(閲覧注意)ビジネスの世界において「がんばってます」が評価されない理由について

皆さんの周りで、どんなことをやらせても確実に結果(=成果)を出す人はいませんか?100人に一人くらいの割合でいますよね、そんな人。どんなことでも出来ちゃう人。こういう人は本質を見抜く力が強い人です。わずかな情報でも、ゴールをちゃんと見据えることができ、そこに向かう最短ルートを走れる人です。

ということで、「確実に結果を出す」ということが今日のポイントです。厳しい言い方をすると、結果が出なければ、そのプロセスは無意味なものになります。

(人によっては厳しい話に聞こえるかもしれませんので、苦手な方はここで離脱してください)

強いていえば、過程による「経験値の獲得」はあるかもしれませんが、まあ、ビジネスの世界での「がんばってます」は評価されません。「やろうと思ってました」は問題外。一度辞めて出直してきた方が良いレベルです。ちなみに、ベンチャーの経営者などで自ら主体的に動き「がんばった」結果が失敗な場合にのみ「失敗は成功の母」という言葉が当てはまります。失敗することによって成功への道が近くなるというのはあるかもしれません。指示命令なく、個人で主体的に動く場合はゴール関係なく、がんばりましょう。ガムシャラやマドルスルー、長時間労働によって身につくスキルや胆力、知識、経験もあります。

でも、組織内においては「結果が出なくても好きなことやれ」と言われているR&D部門や個人でもない限り、結果の出ない仕事は無意味です。

各階層ごとに求められるものも変わりますし、責任の所在地はどこかという議論もありますが、ここではあえて「個」にフォーカスします。

さて、組織内において「がんばった」過程を評価する、これは日本の悪しき習慣である、長時間労働に対する美徳観にも表れます。長時間労働が評価されるのは、工場労働や生産労働など、時間と成果が直結する仕事だけです。仕事のプロセスすべてが財の生産に直結するので、働き手も労働時間に対する対価をしっかり得ることができます。一方、生み出した財が売れない場合は、生産現場は停止し、労働者は自宅勤務になり、報酬を得ることができません。極めてシンプルな構造です。

一方、知的労働の場合の長時間労働は悪でしかありません。

確かに会社に長くいると、一見「がんばっている」ように見えます。でも、ちゃんと休まなければ脳も働かないし、ただ時間を伸ばすだけの仕事は本人の「やってる感」につながるかもしれませんが、知的労働による結果が出なければ、やっている意味がありませんので、これはまったく評価の対象にはならないのです。(あるいは経営者が昭和な人間であれば、その古い価値観で気に入ってもらえるというのはあるかもしれませんが、決算の数字を見て直近3年右肩下がりなのであれば、時代に取り残されて淘汰されつつあるので別の意味で気をつけた方が良さそうです)

「そんなん言われても、めっちゃやることあるんですよ!」という人もいます。では、実際に自分の業務を棚卸ししてみましょう。その仕事の内容は何ですか?書類作成や報告書の作成などであれば、その業務そのものを見直した方が良さそうです。在宅ワークなのにハンコもらいに会社に行くような、至極非効率なことをやっているかもしれません。

それでもタスクに追われて成果が出ない案件が山積みになっているようであれば、手が回らない案件はその人から引き剥がして別の人をアサインするだけです。これはマネジメントの見極めです。単なる能力不足かもしれないので、その人は一旦少ない仕事でがんばってもらう代わりに結果をきちんと出してもらうのもアリです。人による仕事量の濃淡は、報酬差で色をつけます。積み残し案件の精算も、マネジメントの重要な役割です。先送りはビジネスにおいて「機会損失」という致命傷になりかねませんから。

こうなると、一つひとつの時間の使い方も検討しなければなりません。結論の出ない会議や、相談しなくても自分で考えて動けばいいような無駄な報連相、参加者が少ないのに習慣的にやっているだけのセミナーなどは悪です。なぜか?

求められる結果(=ゴール)が収益なのであれば、そのゴールに結びつかないからです。会社にとってはそこにアサインしている人間の給与を支払うわけですから、時間とコストの無駄でしかないのです。

大切なのは、自分の仕事にしっかりとゴールという旗を立てること。ほとんどの場合、ゴール(=成果)は数という単位で計られます。このゴールという旗を立てれない、あるいは見えてない人のなんと多いことか!

