僕と村上さんの間に、48万8千枚の歴史が存在した

先日、神戸のピノッキオ(PINOCCHIO)というピザ・レストランに行きました。ここは1962年創業の老舗で、水を使わずにミルクのみで生地を仕上げることで有名です。

60年の歴史を感じる佇まい。お店の外観も店内もレトロな雰囲気で、多くの方に愛されてきたんだなと感じます。神戸にはこのような歴史のある洋食屋やバーが数多くあります。

僕は事前にお店の情報を調べずに行くタイプなのですが、席についてはじめて、ここのピザには創業以来のロットナンバーが付与されているということが分かりました。焼き立てのピザが、番号が記された紙とともにテーブルに届けられました。そして、僕が注文したピザは1,446,872枚目ということでした。

ご一緒した方が「このお店、村上春樹の作品に出てくるようですよ」とおっしゃるので、その場で調べてみると、確かに「辺境・近境」の最後の章、「神戸まで歩く」に登場する。そういえばそんな一文があったかな・・・すっかり忘れていました。

僕は村上さんのエッセイが好きで、ほとんどの作品を読んでいるのですが「辺境・近境」もその一つです。帰宅して久しぶりに手にとってみようかと本を探すと、自室の本棚にちゃんと立てかけてありました。

運ばれてきたシーフード・ピザには「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついている。その数字の意味がしばらくのあいだうまく呑み込めない。958,816? 僕はそこにいったいどのようなメッセージを読みとるべきなのだろう?

「辺境・近境」村上春樹

 
「辺境・近境」に記されているように、村上さんが食したピザは958,816枚目。阪神大震災が1995年で、その2年後に旅したとありますから、1997年にこのお店を訪れたとすると、それから約26年後に僕がこの場に来ている訳です。村上さんから僕に至るまで、48万8千枚のピザが食されたということですよね。

村上さんは大学に入るまで過ごした阪神間や神戸の街が、1995年の大震災でどのように変わったのかを見るために西宮から神戸まで歩いたとあります。僕も被災した時は18歳で、そこから29年が過ぎました。明日1月17日は、阪神淡路大震災から29年を迎える日です。
そんな時に、結果的に「聖地巡礼」となったのはなにか意味があるのでしょうか。

日々忙しくしていると、目先のことにだけに意識が集中しがちで、本の内容すら忘れていました。こうしてたまに時間を取り、小説やエッセイの世界に飛び込んでみるのも良いですね。仕事や研究に必要な本は読んでいるものの、娯楽としての本は読んでいなかったな。

色々悩んでいた時は、常に本の世界に逃げていた自分もいます。それは知識を増やすためではなく、今、この場から違うところに逃げる手段として使っていたのかもしれません。そう考えると、当時に比べれば悩みは軽減され、自分の思い描いていたような人生を歩むことができているのかもしれませんが、やはり心の栄養のために、こうした時間は必要ですね。

ハラリとハルキ。コロナ対策で本の海にダイブ

月曜日、火曜日と二夜連続で飲み。月曜日はラン友さんと立ち飲み屋で。火曜日は、馴染みの家庭料理屋(貸し切りだった!)でしっぽりと。どこの飲食店もさすがに空いていますが、お店には申し訳ないのですが、空いている方が安心して入れたりするものです。

というわけで今日は自宅で、読書タイム。

三密を避けて、出歩かないという原則のコロナ対策に、本は最適のアイテムですね。

ちょうど二日前の日曜日に、書店でユヴァル・ノア・ハラリの「21 Lessons」(これがまた460ページもあって分厚いんだ)と村上春樹の昔のエッセイ集「辺境・近境」を購入していたので、この二冊がこれからのお供になります。

ハラリとハルキ。

コロナが収まるまで慎重に、できる対策を重ねていくしかありませんね。

新そば、孀婦岩、Re:Jazz、遠い太鼓

 
長野県茅野市に渡辺製麺という製麺所があります。

地元では評判が良く、僕も八ヶ岳ベースに行ったついでに良く立ち寄って半生そばや干しそば(乾麺ですね)を自宅用に箱買いして帰ったりするのですが、その渡辺製麺の新そばの半生麺をいただいたので、早速お昼ごはんにしました。

普段から食べている、松林の大将の手打ちそばには到底かないませんが、それでも信州の良い香りとコシを感じることができます。そういえば、来週の週末、信州に行く予定なので、また箱買いしておこうかなと思ったり。

やはり季節のものはいいですよね。

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純粋に、本当に純粋に、自宅から一歩も出ない日。

屋外といえば、ベランダに出て植木を飛ばされないように室内に入れたことくらいでしょうか。というわけで、録画しておいたNHKスペシャル「秘島探検 東京ロストワールド 第2集 孀婦(そうふ)岩」をゆっくり視聴。

ああ、もう、こういうの大好きだ!

