体力、気力、知力、財力

大谷選手の契約金額やプロ野球選手の契約更改、上場企業の冬のボーナスの平均額など、人の稼ぎに注目が集まる時期です。景気の良い話もあれば、その逆もありますが、スポーツの場合は結果を出しただけ報われるのが分かりやすくて良いですね。結果を出して大金を手にする。大いに結構じゃないですか。企業でも同じで、冬のボーナス数百万、という一流企業もありますけれど、それはそれだけ利益を出しているからであって、利益が出なければ0になるという点では、どこの会社も一緒、公平だと思います。

日本には、お金のことを口にするのは良くないという風潮がありますが、良くない(嫌がられる)のは、自慢するという行為であって、稼ぐことではないような気がしています。事実、稼がなければ生活はできないし、稼いで家族を養って、納税して、社会の役に立つことが国民としての義務ですからね。会社も同じで、売上を上げて利益を出し、従業員や取引先にお金を払い、しっかりと納税することが会社が存在している理由であって、それができないなら退場してねという至極シンプルな構図なのが良くも悪くも資本主義経済です。

ですが最近はどうも、コスト削減とか、節約とか、稼ぐ方ではなく、絞る方がフォーカスされている気がしています。もちろん血税を財源とする公共事業にムダ遣いは許されませんが(五輪、万博、リニアどうにかなりませんかね・・・)、会社や個人として「絞る、節約する」というより、いかに稼ぐか、ということにもうちょっと焦点を当てても良いのではないでしょうかね。公共事業投資による景気対策、経済効果への期待ではなく、会社、個人としてどれだけ、新しい時代にフィットした仕事を創り、拡大できるかという視点です。

とはいえ、稼ぐためにはモチベーションが必要です。

このモチベーションが難しくてですね、特に僕の場合は、あまり稼ぐことに興味がないのと、年齢とともに、体力と気力が目に見えて低下しているので(深刻)、自分で自分を叱咤しながら働く必要があります。どんな人にとっても、キャリアのゴールは「好きなことをして稼ぐ」を実現することだと思っていますが(やっている仕事を好きになる、とは意味が違います)、お金を稼ぐためには、時として気乗りしないことをする必要もあるし、ウマが合わない人と一緒に仕事をしなければならないこともあるし、そもそも「好きなこと」が現代のニーズに合わずにお金にならないことだってある。

だから、僕の場合は、一ヶ月の自分の時間の使い方を、お金稼ぎ10日、ボランティア10日、休み10日、という比率で分けています。ボランティアとは、本当に自分がしたい仕事のことです。すなわち、今すぐお金にならないことでも、やりたいこと、すべきことであれば、やる。

そのために10日のお金稼ぎで、そのボランティア10日分も稼ぐ、ということをやっています。なかなかチャレンジングだし、どうしてもお金稼ぎの比率が増えてきて、ボラを圧迫する傾向にありますけれど、そこをうまくバランスを取るようにしています。それは、気力(またはモチベーション)を維持するためのものです。遠回りですけど、そういう性分なので仕方がありません。そのうち「やりたいこと、やるべきこと」でも稼げるようになれば、比率は変わるかもしれませんね。

気力の低下をどう防ぐか、そして、どう稼ぐか。

体力、気力、知力、財力はリンクすると思っています。すべてをバランス良く維持するために、自分で自分を叱咤激励しながら、錆びた自転車を漕ぐかのように、必死で毎日を生きている師走です。

抽象化の先にある「ポンコツでも大丈夫」

情報が溢れている現代において、正常な見方と精神を保つためにますます抽象化能力が求められていると感じています。抽象化とは「物事の共通部分を抽出して、把握すること。一般化。上位の概念に物事を昇華して考えること」です。

物事の本質を見極めるためには、抽象化が必要です。出来事を点で捉えているだけでは全体像が把握できないし、言葉を読んだり聞いているだけでは、その背景は見えない。大切なのは、全体像であり、本質であり、背景であり、心理です。WHATではなく、WHYの視点が大切です。