でも人間完璧ではありませんからね。未達なことも計画的にやれないことも、コロナ禍のような予期せぬことも起こるわけです。これは仕方ない。その場合は旗を立てる場所を変えるか、やり方を変えましょう。このブログで何度も言っていますが、今、時代は過渡期です。柔軟に変われる人とそうでない人で大きな差が開きますよ。

いずれもしても、常にゴールを見据えて走る。いつまでにゴールするか期限も決める。そうすることにより、効率的に動き結果として余った時間は、学びに当ててもいいし、人に会う時間にしてもいいし、リフレッシュに当ててもいい。そうすることにより、また仕事のパフォーマンスが上がります。

とにかく、今はいろんな意味で正念場ですよね。
個々の力のレベルアップが求められています。古い価値観を亡霊のように身に纏っていれば、いずれ沈みます。環境を言い訳にしていれば、リストラの対象になります。

自分の人生は自分のものです。
仕事の出来る人間=成果を出す人間になるために、ここはひとつ、がんばって行きましょう。

悲しいニュースに触れる度に、捨てる勇気の必要性を感じるなあ・・・・ダメならやめる、無理なら逃げる。向いてないことはしなくていい。

朝ランが気持ちの良い季節になってきました。
ゆっくり景色を見ながら12km。ランの最中に有名な女優さんの自殺のニュースが入って来ました。どんな事情があったのか分かりませんが、好きな女優さんだったので、とても残念です。

人それぞれ、人生があります。抱えているものも人によって違うし、周りがいくら詮索したり想像しても事情は本人にしか分かりません。でも、今の世の中を見ていると、「こうでなければならない」「こうすべき」という圧力が強いように感じます。もっと緩くていいんだけどなあ。もちろん、ストイックに出来る人はすればいいし、がんばれる人はがんばればいい。うまく行く時もあれば、行かない時もある。うまく行かない時は無理にがんばらない。

ちょうど季節の変わり目ということもあり、僕も目眩が出始めてうまくコントロールできませんが、薬を飲むくらいしかできませんもん。しゃあないですよね。もう持病に関わることは諦めてます。笑

そんな時に思うのは、捨てる勇気の必要性。

良い意味で諦めること。ダメならやめる、無理なら逃げる。向いてないことはしなくていい。得意なことや夢中になれることをがんばればいいんです。

そんな風に生きて行ければいいし、周りもそれを受け入れればいい。人間一人ひとり違うわけですから、多様化を受け入れる社会になればいいなと思います。

夕焼けランニング 〜 軽くなった自分の隙間に新しい気が流れ込み、それらが風となって良い循環を生んでいく

そういえば、一昨日の日曜日の夕焼け空は素晴らしいものでした。

買い物から帰って一息つき、もう今日は走らないでいいかなと、怠け心が首をもたげてきたところ、やっぱり走ろうと思い直した自分に対するご褒美のような夕焼け空。

この写真を撮影した場所は芦屋川沿いの公園で、川の下を道路やJR神戸線が通っています。芦屋川は「天井川」なのです。

この公園ですが、西の空が開けているので、特に夕方に走る時にはお気に入りの場所です。

川沿いを下って、海へ。

刻一刻と変わる空の下を走りながら、六甲山に沈む夕日をパチリ。この一瞬の色。まさに自然が織りなす芸術作品。

こういう景色を見ていると、考えることがあります。

昨年末からの体調不良、コロナ禍、体重激減・・・これらに直面した時に、一体自分の身に何が起こっているのか、本当に苦しくて暗中模索の日々を過ごしていました。

でも、その時に思っていたのが、「今は脱皮の最中だ、これが終わればアップデートした自分に会える」ということでした。

感謝すべきことに、8月から見違えるほど元気になり、身体は健康、心は平穏、やることなすことすべて上手く行っています。

体調不良やコロナ禍が教えてくれたのは、余分なものを脱ぎ捨てること、正しい自分になること。軽くなった自分の隙間に新しい気が流れ込み、それらが風となって良い循環を生んでいくのを実感しています。

風。風の時代。
ナウシカのように、強くて優しい風使いになれるでしょうか。

【閲覧注意】全身全霊を掛けている、一切の妥協を許さない、命を燃やしている、という人に限ってビジネスがうまく行っていない理由

挑発的なタイトルで申し訳ありません。少しだけ毒を吐きますので、苦手な方はここでページを閉じてくださいませ。

最近、世の中の変化にストレスを感じている人が多いのか、閉塞感があるのか、余裕がないのか分かりませんが、やたらと「精神論」と「お金儲け」の話題がタイムラインを駆け抜けていて、辟易してしまいます。できるだけ、TwitterでもFBでもそういうのは目に入らないように避けているのですが、なかなか、ね。他にもっと大事なものがあるだろうと思うんです。

