7月に入りましたね。毎日暑い日々が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。こちらは色んなことが重なり、非常にバタバタしていました。
近況としては、まず、自社の10期目の決算を6月に迎えました。
今期(いや、7月に入ったから前期ですね)は、おかげさまで過去最高益、前年比300%以上増で着地。顧客、取引先には大変お世話になりました。2022年3月に独立してから、ようやくあるべき形やペースが見えてきたこと、良い評判をいただいて色んなルートから仕事を紹介いただけることになったこと、領域がコンサル、マーケ、採用、事業開発以外にも拡大し、ご支援させていただける企業や団体が増えてきたことで、このような結果になったのだと思います。
ペースという意味では、今でも平日休日関係なしの生活をしています。平日でもゴルフや神社めぐりをしているし、予定のない週末は大好きな図書館やカフェで仕事をしています。会いたい人には会いに行き、行きたいところがあれば行く。時間や場所に拘束されないライフスタイルというのが、僕自身の理想であり、そのために一人でフットワーク良く動けるように環境づくりをしています。
弊社は7月から11期目に入りました(実は独立前の役員時代から二足のわらじを履いています)。ありがたいことに今期も既にたくさんのご相談をいただいています。どんなご相談でも恩返し、恩送りと思ってお受けさせていただいていますのでお気軽にお声がけください。
そして、もう一つ。
6月末に、96歳の祖母が亡くなり、通夜葬儀の喪主として見送りました。
昭和3年生まれ、終戦後に若くして嫁ぎ、数え切れないほどの苦労があったことは容易に想像ができるし、夫(祖父)を22年前に、長女(母)を3年前に亡くして寂しかっただろうけど、認知症もなく、家族親族を大切にし、義理人情に厚く、記憶力抜群の聡明な女性でした。おばあちゃんは僕自身の良い理解者で、いつも僕がすることを心配しつつも応援してくれていました。
親戚やご近所の方が弔問に訪れてくれた際、松田さんは本当に賢い人だった、という言葉を何度も聞きました。「賢い」とはどういう意味なのかを考えていたのですが、恐らく、記憶力が良いこと、勘が良くどんなことでも器用にこなすこと、常に周りの人間のことを考えて一歩二歩先の手を打っておくこと、そんな感じなのかなと思います。
おおよそ100年、ひとつの世紀を生きたわけですから、大往生といわずしてなんというのか。我が家としては一つの時代が終わったな、という感じです。戦前、戦中、戦後を強く逞しく生き抜いた昭和の女性の強さはマネできるとは思っていませんが、僕は僕なりに、受け継いだものを守り、祖母を安心させてあげれたら、と思っています。
今週は東京出張からスタートです。
一週間がんばりましょう。
「ご挨拶」カテゴリーアーカイブ
さあ、これから何して遊ぼう
思えば遠いところまでやってきたなあ、というのが実感です。
このブログは2005年の6月に始め、今月で丸19年を迎え、20年目に入りました。
たかだか20年とはいえ、その間、様々なステージチェンジがありました。0歳だった長女は大学生になり、始めた当時は生まれていなかった次女も高校生になりました。僕自身のキャリアも色々と変化がありました。絶好調の時もあれば、絶不調の時もありました。そのような山谷を乗り越えながら、なんとか生きている。結果的に生きてきた。そんな感じでしょうか。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは、パスカルが「パンセ」の中で書いた言葉と言われています。
この言葉、若い頃は意味が分からず、なんて刹那的な言葉なんだろう、もっと人生には深い意味があるのではないのかと思っていたのですが、今となっては、ああ、人生って確かに死ぬまでの暇つぶしなんだなと素直に共感しています。今生きている人が、それぞれ思い思いに暇つぶしをしている。その手段が仕事であったり、何かの活動であったり、趣味であったり、結婚や子育てであったりするのですよね。「生きがい」というものを見つけ、それぞれがそれぞれの人生をまっとうする。「暇つぶし」とは、時間を無駄にしているような印象を受けますが、時間の使い方と考えると、そういうものだよな、と納得します。
養老孟司先生は、何かのインタビューで「生きることの意味?生まれてきたんだから、生きるしかない」というようなことをおっしゃっていて、腹落ちしたことがあります。生まれてきたからには生きるしかない。そこに意味なんてなく、生まれたからには、死ぬまでどう生きるか、それだけ。というシンプルな答えにたどり着きます。親から受けたバトンを、80年か90年生きて、子や次の世代にバトンを渡して、死ぬ。
