【全部推量】目の前にあるもののほとんどは、幻想なのかもしれない。自分で考えた答えが唯一頼れる哲学なのかもしれない

7月に入りましたね。

今年も後半戦に入りました。色んなことが起こる年です。これから先、台風や洪水が来るかもしれませんし、大不況が訪れるかもしれません。お金を刷り過ぎてハイパーインフレが起きるかもしれません。コロナに加えて今度は新型豚インフルエンザも流行り始めて、ますます疎化が進むかもしれません。

不安要素も多いですが、僕はそれをあまり不安とは思っていません。歴史を振り返れば、人間はいつの時代も曲りなりに生き伸びてきました。つい100年前までは平均寿命なんて40歳そこそこだったんです。あくまで平均、生まれてすぐ亡くなることも多かったですしね。でも、今は人生100年時代。恵まれた世の中です。

ただ、時代によって価値観は変わります。生んで、増やして、働いて、豊かになって、という時代はそろそろ終わりを迎えそうです。

これからの時代に必要なのは何ですかと問われた時に、僕なりにどう答えるかなと色々と考えてみました。一言で、と問われたら「哲学です」と答えるかもしれません。

哲学。

人間はどうあるべきなのか、どう生きるべきなのか。少し広げて、社会はどうあるべきなのか、イデオロギーのアップデートは必要ないのか。機械化、AI化が進むところまで進んでしまえば、人間は極端な話、働かなくても良くなるわけです。人類史上、こんなことはなかった。そうなると、人間は生きる上での別の意義を見いださなければならなくなります。それは何でしょうか。

機械とAIは人間がインプットしたプログラムとデータで動きます。そこで重要なのが哲学です。ノア・ハラリ先生が言っているように、自動運転車をコントロールしているAIはトロッコ問題(トロッコのジレンマ)のようなことが現実に起こったらどう判断するのだろうか、ということになるわけです。

ミクロ視点に話を戻すと、一人ひとりは「自分の生き方を、自分の頭で考える」ことがますます重要になります。目の前にある選択の一つひとつは、周りの人間や勤め先の会社から与えられるものではありません。自分の頭で考え、設計し、行動すること。何にも縛られるものはありません。

先の質問「生きる意義」や「機械化社会の哲学」などの答えに、正解は(恐らく)ないと思います。だからこそ、自分で考え、考えた結論を自分の答え(=哲学)として持ち、行動の指針とすべきなのです。

自分の頭で考えた時に、自分は何が向いているか、苦にもせず出来ることは何か、お金のために働かないとすれば何をするだろうか、しがらみがなければ何をするだろうか、というような自問自答につながるかもしれませんね。

目の前にあるもののほとんどは、幻想なのかもしれません。
自分の心を深堀りして、見えた景色を考えに落とし込むことがとても大切だと思います。

成長への近道は、居心地の悪いところに意識して身を置くことだと思う

人間ってどうしても、心身ともに楽な環境に身を置きたがります。

それはとても自然なことです。何も悪いことではありません。無理にストレスフルな環境に身を置くと、不調をきたすこともありますもんね。でも、もし「成長したい」と思っているのであれば、常に「居心地の悪いところ」に、あえて身を置くことが一番の近道だと思います。

よく若い人から「早く一人前になりたい」「早く成長したい、どうすればいいのか」という相談を受けるので、このテーマについて薄い持論を展開していきたいと思います。「成長したい」は、「世界を広げたい」とか「チャレンジしたい」という言葉に置き換えていただいても良いかと思います。また僕のような40オーバーの人間でも普通に当てはまる内容だと思いますので、年齢は関係ないかもしれません。

はじめに

下記の方には本記事の内容は当てはまりません。

・「成長」をテーマにしているので、興味のない方には当てはまりません
・ストレスと無縁の生活を目指している方には、本記事は向きません
・何か(富や人脈)を得るために焦っている方には、本記事では即効性のあるティップスを提供していません
 

どうせやるなら短期間に凝縮させる

まず、成長=スキルアップという視点で考えてみましょう。

例えば、新卒未経験で入った会社で3年間、慣れない仕事を覚えるために死にものぐるいで勉強し、土日も本を読み、仕事を優先した3年間と、「ワークライフバランス」を重視して、仕事はそこそこにアフター5や週末は趣味や友達との時間に費やす3年間とでは、どちらがスキルアップのスピードが速いでしょうか。

