毎日忙しい日々ですが、できるだけ集中力を高めたい時、締め切りに追われてお尻に火がついた時、「よっしゃ、気合いや!」という言葉が勝手に出てきます。毎日「気合い」という単語を何度つぶやくことか。それほどまで「気合い」は日々の生活と共にあります。
でも良く考えてみると「気合い」の意味について良く知らなかった自分がいました。さらに悪いことに「気合いじゃ〜」と言ったところで、やる気がでない時は何も起きないことも日常茶飯事です。そこで今一度「気合い」の意味について調べてみることにしました。
Weblioを見てみると以下のように定義されています。
き-あい 【気合(い)】
Weblio辞書
読み方:きあい
1,精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い。またそのときの掛け声「_がこもる」「_をかける」
2,呼吸。いき。「_をはかる」「_が合う」
なるほど、気持ちの勢いか。あるいは呼吸。非常に抽象的なのでちゃんと理解できたかというと良く分かりませんが、言葉には力がありますので、それを口に出すことで精神が集中され、事に掛かる時に勢いが生まれるのかもしれませんね。
あなどることなかれ。騙されたと思って、これからも使い続けよう。
同じように「癒やされる」という言葉も日常的に使用しています。この「癒やされる」も実はあまり意味を知らずに使っていました。ということで同じweblioで調べてみると、
癒やされる
Weblio辞書
読み方:いやされる
それとの関わりを通じて、辛い思いなどが和らぎ、穏やかな気分になること。ストレスが軽減されること。
そういえば、仕事で煮詰まった時、ホームセンターのペットコーナーに行くことがあります。僕は動物全般、特に猫が好きなので、猫コーナーでじーっとにゃんこ達を眺めていると自然と目尻が下がり、笑顔になっています。
同じことが自然の中でも起きます。森の中を散歩する、空を見上げる、砂浜から海を眺めるといった行為を通じて、自然と肩の力が抜け、こわばっていた表情が緩むのです。
「癒やされる」という言葉について深く考えた時、それは「これでいいんだ、大丈夫」という気持ちなることと同意義なのかもしれません。日常に追われているとどうしても近視眼的になりがち。人との関わりも多いので、余計に視点が狭まってしまいます。でも、自分が生きている世界なんてちっぽけなもの。
自然の中に身を置いたり、猫を見たりしていると、「これでいいんだ」と思うし、自己肯定感が高まります。忙しい時ほど、苦しい時ほど、自分が生きている多様な世界に目を向ける。人間から離れる。
見る対象を変えることは大切ですね。日々、勉強の繰り返しです。