その間、自ら問いを立て、その問いにどう答えていくか。
その繰り返しと積み重ねですよね。
仕事柄、人と会うことが多いのですが、色々な人と話をしていると、この人はこういうところで生まれて、このように生きてきたんだ、と、それぞれの今までの人生を想像しています。人それぞれの「暇つぶし」の仕方を聞くのは楽しいですよね。ああ、あなたはこういう方法を選んだんだ、それ、面白そうですね!僕はこんな方法で暇つぶしをしていますよ、というような感覚です。周りの人に寛容になれるし、重たいものを背負う必要もないし、楽しめたらそれでいい、という感覚になり、肩の力が抜けます。
さあ、これから何して遊ぼう。
皆さんの遊びもお聞かせくださいね。
このブログでは、日常生活から日頃考えていることまで幅広く書いていますが、これも一つの暇つぶし。今どきブログも流行りませんが、自分に対する備忘録として、インターネットという海に浮かぶ過疎の島で細々と何かを書いて発信すること、続けられる限りは続けて行きたいと思っています。
20年目もよろしくお願いいたします。
起業はプロボノの延長線にあった方が良い理由
新年明けましておめでとうございます。
今年は辰年(龍年)ですね。辰年早生まれの僕は今年は年男。干支が4周します。昇竜のごとく勢いをつけていきたいところですが・・・コツコツと目先の仕事に全力投球していきたいと思います。
さて、新年ということもあり、決意を新たにしている方も多いのではないでしょうか。やはり気になるのは自分自身のキャリアについて。僕自身が早々に会社勤めを辞めて一人会社を経営しているということもあり、起業(フリーランスを含む)を志す方から相談を受けることが多くあります。
起業というのは、確かに魅力的な選択肢です。人生100年時代、寿命が延びた分、働く期間もそれだけ長くなるわけですよね。平均寿命が70歳の時代は定年60歳で良かったのですが、平均寿命が90歳になると、これからは80歳までは普通に働かなければならなくなります。そういうことを考えると、一つの会社に依存するのではなく、自分でなにかしら飯の種を持っておいたほうが良い。
しかし難しいのは、起業したはいいが稼げるの?ということなんですね。
個人的な考えですが、起業には向き不向きがあると思っています。
どうも世の中的に、テクニック先行の起業支援みたいなものが多くありますが、どうなんでしょうね。テクニックで稼げている人、僕はほとんど見たことがありません。
一例として、僕が知っている起業家は、学部生の頃になんとなく起業したいという思いから、仕事もなく、ビジネスのコアも定まっていないのに、とりあえず株式会社を登記し、そこから自分たちが得意だった動画制作を軸に、広告マネジメントに事業を拡大させ、都内の一等地にオフィスを構え、社員も増やして会社を成長させています。
理念やパーパスは後付け、SNSでの発信もなし。
最初に仕事をくれたクライアントを大切にし、少しづつ仕事を増やし、経験したことがないことは学び、結果を出し、良い評価を得て、満足したクライアントがまた別のクライアントを口コミで紹介して仕事を増やし・・・という基本的なプロセスを充実に回しているだけです。阪神タイガースの岡田監督が「当たり前のことをやれば勝てる」と言っているのと同じなんですよね。稼げている会社の創業者って、こういうパターンが圧倒的に多いです。ピッチなんて、したことないんじゃないかな。
僕は個人投資もしているので、比較的スタートアップスを色々と見ている方だとは思いますが、その基本がないのに「自分がこうしたい」という思いや理想だけが先行して、ビジネスにならない人を山ほど見てきました。そういう人に限ってSNSでの情報発信は立派なのですが、中身がない。他にも、稼ぎたい!という思いでブルーオーシャンに飛びこんだは良いが、マーケットニーズがなくて売上が上がらず、出資先へのリターンも出せずに頓挫したケースも枚挙に暇がありません。
これに関しては過去記事をご覧ください。
思いはあっても仕事はないという現実にどう対処するか(2023年8月11日)
個人的な意見ですが、起業はセンスが9割だと思っていて、自治体やVCなどによるベンチャー支援やスタートアップス投資などのプログラムには非常に懐疑的な部分もあります。誰でも起業とは聞こえは良いが、無理ですって。(いろんな人を敵に回しそう・・苦笑)
結局、補助金や出資金頼みで実利も上がらずにシャブ漬け状態になり、撤退、廃業というケースが多すぎる。そもそもセンスがないんだと思うし、ピッチのテクニックだけが向上し、先に書いた「ビジネスの基本」が出来ていないケースが多いのではないでしょうか。
