小さい世界で徒党を組んで傷を舐めあってる人間がとても残念な理由について(毒注意)

まあ、大中小関わりなく、生きている世界が小さい人間って本当に残念ですよね・・・見ていて辛い。そして、願わくば関わりたくない。時間の無駄です。

僕が残念に思う人間ってすごくわかりやすくて、例えばこんな属性です。

・小さいコミュニティで必死になってプレゼンスを保とうとしている人間
・イキること、偉そうに言うことによって承認欲求を満たしている人間
・傷を舐めあって目先のことしか考えない人間
・表だけ繕って、その場をやり過ごそうとしている人間
・傷つきたくない人間
・「自分らしく」を盾にして努力をしない人間

なぜ残念なのでしょうか。理由はいくつかあります。

・世界が、見えている世界の大きさ以上、広がらない
・努力をしているつもりでも、努力の総量が圧倒的に足りない
・己の弱さを定量評価できない
・自分のことで精一杯で、人に愛情を注ぐことができない
・己をさらけ出すことができず、嘘で塗り固められた人生を送るしかない
・弱さ、できないことを言い訳にする

最近の風潮として、「自分らしく」とか「本能の赴くままに」と言った言葉が自己啓発界隈で言われていますが、ほとんど麻薬と同じですよね。そこから何が生まれるのでしょうか。はっきり言って、何も生まれない。自己満足にもならない。

僕は技術の世界で生きているので分かるのですが、AIとかロボティクスとかって、結局、今の能力差のディバイドを広げるしかないんですよ。つまり、誰もができる単純労働は、すぐにAIとロボティクスで置き換わります。そこに情はないし、プロセスに対する評価が介在する余地はありません。「自分らしく」とか「本能の赴くままに」と言って惰眠を貪っている人間は、あっという間に、ベーシックインカムでシャブ漬けにさせられます。もしくは、ジェダイよろしく、世捨て人になるしかない(それはそれで幸せかもしれないが)

なぜか。

法律的に人の命は奪えませんから、養うしかないんです、AIとロボットが一生懸命(いや、彼らに意思はないのですが)働いて財を生み出すから。じゃあ、そこでシャブ漬けにさせられない人間になるには何が必要なのでしょうか。

・他責にせず、自責で物事を切り開く力
・誰よりも努力を重ね、学ぶ力
・常に居心地の悪い環境に身を置く覚悟
・自分の弱さを認め、公表し、長所で他者を圧倒する力

これがないと、多分これから先生きていくのは難しいでしょうね。

ちなみに僕は自己を正当化するつもりはありませんが、元ウツだし、腎臓もやられてるし、メニエール持ちだし、リウマチ持ちですよ。でも、日々学び、走り、ウルトラマラソンも、山ランも、とにかく乗り越え、昨年と同じ仕事はせず、新しいことにチャレンジし、英語を操り、技術もやるんです。みんな、よく言うんですよ、いや、あなたは特別ですよ、と。エリートです、と。

バカバカしい。

こっちもハンディ抱えながら日々生きるか死ぬかでやってんだよ。若い頃から今まで、どんだけ学び、努力し、居心地の悪い環境に身を置いているか。

目を覚ませ、皆。

必ずできる。
みんな、できる!

やってやろうぜ!

新そば、孀婦岩、Re:Jazz、遠い太鼓

 
長野県茅野市に渡辺製麺という製麺所があります。

地元では評判が良く、僕も八ヶ岳ベースに行ったついでに良く立ち寄って半生そばや干しそば(乾麺ですね)を自宅用に箱買いして帰ったりするのですが、その渡辺製麺の新そばの半生麺をいただいたので、早速お昼ごはんにしました。

普段から食べている、松林の大将の手打ちそばには到底かないませんが、それでも信州の良い香りとコシを感じることができます。そういえば、来週の週末、信州に行く予定なので、また箱買いしておこうかなと思ったり。

やはり季節のものはいいですよね。

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純粋に、本当に純粋に、自宅から一歩も出ない日。

屋外といえば、ベランダに出て植木を飛ばされないように室内に入れたことくらいでしょうか。というわけで、録画しておいたNHKスペシャル「秘島探検 東京ロストワールド 第2集 孀婦(そうふ)岩」をゆっくり視聴。

ああ、もう、こういうの大好きだ!