答えは明白ですよね。前者です。
これは、どっちが良い生き方かという議論ではなくて、成長しようと思うと努力は避けて通れないという真実を示しています。それゆえ、「早く成長したい」と思うのであれば、短期間にその努力を集中させることが一番の近道であるといえます。

ランナーの皆さんは共感していただけると思うのですが、マラソンも同じですよね。「走った距離は嘘つかない」この言葉を頭の中で唱えながら、フルマラソンのタイムを1分、1秒縮めるために日夜走り続けます。楽なことではありません。村上春樹さんが言っているとおりです。

走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。 僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹

 

これはまさに真実です。楽なことではありませんが「目標を持って」一生懸命努力することで、得られる果実の大きさは何倍にも変わってきます。今はテレワークが一般化しようとしていますが、これは、働き手にとってある意味、試金石のようなものです。場所がオフィスであろうが自宅であろうが、どれだけ真剣に仕事に向き合い、成果を出すか。誰にも何も言われない環境だからこそ、その人の真価が問われるのです。

知り合いがいない場所に積極的に出かけよう

次に、成長=「世界を広げる」という文脈で考えてみたいと思います。

人にとって居心地の良い環境というのは、地元の友達と連れ立ったり、学校の同級生と一緒にいたり、会社の同僚と飲みに行ったりすることだと思います。知った仲ですから、とても楽です。

でも成長しようと思うと、イツメンと一緒にいてばかりでは何も得ることはできません。出来るだけ、知り合いがいない場所に出かけて色んな人から刺激や学びを得ましょう。これは、驚くほど成長に繋がります。理由を説明します。

まず、知り合いがいない場所に行くと、誰も自分のことを紹介してくれません。自分から人に声を掛けなければ何も始まりませんよね。以下に場面を想定してみます。【】内はその場面で必要なスキルです。

1,初対面の人に声を掛ける【勇気、積極性】
2,その人と会話を続ける【話題の豊富さ、コミュニケーション能力】
3,その人に気に入ってもらう【思いやり、謙虚さ、気づかい】
4,その人の知り合いに紹介してもらう【好感度、さわやかさ】

いかがでしょうか。

【】内を見るだけでも、どれだけのスキルが必要か。4番については相手が判断するものなので少し違うかもしれませんが、でも一度これらのスキルを身につけると、どこに行っても、どんな場所でも、誰とでも仲良くなることができます。もちろん、これは先天的なものではなく、やはり努力と惜しみないインプットによって獲得するものです。

その結果、居心地の良い閉じた小さな世界では出会えない属性の人々から学びや気づきを得たり、思わぬ人と繋がったり、人脈が広がって趣味や遊びや仕事の幅が広がったりするのです。ちなみに、人脈は、広げようと思って追っかけるものではなく、富や立場と同じで「結果として」ついてくるものだと思います。

よく顔が広い人にコバンザメのようについて行って、名刺を配ったりする人がいますが、こういう人はまず覚えてもらえません。理由は簡単で、上記の4つのプロセスを行っていないからです。誰々の知り合い、で終ってしまいます。ですので、是非、成長したいのであれば、知り合いがいない場所に一人で積極的に出かけて行きましょう。

さて、今日は「居心地の悪さが成長に繋がる」というテーマでしたが、実はこのテーマ、いろんな場面に適用できるので無限に広がってしまいます。会社も仲良しウフフな環境よりは、適度に緊張感がある方が仕事が捗ります。もしよければ、このテーマでいろんな場面を想定してみてください。とても面白いと思います。

今日、なぜこの記事を書いたかというと、先日アップした「社内での評価が低い・・・出世できない・・・その原因は何でしょう。答えは意外なほど簡単なんです。」(2020年5月14日)が意外と反響が大きくて、普段のページビュー数の三倍のアクセスを記録しました。このようなちょっとしたビジネス・ティップスのような記事に皆さん興味を持たれるのかもしれませんね。