では、どうするか。
まずは会社員として会社勤めをしながら、社外での越境プロボノ活動やボランティア活動を積極的にすることで人脈を広げ、経験を磨くことをおすすめしています。会社経営で必要なのは、様々な財布(稼ぎのチャンネル)をたくさん持っておくこと。起業しても、クライアント一社からの受託業務をメインに仕事している方も多いですが、それでは契約社員と変わらないし、なにかあったらすぐに切られてしまうということで非常にリスキーです。
いずれにしても会社員をしながら、新しいことにチャレンジし、お小遣い稼ぎレベルでも良いから、本業以外で稼ぐことをやってみる。その積み重ねの先に起業があるのではないでしょうかね。
とにかく、今年は円高基調が予想されるとはいえ、ビジネス環境が厳しいのに代わりはありません。今年も様々な業界で淘汰が進むでしょう。今一度気を引き締めて、がんばってまいりましょう!すべての人にとって今年一年が素晴らしい年になりますように。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
不安定を楽しむ
今年も楽しい一年でした。
物理空間と精神空間の間を行ったり来たりし、多くの新しい出会いもあり、また一つ成長できたような気がします。
人は試練の時に真価が問われる。
春の体調不良の時は、多くの方にご心配をおかけしました。人の温もり、励ましの力を本当に実感しましたし、今でも久しぶりに会った方からは「元気?」「最近どう?」という言葉を掛けていただきます。肉体的にも精神的にも決して強くない、いやむしろ病弱で低空飛行が通常という自分を受け入れつつ、それでも生かせていただいているのは、なにか社会の役に立つことをしなさい、と叱咤されているのではないかなと、山や森、神社にお参りに行くたびに思うわけです。感謝の心を忘れず、前へ。
独立して二年目、一人会社の一人社長とはこういうことかと色々学ばせていただいた一年でした。端的にいうと、会社員と違って時間拘束がないので、自分で時間のコントールはできるけれども、自分が動かないと何も進まないし、自分の代わりに仕事をしてくれる人もいない。とにかく自転車を漕ぎ続けるがごとく、自分が動き続けなければならない。そんな感じです。倒れたら終わり、という恐怖心とも常に隣り合わせです。その代わり働いたら働いた分だけ収入はある。この不安定さがなんとも面白いのです。どこにも何にも甘えることはできない。
ありがたいことに仕事が急角度で増え、来年の予定もびっしりと埋まっています。僕のような仕事は年間契約で動くことがほとんどですので、契約更新をしていただくとまた一年、顧問先、支援先の会社と伴走しながら成長を支える、そのようなイメージです。だからこそ、結果が求められる。誰もができる仕事をしていては、必要とされない。専門性、経験、他にない価値とはなにか、それをひたすら自問自答しながら、黙々と磨いてきた一年でした。
よく予測不能な時代、と言われますが、予測できた時代など人類の歴史の中であったのでしょうか。人はどの時代でも予測ができない不安定な世の中で生き、子孫を残し、今この瞬間まで何万年も続いてきたという歴史があります。その時、その一瞬をどう生きるか、その無数の選択の積み重ねが線となって今となり、そして次の時代に続いていくのでしょうね。良いことも悪いこともすべて含めて。
だからこそ、一つひとつの選択を信じて進む。光が指す方向へ歩いていると、本当に不思議なことに新しい人とのつながりができたり、思わぬ人に出会えたりするのです。志をともにする仲間は自然と引き寄せられていくのでしょう。
最後に個人的な今年のハイライトを。
トレイルレース:3月 六甲縦走キャノンボールラン
ゴルフ:約40ラウンド
新しく始めたこと:シニアモデルとしての活動
嬉しかったこと:某学校法人創立100周年記念ゴルフコンペという大きな大会で準優勝
仕事:一般社団法人白秋共同研究所の設立、理事に就任
仕事、ラン仲間、ゴルフ仲間、KNS、大学関係、足祭りボランティアグループ、グローバル人事塾、白秋共同研究所、神社仲間、美容業界・・・様々なコミュニティに属させていただいている自分ですが、多くの仲間たちと共に時間を過ごし、支えていただきました。
また来年も引き続きよろしくお願いいたします。
それでは少し早いですが、良いお年を。
ブログを書き始めて18年が経過しました
関西地方は、梅雨の晴れ間。
雲の切れ目から少しだけ青空が見えたりして、蒸し暑くも気持ちの良い一日です。湿度の高い空気に、漬け込んだ大量の梅の香りが混ざり合い、漂ってきます。
