以来のロットナンバーが付与されているということが分かりました。焼き立てのピザが、番号が記された紙とともにテーブルに届けられました。そして、僕が注文したピザは1,446,872枚目ということでした。

ご一緒した方が「このお店、村上春樹の作品に出てくるようですよ」とおっしゃるので、その場で調べてみると、確かに「辺境・近境」の最後の章、「神戸まで歩く」に登場する。そういえばそんな一文があったかな・・・すっかり忘れていました。

僕は村上さんのエッセイが好きで、ほとんどの作品を読んでいるのですが「辺境・近境」もその一つです。帰宅して久しぶりに手にとってみようかと本を探すと、自室の本棚にちゃんと立てかけてありました。

運ばれてきたシーフード・ピザには「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついている。その数字の意味がしばらくのあいだうまく呑み込めない。958,816? 僕はそこにいったいどのようなメッセージを読みとるべきなのだろう?

「辺境・近境」村上春樹

 
「辺境・近境」に記されているように、村上さんが食したピザは958,816枚目。阪神大震災が1995年で、その2年後に旅したとありますから、1997年にこのお店を訪れたとすると、それから約26年後に僕がこの場に来ている訳です。村上さんから僕に至るまで、48万8千枚のピザが食されたということですよね。

村上さんは大学に入るまで過ごした阪神間や神戸の街が、1995年の大震災でどのように変わったのかを見るために西宮から神戸まで歩いたとあります。僕も被災した時は18歳で、そこから29年が過ぎました。明日1月17日は、阪神淡路大震災から29年を迎える日です。
そんな時に、結果的に「聖地巡礼」となったのはなにか意味があるのでしょうか。

日々忙しくしていると、目先のことにだけに意識が集中しがちで、本の内容すら忘れていました。こうしてたまに時間を取り、小説やエッセイの世界に飛び込んでみるのも良いですね。仕事や研究に必要な本は読んでいるものの、娯楽としての本は読んでいなかったな。

色々悩んでいた時は、常に本の世界に逃げていた自分もいます。それは知識を増やすためではなく、今、この場から違うところに逃げる手段として使っていたのかもしれません。そう考えると、当時に比べれば悩みは軽減され、自分の思い描いていたような人生を歩むことができているのかもしれませんが、やはり心の栄養のために、こうした時間は必要ですね。

起業はプロボノの延長線にあった方が良い理由

新年明けましておめでとうございます。
今年は辰年(龍年)ですね。辰年早生まれの僕は今年は年男。干支が4周します。昇竜のごとく勢いをつけていきたいところですが・・・コツコツと目先の仕事に全力投球していきたいと思います。

さて、新年ということもあり、決意を新たにしている方も多いのではないでしょうか。やはり気になるのは自分自身のキャリアについて。僕自身が早々に会社勤めを辞めて一人会社を経営しているということもあり、起業(フリーランスを含む)を志す方から相談を受けることが多くあります。

起業というのは、確かに魅力的な選択肢です。人生100年時代、寿命が延びた分、働く期間もそれだけ長くなるわけですよね。平均寿命が70歳の時代は定年60歳で良かったのですが、平均寿命が90歳になると、これからは80歳までは普通に働かなければならなくなります。そういうことを考えると、一つの会社に依存するのではなく、自分でなにかしら飯の種を持っておいたほうが良い。

しかし難しいのは、起業したはいいが稼げるの?ということなんですね。

個人的な考えですが、起業には向き不向きがあると思っています。
どうも世の中的に、テクニック先行の起業支援みたいなものが多くありますが、どうなんでしょうね。テクニックで稼げている人、僕はほとんど見たことがありません。

一例として、僕が知っている起業家は、学部生の頃になんとなく起業したいという思いから、仕事もなく、ビジネスのコアも定まっていないのに、とりあえず株式会社を登記し、そこから自分たちが得意だった動画制作を軸に、広告マネジメントに事業を拡大させ、都内の一等地にオフィスを構え、社員も増やして会社を成長させています。