追記:
冒頭で述べたように、あくまで「成長」を目指す人のための記事です。これ以外の幸せな生き方もたくさんありますので、自分に合った選択をしていただければ良いと思います。

都市化・効率化から、疎化・リモート化へのターニングポイントを迎えた時に、僕たちはどう生きていくか (家にいる時間が長いので、あれこれ考えちゃうんです)

相変わらず、規則正しい生活です。
 
夜は本を読んで早く寝て、朝ランで一日がスタート。動かないので時間がたくさんあります。

ジョギングしている時間に、今目の前で起こっている社会を一変させた出来事について、消化しきれない自分と、なんとか理解しようとしている自分が必死でもがきながら、ポスト・コロナのアップグレードした社会がどうあるべきなのかの問に対する答えについて色々と考えています。

少なくとも(不謹慎かもしれないけれど)今回のコロナ禍は、既存の社会の枠組みと資本主義経済の限界を露呈し、破壊したという意見に僕は賛成しています。一部の資本家と超大企業が地球上の富の大部分を有している社会なんてどこかで限界が来るよね、とみんな思っていたでしょう。

さて、コロナ以前は、人口減少と高齢化、過疎化の問題、労働力不足に対してどう対応していくかということが大きな関心事であり、テーマでした。こうした問題に対しては、いかに効率化を推進するかというモチベーションが働きます。

どうしたって人口は減少していくので、AI/ロボティクスで労働力を補い、財を生産し、仕事につけない人たちにはベーシックインカムを支給というような未来図が描かれていました。また、少ない人口と財でインフラを維持するためには、省エネ・効率化が求められますから、役所や警察、消防、病院など社会インフラを整備するために、都市化(=コンパクトシティ)が進みます。僕自身も、個人的な趣味として「人口減少時代におけるコンパクトシティ」に興味を持って文献を読んでいたくらいです。

しかし、感染症は、人と人との接触(過密化)を否定し、社会の様相をがらりと変えてしまいました。

【コロナ前:「効率化と密」がテーマ】
人口減少 → 過疎化 → 都市に人と社会インフラを集中(コンパクトシティ)

【コロナ後(ウイズ・コロナ):「効率と疎」がテーマ】
三密禁止 → 都市化崩壊 → 人口分散、スペース(疎)生活 → リモート


リモートワーク、リモートレクリエーションは、人の移動を鈍化させます。航空業界、旅行業界、交通業界、自動車業界はこれからどうなるのでしょうか。旅行、飲食などのサービス業と自動車は日本の基幹産業でした。それが、今、まさに目の前でガラガラと音を立てて崩れています。それでも今、生きていかなければならない。生きるか死ぬかの重大な局面が現在進行形で進んでいます。これが世界規模で同時に起きている。

地震や自然災害、金融危機のような局所的な話ではなく、全世界同時に起きるのが感染症なんですよね。そして間違いなく、この後に大不況と金融危機が訪れます。それも、世界的に。その時、どう生き残るか。将来のことだと思っていたベーシックインカムが今必要になりました。(財源が・・・と言いますけれど、株価暴落や金融危機が起これば信用価値としてのお金なんて消えてなくなるんですから、消えた分のお金は刷っちゃえばいいんですよ)

ソフトウエアのアップグレード、バージョンアップ後に下位互換がない(互換性があるものもありますけれど)のと同じで、社会が大きく変わりますから、一度崩れたものは元には戻りません。

であれば、我々は未来を想像し、創造しなければならない。疎化が進むのであれば、そこにビジネスチャンスがあるかもしれない。ビジネスという言葉すら、過去の遺産になるかもしれない。人口減少、全然OKかもしれない(不謹慎だけど)。

そうなると、人間として、一個体としてアップグレードして生きて行かなければならない。都市化から分散化へ。密から疎へ。奇しくも5Gの普及で超高速通信インフラが整備されつつあります。そうなるとリモートでなんでも出来るではないですか。人と人の距離は遠いけれど、リモートでは接続できる。仕事もプライベートもあり方は大きく変わるでしょう。