その筋の専門家がみんな目をキラキラさせながら未知の世界に挑んで行く姿、素晴らしいなと思う反面、羨ましくもあり。こんなに、こどものような目で仕事ができるなんて!いや、もちろん僕も毎日楽しく仕事はしてるつもりですし、彼らの仕事は研究所に帰ってからの地味な解析作業にほとんどの時間を費やされるのでしょうけれど。

それにしても、本当に知らない世界って無限にありますね。そんな世界を茶の間で視聴できるなんて、本当にいい時代。それと同時に、「火山活動の遺構である孀婦岩もあと数百年もすれば波風による侵食でなくなってしまう、今、この時代にこんなすごいものが見れてラッキー」と研究者が言っていましたが、地球の悠久の歴史の中で、あるいは、火山活動の歴史という長い時間軸の中では、ほんの一瞬の出来事だという事実に、目眩すら覚えます。

ーーー

こういう時に何をするかというと、仕事以外は、読書ですよね。

もしかしたら、断水や停電などもあるかもしれない、と、早めにお風呂に入って一時間ほど半身浴。村上春樹の「遠い太鼓 (講談社文庫)」を読みながら、地中海に浮かぶギリシアの島々の人々とのふれあいや、美味しいワインなどについて語る文章のおかげで脳内トリップ。

外はしとしとと雨の音。

風呂に持ち込んだスピーカーからは ドイツのマシュー・フォークト率いる Re:Jazzのサウンド。こういう夜って、欧州系のJazzがぴったりマッチしたりするんです。少し薄暗くて、雨に濡れた石畳がきらきら光る路地裏から聞こえるようなシックな音が良かったりするんです。

そんなこんななインドアな週末。身体には十分な休息が与えられたようです。
というわけで、引き続きみなさん、ご安全に。


 
 
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なにがしあわせかわからないです。 ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。

昨夜、なんとなくNHKのSONGSを見ていたのですが、宇多田ヒカルが自身の生い立ちと家庭環境、その上に形成された世界観を語る時に、「銀河鉄道の夜」に出てくる燈台守の言葉に影響を受けたと語っていて驚きました。実は、僕も大好きなのです。

なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。 〜 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

彼女の場合は、どこに行っても転校生、明日いきなりNYに住むよ、来月日本に帰るよ、というような、目先どうなるか分からない不確実な生活を世界レベルで経験しながら成長したという、ある種のアイデンティティの欠如をベースとしたものだと想像するのですが、僕の場合は、一つひとつの選択の正しさを後ろ盾してしもらえる言葉として励みにしています。

過去を振り返った時に、あの時の選択は本当に正しかったのだろうかと思うことがあります。

人生というのは小さな選択と決定の連続で、その時その時の必死で一生懸命の積み重ねが今に至るのであれば、過去の自分をしっかりと肯定してあげることが、今とこれからを生きるための糧となるのではないのかなと思います。

それが願わくば、「ただしいみちを進む中でのできごと」であり、「峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつ」になれば良いなと。辛いことも、悲しいことも、その先の「なんだか分からない幸福」に近づけるのであれば、乗り越えていけますし。

夕方涼しくなった頃、走りながらこの文章を反芻していました。

さあ、7月スタートです!
 
 
  

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震災ネイティブなめんな

人間は自然によって生かされる。
その人の人生においてどれだけの苦難を経験したかが、その人の深みと咄嗟の行動に影響を及ぼすのではないか。

僕は阪神大震災を震度8地域で経験しているし、東日本大震災も淀屋橋の耐震ビルの9Fで経験している。ゆらゆら揺れるビルの中で、メニエールとの併発でえらく気分が悪く、アウトプットしそうになったことを覚えている。阪神大震災の時は、強烈だった。飛行機が当時住んでた家に落ちたと思った。それが地震だと分かった後、遠くから地鳴りのように聞こえる余震に怯えながら過ごした。家から徒歩すぐの体育館には、白い棺が並んでいた。遺体安置所だった。水道ガスが止まっていたので、川から水をくんでトイレに流し、シャワーが浴びれないので、水を使わないシャンプーを使い、線路を歩いて大阪の茨木(今回の震源地)の叔母のところに身を寄せた。