どうして、そういうものを避けているかというと、なんていうのか・・・とにかく浅はかなんです・・・そういうことを言う人に限って儲かっていないから。

分かりやすい例でいくと、Twitterなんかで、名前の後ろに「@副業で月収100万円」とか、「@元気の源の秘訣教えます」とか、「@夢を叶える魔法の言葉」とか書いている人いますよね。もしそうなら、自分が儲けて納税するなり、寄付するなりすれば良い(前澤さんのようにお金を配るのも有。個人的にはあまり好きではないけど)。元気や夢を叶える方法を知っているのなら、自分がそうなって、有名になって、社会をより良くしてくれればいいのですよ。あえてアピールすることにどんな意味があるのでしょうか。まあ、営業活動の一貫なんでしょうけれど。

安倍総理が「安倍晋三@総理になる方法教えます」とか、経団連の中西会長が「中西宏明@日立の会長にまで登り詰めた7つの秘訣」などというアカウントを持っていると思いますか。

また今日のタイトルにあるように、決意表明なのかなんなのか分かりませんが、やたらと己の哲学を熱く語る人、例えば「俺はこれだけを信じてやってきた」「一切の妥協を許さない」「誰もしなくても、自分だけは一人になってもやる」とか言っている人に限って、ビジネスはうまく行っていません。偉そうなこと言ってすいません、たかだか44年の経験しかありませんが、そういう人を本当に、悲しいけれど、嫌というほど見てきました。どんどん消えていってしまいました。だからもう見たくないんです。去勢を張るのはもうやめよう。自分に素直に、あるものを受け入れて小さな幸せを見つけてそれを大切にする方がよっぽどいい。人それぞれ器というものがある。

お金の話でしたね。

お金を儲けるためには、お金を追いかけてはだめです。自分が人に信用される人になること、社会に貢献できるようになること、人の役に立つこと、それだけ考えていれば、自然に回るもんなんだろうと思います。

僕はお金儲けが苦手です。

どちらかというと元々技術畑で営業じゃないから、営業なんて出来ません。会社の役員がこんなこと言ってはダメですが、モノを売るのは苦手です。だから、最初からそこは捨てています。でも、いい意味で諦めた時から、お金がめちゃくちゃ回るようになりました。不思議です。追いかけるスキルもないから追いかけない。その代わり、何か人の役に立ちたい、それだけを行動指針にしています。それだけで、お金に困らなくなりました。様々なところからお仕事でもプライベートでもお声を掛けていただけるようになりました。本当に感謝です。諦めるって大事ですね。

テクニックもあります。

安く仕入れて、高く売る。これだけです。株の場合は、安く買って、高値で売る。投資の場合は、伸びそうな会社に目をつけて出資する。でもリスクもあります。リスクを回避するためには、「卵は同じカゴに盛るな」です。つまり分散投資です。借金は極力してはいけません(金利0の今なら投資に回す目的なら有りかも)。結局、自分の選球眼、自分磨きをがんばるしかないんですよね。

精神論や根性論を語る暇があれば、相手、顧客に少しでも良いサービスを提供すること、コードを一行でも書くこと、手を動かすこと、この方がよっぽど利益に繋がります。(ブログを書きながらストレスを解消している僕がいうのもなんですが・・・笑)本当に稼いでいる人はお金の話なんてしません。静かに目の前の仕事に掛かっています。

これは僕の経験なんですけれど、根性論で仕事をしている時は、夜中2時に来たメールを3時に返すみたいな仕事の仕方をしていたんですが、その時が一番お金なかったんですよね。

じゃあ、若い頃にそのような働き方をしていたことが今に生きているかといえば、それは生きています。僕は、仕事量や労働時間は収入に比例しないということを学びました。ビジネスには、勘所と強弱が必要です。毎日3時間睡眠で仕事していたら、いずれ身体を壊します。徹夜を三日続ければ、仕事のパフォーマンスは明らかに低下します。じゃあ、どうするか。頭を使うんです。

それは自己アピールでも、金儲けの仕方を考えるのでもなく、社会が、世界がどの方向に向いているかを見極め、諸問題を解決するための方法を考え、よりよい世界にするにはどうすればよいかを考える。そして実行する。人知れず動いていても、誰かが見ているものです。

正しい目を持っていれば、成功する。うまく行かなければ何かが間違っている。

個人的には成功=お金ではないと思っているので、その価値の置所も人それぞれ大切ですが、追いかけると逃げていくものもあること、これは事実だと思っています。

あ、今日のタイトルに対する答え、ちゃんと書いてなかった!これだからお酒入るとだめなんだよな…すいません、またの機会にちゃんと書きます。

【全部推量】目の前にあるもののほとんどは、幻想なのかもしれない。自分で考えた答えが唯一頼れる哲学なのかもしれない

7月に入りましたね。

今年も後半戦に入りました。色んなことが起こる年です。これから先、台風や洪水が来るかもしれませんし、大不況が訪れるかもしれません。お金を刷り過ぎてハイパーインフレが起きるかもしれません。コロナに加えて今度は新型豚インフルエンザも流行り始めて、ますます疎化が進むかもしれません。