その筋の専門家がみんな目をキラキラさせながら未知の世界に挑んで行く姿、素晴らしいなと思う反面、羨ましくもあり。こんなに、こどものような目で仕事ができるなんて!いや、もちろん僕も毎日楽しく仕事はしてるつもりですし、彼らの仕事は研究所に帰ってからの地味な解析作業にほとんどの時間を費やされるのでしょうけれど。

それにしても、本当に知らない世界って無限にありますね。そんな世界を茶の間で視聴できるなんて、本当にいい時代。それと同時に、「火山活動の遺構である孀婦岩もあと数百年もすれば波風による侵食でなくなってしまう、今、この時代にこんなすごいものが見れてラッキー」と研究者が言っていましたが、地球の悠久の歴史の中で、あるいは、火山活動の歴史という長い時間軸の中では、ほんの一瞬の出来事だという事実に、目眩すら覚えます。

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こういう時に何をするかというと、仕事以外は、読書ですよね。

もしかしたら、断水や停電などもあるかもしれない、と、早めにお風呂に入って一時間ほど半身浴。村上春樹の「遠い太鼓 (講談社文庫)」を読みながら、地中海に浮かぶギリシアの島々の人々とのふれあいや、美味しいワインなどについて語る文章のおかげで脳内トリップ。

外はしとしとと雨の音。

風呂に持ち込んだスピーカーからは ドイツのマシュー・フォークト率いる Re:Jazzのサウンド。こういう夜って、欧州系のJazzがぴったりマッチしたりするんです。少し薄暗くて、雨に濡れた石畳がきらきら光る路地裏から聞こえるようなシックな音が良かったりするんです。

そんなこんななインドアな週末。身体には十分な休息が与えられたようです。
というわけで、引き続きみなさん、ご安全に。


 
 
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枕元に本を四冊積んでから寝るという

 
寝床に向かう時はいつも、手元に4冊くらいの本を抱えています。

寝る前の読書は「今読んでいる最中の」一冊だけでいいと思うのですが、もしかしたら途中で別のが読みたくなるかもしれない、一度布団に入ったら途中で出たくない、そう思うと、保険の保険みたいな形で本の量が増えてしまうのです。

今の四冊は、バイリンガルに関する英書が二冊、東野圭吾の「ナミヤ雑貨店」と村上春樹の「職業としての小説家」。自分のようなIT業界の人間が小説家を目指している訳でもないのに「職業としての小説家」を枕元に置き、その傍らに理系出身でデンソーのエンジニアだった東野圭吾さんの小説があるというのも面白い因果です。

さて、僕と長女は読書好きで、お互いが面白いと思ったものは貸し合う仲なのですが、この「ナミヤ雑貨店」も長女が薦めてきたものです。もちろんタイトルは知っていましたが、読むのは始めて。まだ途中ですが、なかなか面白い。

それにしても、小説家って才能ですよね。それで食べていけるって、プロスポーツ選手や箱根駅伝のランナーのように大量の競技人口のほんの氷山の一角、頂点にいる人達なのでしょうけど、こういう作品が書けるという時点で才能以外の何物以外でもないですね。

さあ、また新たな一週間のスタートです。
気合入れて参りましょう!
 
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日常的にたくさんの水を目にするということ

村上春樹さんの本の一節に、こういう文章があります。

僕は思うのだけれど、たくさんの水を日常的に目にするというのは、人間にとってあるいは大事な意味を持つ行為なのではないだろうか。まあ「人間にとって」というのはいささかオーヴァーかもしれないが、でも少なくとも僕にとってはかなり大事なことであるような気がする。僕はしばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かをちょっとずつ失い続けているような気持ちになってくる。

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

度々このブログで書いているように、僕はこの言葉にすっかり同意しているので、出勤前にちょっと走りに行こうかという日は、自然と川を下り海を目指すということになります。

ボストンのチャールズ河の水量には遠く及びませんが、近所の芦屋川も(一応)水は流れているし、浜に出ればそこには海が広がっています。近くに水があるということが人間の生活には欠かせないものであるとしたら、僕は今住んでいるところに感謝しなければなりませんね。

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さて、早寝早起きを心掛けているので、今朝も5時半にパッチリと目が覚めてしまいました。軽く走ろうかと約7kmのランに出掛けて、シャワーを浴びて出勤。早起きして運動するデメリットは、お腹が空くことです。取引先との打ち合わせの帰りに、ラーメン屋に立ち寄って、替え玉までしてしまいました。

