より良く生きていくためには。個人として会社として。

今年に入ってからジェットコースターのように日々が過ぎ、いつの間にやら2月に入っていました。この1月から3月に掛けて、関わっている各業界団体の大きなイベントが続きますので、一部バックデートしますがご紹介しておきたいと思います。

まず、理事を努めている一般社団法人グローバル人事塾の10周年記念イベントを1月18日に東京の日本橋で開催いたしました。このような状況下にも関わらず、当日はHR業界のトップリーダーから各企業の人事担当者様など300名近い方にお集まりいただき、お祝いの言葉を頂戴いたしました。もう何年ぶりだろうというくらいリアルな場での熱気を感じながら、この10年を皆さまと振り返ることができました。

昨今、労働人口不足や少子化、働き方改革など、企業としては労働力確保と新時代に向けての組織改革、個人としては長引く不況下と低成長社会の中での生活設計戦略など、「働くこと」に対する課題が浮き彫りになっています。グローバル人事塾では、「人事のチカラで世界を変える!」をキーワードに活動を行ってきましたが、まさに今こそ広義の意味での「人事のチカラ」が求められていると思います。業界のリーダーの皆様からも激励のお言葉を多数頂戴いたしました。これからも企業横断的にフラットに集まることができるこの場をずっと続けていきたいと思います。運営の皆様、ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。

さて、東京の周年イベントには参加出来なかった皆様のために、大阪でも開催いたします。日時は2/21(火)、場所は十三のプラザオーサカです。イベントページはこちらから。皆様のお申し込みをお待ちしています。

さて、話は変わりまして。

国連のグローバル・アジェンダの中で、ポストSDGsとして提唱されているのがウェルビーイングです。人生100年時代を4つの時代(春夏秋冬)に分ける考え方が中国にはあり、50〜75歳までを「白秋世代」と呼んでいます。まさにこの白秋世代が日本において人口の40%近くを占めるまでになっています。ところが今の日本では、会社の仕組みとして55歳役職定年、60歳定年退職というシステムになっており、50を超えるとやりがいを感じなくなってしまう人が多いのも事実。そこで、この白秋世代に対して企業はどう向き合うべきなのか、そして、個人としてシニア世代をどう幸せに生きていくか(=ウェルビーイング)を考える必要があります。

このテーマについて企業コンソーシアム的に研究していきましょうというのが「白秋共同研究所(所長:予防医学者 石川善樹先生)」です。2020年の創設時、神戸の有力企業を中心に35社が集まり、現在、任意団体として活動していますが、この春以降、公益性と社会性をもたせ関係企業や団体を更に増やして本格的にドライブしていくために一般社団法人化することになりました。

3月7日にANCHOR KOBE(アンカー神戸)で社団法人化に向けてのキックオフセミナーを神戸商工会議所さんと共催します。協力団体として(一社)人と組織の活性化研究会(神戸大学APO研)、そして、グローバル人事塾も名を連ねております。基調講演は「問い続ける力」や「むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました」で著名な予防医学者の石川善樹先生を東京からお迎えして行います。パネルディスカッションもありますよ。

参加費無料、どなたでも参加できます。後半で私から社団法人の目的と活動についてプレゼンさせていただきます。神戸の美しい夜景を見ながら、皆様とディスカッションできれば幸いです。ぜひ、ご参加ください。

イベントページ、お申込みはこちらから(peatix)

八ヶ岳から今年一年の振り返りを

今年の主要な仕事をすべて終え、信州は蓼科の森の中にやってきました(寒さに弱いはずなのに)。こちらは一面の銀世界で、関西の寒さとはまた一味違った趣があります。

見るからに外は寒そうでしょう?

外の雪景色を眺めながら、ゆっくりと今年一年を振り返りをしていました。

今年はなんといっても、勤め先を退職して独立するという人生の中でも大きなターニングポイントとなった一年でした。3月がもう随分昔のように感じます。それくらいあっという間に時間が過ぎて行った感覚があります。

サッカー日本代表の森保監督は「新しい景色」という表現を使っていましたが、この言葉、自分もよく分かります。組織の中にいた自分が見ていた景色と、今の自分が見ている景色は、まったく違うからです。良いことも悪いことも、すべて自分次第。起こる事象すべてが、なんのクッションもなくダイレクトに自分に返ってきます。怖くもあるし、楽しくもある、そんな感じでしょうか。