気づけば6月ですが、6月といえばこのブログの誕生月です。2005年の6月からスタートして、丸18年。19年目に入りました。ブログの良いところは、過去のアーカイブを見て、その時の自分が何を考え、何を書いていたのかを振り返れることです。当然、世の中も自分の考えも、時間の経過と共に変化してきました。30代は成長一辺倒、努力一筋の筋肉質な考え方だったのが、より本質的に物事を捉え、答えを得るよりも「問いを立てる」ことを重視するようになってきました。
「問いを立てる」ためには、普段から自分の思考力と判断力を訓練しておく必要があります。そして判断力の精度を上げるためには、良質かつ膨大なインプットによる知識のプールが必要です。自分の場合、ここ数年、ネットから情報を収集するのではなく、本や論文から収集することを心掛けるようになりました。
ネットの情報はあくまで「速報値」として利用するけれど、時代の流れを掴み、今、なぜこういうことが起きているのかを分析するには、100年スパンでの経済史や歴史を学ぶことが必要です。瞬間瞬間を点で判断するのではなく、リニアに右方向に進む、直線的な時間軸の中での一事象と捉えた方がいい。俯瞰した物事の見方をしていれば、根無し草のように振り回されたり一喜一憂することもありません。ネットでは「それらしいこと」は発信されているけれど、薄くて価値のない情報が溢れているので、玉石混交の中から玉を拾い集めるのは困難です。
これから先をどのように生きるかについては、昨夜、同じ年の友人と飲みながら一つのヒントを得ることができました。友人は、55歳を一つの区切りとして(僕たちの年齢でいうとあと8年後です)、その時に「自分はこうなっている」とイメージしているそうです。確かに彼女は今でも仕事で成功しているし、「脳は騙されやすいのよ」と言っていることから、なりたい形を具体的にイメージをすることを普段から心掛けているのでしょう。
僕の場合、自分が「こうなりたい」とか「ああなりたい」とかを考えることが非常に苦手です。なぜなら人生の目標というものがなく、あったとしても、健康でありたいとか、社会のお役に立ちたいとか、漠然としたものしかないのです。でも、ただ漫然と生きるよりは何かしら目標があった方が良いなとも思うので、これは今年の宿題にしたいと思います。
さて、毎年、ブログの周年を迎えるに際し「僕はここでなにかしらをずっと書いています」と決意表明をしているのですが、今までなんとかその言葉どおりに続けてくることができました。そして、これからも僕はこの辺境の地でなにかを書き続けるでしょう。
いつも独り言に付き合ってくださる皆さまへ感謝の気持ちをこめて。
19年目もどうぞよろしくお願いいたします。
より良く生きていくためには。個人として会社として。
今年に入ってからジェットコースターのように日々が過ぎ、いつの間にやら2月に入っていました。この1月から3月に掛けて、関わっている各業界団体の大きなイベントが続きますので、一部バックデートしますがご紹介しておきたいと思います。
まず、理事を努めている一般社団法人グローバル人事塾の10周年記念イベントを1月18日に東京の日本橋で開催いたしました。このような状況下にも関わらず、当日はHR業界のトップリーダーから各企業の人事担当者様など300名近い方にお集まりいただき、お祝いの言葉を頂戴いたしました。もう何年ぶりだろうというくらいリアルな場での熱気を感じながら、この10年を皆さまと振り返ることができました。
昨今、労働人口不足や少子化、働き方改革など、企業としては労働力確保と新時代に向けての組織改革、個人としては長引く不況下と低成長社会の中での生活設計戦略など、「働くこと」に対する課題が浮き彫りになっています。グローバル人事塾では、「人事のチカラで世界を変える!」をキーワードに活動を行ってきましたが、まさに今こそ広義の意味での「人事のチカラ」が求められていると思います。業界のリーダーの皆様からも激励のお言葉を多数頂戴いたしました。これからも企業横断的にフラットに集まることができるこの場をずっと続けていきたいと思います。運営の皆様、ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。
さて、東京の周年イベントには参加出来なかった皆様のために、大阪でも開催いたします。日時は2/21(火)、場所は十三のプラザオーサカです。イベントページはこちらから。皆様のお申し込みをお待ちしています。
さて、話は変わりまして。