ウクライナ紛争に加え、イスラエルとハマスの衝突など、世界は相変わらず不穏なニュースで満ち溢れています。なぜこんなことが起こるのだろうと心が痛みますが、歴史を学ぶと分かるとおり、人類の歴史=戦争、天災、疫病の繰り返しです。ジャレド・タイアモンドや、ユヴァル・ノア・ハラリなどの歴史家の本を読むと更に理解が深まりますが、人間とは非常に特異な生き物で、愛し合うけど殺し合うし、進歩や技術革新、豊かで便利な社会と称して、強者が弱者を支配するシステムを構築しようとします。

いくら経済学が発展したといっても、世の中の格差を解決し、豊かで平和な世の中を実現することはできていません。つまり、人類の歴史とは「そういうもの」なんだと思います。昔より今の方が良いというわけでもありませんしね。現代の東京よりも江戸の方がはるかにSDGsな街だったことはよく知られています。まあ、進化と退化、増加と減少を繰り返しているわけで、今、また退化の方向に向かっていると感じています。要するに「思ったとおりにならない」のが人間と人間社会なのかもしれません。

「人間は考える葦である」で有名なパスカルは、「人生は壮大な暇つぶしである」という言葉も残しました。

本当にそうだな、と心底納得します。なぜだか分からないけれど生まれてきて、生まれてきたら、なぜだか分からないけれど80年〜90年くらい生きて死にます。では、その間をどう生きるか。抽象化して、人生を積極的な「暇つぶし」と考えることができれば、人と比べることもなく、自分の生きたいように生きて、それが何か人の役に立つことであれば尚良し、くらいの気持ちでいれるのではないか。

良し悪し、優劣をつけようとするのが人間の悪い癖で、物差しはなくていいし、あるとすれば、自分で自分を測るためのものであれば良い。抽象化の先には、「ポンコツですけど、死ぬまではがんばって生きたいと思います」くらいの決意が残り、それだけで十分なのではないのかなと思います。もちろん、何かを見捨てたり、諦めたりするのではなく、少しでも良い方向へ、期せずして同じ時代に生まれた身近な人を少しでも幸せにできれば、その小さな努力だけでも立派なことだと思うんですよね。

ポンコツが階段を一段一段登っていく図

違和感と向き合い、違和感を大切にする

何かを違うと感じたり、何だかしっくりこない。
言葉にするのは難しいけれど、スッキリしない、モヤモヤする。

学校、仕事、人間関係、様々なシーンで「違和感」を感じることがありますよね。個人的な経験からいうと、自分が感じる「違和感」は大切にした方が良いと思っています。

違和感の正体は、自分の価値観と反するものであったり、同じ場所に立っている人と見ている方向が違っていたり、心地よいと思うものが違っていたりする時に起こるものだと思うのですが、この「違和感」は、事故を避けるアラートのようなもの、自分の身を守る警報機のようなもの、あるいは、測定器の性能を維持する校正器のようなものだと感じています。調律と言い換えることもできるかもしれません。

人間というのは、環境適応力が高い反面、何かを変えることに腰が重たい時があります。

自分が動くと周りに迷惑を掛けるのではないか、それなら動かず我慢していよう、せっかくここまでやってきたのだからもう少し続けてみよう。気遣いという名の逃げ、臭いものに蓋をする、サンクコストのジレンマなど、色々と描写されますが、違和感と向き合い、その感覚を大切にし、時にその場から離れる、迅速に方針転換することは、事態を悪化させず、対象となるものを最低限のロスで抑えられる可能性があります。違和感を感じたら、即行動しよう。

最近の政治、経済、政策絡みのニュースを見ていて、ほんとつくづく思います。
万博も五輪同様、建設費1000億円上乗せしてもやるんだろうなあ。減税せずにこのままバラマキを続けるんだろうな・・・なんて。違和感を感じている「中の人」も多いはずなのに、動けない、決断できないんでしょうね。それがさらなる事態の悪化を生む。