以前にも書きましたが、一ヶ月を30日としたときに、ビジネス10日、社会活動(ボランティア)10日、趣味10日、という割合で生活をしていますので、物事を考える時間もたっぷりと取ることができました。自分の価値とはなんだろう、自分が社会のお役に立てるとしたらどのような方法だろうと自問自答していると、不思議なことに多方面からこれを手伝ってほしい、こんなことをしてほしいとオファーをいただきました。事業拡大や、法人の立ち上げ、顧客とのコミュニケーション施策など、自分のスキルと経験が活かせて、なおかつ直接的にお役に立てそうなオファーがあると、自分はやはりこういう分野で求められているんだなとの実感を重ねています。

良いことの方が圧倒的に多かったとはいえ、多少なりとも難しいなと思うことにも直面しました。そんな時は、グーグルの研究結果として有名な「優秀な人材は、”人生で苦労をしたかどうか”が重要」(コミュ力もリーダーシップもいらない。元Google社員が語る、本当に「優秀な人材」とは)を思い出しています。解釈の仕方は色々とあると思いますが、苦労を避けて通るよりも、修羅場経験をたくさん積んだ方が人として成長でき、対応の引き出しが増えるということだと認識しています。苦労は必ず糧になる。そう考えると、たとえ修羅場のような場面に直面したとしても、前向きに捉えることができますし、実際にそのような気持ちでいます。

この一年を振り返った時、まずは大きな決断をし、一歩を踏み出した自分を褒めたいと思います。同時に多くの人に支えていただきましたし、今まで出会えなかった人たちとたくさん出会うことができました。まさに「新しい景色」を見ています。それらすべてに感謝したいと思います。

さて、自分にとって、2023年はどんな年になるでしょうか。見えている景色のその先には何があるのでしょうか。自分が今、すごくワクワクしています。少しでもこのブログをご覧いただいている皆様に、何らかのエネルギーと、少しの笑いを届けることができれば、こんな嬉しいことはありません。どうぞご期待ください。

雲ひとつない八ヶ岳連峰

「それそのものにどんな意味があるのか」を考え、あるべき姿を常に想像しながら歩んでいきたい。ブログ開設18周年のご挨拶

雨が上がって、青空が広がる。
毎朝、庭の水やりを日課にしていると、天気の変化に敏感になります。朝起きて今日は晴れてるかな、曇っているかなと空を見上げ、庭の土の乾き具合を見る。近所の植物園までジョギングをして、森の中で肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで、ゆっくり時間を掛けて息をはく。サウナはあまり得意ではありませんが、この森林浴も一つの「ととのう」ということなのでしょうか。

6月は、このブログをスタートした月になります。

2005年の6月にブログを書き始めて丸17年が経過し、18年目に入ります。当時はスマートフォンもなく、その間、コミュニケーションの手段やインターネットで使用される技術もどんどん変化して行きましたが、自分はこのようにネット世界の辺境で、ひっそりと、こつこつと、テキストを打ち続けることによって「思考をととのえる」ことを習慣にしてきました。書き始めた頃は30歳になる手前で、もちろん書いていることも今とは違うし、仕事に対する思いもテクノロジーに対する考え方も今とは異なっていたように思います。17年という月日は人を変化させます。願わくば「成熟」という方の変化が良いのですけれど。

最近、自分が関わっているプロジェクトや製品について、なんでもかんでも新しい技術やトレンドを導入することを最優先にすることはやめ、とにかく「理念と哲学」にこだわるようになってきました。

参画しているメタバース・プロジェクトでは、目に見える社会の課題をどのように解決できるか、それによって人が幸せに生きていくためにはどうすれば良いかを考えています。具体的には、地域ごとの自立分散型経済と互助共助社会の実現です。インターネットが出現してから30年、2019年ノーベル経済学賞のバナジーとデュフロがいうように「先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない」という事実と、少なくとも30年間経済成長のない(=物質的に豊かになっていない)この国において、じゃあ、自分たちはどのような未来を作っていけるのか、そこはグローバルとは真反対のレイヤーを構築していくことではないかと考えるのです。

企業を成長させることや売上を上げることはとても大切です。でもね、最近、世の中の潮流が少しづつ変化しているように感じませんか?

