彼岸の中日
僕にはあまり馴染みのない言葉だった。
むしろ、「秋分の日」という言葉の方でしっくりきている。
以前は、「秋分の日」とはいわず、
「彼岸の中日」という名称で、「祭日」だった日である。
「祭日」 つまり祭りの日。
墓苑に向かう車内で、
祖母に教えてもらった。
昔は皆、日の丸を玄関に掲げていたことから、
「旗日」と読んでいたそうである。
そういえば子供の頃、自分の家も含め、
祝祭日には門に日の丸を掲げている家をよく見かけた。
なるほど、旗日。
知らなかった。
月に一度、
祖母と墓参りに出かける。
このひと時も、僕にとっては大きな意味を持つ。
祖母と、信州で別荘ライフ中の両親は、
信じている宗教が違う。
神道とクリスチャン。
僕はどちらかというと、
育てられた両親の影響でクリスチャン寄りであるが、
別にどちらでも良い。
今は祖母と二世帯で暮らしているため、
祖母との対話の中で、自分のアイデンティティに
気付かされることも多い。
古き良き日本の慣習を重んじる祖母と、
慣習ではなく、「実」を重んじる両親。
決して浅くはない溝があるのも事実。
僕は、たまにその間に立って、
悩むこともある。
でも今は、
僕の存在が、緩衝材になってくれれば良いと思っている。
祖母と二人で行く墓参り。
後何回、あるのだろう。
祖母が元気で生きていてくれる限り、
僕は彼女を安心させる存在であり続けたい。
そう思う。