国連のグローバル・アジェンダの中で、ポストSDGsとして提唱されているのがウェルビーイングです。人生100年時代を4つの時代(春夏秋冬)に分ける考え方が中国にはあり、50〜75歳までを「白秋世代」と呼んでいます。まさにこの白秋世代が日本において人口の40%近くを占めるまでになっています。ところが今の日本では、会社の仕組みとして55歳役職定年、60歳定年退職というシステムになっており、50を超えるとやりがいを感じなくなってしまう人が多いのも事実。そこで、この白秋世代に対して企業はどう向き合うべきなのか、そして、個人としてシニア世代をどう幸せに生きていくか(=ウェルビーイング)を考える必要があります。
このテーマについて企業コンソーシアム的に研究していきましょうというのが「白秋共同研究所(所長:予防医学者 石川善樹先生)」です。2020年の創設時、神戸の有力企業を中心に35社が集まり、現在、任意団体として活動していますが、この春以降、公益性と社会性をもたせ関係企業や団体を更に増やして本格的にドライブしていくために一般社団法人化することになりました。
3月7日にANCHOR KOBE(アンカー神戸)で社団法人化に向けてのキックオフセミナーを神戸商工会議所さんと共催します。協力団体として(一社)人と組織の活性化研究会(神戸大学APO研)、そして、グローバル人事塾も名を連ねております。基調講演は「問い続ける力」や「むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました」で著名な予防医学者の石川善樹先生を東京からお迎えして行います。パネルディスカッションもありますよ。
参加費無料、どなたでも参加できます。後半で私から社団法人の目的と活動についてプレゼンさせていただきます。神戸の美しい夜景を見ながら、皆様とディスカッションできれば幸いです。ぜひ、ご参加ください。
イベントページ、お申込みはこちらから(peatix)
八ヶ岳から今年一年の振り返りを
今年の主要な仕事をすべて終え、信州は蓼科の森の中にやってきました(寒さに弱いはずなのに)。こちらは一面の銀世界で、関西の寒さとはまた一味違った趣があります。
外の雪景色を眺めながら、ゆっくりと今年一年を振り返りをしていました。
今年はなんといっても、勤め先を退職して独立するという人生の中でも大きなターニングポイントとなった一年でした。3月がもう随分昔のように感じます。それくらいあっという間に時間が過ぎて行った感覚があります。
サッカー日本代表の森保監督は「新しい景色」という表現を使っていましたが、この言葉、自分もよく分かります。組織の中にいた自分が見ていた景色と、今の自分が見ている景色は、まったく違うからです。良いことも悪いことも、すべて自分次第。起こる事象すべてが、なんのクッションもなくダイレクトに自分に返ってきます。怖くもあるし、楽しくもある、そんな感じでしょうか。
以前にも書きましたが、一ヶ月を30日としたときに、ビジネス10日、社会活動(ボランティア)10日、趣味10日、という割合で生活をしていますので、物事を考える時間もたっぷりと取ることができました。自分の価値とはなんだろう、自分が社会のお役に立てるとしたらどのような方法だろうと自問自答していると、不思議なことに多方面からこれを手伝ってほしい、こんなことをしてほしいとオファーをいただきました。事業拡大や、法人の立ち上げ、顧客とのコミュニケーション施策など、自分のスキルと経験が活かせて、なおかつ直接的にお役に立てそうなオファーがあると、自分はやはりこういう分野で求められているんだなとの実感を重ねています。
良いことの方が圧倒的に多かったとはいえ、多少なりとも難しいなと思うことにも直面しました。そんな時は、グーグルの研究結果として有名な「優秀な人材は、”人生で苦労をしたかどうか”が重要」(コミュ力もリーダーシップもいらない。元Google社員が語る、本当に「優秀な人材」とは)を思い出しています。解釈の仕方は色々とあると思いますが、苦労を避けて通るよりも、修羅場経験をたくさん積んだ方が人として成長でき、対応の引き出しが増えるということだと認識しています。苦労は必ず糧になる。そう考えると、たとえ修羅場のような場面に直面したとしても、前向きに捉えることができますし、実際にそのような気持ちでいます。
この一年を振り返った時、まずは大きな決断をし、一歩を踏み出した自分を褒めたいと思います。同時に多くの人に支えていただきましたし、今まで出会えなかった人たちとたくさん出会うことができました。まさに「新しい景色」を見ています。それらすべてに感謝したいと思います。
さて、自分にとって、2023年はどんな年になるでしょうか。見えている景色のその先には何があるのでしょうか。自分が今、すごくワクワクしています。少しでもこのブログをご覧いただいている皆様に、何らかのエネルギーと、少しの笑いを届けることができれば、こんな嬉しいことはありません。どうぞご期待ください。