さらにここ数年、「働き方改革」が推進されてきましたけれど、あれの本質は、国も会社も国民・社員を守ることができないので、みんな自己責任で生きて行きましょうねというメッセージだと僕は捉えていましたが、今、まさにそれが本気で求められてきました。個として強くなろう。人そのものもアップグレードしなければなりません。そして、会社は会社で今までの営業方法を見直し、捨てるものは捨て、新しい方法に積極的にチャレンジする。

大切なのは、今を生きながら(生き延びながら)、変わること。しかもできるだけ早急に。今の社会システムは維持できませんし、過去はもう戻ってきませんから。


少し前にエントリーしたこの記事、自分でももう一度読みたいと思います。
「変化に柔軟に対応するって、具体的にどうすればいいの?」(2020年2月16日)


「マイクロマネジメント」について分かりやすく説明すると、船長が厨房に張り付いてタマネギの切り方を教えているようなものだ

ふと思いついたのですが、今日のタイトルを読めば、船長によるマイクロマネジメントはいかに無駄で非効率化かということが分かりますよね。

でも、船長としては船内の「ガバナンス」をキッチリしたい。その気持ちも分かる。

そのために一般の会社では、社内ルールが存在し、さらに、コンプライアンス、企業文化、行動規範、経営方針、売上目標、といったように、様々な形で「進むべき目的地」が明示されます。船の乗組員( = 社員)は、その目的地を自分ごと( = 当事者)にして、それぞれの持ち場でしっかりと仕事をします。

幾ら仕事をしていても、ルールを無視、あるいは違反した行為は評価されませんし、許されません。

たとえば、「夕食は19時から」というルールがあるのに、16時に食事を供して悦に浸り、自慢げに「仕事やった感」を出されても、他の乗組員は「は?」となるわけです。このようなルールは、仕事が出来る出来ないの前に、最低限守らなければならないルールです。ルール違反を繰り返すと、その船員は本人の意志とは関係なく、次の港で下船することになります。そこに良い悪いもありません。船を円滑に目的地に進めるための決まりです。

最近、この基本的なルールすら理解できない(あるいは理解していても無視する)人が増えているような気がします。個人主義や自己啓発がもたらした影響なのでしょうか。でも、僕は自由にやりたい人はそれでも全然良いと思っています。

ただし条件があって、船から降りて、自ら「個人第一主義号」の船長になるか、無法地帯が許される「無法号」に雇ってもらうかです。ケジメをつけて、自分の美学と欲望を優先し、今乗っている船から身を引くのが良いでしょう。

一方、そうでない船員は、ルールと方針を理解し、自分ごとにして粛々と仕事を行います。船長がいちいちタマネギの切り方を教えたり、ロープの結び方を教えなくても、目的を理解している船員はやり方を自ら学び、行うのです。

時に嵐が来たり、ナギの日もあるけれど、持ち場をしっかりと守っていると、目的地に近づいていることを実感し、今までの労が報われるのです。達成感というやつですね。船員同士で喜びを分かち合い、共にシャンパンを開けてカンパイするのはなんと気持ちいいことでしょう。

「個人第一主義号」や「無法号」に乗っちゃった人はどうなるんでしょうね。
それであまり成功した人って見たことないなあ。

抱えているものを吐き出して、みんなで理解し、思いやる。 得意なことで貢献し、不得意なことは補ってもらう。

この一週間、目眩で車にも電車にも乗れないので、すぐにベッドとトイレにエスケープできる自宅で仕事をさせてもらいました。ミーティングはZOOMかGoogle Meetで。PCさえあれば仕事ができるこの業種、ありがたいです。もちろん、社内のみなさんには色々と助けてもらっていますので、本当に感謝。

メニエール病を再発してからというもの、リウマチと自律神経失調症はこのラスボスの前にすっかり影を潜めてしまいました。面白いものです、「それ」よりキツいものが出ると身体が反応する。もちろん関節の痛みはあるのですが、神経がよりキツい方に向いているのが良く分かります。

そして、この数日、あれこれと考える時間も取ることができました。そして、いろんなことを思い出しました。

そういえば僕がランナーになったきっかけは、10年前にメニエールを発症したことだったのです。その前の年に腎盂腎炎になり、翌年にメニエールが出たものだから、さすがにこれじゃあかん、死んでしまう。運動しなきゃ!と直感的に思ったのでした。その時に始めたランニングにすっかりはまり、今に至ります。今回もランニングで治す。リウマチのせいにして運動からすっかり遠ざかっていた自分を反省。今回もメニエールに教えてもらったようです。