理念やパーパスは後付け、SNSでの発信もなし。
最初に仕事をくれたクライアントを大切にし、少しづつ仕事を増やし、経験したことがないことは学び、結果を出し、良い評価を得て、満足したクライアントがまた別のクライアントを口コミで紹介して仕事を増やし・・・という基本的なプロセスを充実に回しているだけです。阪神タイガースの岡田監督が「当たり前のことをやれば勝てる」と言っているのと同じなんですよね。稼げている会社の創業者って、こういうパターンが圧倒的に多いです。ピッチなんて、したことないんじゃないかな。

僕は個人投資もしているので、比較的スタートアップスを色々と見ている方だとは思いますが、その基本がないのに「自分がこうしたい」という思いや理想だけが先行して、ビジネスにならない人を山ほど見てきました。そういう人に限ってSNSでの情報発信は立派なのですが、中身がない。他にも、稼ぎたい!という思いでブルーオーシャンに飛びこんだは良いが、マーケットニーズがなくて売上が上がらず、出資先へのリターンも出せずに頓挫したケースも枚挙に暇がありません。

これに関しては過去記事をご覧ください。
思いはあっても仕事はないという現実にどう対処するか(2023年8月11日)

個人的な意見ですが、起業はセンスが9割だと思っていて、自治体やVCなどによるベンチャー支援やスタートアップス投資などのプログラムには非常に懐疑的な部分もあります。誰でも起業とは聞こえは良いが、無理ですって。(いろんな人を敵に回しそう・・苦笑)

結局、補助金や出資金頼みで実利も上がらずにシャブ漬け状態になり、撤退、廃業というケースが多すぎる。そもそもセンスがないんだと思うし、ピッチのテクニックだけが向上し、先に書いた「ビジネスの基本」が出来ていないケースが多いのではないでしょうか。

では、どうするか。
まずは会社員として会社勤めをしながら、社外での越境プロボノ活動やボランティア活動を積極的にすることで人脈を広げ、経験を磨くことをおすすめしています。会社経営で必要なのは、様々な財布(稼ぎのチャンネル)をたくさん持っておくこと。起業しても、クライアント一社からの受託業務をメインに仕事している方も多いですが、それでは契約社員と変わらないし、なにかあったらすぐに切られてしまうということで非常にリスキーです。

いずれにしても会社員をしながら、新しいことにチャレンジし、お小遣い稼ぎレベルでも良いから、本業以外で稼ぐことをやってみる。その積み重ねの先に起業があるのではないでしょうかね。

とにかく、今年は円高基調が予想されるとはいえ、ビジネス環境が厳しいのに代わりはありません。今年も様々な業界で淘汰が進むでしょう。今一度気を引き締めて、がんばってまいりましょう!すべての人にとって今年一年が素晴らしい年になりますように。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

元日の六甲山

不安定を楽しむ

今年も楽しい一年でした。
物理空間と精神空間の間を行ったり来たりし、多くの新しい出会いもあり、また一つ成長できたような気がします。

人は試練の時に真価が問われる。

春の体調不良の時は、多くの方にご心配をおかけしました。人の温もり、励ましの力を本当に実感しましたし、今でも久しぶりに会った方からは「元気?」「最近どう?」という言葉を掛けていただきます。肉体的にも精神的にも決して強くない、いやむしろ病弱で低空飛行が通常という自分を受け入れつつ、それでも生かせていただいているのは、なにか社会の役に立つことをしなさい、と叱咤されているのではないかなと、山や森、神社にお参りに行くたびに思うわけです。感謝の心を忘れず、前へ。

