【Vol.3】「言葉で人を抱く」〜 ある人に言われたことから「言葉の温度」について考える

(心で見た景色を言葉にしよう 〜 辺境のソーシャルTips 第三回目)

「松田さんは、言葉で人を抱きますよね」

数年前、ある人にこう言われたことがある。この言葉を聞いた時、ドキッとした。もちろんこの言葉をくれた相手が、若くて美人の経営者だったということもあるけれど、嬉しい反面、若干の不安も感じたからだ。

言葉で人を抱く

この言葉は二つの相異なる意味を想起させる。一つは、相手の心に届き、その心を動かす言葉を正確に発することができているということ。そしてもう一方は、口が上手くて、その気にさせる、というようなニュアンスだ。

話の上手さと相手の心に届ける伝え方は異なるものではあるけれど、「話が上手」というのは「口がうまい」ということと背中合わせの関係にあるように思う。誰もが知るように「口がうまい」という言葉はどちらかというとネガティブなイメージを連想させるのではないか。辞書を引くと「話し方が巧みである。口先で人をまるめ込んだりするのがじょうずである」(goo 国語辞書)とあるが、詐欺師を形容するような言葉と言っても過言ではない。

一方、相手の心にしっかり届く言葉を発する上で、巧みな話し方や、テクニックは必要ない。逆にそのような巧みさがあると、その言葉は相手にとって薄くなったり、意味のないものとなってしまう。なぜか。

人は耳ではなく、心で話を聴くからだ。

故に、言葉は耳ではなく、心に届けなければならない。そのためには、少なくとも話す相手のことをよく知り、その人が困っていることや抱えている課題、何がその人に必要なことかを深く考えなければならない。正面から向き合うこと、つまり、相手に対する思いやりと愛情が必要なのだと思う。そういう意味で「言葉で人を抱く」と形容した彼女の言葉のチョイスは秀逸だ。センスがあるし、艷(つや)やかだ。なるほどな、と思う。そして、それから僕は自分が言葉を発する時にとても注意深くなった。

言葉には温度がある。

相手のことをどれだけ考えているかによって、言葉は冷たくもなり、温かくもなる。自分が相手のことを思って伝える言葉でも、相手には冷たく感じることもある。会話はキャッチボールだと形容されるように、相手が受け取りやすいボールを投げて始めて、成立する。自分はこう思う、自分の意見はこうだ、と、相手の言葉を遮って話すをするタイプの人がいるが、それは、聞く前に話すということになり、相手への思いやりは微塵もない。それは一対一だけではなく、講演やセミナーのような一対多の場合でも同じだ。

イチローや、ボランティアの尾畠春夫さんが発する言葉は素敵だと思う。その言葉は一対多に投げかけられているものかもしれないが、全く無駄がない。核心を突いているし、それが経験と実績によって裏打ちされているので説得力がある。例えば、以下のようなものだ。

イチロー
「できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい」
「遠回りすることが結局一番の近道」

尾畠春夫さん
「困っている人に手を差し伸べさせてもらいたい、ただそれだけです」
「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」
「口数少なく、手数は多くね」

一つの言葉で、聞く人の心を鷲掴みにする。受け手のコンディションによっては、涙を誘うこともある。


口から出る言葉は、手段にしか過ぎない。
大切なのは、自分の心を整理することと、相手の心に寄り添うことだ。これが出来るようになるためには、日々の自己研鑽が求められる。頭を使わなければならないし、自分の価値基準を捨てて別の物差しを持ってこなくてはならないかもしれない。蓋をして二度と開けたくないものの蓋を開けて中身を見る必要があるかもしれない。そして、何よりも相手を深く思いやる必要がある。その人のためになるだろうか、その言葉は温かいだろうかと、常に考え続ける必要がある。結果、相手が動くか動かないかは問題ではない。少なくとも、その言葉に温度があるかどうかが重要だ。

自分はまだ志半ばだが、いつか本当に「言葉で人を温かく抱ける」ようになりたいと思う。