仕事の合間にウォーキング(たまに走ってみたり)をしながら、夕日に輝く海を眺めて色々と考えました。そうすると気づいたことがあります。

病気って一つの個性じゃないのかな。

先天的な物も後天的な物も、心のも体のも。

誰一人同じ人はいません。その個性が70億個集まって、人類社会を形成してるんですよね。今回、本当にいろんな方から励ましと共感の言葉をいただきました。みなさん、あるいは、家族や身近な方が同じように抱えている方もたくさんいらっしゃいました。

そんな風に抱えてるものを隠さず出して、みんなで思いやれれば、もっと良い世の中になるのに。「病気は恥ずかしい」そういう風潮こそ恥ずかしいのではと思います。
病気は一つの個性だ。

そもそも、70億の個性がある中で、誰に良し悪しを判断できるのでしょう。今この瞬間に隕石が落ちてきて地球が滅びる可能性も0ではない。そうすると、今まで批判したり、決めつけたりして積み上げた価値観や常識は何のためのものだったのでしょう。

抱えているものを吐き出して、みんなで理解し、思いやる。
得意分野で貢献して、不得意分野は補ってもらう。

それが、助け合いの世の中なのかなと思います。

【笑って読んでください】一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうなあ。

いやあ、面白いなあ、人生って。

健康な人もいれば、そうでない人もいる。不健康なことをしていても90歳まで元気な人もいるし、健康オタクなのに短命な人もいる。無茶してもびくともしない人もいれば、無茶すらできない人もいる。

人生色々で、それはそういうものなのでしょう。何かにすがって良くなろう、とか、無理にこうしよう、とかではなく、受け入れること、できることを重ねよう、これが大切なんだろうと思います。

そんな自分も、たかだか44年しか生きていないのに、いろんなことが身に起きます。ちなみに今は、自分の身体が色々とアップグレードする前の脱皮のような状態だと理解していて、捨てるものと、新しく身に着けるものの間(はざま)を楽しんでいる状態とでもいいましょうか。とにかく、過渡期なんだろうなあと日々実感しています。

僕にはいくつか持病があります。中には、克服したと思っていたものもありましたが、今日、8年前に消えたと思っていたメニエール病が再発しました。

薬で落ち着いた今、同じように、何かで苦しんでいたり、戦っている人がいれば、自分もそうだし、同じように苦しんでいる。だから一緒に戦いましょう、一人じゃないですよ、というつもりでこの記事を書こうと思います。実際、過去の記事(一人のランナーがリウマチ発症に際して考えること、感じること(急がず焦らず、マラソン復帰を目指します!)2018年9月23日)をネットで検索して読まれたリウマチ発症したての女性が、インスタで直接連絡をくれたこともありました。その方とは今でもつながり、情報交換や近況報告をしています。仲間がいると嬉しいものです。

さて、その「いくつかの持病」の内の一つ。

まず、2018年に診断されたリウマチですが、2019年はとても調子が良く、症状も大人しくしてくれていたおかげで、5月の鯖街道ウルトラをサブ10で完走、10月の富士五湖ウルトラ100kmを12時間30分で完走、そして12月(たった三ヶ月前だ)の大阪マラソンで3:42のPB更新と、思い出に残る調子の良い年となりました。

しかし、年末から途端に調子悪くなり始め、朝の関節のこわばりと痛み、そして微熱が毎日続いています。微熱も毎日続くとしんどいもので、薬とロキソニンで抑えているという状態。

そして、二番目の持病が自律神経失調症。
こちらは悪寒と不眠、頭痛。全体のバランスが崩れてこちらもしんどい。でも、睡眠サプリメントとやはりロキソニンで乗り切れています。(ロキが切れると辛い)