「グーグルがこんなことをやっている」とか「イーロン・マスクがこんなことをやっている」とか「シリコンバレーではどうのこうの」(自分もSVで仕事をしていたのでこの地の魅力は良く知っているのですが)というキーワードに飛びつく人がものすごい勢いで減っているような気がするのです。むしろ、彼らがやっていることはより良い社会の実現というよりは富と情報の一極集中であるよね、と。富も体力も時間も搾取されることに疲弊してきた自分たちは、分断を作る世の中ではなく、お互い助け合いながら貨幣経済に依存しない社会で生活する方が幸せなのではないだろうか。

小よりも大、遅よりも速、狭よりも広、停滞よりも成長、が良しとされ、自分もビジネス一辺倒で今まで走り続けてきましたが、そろそろ舵を切り替えるタイミングに差し掛かっています。成長第一の旧態依然とした考え方には年々不感症になってくると同時に、周りにそのようなギラギラした人も自然といなくなり、淘汰され、周りには価値観を共有できる本質志向の人たちだけのコミュニティが残り、心地良さの中にも課題意識があるという不思議な感覚です。

テクノロジードリブンで新しいものを次々に構築していくことは否定しませんが、ソフトにしてもハードウエアにしても、あるいは会社経営にしても「それそのものにどんな意味があるのか」を徹底的に考え、あるべき姿を常に想像しながら意思決定をしていきたいと思っています。

さて、毎年、ブログの周年を迎えるに際し「僕はここでなにかしらをずっと書いています」と決意表明をしているのですが、今までなんとかその言葉どおりに続けてくることができました。そして、これからも僕はここでなにかを書き続けるでしょう。

いつも独り言に付き合ってくださる皆さまへ感謝の気持ちをこめて。
18年目もどうぞよろしくお願いいたします。

会社を辞めて独立した理由 ② 〜 正社員制度・ピラミッド型組織に対する否定、プロジェクトごとに個が集まるチーム制の働き方、社会課題の解決に向けて

前回の記事で、会社を辞めて独立した理由について、客観的視点、自分自身のスキルを一つの会社だけでなく、複数の会社にも使っていただくというスキルシェアリング、組織の新陳代謝、自分自身のアップデートという4つの要素を上げてみました。

とはいえ、46歳家族持ちが会社を辞めるということは、それなりに勇気がいることです。転職には全く興味がなく(理由は後述します)、独立一本で考えていたのですが、もし仕事がなけばどうしよう、収入がなくなったらどうしようと、社会面での孤立と経済面での不安を抱えていました。中高生の娘二人はまだまだこれから山のように学費が必要ですし、それなりに安定しているものを手放すことって大変です。
 

プロジェクトごとに個が集まるチーム制の働き方

一方で、社会システムが大きく変容していくことも目の当たりにしました。2020年のコロナ禍で、人々のワークスタイルが大きく変わり、時間と場所を選ばず仕事ができるようになりました。そのため、「課題に対して、会社組織を横断してチームを集めて取り掛かる」という自分の理想の形が非常にしやすくなるとも思いました。このブログでは10年ほど前から「個としていかに強くあるべきか」を事あるごとに論じてきたつもりですが、コロナにより、強い個が集まるためのハード、インフラ面が整ったという印象でした。

転職に興味がなかったと書きましたが、その理由は「会社員」になるのが嫌だったからです。どこか一つの組織にフルコミットすることで制限が発生し、不自由を余儀なくされることは、自分の中でもはや意義を感じられることではないのです。まあそのうち、会社員っていう制度そのものがなくなると思います。そうなると出世競争も社内政治闘争もなく、仕事ができる人がちゃんと報われるという健全な社会になるとは思いますけれど。

今後、仕事はピラミッド型の組織で正社員が集まり行うのではなく、プロジェクトごとに個が集まるチーム制になると考えていますし(メーカー、製造業、インフラ、官公庁等は別かもしれません)、そのためには自分がフリーでいなければならない。個人事業主なのか、法人の社長なのかはさておき、身軽で自由であること。それが必要かつ最低条件だと思っています。そのような理由で、なんでも自由に自分で決裁し、迅速に動くことができる「独立」を選択しました。
 
 
自分が持てるスキルを様々な会社に提供したい

今後ですが、自分が持てるスキルを様々な会社に提供したいと思っています。一言でいうと事業開発コンサルタント、ってやつですかね。自分は今まで技術畑でシステム開発に携わり、サービスをリリースし、EMC、電子、エレクトロニクスの分野で技術営業、セミナー登壇、講演活動をしてきました。また、会社役員として、事業拡大、新事業創出、海外への事業展開、国内海外企業とのビジネスアライアンス、人事採用教育など、会社運営のほとんどすべてに携わってきました。