不安要素も多いですが、僕はそれをあまり不安とは思っていません。歴史を振り返れば、人間はいつの時代も曲りなりに生き伸びてきました。つい100年前までは平均寿命なんて40歳そこそこだったんです。あくまで平均、生まれてすぐ亡くなることも多かったですしね。でも、今は人生100年時代。恵まれた世の中です。

ただ、時代によって価値観は変わります。生んで、増やして、働いて、豊かになって、という時代はそろそろ終わりを迎えそうです。

これからの時代に必要なのは何ですかと問われた時に、僕なりにどう答えるかなと色々と考えてみました。一言で、と問われたら「哲学です」と答えるかもしれません。

哲学。

人間はどうあるべきなのか、どう生きるべきなのか。少し広げて、社会はどうあるべきなのか、イデオロギーのアップデートは必要ないのか。機械化、AI化が進むところまで進んでしまえば、人間は極端な話、働かなくても良くなるわけです。人類史上、こんなことはなかった。そうなると、人間は生きる上での別の意義を見いださなければならなくなります。それは何でしょうか。

機械とAIは人間がインプットしたプログラムとデータで動きます。そこで重要なのが哲学です。ノア・ハラリ先生が言っているように、自動運転車をコントロールしているAIはトロッコ問題(トロッコのジレンマ)のようなことが現実に起こったらどう判断するのだろうか、ということになるわけです。

ミクロ視点に話を戻すと、一人ひとりは「自分の生き方を、自分の頭で考える」ことがますます重要になります。目の前にある選択の一つひとつは、周りの人間や勤め先の会社から与えられるものではありません。自分の頭で考え、設計し、行動すること。何にも縛られるものはありません。

先の質問「生きる意義」や「機械化社会の哲学」などの答えに、正解は(恐らく)ないと思います。だからこそ、自分で考え、考えた結論を自分の答え(=哲学)として持ち、行動の指針とすべきなのです。

自分の頭で考えた時に、自分は何が向いているか、苦にもせず出来ることは何か、お金のために働かないとすれば何をするだろうか、しがらみがなければ何をするだろうか、というような自問自答につながるかもしれませんね。

目の前にあるもののほとんどは、幻想なのかもしれません。
自分の心を深堀りして、見えた景色を考えに落とし込むことがとても大切だと思います。

成長への近道は、居心地の悪いところに意識して身を置くことだと思う

人間ってどうしても、心身ともに楽な環境に身を置きたがります。

それはとても自然なことです。何も悪いことではありません。無理にストレスフルな環境に身を置くと、不調をきたすこともありますもんね。でも、もし「成長したい」と思っているのであれば、常に「居心地の悪いところ」に、あえて身を置くことが一番の近道だと思います。

よく若い人から「早く一人前になりたい」「早く成長したい、どうすればいいのか」という相談を受けるので、このテーマについて薄い持論を展開していきたいと思います。「成長したい」は、「世界を広げたい」とか「チャレンジしたい」という言葉に置き換えていただいても良いかと思います。また僕のような40オーバーの人間でも普通に当てはまる内容だと思いますので、年齢は関係ないかもしれません。

はじめに

下記の方には本記事の内容は当てはまりません。

・「成長」をテーマにしているので、興味のない方には当てはまりません
・ストレスと無縁の生活を目指している方には、本記事は向きません
・何か(富や人脈)を得るために焦っている方には、本記事では即効性のあるティップスを提供していません
 

どうせやるなら短期間に凝縮させる

まず、成長=スキルアップという視点で考えてみましょう。

例えば、新卒未経験で入った会社で3年間、慣れない仕事を覚えるために死にものぐるいで勉強し、土日も本を読み、仕事を優先した3年間と、「ワークライフバランス」を重視して、仕事はそこそこにアフター5や週末は趣味や友達との時間に費やす3年間とでは、どちらがスキルアップのスピードが速いでしょうか。

答えは明白ですよね。前者です。
これは、どっちが良い生き方かという議論ではなくて、成長しようと思うと努力は避けて通れないという真実を示しています。それゆえ、「早く成長したい」と思うのであれば、短期間にその努力を集中させることが一番の近道であるといえます。

ランナーの皆さんは共感していただけると思うのですが、マラソンも同じですよね。「走った距離は嘘つかない」この言葉を頭の中で唱えながら、フルマラソンのタイムを1分、1秒縮めるために日夜走り続けます。楽なことではありません。村上春樹さんが言っているとおりです。