そしてさらに更に。
2010年に発症し、8年前に克服したと思っていたメニエール病。

なんとこの、ラスボス級にきつい病(経験された方は全力で同意いただけると思いますが)が、今日、まさに今日のお昼に再発してしまったのです。

ここ二週間くらいでしょうか。耳のつまりと目眩が出始め、メニエール経験者としては「嫌〜な予感」がしていたので、今日のお昼、会社近くのかかりつけの耳鼻科に受診に行きました。久しぶりに会う先生に症状を告げ聴覚検査からスタートしたのですが、その最中から視界ぐるぐる。もはや立っていられなくなり、その後の検査もフラフラになりながらなんとか通過。先生に「まさに今、強烈な目眩が来てます」というと、目を見ていれば分かります、とにかくすぐに薬を色々とアレンジしますね、と言ってくださいました。

その後が地獄。

クリニックの待合でもフラフラ。薬局では立つこともできず、床に汗をボタボタ落としながら椅子にうずくまる僕を見て、すぐにメニエール患者だと察知した薬剤師さんが薬からお会計から全部持って来てくれて、しんどいですよね、大丈夫ですか、と優しく扱ってくれました。こういうの、ほんと嬉しいです。

会社に戻らなければと、梅田の繁華街をフラフラと右に左によろめきながら歩いているとやはり嘔吐。たくさん人が歩いているところで嘔吐なんて。でも、どうしようもなく、ビルの影に隠れてとりあえずうずくまる。そして、またよたよたと歩く。

ああ、9年ぶりだ、この地獄。以前は、地下鉄でもどこでも発作起きていて、視界がゆがみ、歩くこともできず、嘔吐を繰り返していた、あの、トラウマ級に辛い思い出。それがまた蘇るなんて。一番ぶり返してほしくない病気だったのに。

なんとか会社に戻り、会議室で横にならせてもらって(途中でまた嘔吐二回)、3時間後にようやく復活しました。でも一度発作が来ると、当分クラクラが収まらないんですよね。大量の薬を飲んで、随分落ち着きました。今回の再発、一過性だといいな!

2020年の2月2日に44歳の誕生日を迎え、ああ、今年は良いことあるかな、自分の年だな、と思っていたのですが、まあ、毎日しんどいことよ!笑うしかない!笑笑

こんな状態なので走れず、愛媛マラソンはぶっつけ本番でなんとか完走できたものの、それ以降も1kmも走れない日々が続いており、色々とフラストレーションも最初の内はたまっていましたが・・・まあ、今はとにかく休む時と言い聞かせています。

なんとか仕事も出来ているし、身体以外は順調すぎるほど順調だし、本当にありがたいです。感謝。3月は仲良しラン友さんと、お城周りをぐるぐる周るランの予定もあるし、とても楽しみ。ゴルフの予定もある。できることを楽しもう。

同じような境遇にある方、ランナーなのにちっとも走れなくて辛い方、大丈夫です。僕も同じですから。きっと今はそういう時期。休めと言われている時期なんです。

身体をいっぱい甘やかせてあげましょう!

その先に、きっといいことありますよ。

【ランニング中の一人ブレスト】自分の考えは常に古い。アップデートし続けなければ生きた化石と化す

この時期のランニングは気持ちいいですね。

休みということもあり、ゆったりした空気が流れているし、ランナーもちらほらいるし、キリッとした空気が頬をなでて行きます。今朝はあいにくの雨ですけれど、年末年始しっかり走り込みたいと思います。

走っている時間は一人ブレストの時間。

最近痛感しているのは、今日のブログのタイトルにある「自分の考えは常に古い」をどれだけ真剣に認識しているかということ。そう認識していなければ、すぐに生きた化石と化す。化石はものを語りはすれど、世界を動かすことはできない。

1年が7年の速度で変化していく時代にあって、振り返ればこの2019年も色んなことがありました。自分が知らないところで、変化を続けて業績を伸ばしている企業。自己研鑽と高いアンテナから収集した情報を実行に移すことができる行動力で、しなやかにアップデートを続ける人たち。

人口減少時代にあって「ものを作れば売れる」なんて非常識だし、「いいもの作れば売れる」なんて情報過多+ダイバーシティの時代では通用しない(自分にとってのいいもの=他の人にとってのいいものとは限らない)にも関わらず、旧態依然とした旧時代の価値観を持っているとすぐに生きた化石と化します。