もちろん、しんどいことも山ほどありましたし、ストレスで身体も壊し持病も増えましたが、小さな会社にいたからこそこれだけのことをさせていただいたわけで、感謝しています。そして、自分も「強い個」であるため、ロジックだけでなく泥臭い実践経験を積み上げ、社外活動やスキルアップにいそしみ、決して立場に安住してきたつもりはなく、弱く脆い自分を少しでも強くしてきたつもりです。

自分の視界に入る会社の中には、素晴らしい技術やサービスを持っているのにも関わらず、事業拡大するための人が足りない、ノウハウをもった人材が不在で、伸び悩んでいる会社が多くあります。自分の経験とスキルで少しでもそういった会社のお役に立ち、押し上げ、日本の会社を元気にしたいと思っています。

今はまだ独立したばかり、これから少しづつ、様々な会社のお話を聞いていきたいと願っています。また自分の時間の20%は、引き続き、お金にならないことに全力投球、社会課題の解決や、面白そうなプロジェクトに割きたいと考えています。

どんなことでも結構ですので、お気軽にお声掛けくださいね。

会社を辞めて独立した理由 〜 スキルシェアリングという発想、組織の新陳代謝、自分自身のアップデート。

このブログでは事後報告になってしまいましたが、3/20付けで16年勤めたCSi Global Alliance株式会社の取締役、およびグループ会社のQuadcept株式会社のCOOを退任し、独立いたしました。正真正銘の「身一つ」です。

今後の所属ですが、既に7期目を迎える株式会社のオーナーを勤めていまして、こちらの代表取締役として仕事を続けて参ります。この会社というのは、家業である不動産管理をベースに2015年に設立した会社で、元々表に出すつもりもありませんでしたから、実家で飼っていたチンチラ猫のティモシー君の名前をそのまま会社名とする「ティモシーズ株式会社」という社名がついております。当時は特に理念もなく、社名の由来を聞かれると非常に困ってしまうのですが、飼っていた猫にもちろん思い入れはありますし、財務も非常に健全です。笑

さて、今回の退任に際し「今流行りのFIREですか?」とか「家業を継ぐのですか?」とか色々とご質問を受けたのですが、FIREでもありませんし、家業を継ぐと言っても専業にするほどでもありませんので、いずれもNOです。今回の独立に関しては、2年以上、体を壊すほど悩みましたし、それなりの準備もしてきました。また経営に関して「こうすべき」という強い想いもあります。思い入れのある会社を離れるという決断は、それなりに辛く、重たいものです。

退任後の3/22に、Facebookに役員退任と独立のお知らせを投稿したところ、びっくりするほど多くの方から反響やお祝い、激励のメッセージをいただき、本当に嬉しかったと同時に、正直驚きました。ああ、こんなに皆さん見てくださっていたんだな、と。

何人かの方からはお電話をいただき、なんでやめたのか、これから何をするのか、と、ご質問を受けました。そうですよね、ちゃんと説明していませんでしたよね。

そこで今日は、会社を辞め、独立した理由について書いてみたいと思います。


ワークシェアリングならぬスキルシェアリングという発想

コロナ禍に見舞われた2020年。

中国で新しいウイルスが発見されたと皆がマスクをし始めた1月末、関西国際空港でサンフランシスコ行きの飛行機を待ちながら考えたことがあります。それは、事業がうまく行かなかったとき、経営者は何を考えるか。出国前にこのような記事を投稿しました。

こうして空港で一人ボーディング待ちをしていると、いろんなことを考えるのですが、今は「ビジネスには客観視点が重要だよな」ということがずっと頭の中をぐるぐると回っています。そして、僕はいつも、その「客観視点」を大切に生きているような気がします。

こうしたら売れる、こうすれば成功する。そのように初志貫徹で信じることは大切ですが、それで結果が出ない場合は、あ、違ったね。じゃ、やり方変えようか、という柔軟性を完全に持ち合わせている場合のみ、正しいと思うのです。

特にビジネスの場合は、相手あって成立するものですから、その相手という視点をとにかく持つこと。そのためには、やはり、内向きではなく、外向きの視点を常に持つこと、社内ではなく、社外の人間と意見交換をすること、競合他社(いわゆる業界のリーディングカンパニーと呼ばれるような企業)が今、どのようなことをしているのかを知ること、これがとても大切です。