「それそのものにどんな意味があるのか」を考え、あるべき姿を常に想像しながら歩んでいきたい。ブログ開設18周年のご挨拶
雨が上がって、青空が広がる。
毎朝、庭の水やりを日課にしていると、天気の変化に敏感になります。朝起きて今日は晴れてるかな、曇っているかなと空を見上げ、庭の土の乾き具合を見る。近所の植物園までジョギングをして、森の中で肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで、ゆっくり時間を掛けて息をはく。サウナはあまり得意ではありませんが、この森林浴も一つの「ととのう」ということなのでしょうか。
6月は、このブログをスタートした月になります。
2005年の6月にブログを書き始めて丸17年が経過し、18年目に入ります。当時はスマートフォンもなく、その間、コミュニケーションの手段やインターネットで使用される技術もどんどん変化して行きましたが、自分はこのようにネット世界の辺境で、ひっそりと、こつこつと、テキストを打ち続けることによって「思考をととのえる」ことを習慣にしてきました。書き始めた頃は30歳になる手前で、もちろん書いていることも今とは違うし、仕事に対する思いもテクノロジーに対する考え方も今とは異なっていたように思います。17年という月日は人を変化させます。願わくば「成熟」という方の変化が良いのですけれど。
最近、自分が関わっているプロジェクトや製品について、なんでもかんでも新しい技術やトレンドを導入することを最優先にすることはやめ、とにかく「理念と哲学」にこだわるようになってきました。
参画しているメタバース・プロジェクトでは、目に見える社会の課題をどのように解決できるか、それによって人が幸せに生きていくためにはどうすれば良いかを考えています。具体的には、地域ごとの自立分散型経済と互助共助社会の実現です。インターネットが出現してから30年、2019年ノーベル経済学賞のバナジーとデュフロがいうように「先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない」という事実と、少なくとも30年間経済成長のない(=物質的に豊かになっていない)この国において、じゃあ、自分たちはどのような未来を作っていけるのか、そこはグローバルとは真反対のレイヤーを構築していくことではないかと考えるのです。
企業を成長させることや売上を上げることはとても大切です。でもね、最近、世の中の潮流が少しづつ変化しているように感じませんか?
「グーグルがこんなことをやっている」とか「イーロン・マスクがこんなことをやっている」とか「シリコンバレーではどうのこうの」(自分もSVで仕事をしていたのでこの地の魅力は良く知っているのですが)というキーワードに飛びつく人がものすごい勢いで減っているような気がするのです。むしろ、彼らがやっていることはより良い社会の実現というよりは富と情報の一極集中であるよね、と。富も体力も時間も搾取されることに疲弊してきた自分たちは、分断を作る世の中ではなく、お互い助け合いながら貨幣経済に依存しない社会で生活する方が幸せなのではないだろうか。
小よりも大、遅よりも速、狭よりも広、停滞よりも成長、が良しとされ、自分もビジネス一辺倒で今まで走り続けてきましたが、そろそろ舵を切り替えるタイミングに差し掛かっています。成長第一の旧態依然とした考え方には年々不感症になってくると同時に、周りにそのようなギラギラした人も自然といなくなり、淘汰され、周りには価値観を共有できる本質志向の人たちだけのコミュニティが残り、心地良さの中にも課題意識があるという不思議な感覚です。
テクノロジードリブンで新しいものを次々に構築していくことは否定しませんが、ソフトにしてもハードウエアにしても、あるいは会社経営にしても「それそのものにどんな意味があるのか」を徹底的に考え、あるべき姿を常に想像しながら意思決定をしていきたいと思っています。
さて、毎年、ブログの周年を迎えるに際し「僕はここでなにかしらをずっと書いています」と決意表明をしているのですが、今までなんとかその言葉どおりに続けてくることができました。そして、これからも僕はここでなにかを書き続けるでしょう。
いつも独り言に付き合ってくださる皆さまへ感謝の気持ちをこめて。
18年目もどうぞよろしくお願いいたします。
会社を辞めて独立した理由 ② 〜 正社員制度・ピラミッド型組織に対する否定、プロジェクトごとに個が集まるチーム制の働き方、社会課題の解決に向けて
前回の記事で、会社を辞めて独立した理由について、客観的視点、自分自身のスキルを一つの会社だけでなく、複数の会社にも使っていただくというスキルシェアリング、組織の新陳代謝、自分自身のアップデートという4つの要素を上げてみました。