震災ネイティブをなめんな。

今朝8時のあの揺れを、早朝出勤中の会社で感じ、マニュアルどおりにすぐに公園に避難したが震災ネイティブからしたら屁でもない。しかし、尊い人命が奪われてしまった。自然が暴れる時、必ず人の命を(少なからず)奪っていく。それはなぜなのだろう。その子の命が尊ければ尊いほど、自然は自分の中に取り入れたがるのか。それは優しさなのか。自然の愛情なのか。

僕のように心の弱い人間は、その事実を受け入れることができず、極力日常生活を平穏に過ごそうとする。表向き、自分の命を惜しいとは思っていない。好きな時に自分が満足しながら死ねたら本望だとも。だから、こんな日でも身内の安否が保証されたのなら、酒を飲む。

あのなあ、人類ってそんなにヤワじゃないんだよ。
死滅し、数が減り、色々の苦難を経ても、生存し続けるのがホモ・サピエンスなんだよ。

震災ネイティブなめんな。
 
 
 
 
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アンテナは高く、フィルターはきめ細かく

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日々、目や耳から入る情報が多過ぎると消化不良を起こしてしまう時があります。

見方によっていろんな意見があるのは当然のことで、今日ニュースで出ていた「アラフォー世代は一生貧困を宿命づけられている」という記事でも、ある人にとってはそうかもしれないし、別の人にとってはそうではないかもしれません。

コップを真横から見たら長方形、真上から見たら円、というのと同じで、同じ事象でも見る角度が違うだけで別物になってしまうのに、それをあたかも「コップは丸いに決まっている。丸くないという人間は変人である」というような断定的な記事があまりに多いので、人はニュースやSNSから離れていってしまうのでしょう。

情報過多で胃もたれしそうになったら、そこからできるだけ遠くに離れることです。

知りたい情報だけ知っておけば、知らなくていいことは知らなくていい。賢い人、なんでも出来る人、エスタブリッシュメントな人に世の中を任せておけば良い。自分は自分の強みを活かせば良い。

ポイントは、自分に必要な情報だけで上手に取り入れることができるテクニックと、自分のフィルターの精度を上げるということですよね。

アンテナは高く、フィルターはきめ細かく。
 
 
 
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オフラインの時間

仕事の時間はもちろんのこと、街を歩いていても、電車で移動していても、自宅のリビングにいる時も、あまりにも多くの情報にさらされ、時として疲れてしまうことがあります。

情報の洪水に流されてしまい、落ち着いて自分の考えを熟考することができず、ただ流されてしまうのは心身共に良いことではありません。すごく疲弊し、憂鬱になり、世の中が嫌になることすらあります。

そんな時は、オフライン。
思い切って何も見ない。スマフォはもちろん、TVも音楽もオフにして、目を閉じ、深く考えます。ランニングの時間も頭の整理作業に有益な時間ですが、それでも、走っていると当然のことながら目を開けている訳で、否応なしに情報は入ってきてしまいます。

「サピエンス全史」を著したヘブライ大学教授のユヴァル・ノア・ハラリは、一日のうち二時間の瞑想を日課にしているということです。瞑想を行っていた有名な人物としてスティーブ・ジョブズもいますが、彼が生み出したPCやアイフォンやウェアラブルウォッチによって、結果的に人類はかつてよりも多くの情報にさらされ疲弊するようになったわけで、それってどうなのと思ったりしますが、シリコンバレーのテック企業がこぞってマインドフルネスを取り入れているのを見ると、テクノロジーと精神とは表裏一体なのかなと思ったりします。

いずれにしても、現代における知の巨人ハラリのように、一日二時間瞑想を行うことによって、近視眼的かつ局地的な視点で流されつつ、必死に社会の中で生きることから少し離れて、物事を俯瞰し、大局的視野を持つようにすることは、自分の立ち位置を確認し、世の中がどこに向かっているのかを見、善悪の判断をし、情報のフィルターを研ぎ澄ます上でとても役に立つのだろうと思います。