【出国前のKIXにて】ビジネスに客観的視点と、ダメなら方針を変える柔軟性が必要な理由について考えてみる(2020/01/27)

 
そう、客観的な視点。

中にどっぷり浸かっていると、この視点を忘れてしまいがち。視座が下がり、目先しか見えない。社内は同じような人間ばかりなので、意見を求めてもこれと言ったアイデアが出ない。社長が怖いという忖度もある。これ、結構多くの企業が陥っている問題だと思うのです。

でも中には、この「客観的な視点」と「組織の中だけでなく、社会全体を見る」という高い視座を持っている人もいます。そういう人の視点(=能力)は、最近でこそ社外取締役の重要性が日本でも見直されてきましたけれど、やはり、多くの企業が必要としているポジションでもあります。

一つの会社にどっぷりフルコミットするのも良いと思いますが、僕はその客観視点を自分の会社だけでなく、必要とされる他の会社でも活かしてもらおうと思いました。そう、スキルシェアリング。業界全体、社会全体、日本全体で見た時に、どうか。みんなで限られたリソースを共有し、強みを差し出し、弱みを補完し合っていかなければ、シュリンクしていく日本に未来はありません。そして、自分の会社だけ良ければOKではなく、業界全体として発展するためにどうすれば良いかを考えなければなりません。


組織は新陳代謝が必要

さらに、組織には新陳代謝が重要です。

いつまでも代わり映えのしない面子が役員にいても、下が育たない。上が詰まっているとみんなやる気なくすでしょ。そういう意味では、せいぜい経営陣は10年が賞味期限かもしれませんね。血を入れ替えるために、他の会社からヘッドハンティングしてもいい。

そういう意味で、16年いた自分は長すぎたかもしれませんが、とにかく組織も自分もうまく行っている内に、バトンタッチ、アップデートの必要性があると感じました。自分がいなくても組織は自走する。自分はまた一段上のステージでやればいい。そんな風にも思いました。常に変わり続けること、新陳代謝を促進すること。

そういうわけで、この度、新たな一歩を踏み出しました。

次回の記事では、今日書き切れなかった他の理由、独立する前に感じた不安、そしてこれからのことについて書いてみたいと思います。

受け皿は大きい方がいい。そして十分なスペースを空けておく方がいい

忙しい日々が続き、ブログの更新が少し空いてしまいました。この期間に何があったかというと、何も特別なことはありません。仕事して、走って、ゴルフをしていただけです。それだけといえばそれだけ。

その中でもちょっとしたイベントといえば、2/2に46歳になりました。コロナの影響で二年連続、日本国内で過ごす誕生日です。それまではこの時期、毎年シリコンバレーに出張していてカリフォルニアで誕生日を迎えていたのです。

思えば良くここまで生きてこれたなと思います。家族も子どもたちも元気だし、自分もまあまあ健康だし、なんとか生活も出来ている。すべては周りの皆さんのおかげです。自分の力だけでは何ひとつ出来ませんでした。

四捨五入して50歳。いよいよこれからは周りの皆さんと社会に対して恩返しをしていくフェーズに差し掛かってきたなと思っています。今年はまさにそのための始動の年、Design a better future, です。

そのために、昨年から自分が身軽でなければならないと思い、自由に動ける環境を作る準備を進めて来ました。そして自分のアンテナに「良いと思う」ものを同じ波長でキャッチしたものに対して自らのリソースを割くことができるよう、モノ・考え方、人間関係、環境を含め、いろんな意味で身辺整理も進めてきました。

時間と心に余裕を持ち、常にパツパツ・カツカツではなく、不要だと思うものは整理して、自分という「受け皿」に十分なスペースを空けておくこと。そして、「ここ」というところに集中してリソースを投下できるように動きました。

そうすると、空いた隙間をちゃんと埋めてくれる人やモノが出てくるんです。今本当に必要な人たちがすごいタイミングで現れる。不思議なものです。僕は専門家ではないので間違っているかもしれませんが、自分の解釈として、断捨離というのは古きを捨て、新しきを受け入れるということ以上に、自らをアップグレード、再構築するための手段なんだなと実感しています。願わくば、その結果として本当に大切な人たちを幸せにできるかもしれない。