とはいえ、46歳家族持ちが会社を辞めるということは、それなりに勇気がいることです。転職には全く興味がなく(理由は後述します)、独立一本で考えていたのですが、もし仕事がなけばどうしよう、収入がなくなったらどうしようと、社会面での孤立と経済面での不安を抱えていました。中高生の娘二人はまだまだこれから山のように学費が必要ですし、それなりに安定しているものを手放すことって大変です。
プロジェクトごとに個が集まるチーム制の働き方
一方で、社会システムが大きく変容していくことも目の当たりにしました。2020年のコロナ禍で、人々のワークスタイルが大きく変わり、時間と場所を選ばず仕事ができるようになりました。そのため、「課題に対して、会社組織を横断してチームを集めて取り掛かる」という自分の理想の形が非常にしやすくなるとも思いました。このブログでは10年ほど前から「個としていかに強くあるべきか」を事あるごとに論じてきたつもりですが、コロナにより、強い個が集まるためのハード、インフラ面が整ったという印象でした。
転職に興味がなかったと書きましたが、その理由は「会社員」になるのが嫌だったからです。どこか一つの組織にフルコミットすることで制限が発生し、不自由を余儀なくされることは、自分の中でもはや意義を感じられることではないのです。まあそのうち、会社員っていう制度そのものがなくなると思います。そうなると出世競争も社内政治闘争もなく、仕事ができる人がちゃんと報われるという健全な社会になるとは思いますけれど。
今後、仕事はピラミッド型の組織で正社員が集まり行うのではなく、プロジェクトごとに個が集まるチーム制になると考えていますし(メーカー、製造業、インフラ、官公庁等は別かもしれません)、そのためには自分がフリーでいなければならない。個人事業主なのか、法人の社長なのかはさておき、身軽で自由であること。それが必要かつ最低条件だと思っています。そのような理由で、なんでも自由に自分で決裁し、迅速に動くことができる「独立」を選択しました。
自分が持てるスキルを様々な会社に提供したい
今後ですが、自分が持てるスキルを様々な会社に提供したいと思っています。一言でいうと事業開発コンサルタント、ってやつですかね。自分は今まで技術畑でシステム開発に携わり、サービスをリリースし、EMC、電子、エレクトロニクスの分野で技術営業、セミナー登壇、講演活動をしてきました。また、会社役員として、事業拡大、新事業創出、海外への事業展開、国内海外企業とのビジネスアライアンス、人事採用教育など、会社運営のほとんどすべてに携わってきました。
もちろん、しんどいことも山ほどありましたし、ストレスで身体も壊し持病も増えましたが、小さな会社にいたからこそこれだけのことをさせていただいたわけで、感謝しています。そして、自分も「強い個」であるため、ロジックだけでなく泥臭い実践経験を積み上げ、社外活動やスキルアップにいそしみ、決して立場に安住してきたつもりはなく、弱く脆い自分を少しでも強くしてきたつもりです。
自分の視界に入る会社の中には、素晴らしい技術やサービスを持っているのにも関わらず、事業拡大するための人が足りない、ノウハウをもった人材が不在で、伸び悩んでいる会社が多くあります。自分の経験とスキルで少しでもそういった会社のお役に立ち、押し上げ、日本の会社を元気にしたいと思っています。
今はまだ独立したばかり、これから少しづつ、様々な会社のお話を聞いていきたいと願っています。また自分の時間の20%は、引き続き、お金にならないことに全力投球、社会課題の解決や、面白そうなプロジェクトに割きたいと考えています。
どんなことでも結構ですので、お気軽にお声掛けくださいね。
会社を辞めて独立した理由 〜 スキルシェアリングという発想、組織の新陳代謝、自分自身のアップデート。
このブログでは事後報告になってしまいましたが、3/20付けで16年勤めたCSi Global Alliance株式会社の取締役、およびグループ会社のQuadcept株式会社のCOOを退任し、独立いたしました。正真正銘の「身一つ」です。
今後の所属ですが、既に7期目を迎える株式会社のオーナーを勤めていまして、こちらの代表取締役として仕事を続けて参ります。この会社というのは、家業である不動産管理をベースに2015年に設立した会社で、元々表に出すつもりもありませんでしたから、実家で飼っていたチンチラ猫のティモシー君の名前をそのまま会社名とする「ティモシーズ株式会社」という社名がついております。当時は特に理念もなく、社名の由来を聞かれると非常に困ってしまうのですが、飼っていた猫にもちろん思い入れはありますし、財務も非常に健全です。笑