走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。 僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹

 

これはまさに真実です。楽なことではありませんが「目標を持って」一生懸命努力することで、得られる果実の大きさは何倍にも変わってきます。今はテレワークが一般化しようとしていますが、これは、働き手にとってある意味、試金石のようなものです。場所がオフィスであろうが自宅であろうが、どれだけ真剣に仕事に向き合い、成果を出すか。誰にも何も言われない環境だからこそ、その人の真価が問われるのです。

知り合いがいない場所に積極的に出かけよう

次に、成長=「世界を広げる」という文脈で考えてみたいと思います。

人にとって居心地の良い環境というのは、地元の友達と連れ立ったり、学校の同級生と一緒にいたり、会社の同僚と飲みに行ったりすることだと思います。知った仲ですから、とても楽です。

でも成長しようと思うと、イツメンと一緒にいてばかりでは何も得ることはできません。出来るだけ、知り合いがいない場所に出かけて色んな人から刺激や学びを得ましょう。これは、驚くほど成長に繋がります。理由を説明します。

まず、知り合いがいない場所に行くと、誰も自分のことを紹介してくれません。自分から人に声を掛けなければ何も始まりませんよね。以下に場面を想定してみます。【】内はその場面で必要なスキルです。

1,初対面の人に声を掛ける【勇気、積極性】
2,その人と会話を続ける【話題の豊富さ、コミュニケーション能力】
3,その人に気に入ってもらう【思いやり、謙虚さ、気づかい】
4,その人の知り合いに紹介してもらう【好感度、さわやかさ】

いかがでしょうか。

【】内を見るだけでも、どれだけのスキルが必要か。4番については相手が判断するものなので少し違うかもしれませんが、でも一度これらのスキルを身につけると、どこに行っても、どんな場所でも、誰とでも仲良くなることができます。もちろん、これは先天的なものではなく、やはり努力と惜しみないインプットによって獲得するものです。

その結果、居心地の良い閉じた小さな世界では出会えない属性の人々から学びや気づきを得たり、思わぬ人と繋がったり、人脈が広がって趣味や遊びや仕事の幅が広がったりするのです。ちなみに、人脈は、広げようと思って追っかけるものではなく、富や立場と同じで「結果として」ついてくるものだと思います。

よく顔が広い人にコバンザメのようについて行って、名刺を配ったりする人がいますが、こういう人はまず覚えてもらえません。理由は簡単で、上記の4つのプロセスを行っていないからです。誰々の知り合い、で終ってしまいます。ですので、是非、成長したいのであれば、知り合いがいない場所に一人で積極的に出かけて行きましょう。

さて、今日は「居心地の悪さが成長に繋がる」というテーマでしたが、実はこのテーマ、いろんな場面に適用できるので無限に広がってしまいます。会社も仲良しウフフな環境よりは、適度に緊張感がある方が仕事が捗ります。もしよければ、このテーマでいろんな場面を想定してみてください。とても面白いと思います。

今日、なぜこの記事を書いたかというと、先日アップした「社内での評価が低い・・・出世できない・・・その原因は何でしょう。答えは意外なほど簡単なんです。」(2020年5月14日)が意外と反響が大きくて、普段のページビュー数の三倍のアクセスを記録しました。このようなちょっとしたビジネス・ティップスのような記事に皆さん興味を持たれるのかもしれませんね。


追記:
冒頭で述べたように、あくまで「成長」を目指す人のための記事です。これ以外の幸せな生き方もたくさんありますので、自分に合った選択をしていただければ良いと思います。

都市化・効率化から、疎化・リモート化へのターニングポイントを迎えた時に、僕たちはどう生きていくか (家にいる時間が長いので、あれこれ考えちゃうんです)

相変わらず、規則正しい生活です。
 
夜は本を読んで早く寝て、朝ランで一日がスタート。動かないので時間がたくさんあります。

ジョギングしている時間に、今目の前で起こっている社会を一変させた出来事について、消化しきれない自分と、なんとか理解しようとしている自分が必死でもがきながら、ポスト・コロナのアップグレードした社会がどうあるべきなのかの問に対する答えについて色々と考えています。

少なくとも(不謹慎かもしれないけれど)今回のコロナ禍は、既存の社会の枠組みと資本主義経済の限界を露呈し、破壊したという意見に僕は賛成しています。一部の資本家と超大企業が地球上の富の大部分を有している社会なんてどこかで限界が来るよね、とみんな思っていたでしょう。

さて、コロナ以前は、人口減少と高齢化、過疎化の問題、労働力不足に対してどう対応していくかということが大きな関心事であり、テーマでした。こうした問題に対しては、いかに効率化を推進するかというモチベーションが働きます。