独立して二年目、一人会社の一人社長とはこういうことかと色々学ばせていただいた一年でした。端的にいうと、会社員と違って時間拘束がないので、自分で時間のコントールはできるけれども、自分が動かないと何も進まないし、自分の代わりに仕事をしてくれる人もいない。とにかく自転車を漕ぎ続けるがごとく、自分が動き続けなければならない。そんな感じです。倒れたら終わり、という恐怖心とも常に隣り合わせです。その代わり働いたら働いた分だけ収入はある。この不安定さがなんとも面白いのです。どこにも何にも甘えることはできない。

ありがたいことに仕事が急角度で増え、来年の予定もびっしりと埋まっています。僕のような仕事は年間契約で動くことがほとんどですので、契約更新をしていただくとまた一年、顧問先、支援先の会社と伴走しながら成長を支える、そのようなイメージです。だからこそ、結果が求められる。誰もができる仕事をしていては、必要とされない。専門性、経験、他にない価値とはなにか、それをひたすら自問自答しながら、黙々と磨いてきた一年でした。

よく予測不能な時代、と言われますが、予測できた時代など人類の歴史の中であったのでしょうか。人はどの時代でも予測ができない不安定な世の中で生き、子孫を残し、今この瞬間まで何万年も続いてきたという歴史があります。その時、その一瞬をどう生きるか、その無数の選択の積み重ねが線となって今となり、そして次の時代に続いていくのでしょうね。良いことも悪いこともすべて含めて。

だからこそ、一つひとつの選択を信じて進む。光が指す方向へ歩いていると、本当に不思議なことに新しい人とのつながりができたり、思わぬ人に出会えたりするのです。志をともにする仲間は自然と引き寄せられていくのでしょう。

最後に個人的な今年のハイライトを。

トレイルレース:3月 六甲縦走キャノンボールラン

ゴルフ:約40ラウンド

新しく始めたこと:シニアモデルとしての活動

嬉しかったこと:某学校法人創立100周年記念ゴルフコンペという大きな大会で準優勝

仕事:一般社団法人白秋共同研究所の設立、理事に就任

仕事、ラン仲間、ゴルフ仲間、KNS、大学関係、足祭りボランティアグループ、グローバル人事塾、白秋共同研究所、神社仲間、美容業界・・・様々なコミュニティに属させていただいている自分ですが、多くの仲間たちと共に時間を過ごし、支えていただきました。

また来年も引き続きよろしくお願いいたします。
それでは少し早いですが、良いお年を。

体力、気力、知力、財力

大谷選手の契約金額やプロ野球選手の契約更改、上場企業の冬のボーナスの平均額など、人の稼ぎに注目が集まる時期です。景気の良い話もあれば、その逆もありますが、スポーツの場合は結果を出しただけ報われるのが分かりやすくて良いですね。結果を出して大金を手にする。大いに結構じゃないですか。企業でも同じで、冬のボーナス数百万、という一流企業もありますけれど、それはそれだけ利益を出しているからであって、利益が出なければ0になるという点では、どこの会社も一緒、公平だと思います。

日本には、お金のことを口にするのは良くないという風潮がありますが、良くない(嫌がられる)のは、自慢するという行為であって、稼ぐことではないような気がしています。事実、稼がなければ生活はできないし、稼いで家族を養って、納税して、社会の役に立つことが国民としての義務ですからね。会社も同じで、売上を上げて利益を出し、従業員や取引先にお金を払い、しっかりと納税することが会社が存在している理由であって、それができないなら退場してねという至極シンプルな構図なのが良くも悪くも資本主義経済です。

ですが最近はどうも、コスト削減とか、節約とか、稼ぐ方ではなく、絞る方がフォーカスされている気がしています。もちろん血税を財源とする公共事業にムダ遣いは許されませんが(五輪、万博、リニアどうにかなりませんかね・・・)、会社や個人として「絞る、節約する」というより、いかに稼ぐか、ということにもうちょっと焦点を当てても良いのではないでしょうかね。公共事業投資による景気対策、経済効果への期待ではなく、会社、個人としてどれだけ、新しい時代にフィットした仕事を創り、拡大できるかという視点です。