さて、今回の退任に際し「今流行りのFIREですか?」とか「家業を継ぐのですか?」とか色々とご質問を受けたのですが、FIREでもありませんし、家業を継ぐと言っても専業にするほどでもありませんので、いずれもNOです。今回の独立に関しては、2年以上、体を壊すほど悩みましたし、それなりの準備もしてきました。また経営に関して「こうすべき」という強い想いもあります。思い入れのある会社を離れるという決断は、それなりに辛く、重たいものです。
退任後の3/22に、Facebookに役員退任と独立のお知らせを投稿したところ、びっくりするほど多くの方から反響やお祝い、激励のメッセージをいただき、本当に嬉しかったと同時に、正直驚きました。ああ、こんなに皆さん見てくださっていたんだな、と。
何人かの方からはお電話をいただき、なんでやめたのか、これから何をするのか、と、ご質問を受けました。そうですよね、ちゃんと説明していませんでしたよね。
そこで今日は、会社を辞め、独立した理由について書いてみたいと思います。
ワークシェアリングならぬスキルシェアリングという発想
コロナ禍に見舞われた2020年。
中国で新しいウイルスが発見されたと皆がマスクをし始めた1月末、関西国際空港でサンフランシスコ行きの飛行機を待ちながら考えたことがあります。それは、事業がうまく行かなかったとき、経営者は何を考えるか。出国前にこのような記事を投稿しました。
こうして空港で一人ボーディング待ちをしていると、いろんなことを考えるのですが、今は「ビジネスには客観視点が重要だよな」ということがずっと頭の中をぐるぐると回っています。そして、僕はいつも、その「客観視点」を大切に生きているような気がします。
【出国前のKIXにて】ビジネスに客観的視点と、ダメなら方針を変える柔軟性が必要な理由について考えてみる(2020/01/27)
こうしたら売れる、こうすれば成功する。そのように初志貫徹で信じることは大切ですが、それで結果が出ない場合は、あ、違ったね。じゃ、やり方変えようか、という柔軟性を完全に持ち合わせている場合のみ、正しいと思うのです。
特にビジネスの場合は、相手あって成立するものですから、その相手という視点をとにかく持つこと。そのためには、やはり、内向きではなく、外向きの視点を常に持つこと、社内ではなく、社外の人間と意見交換をすること、競合他社(いわゆる業界のリーディングカンパニーと呼ばれるような企業)が今、どのようなことをしているのかを知ること、これがとても大切です。
そう、客観的な視点。
中にどっぷり浸かっていると、この視点を忘れてしまいがち。視座が下がり、目先しか見えない。社内は同じような人間ばかりなので、意見を求めてもこれと言ったアイデアが出ない。社長が怖いという忖度もある。これ、結構多くの企業が陥っている問題だと思うのです。
でも中には、この「客観的な視点」と「組織の中だけでなく、社会全体を見る」という高い視座を持っている人もいます。そういう人の視点(=能力)は、最近でこそ社外取締役の重要性が日本でも見直されてきましたけれど、やはり、多くの企業が必要としているポジションでもあります。
一つの会社にどっぷりフルコミットするのも良いと思いますが、僕はその客観視点を自分の会社だけでなく、必要とされる他の会社でも活かしてもらおうと思いました。そう、スキルシェアリング。業界全体、社会全体、日本全体で見た時に、どうか。みんなで限られたリソースを共有し、強みを差し出し、弱みを補完し合っていかなければ、シュリンクしていく日本に未来はありません。そして、自分の会社だけ良ければOKではなく、業界全体として発展するためにどうすれば良いかを考えなければなりません。
組織は新陳代謝が必要
さらに、組織には新陳代謝が重要です。
いつまでも代わり映えのしない面子が役員にいても、下が育たない。上が詰まっているとみんなやる気なくすでしょ。そういう意味では、せいぜい経営陣は10年が賞味期限かもしれませんね。血を入れ替えるために、他の会社からヘッドハンティングしてもいい。
そういう意味で、16年いた自分は長すぎたかもしれませんが、とにかく組織も自分もうまく行っている内に、バトンタッチ、アップデートの必要性があると感じました。自分がいなくても組織は自走する。自分はまた一段上のステージでやればいい。そんな風にも思いました。常に変わり続けること、新陳代謝を促進すること。
そういうわけで、この度、新たな一歩を踏み出しました。
次回の記事では、今日書き切れなかった他の理由、独立する前に感じた不安、そしてこれからのことについて書いてみたいと思います。