どうしたって人口は減少していくので、AI/ロボティクスで労働力を補い、財を生産し、仕事につけない人たちにはベーシックインカムを支給というような未来図が描かれていました。また、少ない人口と財でインフラを維持するためには、省エネ・効率化が求められますから、役所や警察、消防、病院など社会インフラを整備するために、都市化(=コンパクトシティ)が進みます。僕自身も、個人的な趣味として「人口減少時代におけるコンパクトシティ」に興味を持って文献を読んでいたくらいです。

しかし、感染症は、人と人との接触(過密化)を否定し、社会の様相をがらりと変えてしまいました。

【コロナ前:「効率化と密」がテーマ】
人口減少 → 過疎化 → 都市に人と社会インフラを集中(コンパクトシティ)

【コロナ後(ウイズ・コロナ):「効率と疎」がテーマ】
三密禁止 → 都市化崩壊 → 人口分散、スペース(疎)生活 → リモート


リモートワーク、リモートレクリエーションは、人の移動を鈍化させます。航空業界、旅行業界、交通業界、自動車業界はこれからどうなるのでしょうか。旅行、飲食などのサービス業と自動車は日本の基幹産業でした。それが、今、まさに目の前でガラガラと音を立てて崩れています。それでも今、生きていかなければならない。生きるか死ぬかの重大な局面が現在進行形で進んでいます。これが世界規模で同時に起きている。

地震や自然災害、金融危機のような局所的な話ではなく、全世界同時に起きるのが感染症なんですよね。そして間違いなく、この後に大不況と金融危機が訪れます。それも、世界的に。その時、どう生き残るか。将来のことだと思っていたベーシックインカムが今必要になりました。(財源が・・・と言いますけれど、株価暴落や金融危機が起これば信用価値としてのお金なんて消えてなくなるんですから、消えた分のお金は刷っちゃえばいいんですよ)

ソフトウエアのアップグレード、バージョンアップ後に下位互換がない(互換性があるものもありますけれど)のと同じで、社会が大きく変わりますから、一度崩れたものは元には戻りません。

であれば、我々は未来を想像し、創造しなければならない。疎化が進むのであれば、そこにビジネスチャンスがあるかもしれない。ビジネスという言葉すら、過去の遺産になるかもしれない。人口減少、全然OKかもしれない(不謹慎だけど)。

そうなると、人間として、一個体としてアップグレードして生きて行かなければならない。都市化から分散化へ。密から疎へ。奇しくも5Gの普及で超高速通信インフラが整備されつつあります。そうなるとリモートでなんでも出来るではないですか。人と人の距離は遠いけれど、リモートでは接続できる。仕事もプライベートもあり方は大きく変わるでしょう。

さらにここ数年、「働き方改革」が推進されてきましたけれど、あれの本質は、国も会社も国民・社員を守ることができないので、みんな自己責任で生きて行きましょうねというメッセージだと僕は捉えていましたが、今、まさにそれが本気で求められてきました。個として強くなろう。人そのものもアップグレードしなければなりません。そして、会社は会社で今までの営業方法を見直し、捨てるものは捨て、新しい方法に積極的にチャレンジする。

大切なのは、今を生きながら(生き延びながら)、変わること。しかもできるだけ早急に。今の社会システムは維持できませんし、過去はもう戻ってきませんから。


少し前にエントリーしたこの記事、自分でももう一度読みたいと思います。
「変化に柔軟に対応するって、具体的にどうすればいいの?」(2020年2月16日)


「マイクロマネジメント」について分かりやすく説明すると、船長が厨房に張り付いてタマネギの切り方を教えているようなものだ

ふと思いついたのですが、今日のタイトルを読めば、船長によるマイクロマネジメントはいかに無駄で非効率化かということが分かりますよね。

でも、船長としては船内の「ガバナンス」をキッチリしたい。その気持ちも分かる。

そのために一般の会社では、社内ルールが存在し、さらに、コンプライアンス、企業文化、行動規範、経営方針、売上目標、といったように、様々な形で「進むべき目的地」が明示されます。船の乗組員( = 社員)は、その目的地を自分ごと( = 当事者)にして、それぞれの持ち場でしっかりと仕事をします。

幾ら仕事をしていても、ルールを無視、あるいは違反した行為は評価されませんし、許されません。

たとえば、「夕食は19時から」というルールがあるのに、16時に食事を供して悦に浸り、自慢げに「仕事やった感」を出されても、他の乗組員は「は?」となるわけです。このようなルールは、仕事が出来る出来ないの前に、最低限守らなければならないルールです。ルール違反を繰り返すと、その船員は本人の意志とは関係なく、次の港で下船することになります。そこに良い悪いもありません。船を円滑に目的地に進めるための決まりです。