泥のように苦しかった数年の期間を経て、見える景色も周りの環境も付き合う人たちも大きく変わってきました。空が明るく広くなり、気持ちも晴れやかです。もちろんこれから先、下の写真のショートホールのようにトラップがたくさんあるかもしれませんが、それすら楽しんで行こうと思っています。

最後に、誕生日に際してたくさんの方からメッセージをいただきました。皆さまのおかげで生かされています。いつも応援していただいて本当にありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

今日の一枚は、先日ラウンドした小野東洋ゴルフ倶楽部の名物12番ホールです。

2022年のテーマは「答えのない課題に対して全力で取り組む」

2022年、スタートしました。
このブログを始めてから今年で17年目に入ります。

さて、元日を迎えるとやはり一年のテーマを決めてしまいます。変化が速く予測ができない世の中ですから年始と年末では状況がガラリと変わっている可能性はありますが、それでもやはりテーマを決めるとそれが日々の生き方の軸になり、精度の良いコンパスのごとく進むべき方向をしっかり指し示してくれるものとなります。

昨年は「お金にならないことに全力投球」をテーマにしました。人の本性はピンチの時にこそ見えるものです。コロナ禍で伸びていく人と、過去にしがみついて没落していく人のコントラストをはっきりと見てしまったことが、このテーマを生みました。その結果、昨年は自分でも驚くほど多くの出会いやチャンスをいただき、過去最大にお金まわりが良い年になりました。(「年始には想像もしなかったような素晴らしいギフトをいただいた一年」 21/12/28ブログ参照)

こういう経験もあり、やはり一年のテーマを決めることが大切だと再認識したのです。

さて、前段が長くなりましたが今年のテーマはこちら。

答えのない課題に対して全力で取り組む

としたいと思います。
ちなみにサブタイトルは「人の目を気にせず、自分は自分の足で立つ」です。

なぜこのテーマを設定したのか。以下にその理由を記します。

技術、経済、政治といった分野は明確な答えを求めようとします。それはそれで良いと思うのですが、その答えは本当に正しいのでしょうか。少なくとも「正しい解」がないから、政権が入れ替わり、潰れる企業もあれば新しく生まれる企業もあり、様々な経営手法や管理手法が生まれては消えていくのではないでしょうか。

賢い人たちがあれこれ考え、日々死ぬ思いで働き、知恵を絞ってやってきた結果、様々な答えが生み出されてきたのですが、果たしてそれで世の中は良くなりましたかね。

人々の生活は豊かになりましたか?心に余裕は生まれましたか。教育費、学費のことを気にしないで良くなりましたか。老後の心配は尽きませんか。常にお金の心配をし続け、お金を稼ぐために身体を壊し、ストレスで病み、心身の健康を取り戻すためにその稼いだお金を消費しているだけではないでしょうか。ただ、ひたすら消耗する。すべてとはいいませんが、それが今の世の中ですし、過去の自分もそうでした。

技術、経営は僕の中で「仕事」として必ず取り組むべきことではあるものの、やはり自分の思考のベースは上記のような「答えのない問い」について今年も真剣に向き合い、考えて行きたいと思うのです。山積する社会課題にどう向き合うか。与えられた情報を鵜呑みにするのではなく、人と比べてでもなく、自分はどう考えるか。その結果、何を行い、誰と行動するか。答えなんてなくていい。

そういう意味で、今年はより一層、人の目を気にしないで自分の考えをしっかりと持った生き方をしようと思っています。忖度一切なし。

自分の人生は自分のものだし、人の目を気にするものでもないし、お金のためと我慢して嫌な会社に勤め続けるようなものでもない。各々が自分の足でしっかりと立ち、考え、自分はこう生きると決めた人が強いと思うし、そういう人が本当に器が大きく、優しい人なんだろうと思います。だからどうかぜひ、みなさんも我慢しないでほしいのです。二つの選択肢があるとすれば、自分の気の向く方へ。愛か憎しみであれば愛のある方へ。

僕はまだまだこれからですが、課題もはっきり見えているからこそ、それに対してピンポイントで取り組むことができる。

2022年。

2月2日生まれの自分にとっては、2が並ぶ人生のターニングポイントの年になると思います。

Design a Better World.

少しでもより良い社会の実現に向けてお役に立てていただけるように精進していきますので、何かお手伝いできそうなことがあればどんどんお声掛けください。

皆様にとっても2022年が素晴らしい年になりますように。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年末のゴルフ納め、ホームコース14番のティーグラウンドから見えた雲海です。

山の上での新生活はじまる

夏場の引っ越しは大変!!