大きな組織を動かすのは難しいかもしれませんが、個人で感じる違和感は大切に、価値観の精度は磨き、フットワーク軽く、いつでもピボットできるようにしたいものです。

(そんなに)がんばらない生き方

前回の投稿から一週間空いてしまいました。
相変わらず体調の方は低空飛行が続いていましたが、おかげさまで仕事の方は忙しく、出張の予定なども次々と入ってきてアレンジや調整に追われています。

嬉しいことに今朝、いつものように体温を測ると平熱になっていました。おお!二週間ぶりの平熱!底は脱したか!経験された方は良くご存知と思いますが、毎日37度〜38度あるのって本当にしんどいんです。ボディブローのように体力と気力を奪って行きます。薬でしか下がらない熱、先が見えないトンネル。

こういうことが定期的に起こるのですが、今回も日々、自分の身体と向き合う中で、いろんなことを考えました。

僕の場合は持病が顕在化しているので、もう、ある限界値以上のがんばりをすることができません。要するに無茶できない。なんとかこの状態を維持し、動ける時を見計らって、動く。そんな感じでだましだましの生活を送っています。

一度身体を壊してしまうと、元には戻らないものです。ではどうするか。僕が多くの意識高めの若い人たちに言いたいことは「細く長く働くのも大事だよ」ということです。

特に、ストレス耐性が強くない、あるいは体力がそんなにないと思う方は、仕事に関して「細く長く」続けていくことをおすすめしたいのです。そんなにがんばらなくて良い。このブログで10年前に投稿している記事の内容は「倒れるまで戦え動け働け」的内容だったのが、随分考えも変わりました。エリートビジネスマンを標榜し、とにかくバリバリ働いて遊んでむちゃくちゃ動くというのを良しとしていたのが恥ずかしいです。

自分がそうだったのですが、今思えばとにかく無茶な働き方をしてきました。意識も高かったので、いろんなことに挑戦し、学び、寝る間を惜しんで人に会い、呼ばれたら断らず、ホテルや空港に住んでいるんじゃないかというくらい国内外を飛び回っていました。多い年では、一年のフライト距離が地球二周以上になったこともあります。休みの日は家族サービス、マラソンにゴルフ、研修会、セミナー。当然、その分の責任もありますので、常にヒリヒリした環境の中で仕事をし、相当なストレスを感じていたと思います。実際、眠れない夜を何度も過ごして来ました。

もちろん、そのおかげでたくさんの人に出会えたし、仕事の幅も広がったし、様々な経験もさせていただきました。でも結果的に、30代半ばから40歳にかけて次々に病気が出てきて、そこから薬漬けで長いこと苦しむことになります。子供もまだ中高生だし、40代半ばで今流行りのリタイア(FIRE)することもできませんので、これからはだましだましの生活を送らなければなりません。これもなかなか受け入れがたい事実なんです。だって、自分はまだまだ出来る、動ける、走れる、登れる、飛び回れるって思っているでしょう。そうしたいし。仕事外のオンラインミーティングや勉強会も夜がほとんどですが、夜に発熱するから参加もできないもどかしさ、です。こういう「したくてもできないこと」が指折り増えて行くのですから、たまりません。

とにかく、身体は壊すと元には戻りません。

ですので、今がんばっている皆さん、忙しいのも、がんばるのも素晴らしいことですけれど、身体は壊さないように。たまにストレスなんて1mmも感じず、血液の代わりにリポビタンDが流れてるんちゃうかというほど元気な人もいますけど、ほとんどの人はそうではありませんので、ほどほどに、まあまあで。

70歳、80歳まで働けるように、「あまりがんばらない生き方」で、長く楽しくやるのも一つかと思います。

出来ないことを嘆くのではなく、出来ることを喜ぶという修行

上皇后の美智子様は、昔のようにピアノが弾けなくなったことについて、

「今までできていたことは『授かって』いたもの、それができなくなったことは『お返し』したもの」

とおっしゃったそうで、これは本当に素晴らしい言葉だと思うのですが、まだ「自分は出来る」と思っていると、なかなかそうは思えないものです。

なんでこんなに身体が言うことを聞いてくれないのだろう、あれだけ出来ていたのに、どうして出来なくなったのだろう。どうしてもそう思っちゃうんですよね。

自分ごとですが、先週から高熱が一週間続いていて、ああ、またかという感じ。今のところ下がる気配はありません。昨年は4月に一ヶ月発熱が続きました。こうなると長引くのは分かっています。仕事に支障はありませんが、薬漬けになるし、走ると熱がぐんと上がるので、この最高の季節に走ることもできません。