最近、この基本的なルールすら理解できない(あるいは理解していても無視する)人が増えているような気がします。個人主義や自己啓発がもたらした影響なのでしょうか。でも、僕は自由にやりたい人はそれでも全然良いと思っています。

ただし条件があって、船から降りて、自ら「個人第一主義号」の船長になるか、無法地帯が許される「無法号」に雇ってもらうかです。ケジメをつけて、自分の美学と欲望を優先し、今乗っている船から身を引くのが良いでしょう。

一方、そうでない船員は、ルールと方針を理解し、自分ごとにして粛々と仕事を行います。船長がいちいちタマネギの切り方を教えたり、ロープの結び方を教えなくても、目的を理解している船員はやり方を自ら学び、行うのです。

時に嵐が来たり、ナギの日もあるけれど、持ち場をしっかりと守っていると、目的地に近づいていることを実感し、今までの労が報われるのです。達成感というやつですね。船員同士で喜びを分かち合い、共にシャンパンを開けてカンパイするのはなんと気持ちいいことでしょう。

「個人第一主義号」や「無法号」に乗っちゃった人はどうなるんでしょうね。
それであまり成功した人って見たことないなあ。

抱えているものを吐き出して、みんなで理解し、思いやる。 得意なことで貢献し、不得意なことは補ってもらう。

この一週間、目眩で車にも電車にも乗れないので、すぐにベッドとトイレにエスケープできる自宅で仕事をさせてもらいました。ミーティングはZOOMかGoogle Meetで。PCさえあれば仕事ができるこの業種、ありがたいです。もちろん、社内のみなさんには色々と助けてもらっていますので、本当に感謝。

メニエール病を再発してからというもの、リウマチと自律神経失調症はこのラスボスの前にすっかり影を潜めてしまいました。面白いものです、「それ」よりキツいものが出ると身体が反応する。もちろん関節の痛みはあるのですが、神経がよりキツい方に向いているのが良く分かります。

そして、この数日、あれこれと考える時間も取ることができました。そして、いろんなことを思い出しました。

そういえば僕がランナーになったきっかけは、10年前にメニエールを発症したことだったのです。その前の年に腎盂腎炎になり、翌年にメニエールが出たものだから、さすがにこれじゃあかん、死んでしまう。運動しなきゃ!と直感的に思ったのでした。その時に始めたランニングにすっかりはまり、今に至ります。今回もランニングで治す。リウマチのせいにして運動からすっかり遠ざかっていた自分を反省。今回もメニエールに教えてもらったようです。

仕事の合間にウォーキング(たまに走ってみたり)をしながら、夕日に輝く海を眺めて色々と考えました。そうすると気づいたことがあります。

病気って一つの個性じゃないのかな。

先天的な物も後天的な物も、心のも体のも。

誰一人同じ人はいません。その個性が70億個集まって、人類社会を形成してるんですよね。今回、本当にいろんな方から励ましと共感の言葉をいただきました。みなさん、あるいは、家族や身近な方が同じように抱えている方もたくさんいらっしゃいました。

そんな風に抱えてるものを隠さず出して、みんなで思いやれれば、もっと良い世の中になるのに。「病気は恥ずかしい」そういう風潮こそ恥ずかしいのではと思います。
病気は一つの個性だ。

そもそも、70億の個性がある中で、誰に良し悪しを判断できるのでしょう。今この瞬間に隕石が落ちてきて地球が滅びる可能性も0ではない。そうすると、今まで批判したり、決めつけたりして積み上げた価値観や常識は何のためのものだったのでしょう。

抱えているものを吐き出して、みんなで理解し、思いやる。
得意分野で貢献して、不得意分野は補ってもらう。

それが、助け合いの世の中なのかなと思います。

【笑って読んでください】一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうなあ。

いやあ、面白いなあ、人生って。

健康な人もいれば、そうでない人もいる。不健康なことをしていても90歳まで元気な人もいるし、健康オタクなのに短命な人もいる。無茶してもびくともしない人もいれば、無茶すらできない人もいる。

人生色々で、それはそういうものなのでしょう。何かにすがって良くなろう、とか、無理にこうしよう、とかではなく、受け入れること、できることを重ねよう、これが大切なんだろうと思います。

そんな自分も、たかだか44年しか生きていないのに、いろんなことが身に起きます。ちなみに今は、自分の身体が色々とアップグレードする前の脱皮のような状態だと理解していて、捨てるものと、新しく身に着けるものの間(はざま)を楽しんでいる状態とでもいいましょうか。とにかく、過渡期なんだろうなあと日々実感しています。