いや〜ようやくこの週末、引っ越しが完了しました。

駅前の便利なマンションから山の上にある実家への引っ越しです。電車通学をしている娘たちは嫌がるかな〜って思ったら、ふたりとも「バスで駅まで行くのうれしい!」って。考え方は人それぞれですね。今朝の出勤時は同じ時間に家を出た長女と同じバスに乗って駅まで行きました。なんだか新鮮な感じで楽しかった。

実は、両親が田舎暮らしをしていた十数年前まで実家に住んでいたことがありまして。当時、長女は3歳で次女は1歳でした。このたび色々とありまして、十数年ぶりの帰還です。

この一ヶ月、引っ越しのためにキッチンやトイレ、洗面台をはじめ、床や壁紙などほとんどリフォームをしました。夏場の作業をがんばっていただいた業者のみなさまには大変感謝です。

通勤は不便になりますが、色々とメリットもあります。今までが便利過ぎたので、自分を鼓舞させるためにメリットとデメリットを列挙してみました。

■メリット
夜景が美しい
鳥のさえずりと川の流れの音で目覚めることができる
庭が広大
ホームコースのゴルフ場が近くなった(当社比15分短縮)
平地がないので、トレーニングに最高
登山道が近い
庭仕事、畑仕事できる

■デメリット
平地がない
海まで遠い
最寄り駅までバスで15分
(以前は自宅から改札まで徒歩3分)
どこに行くにも車
(時間があればランナーとしてもちろん足を使うが・・・)

芝生を貼ってアプローチ練習場など作ろうかな、など、色々と企んでいます。ランナーとしては山を走り回ったろうかな、とか。

まだまだ荷物でひっくり返っていますし、ダンボールも山積みですが、これから少しづつ片付けをしていきたいと思います。

ブログ開設17年目。この一年で自分が関わる世界が劇的に広がった理由を考えてみる

毎年6月はこのブログの誕生月です。
このブログを書き始めたのが、2005年の6月。

誕生してから丸16年になり、17年目に入りました。思えば長いことやってるものです。書き始めた当初、自分が20代だったなんて信じられません。あの頃、僕は29歳で、長女は生後6ヶ月でした。それが今や、ね。月日が経つのは早いものです。

ブログを書くことは今どき流行らないとは思いますが、僕個人として続けて来て良かったなと思うのは、29歳から今までの歩みがしっかりとログとして残っているということです。

その時どんなことを考え、選択し、決定してきたのか。その積み重ねで、仕事の幅が国内から海外に広がって行き、仕事の内容も変わり、できることも増え、セミナーや講演会や大学の授業に登壇し、自分の立場も、関わる会社の数も増え、走る距離も走る場所も、ゴルフの回数も一緒に回るメンバーも、出会う人々の数も、様々な勉強会やコミュニティを通じて生み出す価値も、本当に色んな変化が起こってきました。

それらすべてが、若い頃には想像もしなかったくらい素晴らしいものばかりです。一つだけ言えるのは、その当時の僕に今の僕はまったく想像できなかったということです。ここから学べることは「自分の価値観と意思決定の軸だけしっかりしておけば、別に目標なんて決めなくて良い。結果は必ずついてくる」ということです。

今年一年の振り返り

コロナ禍が深刻になり始めた昨年3月に激しく体調を崩してしまいました。飛行機で国内外を飛び回る出張生活の疲れが出たのか、それとも、コロナ禍による世の中の激変に身体が過剰反応してしまったのか分かりません。ただ、その時の苦しみの中で僕は勝手にこう言い聞かせていました。

ちなみに今は、自分の身体が色々とアップグレードする前の脱皮のような状態だと理解していて、捨てるものと、新しく身に着けるものの間(はざま)を楽しんでいる状態とでもいいましょうか。とにかく、過渡期なんだろうなあと日々実感しています。(2020/03/02)

【笑って読んでください】一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうなあ。(2020/03/02 記事)

結局その後、4月は毎日のように微熱が続き(PCR検査は二回とも陰性)、わずか2ヶ月で体重が8kg減少しました。この期間は本当にまったく走れない日々が続きました。

でもようやく夏になり身体も回復してくると、そこから徐々に自分の考え方も、周りの環境も大きく良い方向に変化していきました。ああ、これが「アップグレード後の自分なのかな」と徐々に思えるようになってきました。今までの自分はどこか生き辛さを感じていたのですが、急に視界が開けたというか。そして、同じような価値観を持つ仲間がどんどん増えてきました。引き寄せられてるというのでしょうか。2019年〜2020年まで本当に苦しんだのですが、産みの苦しみを乗り越え、ようやくアップグレードできたようです。長かったし苦しかったけど、ようやく出口にたどり着いた。辛かったけど、諦めずに頑張ってきて良かった。