運動しては摂取し、運動しては摂取する。
さあ、また明日もがんばろう。

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走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱい分はあるけれど、今日はやめなくて良かったと思えた日

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午前中は業界誌用の原稿作成、午後からは実家へ。
 
夕方早くに帰ってきて、温泉ラン(温泉をゴールに走ること)をしようと目論んでいたのですが、予定が長引き、スタートする頃にはもう暗くなっていました。
 
小雪混じりの天気だし、暗いし、疲れているし、それこそ「走るのをやめるための理由は大型トラックいっぱいぶん」(村上春樹)はあったのですが、今月は残り13km走ればトータル100kmに到達するし(走り込めてないなあ)、明後日からアメリカに出張するので今月はもう日数がないし、えいやと家を飛び出しました。

走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。 〜 村上春樹

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

すっかり暗くなり、雪混じりの幹線道路を西へ西へ。

スタート地点から6.5km地点で律儀に折り返し、御影公会堂の手前、石屋川でトイレ休憩。そこで見た張り紙、心が温かくなりました。

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注意書きのメッセージ自体、とっても素晴らしいのだけど、その注意書きに対する利用者の「落書き」がまたいい。この、ありがとうの連鎖、落書きコミュニケーション。そうじのおじさん、嬉しかっただろうな、もしかしたら泣いたかもしれないなと思うと、心がほっこり。

しっかり13km走れたし、いいものを見せてもらえたし。

今日も走って良かった日。
 
 
 
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”でも、彼女たちの走る姿を眺めているのは、それなりに素敵だ。このようにして世界は確実に受け継がれていくのだなと、素朴に実感する。”

こういう仕事をしているので、一応、日々キュレーションされるテック系のニュースやレポート、ペーパーには一通り目を通しているのですが(Twitterのタイムラインで情報収集しています)、ああ、一部のとても能力の高い人たちがいて世界は回っているんだな、としみじみ実感することがあります。

自分がこうして電車に揺られている間にも、オフィスのデスクでミンティアを食べている時も、イスに腰を埋めて空を見ている時も、新しい論文や技術が生み出され、実証され、製品化され、世の中に出て行きます。人や社会の様々な営みを多角度から観察し、解析し、将来を予測し、ビジネスを解説し、取り組みを紹介している人たちがいます。だから自分もやらなくちゃと焦ることも昔はありましたが、最近は、ああいう人たちはああいう人たち。自分に出来ることは自分にしか出来ないのだからマイペースでがんばろう、としか思わなくなってきました。なんだか、劇場のオーディエンスのような感覚です。

一人のランナーとしても、エッセイとしても大好きな、「走ることについて語る時に僕の語ること」の中で、村上春樹さんがボストンのチャールズ河沿いをジョギングしている時に、金髪のポニーテールを揺らしながら走るハーヴァードの新入生(と思われる)の女の子たちに次々と抜かれていくシーンがあります。その描写の中で、こういう一文があります。

人々を次々に抜いていくことに、彼女たちは慣れているようだ。抜かれることには恐らく慣れていないのだろう。彼女たちは見るからに優秀で、健康で、魅力的で、シリアスで、そして自らに自信を持っている・・・まわりの風景を眺めながらのんびり走るということはおそらく、彼女たちのメンタリティには馴染まないのだろう。それに比べると僕は、自慢するわけではないけれど、負けることにはかなり慣れている。世の中には僕の手に余るものごとが山ほどあり、どうやっても勝てない相手が山ほどいる。

でも、彼女たちの走る姿を眺めているのは、それなりに素敵だ。このようにして世界は確実に受け継がれていくのだなと、素朴に実感する。彼女たちには彼女たちに相応しいペースがあり、僕には僕に相応しいペースがあり、時間性がある。それらは全く異なった成り立ちのものだし、異なっていて当たり前である。

自分に相応しいペース、異なっていて当たり前。
まさにマラソンと同じ。人それぞれ何かのきっかけや理由があって走り始め、辛さを経験し、それを乗り越え、達成した時の喜びを噛みしめる。それは、タイムを競うようなものではなく、極私的な事情に基づく個人的な体験です。僕も負けるには慣れています。今までも勝つことの方が少なかったように思います。だから競うのではなく、自分の良さを生かし、出来ることを最大限にやり、満足の閾値に達することができればと日々考えています。

(写真: 2016年9月 スタンフォード大学にて)
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走って読んで

一週間の疲れを癒やすべく、ゆっくりと読書の一日。ちょうど普段から色々な本をキュレーションしてくれる友人に、まだ買ってないならどうぞ、と手渡された「職業としての小説家」が今日のお供です。