僕にはいくつか持病があります。中には、克服したと思っていたものもありましたが、今日、8年前に消えたと思っていたメニエール病が再発しました。

薬で落ち着いた今、同じように、何かで苦しんでいたり、戦っている人がいれば、自分もそうだし、同じように苦しんでいる。だから一緒に戦いましょう、一人じゃないですよ、というつもりでこの記事を書こうと思います。実際、過去の記事(一人のランナーがリウマチ発症に際して考えること、感じること(急がず焦らず、マラソン復帰を目指します!)2018年9月23日)をネットで検索して読まれたリウマチ発症したての女性が、インスタで直接連絡をくれたこともありました。その方とは今でもつながり、情報交換や近況報告をしています。仲間がいると嬉しいものです。

さて、その「いくつかの持病」の内の一つ。

まず、2018年に診断されたリウマチですが、2019年はとても調子が良く、症状も大人しくしてくれていたおかげで、5月の鯖街道ウルトラをサブ10で完走、10月の富士五湖ウルトラ100kmを12時間30分で完走、そして12月(たった三ヶ月前だ)の大阪マラソンで3:42のPB更新と、思い出に残る調子の良い年となりました。

しかし、年末から途端に調子悪くなり始め、朝の関節のこわばりと痛み、そして微熱が毎日続いています。微熱も毎日続くとしんどいもので、薬とロキソニンで抑えているという状態。

そして、二番目の持病が自律神経失調症。
こちらは悪寒と不眠、頭痛。全体のバランスが崩れてこちらもしんどい。でも、睡眠サプリメントとやはりロキソニンで乗り切れています。(ロキが切れると辛い)

そしてさらに更に。
2010年に発症し、8年前に克服したと思っていたメニエール病。

なんとこの、ラスボス級にきつい病(経験された方は全力で同意いただけると思いますが)が、今日、まさに今日のお昼に再発してしまったのです。

ここ二週間くらいでしょうか。耳のつまりと目眩が出始め、メニエール経験者としては「嫌〜な予感」がしていたので、今日のお昼、会社近くのかかりつけの耳鼻科に受診に行きました。久しぶりに会う先生に症状を告げ聴覚検査からスタートしたのですが、その最中から視界ぐるぐる。もはや立っていられなくなり、その後の検査もフラフラになりながらなんとか通過。先生に「まさに今、強烈な目眩が来てます」というと、目を見ていれば分かります、とにかくすぐに薬を色々とアレンジしますね、と言ってくださいました。

その後が地獄。

クリニックの待合でもフラフラ。薬局では立つこともできず、床に汗をボタボタ落としながら椅子にうずくまる僕を見て、すぐにメニエール患者だと察知した薬剤師さんが薬からお会計から全部持って来てくれて、しんどいですよね、大丈夫ですか、と優しく扱ってくれました。こういうの、ほんと嬉しいです。

会社に戻らなければと、梅田の繁華街をフラフラと右に左によろめきながら歩いているとやはり嘔吐。たくさん人が歩いているところで嘔吐なんて。でも、どうしようもなく、ビルの影に隠れてとりあえずうずくまる。そして、またよたよたと歩く。

ああ、9年ぶりだ、この地獄。以前は、地下鉄でもどこでも発作起きていて、視界がゆがみ、歩くこともできず、嘔吐を繰り返していた、あの、トラウマ級に辛い思い出。それがまた蘇るなんて。一番ぶり返してほしくない病気だったのに。

なんとか会社に戻り、会議室で横にならせてもらって(途中でまた嘔吐二回)、3時間後にようやく復活しました。でも一度発作が来ると、当分クラクラが収まらないんですよね。大量の薬を飲んで、随分落ち着きました。今回の再発、一過性だといいな!

2020年の2月2日に44歳の誕生日を迎え、ああ、今年は良いことあるかな、自分の年だな、と思っていたのですが、まあ、毎日しんどいことよ!笑うしかない!笑笑

こんな状態なので走れず、愛媛マラソンはぶっつけ本番でなんとか完走できたものの、それ以降も1kmも走れない日々が続いており、色々とフラストレーションも最初の内はたまっていましたが・・・まあ、今はとにかく休む時と言い聞かせています。

なんとか仕事も出来ているし、身体以外は順調すぎるほど順調だし、本当にありがたいです。感謝。3月は仲良しラン友さんと、お城周りをぐるぐる周るランの予定もあるし、とても楽しみ。ゴルフの予定もある。できることを楽しもう。

同じような境遇にある方、ランナーなのにちっとも走れなくて辛い方、大丈夫です。僕も同じですから。きっと今はそういう時期。休めと言われている時期なんです。

身体をいっぱい甘やかせてあげましょう!

その先に、きっといいことありますよ。