一年のうち、半分は体調不良なので、もういい加減受け入れようよ、これが普通だよ、良い意味で諦めようよと自分に言い聞かせようとするのですが、まだまだ美智子様の境地には達することができず。焦るし、落ち込むし、しんど過ぎて辛いし、修行が足らんなあ。

こういう時は、今出来ることを書き留めるようにしています。
どんな小さなことでも、当たり前のことでも出来ることを書き出す。

意外とたくさんあるものです。
今できることに目を留めて、それを喜ぼう。

色は黒く、歯だけは白い

本格的なシーズンインということで、ほぼ毎週ゴルフです。

今日はホームコースでラウンド。朝一番の練習場は誰もいない貸し切り状態。静寂の中、ひんやりとした空気が最高に気持ち良かったです。

さすがに朝晩は涼しくなって来ましたが、日中の日差しと紫外線の強さは夏の比じゃありません。むしろこの時期の紫外線はかなりきつい。

もちろん、ラウンド中は日焼け止めを何度も塗り直し、保湿にパックを念入りにしていても、ゴルフとマラソンしかしていないような人間にとっては、現状を維持するよりも早い速度で黒光りへの道を歩むようになります。

家族からは、パパ黒い!でも歯は白い!って。

ちゃんとした仕事人で色黒歯白の人なんてあまりいないですよね。そんな人は何の仕事しているか分からない怪しい人です。僕は普段は外に出ることもなくPCをカチカチしているだけの善良なビジネスマンなのですが、職業不詳の人と誤解されそうで不安になっています。

室内なのでこれでも肌は白く映っています。
実際はもっと黒いと思います。

これで開襟シャツを着て、MCハマーのようなネックレスをしたら、完全にそっちの人になりそうです。日焼け止め対策、大切です!

なんで昔は黒電話にベビー服みたいなのを着せてたんでしょうね

昔の写真を見ていてふと思い出したのですが、家にある家電ってレースのカバー掛かかっていませんでしたか?テレビやミシン、ラジカセとかも。

時に、黒電話はベビー服のようなものを着せられていましたっけ。なんでなんでしょうね。形が丸いから母性をくすぐるのでしょうか。まるで自分の赤ちゃんのように思ってしまうのでしょうか。

 出典:https://togetter.com/li/1312196

ほこり除けの効果もあったのかもしれませんし、高価なものだから大切にしたいという庶民の気持ちもあったのかもしれません。いずれにしても、一つひとつの家電に対する愛着が見れて嫌いではありません。

なんかこのあたりに、人の深層心理が見え隠れして面白いです。

常に身体のどこかが悪い生活〜今日は安静に、Costcoランチとプライム三昧

メニエールに悩まされていたところに、ギックリ腰。腰の左側が強烈な激痛で歩行すら困難な状態。家の中でもトレッキングポールを使って歩いています。もうなんなんでしょうね、ほんと。

いつもお世話になっている同級生が院長を勤める整形外科で診てもらい、痛み止めなどの薬をもらいました。普段からメニエールの薬を4種類飲んでいるのに加え、痛み止めと神経の薬を追加しているので、夜は軽く10錠近くの薬を飲んでいます。これにリウマチがひどくなったらその薬も飲むので、もう数え切れん。

ああ、薬漬けの人生!なんとかこの生活を前向きに捉えたいのですけどね。ポジティブシンキングを鍛える修行が続きます。もう何年も修行しているので、いつか卒業したいのですが。