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村上さんの小説にはあまり興味がないのですが、エッセーは大好きで何冊も持っています。この本も、小説家となるためにはどうすれば良いか、とか、小説を書くためのノウハウではなく、村上春樹の生き方そのもの、あるいは生き方のポリシーが書かれているように思います。そういう意味ではエッセーということができるかもしれません。(まだ最後までたどり着いてませんが)

村上さんは、自分自身の趣味(=人生そのもののような)について数多くのエッセーを残しています。僕の書棚にも、マラソンの事を書いた「走ることについて語るときに僕の語ること」、主にアイラ島のシングルモルトウイスキーのことを書いた「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」、そしてイタリア・ギリシア生活の「遠い太鼓」、そしてアメリカ生活の「やがて哀しき外国語」などなど・・・が並んでいます。

ランニング、ウイスキー、海外旅行、そして書くこと。

村上さんの影響を受けて始めたのではなく、自分が本当に好きでやっているからこそ、同じ趣味の師匠、先輩の言葉を聞いているように読むことができています。学べるし、共感もできる。もちろん、僕自身の「書くこと」は、このような日記でしかないので、人に読んでもらえるようなレベルではありませんが、それでも何かを文章にするということは頭と身体を使います。それにしても、この人、やっぱりすごいわ。何がすごいかは是非読んでみてください。ある意味、ビジネス書であり、自己啓発書であり、エッセーであり、偉人の自伝です。

こちらは夕方の夙川。
今日はスピードを意識した12kmランでした。

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水量多めの川面を見ながら

ジョギングは万能薬であると思っています。

例えば、心身の不調、ストレス、悩み事など、ネガティブな問題は大抵ジョギングをすればすっきりとするものです。昨日は曇天で気分が乗らなかったのですが、今日は朝から気持ち良く10kmちょっとのジョギングに出掛けました。昨日の雨で芦屋川の水量も多めです。

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海の波の音を聴きながら、目を閉じる。

この情報が溢れる世の中にあって、いかに思いを研ぎ澄ませブレずに生きることができるか。一人で走れる時間は思いの整理にはうってつけです。

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オールド・ハーバーはなかなか素敵な場所だ。僕はここに散歩に来るのが好きだ。人気のない静かな入江に五十隻か六十隻くらいの大小のヨットが停泊し、そのマストがかたかた、かたかたと乾いた音を立てながら、占い棒のように不規則に揺れている (村上春樹 「遠い太鼓」より)

ここはギリシャのスペツェス島ではありませんが、海洋体育館のヨットも強い風にかたかた、かたかたと乾いた音を立てていました。無論、今日は日曜日でヨットの体験入学が行われているし、ランナーも多いので、シーズンオフのギリシャとは違いけっこうな賑わいでしたが。

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帰りに近所の「ビゴ」でバタールを買って帰宅。

パン屋にせよコンビニにせよ、肌を露出し汗だくのオッサンが入店するというのはなかなか気が引けるものです。もう、何も気にしなくなりましたが。(笑

今日は午後からカフェごもり。
皆様も良い週末をお過ごしください。

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使い物にならん土曜日の朝

「新年会」という言葉は何月まで使っていいのか分かりませんが、きっと1月中であればいいんでしょうね。昨夜は大阪で今年最後の仲間たちとの新年会(なんか変な感じ)、さらに電車で帰って地元で二軒ハシゴするという事態にまで至ってしまい、深夜とても楽しい気分で帰宅したのですが・・・案の定、ひどい二日酔い。

ハッキリ言って今朝は使い物にならん状態でした。

酒を飛ばし、3月のマラソンに備える意味でも、今日は気合いをいれて長い距離を走ろうと思っていたのですが、二日酔いが治ると、今度は身体のダルさと寒気が・・・風邪を引いてしまったのかもしれません。ここで無理をして悪化しても仕方ないので午後からは思い切って「休養」の一日にすることにしました。

ちょうど、注文していた本も届きましたので退屈することもありません。先日、米国で読んでいた村上春樹さんの旅行記「ラオスにいったい何があるというんですか」がとても気に入ってしまったので、今度はアマゾンの書評で評価が高く、やはり外国生活について語った「遠い太鼓」(イタリア・ギリシャを中心とした3年間のヨーロッパ生活)、「やがて哀しき外国語」(2年間の米国プリンストンでの生活)を二冊注文していたのです。

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こういうエッセーや旅行記を読んでいると、自分も行った気分になれるので良いですね。でも、本当に行きたくなってしまうのでそこはぐっと我慢しなければなりません。色んなことがうまくいって、将来的に様々な国を行き来できるようになったら素敵です。そのためにもしっかりがんばらないと、と思いを新たにしています。