先日、某企業の社員向け研修で講演のご依頼をいただき、50分ほどお話をしました。アイデアから実現までのプロセス、物事を抽象化する習慣、答えを探す前に問いを立てる重要性など、実践的な内容を含むいくつかのテーマでお話させていただきましたが、その中の一つに「時間を100年単位で見る」という、このブログではいつも書いていることに言及したところ、後日いただいたセミナー後アンケートを見ると結構響いた方が多くおられたようでした。
「時間を100年単位で見る」という理由はいくつかあるのですが、ひとつに、現代の世の中の価値基準は高々ここ数十年〜百年で出来たもの、そこに必死でしがみついたり、無理に追いかけたり、「成功」「失敗」「勝ち」「負け」で判断したり、生き辛さを感じて自己嫌悪に陥ったり、そんなことは何の意味もないよ、ということが言いたいのです。
社会不適合とかドロップアウトとか、勉強が出来る出来ない、エリートや非エリート、そんな区別は気にしなくて良いと思うんですよね。今の社会で「すごい」とされているエリート層が作ってきた社会が、幸福度が著しく低く、圧倒的格差を生んだ現代社会、環境を破壊して自らの首を締めているような世界なのですから。それに人それぞれ、向き不向き、得意不得意があります。みんながみんな同じことをしなくて良いではありませんか。そして、これをしなければダメという社会の通説についても、もし違和感を感じるのであれば積極的に無視していきましょう。違和感を感じること、変だと思うことは意外と間違っておらず、その違和感を大切にしたいものです。誰とも何とも戦わず、自分が自然の一部と認識し、感謝し、大切なものを守って残し、思いやりや助け合い、小さな幸せを大切にしながら生きることだけを心掛けたいと思っています。
僕自身、自分を実験台にしているところがあります。
ビジネスを拡大すること、ネットワークを広げること、人が何をしているか、人からどう思われているか、周りの評価を気にすること。これらを捨て、自分が「生きやすい」と思う世界を作ろうとしています。庭仕事や畑仕事に精を出しているのもそのためです。自分の場合は人間と関わるより、自然の中で生きる方が心地良いし、土や植物に触れていると気持ちが穏やかになります。春に咲き誇る花を見て満たされ、梅の実を収穫して梅仕事をしながら大地の恵みに感謝する。季節を感じながら、ただその日その日を生きる。
そのような自分の志向や思いに正直になるとともに、自分が創りたい世界を自分で創っていく活動をしていると、不思議と仲間が増え、勝手に仕事が増えるのです。さきほどの文章とは逆説的です。広げたくない関わりたくない、と思っているのに、です。
ちなみに、社会や政治に関心がないわけでではありません。むしろ関心が強く、今年は家が一軒建つほどの額を納税したこともあり、政治は自分ごととして捉えています。世の中を少しでも良くするために微力ではありますが、できることを精一杯しようと思っています。
以前は言語化して、それをしっかり伝えて、ということを重視していましたが、最近感じていることは、別に発信してもしなくても見ている人は見ているし、同じ価値観を持つ人は自然と集まり、集団、コミュニティになっていくんだなということです。いや、これ、究極の「自然の力」ですよ。管理せず、手を入れず、自然に任せると勝手に繁茂する。良いものは勝手に広がる。
自分が創りたい世界を自分で創って、そこで生きる。
世の中の物差し、規準とは一線を画した別世界で生きる。
僕の場合、したいことの実現に一歩づつ向かっています。昨年のHakushu Career Transition 研修でレゴを使ったワークをしたのですが、そこで作ったモノが少しづつ実現に向かっています。日頃外では話せないようなことを話せたり、疲れた大人たちがほっとできるような場づくりができればと思い、昨日も工務店の方と打ち合わせをしました。早ければ夏、遅くとも今年中には完成の予定です。