というわけで今日は安静に。
Costcoで買って来てもらったロティサリーチキン、台湾風まぜそば、サーモンちらし寿司など。

動けないので、午後からはアマゾンプライムで、懐かし「かもめ食堂」と「南極料理人」を視聴。両方ともいい映画だなあ。ヒューマンドラマに食が絡むと、もう僕の大好物の出来上がりなわけです。次は「深夜食堂」をシリーズ通しで見るかな〜。

ミニマリストとランナーという二つの属性が一つの人格に融合した時、何が起きるか

今日は本当にどうでもいい話を書こう思います。
なんの為になりません。

このブログを読んで下さっている方なら良くご存知のとおり、僕はウルトラマラソンやトレイルランニングを趣味とするランナーです。フルマラソンを10年前に完走し、ランニングを趣味としてから、体つきだけでなく多くのことが変わりました。

まず、早寝早起きという生活習慣。ビールは控えてハイボールに。そして服装。普段着は限りなくジャージに近い服装になり、機能性を重視するようになりました。そしてジャケット+パンツという仕事着もシンプルなものを選ぶようになりました。シューズも距離やロードの状態に合わせていろんな種類を揃えるようになりました。そして、脚の毛を剃るようになりました。レースの時は膝やハムストリングスにキネシオテープを貼るのですが、毛があるとテープがはがれやすくなるし、見た目も悪いからです。

よく自転車に乗る人はファッションの一つとして脚をつるつるにしますが、僕はランナーとしての誇りを持ってそのようにしています。

ところが、自分自身のもう一つの特性である「ミニマリスト」という人格が、このランナー特性と合わさせってしまって、毛剃りをどんどんエスカレートさせてしまっているのです。つまり、ミニマリストなので、必要最低限のもので暮らし、断捨離を良しとします。逆にいうと不要なものはすべて排除ということです。このような思考パターンですから、体毛になんの必要性も必然性も普遍性も感じません。必要がないということになります。したがってそれを黙々と排除しています。

ただいくつかデメリットもあります。まず、風呂の時間が長くなること。よく人から「そんなんなら永久脱毛したら?」と言われるのですが、将来的に体毛ブームが来るかもしれないので、それはしません。それに最初はめんどくさかったのですが、長年続けていると、毛剃が趣味のようになります。一種の気分転換ですね。

あと、銭湯で変な目で見られるということもありますが、まあ、人の目をあまり気にしないタイプなので、デメリットというほどでもないかな。ということは、ほとんどデメリットはないですね。

何を書いているんでしょうね。
ここまで付き合っていただいた皆様、ごめんなさい。

ようやく雨もやみ、この二日間は早朝ランに出ています。気分転換になりますし、身体を動かすと仕事にも集中できますから。

朝日がきれいです。

【箱根をradikoで聴きながら】冬場のランニングのゴールは温泉一択!

本来であれば、2日と3日は旅行に出ているのが今年はもれなく中止。京都に予約していたホテルもキャンセルしたので、時間もたっぷりあります。することといえば、仕事、読書、映画、ゴルフ、そして、ランニング。

年末に購入したウルトラマラソン用のシューズ、HOKA CLIFTON7 の試走を兼ねて、足慣らし20kmを走ってきました。走り初めです。
アゲインストの風は冷たくてきつかったけど、今日も最高の天気でした。

厚底シューズ、いいですね!脚の負担が軽減されます。ウルトラ向き。

箱根駅伝往路をradikoで聴きながら。最近はイヤフォンをせずに無音で走るのが普通だったのが、radikoを聴きながらだと一人でも飽きずに走ることができるのを発見しました。笑

明日の箱根復路もradikoランにしようかな。

さて、温泉ランナーとして、ランニングのゴールはやっぱり温泉でしょう!今日のゴールは神戸ランでいつもお世話になっている六甲道の灘温泉です。ここは炭酸の源泉かけ流し温泉。もう最高。かじかんでいた指先がじんわり溶けているのを感じます。

最高以外の言葉が出てきません。
冷温交代浴で脚の疲れもすっきり!

最高の走り初めとなりました。
皆さまも素敵なお正月をお過ごしくださいね〜!