とはいえ、稼ぐためにはモチベーションが必要です。

このモチベーションが難しくてですね、特に僕の場合は、あまり稼ぐことに興味がないのと、年齢とともに、体力と気力が目に見えて低下しているので(深刻)、自分で自分を叱咤しながら働く必要があります。どんな人にとっても、キャリアのゴールは「好きなことをして稼ぐ」を実現することだと思っていますが(やっている仕事を好きになる、とは意味が違います)、お金を稼ぐためには、時として気乗りしないことをする必要もあるし、ウマが合わない人と一緒に仕事をしなければならないこともあるし、そもそも「好きなこと」が現代のニーズに合わずにお金にならないことだってある。

だから、僕の場合は、一ヶ月の自分の時間の使い方を、お金稼ぎ10日、ボランティア10日、休み10日、という比率で分けています。ボランティアとは、本当に自分がしたい仕事のことです。すなわち、今すぐお金にならないことでも、やりたいこと、すべきことであれば、やる。

そのために10日のお金稼ぎで、そのボランティア10日分も稼ぐ、ということをやっています。なかなかチャレンジングだし、どうしてもお金稼ぎの比率が増えてきて、ボラを圧迫する傾向にありますけれど、そこをうまくバランスを取るようにしています。それは、気力(またはモチベーション)を維持するためのものです。遠回りですけど、そういう性分なので仕方がありません。そのうち「やりたいこと、やるべきこと」でも稼げるようになれば、比率は変わるかもしれませんね。

気力の低下をどう防ぐか、そして、どう稼ぐか。

体力、気力、知力、財力はリンクすると思っています。すべてをバランス良く維持するために、自分で自分を叱咤激励しながら、錆びた自転車を漕ぐかのように、必死で毎日を生きている師走です。

一回目の定年と二回目の定年

最近、腹巻きを愛用している自分です。
自宅では厚手の腹巻き、外出時は薄手のスポーツ腹巻きという風に使い分けているのですが、これがなかなか良い。冷えは万病の敵といいますからね、身体の温度を下げないようにしなければなりません。

さて、人生100年時代というと、折返し地点はやはり50歳になるのでしょうか。

僕は以前から、定年60歳(65歳)というのに違和感を感じています。平均寿命が75歳の時代ならそれでも良かったと思うのですが、今って人生100年時代なんでしょう?60歳、65歳はあまりに中途半端。先はまだまだ長い。そこで考えたのは、50歳定年説です。まだまだ元気なうちに一回目の定年を迎える方がいいのではないか。そういや、サントリーの新浪社長は、45歳定年って言ってましたね。それもありです。

人生100年のうち仮に働く期間を50年とすると、それを半分に割って25年×2回とする。新卒でも中途でも50歳で一回目の定年を迎える。50歳から第二のキャリアのスタートで75歳かそれ以上働く。50歳からは今まで勤めた会社から離れ、培ったキャリアを活かしてまったく別の業界で働いたり、起業したり、フリーランスになったり、次の25年を活き活きと活躍できるように、まったく違う、新しいことをする。自分が社長であったなら、自分が作った会社を若手に譲り、自分はまったく違うところで起業してもいい(会社を作る力がある人は、どこでもなんでもできるはず)

そうすると、しがみつきや、ぶらさがり、役職定年問題、無理やり必要のない役職やポストなどを用意する必要もなく、若手の邪魔もすることなく、それぞれの年代で楽しく働けるのではないだろうか。

今は人出不足なので定年引き上げで長く働けるようにした方が良いという人もいますが、これから先、労働力っていらなくなるはずなんです。AIや自動化が進むと労働者は必要ない。しかも人口も減少してマーケットもシュリンクしているので、サービス業もどんどん縮小しても良いのではないか(たとえば、コンビニやファミレスは夜21時までの営業にするとか)。大きな商業ビルやタワマンを建てる必要もなし、ハコモノ行政を脱却、地方の不採算道路はメンテの必要もなし、リニアも作らなくてよろしい。今ある新幹線をメンテして使おう。(話が脱線)