重要なのは、トレンドに左右されるということはではありません。普遍的価値観・法則に対し、技術とマーケットの変化を照らし合わせた上での正しい判断(=実行)を即時に下すことができる選球眼と、過去を捨て変化する覚悟と決意、そして、実行スピードではないかと思うのです。

そのためには、高い視野と目先の視野の両方が必要。高い視野は、全体を俯瞰し大きな流れを掴むことができる力。目先の視野は、足元の実行力。両方共、学びと行動により自ら身につけることができる能力です。

自分の考えは常に古い。
でも、今この瞬間の自分が一番若い。

生きた化石とならないように、来年の(個人的)行動目標を立てています。
ちょっと動きますよ、来年は!

小さい世界で徒党を組んで傷を舐めあってる人間がとても残念な理由について(毒注意)

まあ、大中小関わりなく、生きている世界が小さい人間って本当に残念ですよね・・・見ていて辛い。そして、願わくば関わりたくない。時間の無駄です。

僕が残念に思う人間ってすごくわかりやすくて、例えばこんな属性です。

・小さいコミュニティで必死になってプレゼンスを保とうとしている人間
・イキること、偉そうに言うことによって承認欲求を満たしている人間
・傷を舐めあって目先のことしか考えない人間
・表だけ繕って、その場をやり過ごそうとしている人間
・傷つきたくない人間
・「自分らしく」を盾にして努力をしない人間

なぜ残念なのでしょうか。理由はいくつかあります。

・世界が、見えている世界の大きさ以上、広がらない
・努力をしているつもりでも、努力の総量が圧倒的に足りない
・己の弱さを定量評価できない
・自分のことで精一杯で、人に愛情を注ぐことができない
・己をさらけ出すことができず、嘘で塗り固められた人生を送るしかない
・弱さ、できないことを言い訳にする

最近の風潮として、「自分らしく」とか「本能の赴くままに」と言った言葉が自己啓発界隈で言われていますが、ほとんど麻薬と同じですよね。そこから何が生まれるのでしょうか。はっきり言って、何も生まれない。自己満足にもならない。

僕は技術の世界で生きているので分かるのですが、AIとかロボティクスとかって、結局、今の能力差のディバイドを広げるしかないんですよ。つまり、誰もができる単純労働は、すぐにAIとロボティクスで置き換わります。そこに情はないし、プロセスに対する評価が介在する余地はありません。「自分らしく」とか「本能の赴くままに」と言って惰眠を貪っている人間は、あっという間に、ベーシックインカムでシャブ漬けにさせられます。もしくは、ジェダイよろしく、世捨て人になるしかない(それはそれで幸せかもしれないが)

なぜか。

法律的に人の命は奪えませんから、養うしかないんです、AIとロボットが一生懸命(いや、彼らに意思はないのですが)働いて財を生み出すから。じゃあ、そこでシャブ漬けにさせられない人間になるには何が必要なのでしょうか。

・他責にせず、自責で物事を切り開く力
・誰よりも努力を重ね、学ぶ力
・常に居心地の悪い環境に身を置く覚悟
・自分の弱さを認め、公表し、長所で他者を圧倒する力

これがないと、多分これから先生きていくのは難しいでしょうね。

ちなみに僕は自己を正当化するつもりはありませんが、元ウツだし、腎臓もやられてるし、メニエール持ちだし、リウマチ持ちですよ。でも、日々学び、走り、ウルトラマラソンも、山ランも、とにかく乗り越え、昨年と同じ仕事はせず、新しいことにチャレンジし、英語を操り、技術もやるんです。みんな、よく言うんですよ、いや、あなたは特別ですよ、と。エリートです、と。

バカバカしい。

こっちもハンディ抱えながら日々生きるか死ぬかでやってんだよ。若い頃から今まで、どんだけ学び、努力し、居心地の悪い環境に身を置いているか。

目を覚ませ、皆。

必ずできる。
みんな、できる!

やってやろうぜ!