昨年末にはこのようなことを書いています。

枠にはめ込まれるという窮屈な価値観や、お金や土地や地位を持っている人がえらいという旧時代の価値観は消えてなくなります。「勝ち組、負け組」の定義は、その人が今、幸せと感じているかどうか。

所有よりもシェア。密よりも疎。囲い込みや制限よりも開放。物質的な幸福より精神的な充足。管理よりも信用、お金よりも人とのつながり。

今まで生きづらさを感じていた人が、これからは生きやすくなる理由について(2020/12/30 記事)

みんな違ってみんな良いという価値観。人を大切にし、働き方の選択ができる会社が伸びるということを書いた時、僕がすべきことはこれだなと確信しました。そして、今年2021年の年頭に掲げた目標は「儲からないことに一生懸命」というテーマです。そして、本当にそのことを実践してきました。

今年に入って母を亡くし、辛い日々もありましたが、春以降、すべてがうまく回るようになって来ました。それも劇的に。数えるとキリがありませんが、仕事はもちろんのこと、社会課題と国際問題を解決するために大学と行政が中心になって提言する勉強会に参画させていただいたり、ベンチャー企業やスタートアップスのアドバイザーの依頼も増えました。本気で変えたい、本気でこうありたい、という人たちのお役に立てることができるのは本当にありがたいことです。

そして、これらはコロナ禍による「オンライン・コミュニケーション」の中で生まれたものです。オンラインがここまで定着しなければ、僕は毎週のように東京に行かなければならなかったでしょう。でも、オンラインだからこそ、時間と場所を選ばず、様々な人と繋がることができました。

最近本当に思うのは、この大きな変化の中で、波に乗れた人と乗れなかった人の差があまりに開いてしまったことです。毎日笑顔でニコニコいる人と、暗い顔をして、こんなはずじゃないのにと眉間に皺を寄せている人にくっきり別れてしまいました。自分はどっちにいるでしょうか。何が間違っているのでしょうか。もし間違っているのなら、なぜ変われないのでしょうか。これはみんなが自問すべき課題だと思います。

僕はもうね、とにかく毎日ワクワクしています。
来年なんて一体どうなっているだろう。どんな素晴らしい未来が待ち受けているだろう。楽しみで仕方ありません。

そんなこんなで、17年目に入ったこのブログですが、まだまだ続けて行きたいと思っています。大した内容もなく、ネットの過疎にいるようなサイトですが、17年目もお付き合いいただければ幸いです。

6年ぶりに日本で年を重ねることができたのも何かの縁かもしれない

先日、母が70歳でなくなりました。

末期の膵臓がんと診断されてから、奇跡的な回復と体力で三年三ヶ月もがんばって生きてくれた母。その間にいろんなところを旅行し、たくさんの思い出を作ることができました。長い闘病生活、本当に良くがんばったと思います。たくさんの方からお悔やみや励ましのお言葉をいただき、感謝しております。とても心強かったです。ありがとうございました。

僕としてはコロナの影響で、なんと6年ぶりに日本で過ごす誕生日となりました。この時期は毎年カリフォルニアのサンノゼに滞在していて、時差の関係で誕生日を二回過ごすことができるということをネタにしていたのですが、今年はコロナの影響でそれもなし。

でも、そのお陰で母の側にずっと一緒にいることができました。本当に良かった。これも何かの因果というか縁なんでしょうかね。

45年前に僕を生んでくれた母が、僕が生まれた45年後になくなった。人生、長いようで短いものです。その一瞬の光のきらめきは切なくて、でも、本当に尊くて。

この年になるといろんな変化が周りで起きます。

さらに時代の変わり目ということもあります。ごまかしや上辺だけを取り繕うことが通用しなくなる、より本質的な世の中になっています。

今は前を向いて足元をしっかり固めつつ変化を続けて行こうと思っています。

芯の通った、骨太の人間になって強くありたい。そして、周りの人には優しくいたい。

この一年もどうぞよろしくお願いいたします。

45年前の母と僕