既存の産業での穴埋めの労働力としてシニアを見るのではなく、50歳以上はまったく新しいマーケットで勝負するか、新しい市場を創るという世の中がスタンダードになれば良いなと思います。そっちのがワクワクしますし、楽しいですよね。

とはいえ、今すぐにやれと言われても難しいでしょうから、定年50歳は10年後などからスタートするとして、これからの若者は、20代、30代のうちから、そういった先を見据えて、若いうちにしっかり会社で働き、出世し(僕は若者たちには、まず一つの会社で10年〜15年は働いて出世や昇進を経験するようにとアドバイスしています)、会社員として働いている間に、会社のリソースを使って社内・社外で人脈を作り、スキルを培い、専門性を高めて50歳以降の第二の人生に備える。そして同時進行で後進育成も行う。

様々なニュースを見ていると、今って、明らかに時代は変わりつつあり、旧態依然としたやり方では100%破綻するのが見えているのに、昭和・平成のやり方を中途半端に引きずっているように見えて仕方ありません。オリンピックや万博なんてその最たるものですし、政策や行政も同じです。民間ですらそうなんですから。

そういうことを、理事を務めている、一般社団法人 白秋共同研究所でも研究テーマとして扱って行きたいなあ。

変えるなら、ドラスティックに変えないと、何も始まりませんよね。
さあ、12月だ!

提供できる価値とは

とてもありがたいことに仕事の依頼が多く、一足早い年末進行の様相を呈しています。

自分が独立した時に決めたのは、いつでも身軽でいれるようにと、社員は雇わず、自分のスキルとキャリアだけでお役に立てることを仕事にしようということです。低い志ですよね、一人会社です。多くの起業家が持つ高い志、拡大、規模面での成長、そんな目標は一切なかったんですよね。今までの仕事に疲れてしまい、少し休みたい、スローダウンしたいという気持ちもあったのかもしれません。「身軽」という言葉を言い換えると、いつでも始めて、いつでも畳める、そんな感じでしょうか。

でも、そんな低い志とは裏腹に、お仕事の依頼をたくさんいただけるのはありがたいことですし、仕事のほとんどが、ある程度の規模の会社の長期的アドバイザーの仕事が多いので、顧客企業の役員、担当者を初めとした社員の皆さんは自分の同僚のような気持ちで接し、良い関係を築くことが出来ています。伴走しながら組織拡大を目指すというミッションが多いので、顧客企業は自分が所属している企業、という感覚になります。

とはいえ、一人であることに変わりはありません。
顧客は、僕の「会社」にではなく、「僕という人間」に仕事のオファーを出してくださっている。そんな状況ですから、イチ会社員よりも、はるかに「自分の価値とは何だろうか」と考えることが多いのです。

自分はこんなことができます、この分野の専門です。

提供できる価値をスパッと言葉にでき、さらに「自称」ではなく、周囲からも「その分野の専門家」という評判を得ていなければ、仕事を得ることは難しい。僕の場合は、ほとんど人からの紹介で仕事のオファーが来ます。自分自身に営業するスキルもリソースもないので、自分から何か売り込むことはできません。だからこそ、自分が提供できる価値をコツコツと磨き、結果を出し、それで周囲の評判を得ていくことがすべてです。紹介いただく皆さんには本当に感謝しています。

年末に差し掛かり、新しい年を迎える前の時期、改めて自分が提供できる価値について考え、クライアントの事業を成長させるというミッションを遂行し、結果を出し続けることにコミットしたいと考えています。来年は、少しステップアップして、守備範囲を広げるべく、BPも増やしたいなと考えています。

今までの実績にあぐらをかくことなく、難しい時代であってもしなやかに変化しながら新しいことへのチャレンジをやめない。改めて気持ちを引き締めている今日この頃です。