新そば、孀婦岩、Re:Jazz、遠い太鼓

 
長野県茅野市に渡辺製麺という製麺所があります。

地元では評判が良く、僕も八ヶ岳ベースに行ったついでに良く立ち寄って半生そばや干しそば(乾麺ですね)を自宅用に箱買いして帰ったりするのですが、その渡辺製麺の新そばの半生麺をいただいたので、早速お昼ごはんにしました。

普段から食べている、松林の大将の手打ちそばには到底かないませんが、それでも信州の良い香りとコシを感じることができます。そういえば、来週の週末、信州に行く予定なので、また箱買いしておこうかなと思ったり。

やはり季節のものはいいですよね。

ーーー

純粋に、本当に純粋に、自宅から一歩も出ない日。

屋外といえば、ベランダに出て植木を飛ばされないように室内に入れたことくらいでしょうか。というわけで、録画しておいたNHKスペシャル「秘島探検 東京ロストワールド 第2集 孀婦(そうふ)岩」をゆっくり視聴。

ああ、もう、こういうの大好きだ!

その筋の専門家がみんな目をキラキラさせながら未知の世界に挑んで行く姿、素晴らしいなと思う反面、羨ましくもあり。こんなに、こどものような目で仕事ができるなんて!いや、もちろん僕も毎日楽しく仕事はしてるつもりですし、彼らの仕事は研究所に帰ってからの地味な解析作業にほとんどの時間を費やされるのでしょうけれど。

それにしても、本当に知らない世界って無限にありますね。そんな世界を茶の間で視聴できるなんて、本当にいい時代。それと同時に、「火山活動の遺構である孀婦岩もあと数百年もすれば波風による侵食でなくなってしまう、今、この時代にこんなすごいものが見れてラッキー」と研究者が言っていましたが、地球の悠久の歴史の中で、あるいは、火山活動の歴史という長い時間軸の中では、ほんの一瞬の出来事だという事実に、目眩すら覚えます。

ーーー

こういう時に何をするかというと、仕事以外は、読書ですよね。

もしかしたら、断水や停電などもあるかもしれない、と、早めにお風呂に入って一時間ほど半身浴。村上春樹の「遠い太鼓 (講談社文庫)」を読みながら、地中海に浮かぶギリシアの島々の人々とのふれあいや、美味しいワインなどについて語る文章のおかげで脳内トリップ。

外はしとしとと雨の音。

風呂に持ち込んだスピーカーからは ドイツのマシュー・フォークト率いる Re:Jazzのサウンド。こういう夜って、欧州系のJazzがぴったりマッチしたりするんです。少し薄暗くて、雨に濡れた石畳がきらきら光る路地裏から聞こえるようなシックな音が良かったりするんです。

そんなこんななインドアな週末。身体には十分な休息が与えられたようです。
というわけで、引き続きみなさん、ご安全に。


 
 
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なにがしあわせかわからないです。 ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。

昨夜、なんとなくNHKのSONGSを見ていたのですが、宇多田ヒカルが自身の生い立ちと家庭環境、その上に形成された世界観を語る時に、「銀河鉄道の夜」に出てくる燈台守の言葉に影響を受けたと語っていて驚きました。実は、僕も大好きなのです。

なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。 〜 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

彼女の場合は、どこに行っても転校生、明日いきなりNYに住むよ、来月日本に帰るよ、というような、目先どうなるか分からない不確実な生活を世界レベルで経験しながら成長したという、ある種のアイデンティティの欠如をベースとしたものだと想像するのですが、僕の場合は、一つひとつの選択の正しさを後ろ盾してしもらえる言葉として励みにしています。

過去を振り返った時に、あの時の選択は本当に正しかったのだろうかと思うことがあります。

人生というのは小さな選択と決定の連続で、その時その時の必死で一生懸命の積み重ねが今に至るのであれば、過去の自分をしっかりと肯定してあげることが、今とこれからを生きるための糧となるのではないのかなと思います。

それが願わくば、「ただしいみちを進む中でのできごと」であり、「峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつ」になれば良いなと。辛いことも、悲しいことも、その先の「なんだか分からない幸福」に近づけるのであれば、乗り越えていけますし。

夕方涼しくなった頃、走りながらこの文章を反芻していました。

さあ、7月スタートです!
 
 
  

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