オフラインにする時は、ある意味で人間としての生存本能が働くのかもしれません。
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黙考に最適の時間

5時半に起床しての3日連続早朝ラン。
朝に軽ジョグをすると一日が気持ち良く過ごせそうな気がします。ちょうど朝が気持ちの良い季節。出来る時は積極的に外に出ていこうと思っています。

走っている間の一時間は、一人黙考するのに最適の時間です。

大変お世話になった取引先の社長の突然の訃報に、今までの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡ります。走りながら、色々なことを思い出していました。当日まで会社に出勤されていたのに、とても元気だったのに、突然の急逝でした。先月お会いした時にも、これからこんな風にしていくねん、色々と考えてることあるねん、と、いつものように楽しそうに豪快に話しておられました。

昨夜は社員さん達と、終電の時間まで酒を飲みながら思い出話で偲びました。残念、寂しい。思い出は尽きることがありません。
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じっくりコトコト

ローマは一日にして成らず

この言葉は、何歳になってもずっと背負って行かなければならないんでしょうね。

北野武さんのコーヒーのCMではないですが、一つのことを究めるには膨大な時間が掛かるし、新しいことを学ぼうとする時なんて、文献を何回も何回も読んで、ようやく内容が理解できるようになり、そこから更に深め、自分のものにするためには、更に何倍もの時間が掛かります。金脈を探すかのごとく、コツコツ、コツコツと掘り続けて、ようやく微々たる量の金が見つかる、そんな感じがします。ローマのような大事業は一日して成らずのは当たり前、僕のような凡人にとっては、小さなことを形にするだけでも、随分と時間が掛かるものなんです。

情報が簡単に手に入るようになり、とにかくスピードが要求されるこの時代、何かを「それなりに」「かんたんに」アウトプットできるようになったかもしれませんが、まさにこのブログのように、10分でさらりと書いたものは10分の価値しかないし、一日考えて、更に一日かけて生み出したものは、二日分の価値がある。

そういう意味では、じっくりコトコト煮込んだものの方が良いのは自明の理で、やっぱり時間と努力は嘘をつかないよなあ・・・と実感する今日この頃です。

しんどいけれど、仕方がありません。それならコツコツ彫り続けることを楽しみ、趣味にする。そうしましょう。

ローマは一日にして成らず。

(福島のスペインバルで)
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出会いの数だけ学びがある

人との出会いの数だけ学びがある。

良く言われることですが、自分のこれまでの経験と、今、自分が大切にしていることは、人との出会いをおろそかにせず、縁を大切にし、自分以外の人はすべて師であるという気持ちで接していることです。結果、自分にとってこれらによる学びは数知れず。スピード重視、結果重視、効率重視の考え方が主流の現在ですが、人生の糧となるのは、人との出会いですよね。

今日も遠回りして来社いただいた諸先輩方から学んだことは数多いけれども、その中で特に心に残ったことを2つだけ。

・知識労働者は作業だけで疲れたというな。脳をどれだけ使ったで初めて疲れたと言え。

・面接の時にバイト経験をがんばって語るな。何をどれだけ学んだかを語れ。

ね、面白いでしょう。
結構、酒の場から真実が出たりするのですよね。

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蕎麦屋飲みの奥深さ

蕎麦屋での飲みほど良い飲み方はないですよね。

先蕎麦でも締蕎麦でもいいですが、ビールや日本酒で筑前煮や古漬けをいただきつつ、大将や常連さんとの会話を楽しみ、良いタイミングで蕎麦を。

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一気に注文を通さないとすぐにメニューを下げられ、何もサービスしてないのに15%のチップを要求される国に比べて、こんな贅沢な飲み方が出来る日本は素晴らしいです。その場の空気や雰囲気すらアテにして飲めるんですから。

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日本から蕎麦屋がなくなったら、日本は滅びるんじゃないかと本気で思っています。

それ程、蕎麦屋を尊敬し愛しています。

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