しっとりするのが正しい過ごし方


週の後半に差し掛かってきました。
そろそろ追い込みをかけなければと思っても、もう明日しかないですね。どうしよう。時間がない。と言いながらブログは書ける訳ですからまだまだ気持ちにも時間にも余裕があるということなんでしょう。

深夜の時間にエントリーをするのが習慣となっています。たまに朝や夜の早い時間もありますが、まあ、ほとんどが夜中の2時。一日のしめくくりとして、良いことを書いたり面白いことを書いたりして終わりたいと思うのですが、そもそも真夜中にハイテンションなことを書ける訳がない。シーンとした中、一人で機敏に、そしてクスクス笑いながらカチカチとキーボードを叩いていても気持ち悪い。それが出来るのは自由な夜型人間でしょうけれど、僕は一応、会社勤めなので7時には起きて9時前には出社しているのです。早く寝なければというプレッシャーを感じつつ、夜は正しく一日の反省でもして、しっとりしておきましょう。

と、ここで同じ歳の親友から国立大の医学部博士課程に合格したとのニュースが。アラフォー世代の女性は、みんなすごいな。おめでとう!
と言うものの、負けてられない気持ちが沸々と湧いてきて、ますます寝れないではないか・・・


さて明日は金曜日ですね。
ラストスパートがんばりましょう。

Collective Sound Members – A Touch Of Jazz

実は簡単にバランスを取ることができるものなのかもしれない


どうも違和感を感じることが多い最近のニュース。

毎年恒例の長者番付発表、収入の二極化、サラリーマン平均年収、ネオヒルズ族などなど。ビジネスやアイデアや創意工夫ではなく、お金にまつわることだけがニュースになり、お金に興味がある人達のアクセスを集めるということが、どう頭を捻っても理解できないのです。人の収入を知ってどうなるのだろう。自分の収入をひけらかして何になるのだろう。皆の収入の中での自分の立ち位置を知ることが何に繋がるのだろう。いや、お金は大切だし、仕事をしている限り、一円でも二円でも収入が多い方が良いに決っているのに、なんだろう、この違和感は。それよりも生み出したアイデアやクリエイティビティの方がはるかに注目されるべきではないのか。(ちなみに世界長者番付上位の国家予算レベルの資産を保有されている方々はもはやお金のためだけに仕事をしていないことは明白ですが)

僕は緩い考えを持ち過ぎているので、金持ちになってやる、日本を変えてやる、世界を凹ませてみせる、などのギラギラした気持ちがないことが違和感の原因なのかも。そもそも、金を稼ぐという教育を受けてこなかったし、中途半端に苦労を知らずに育ったという環境もあるのかもしれない。しかし、キレイ事かもしれないのですが、人生というのは金を稼ぐためだけのものではなく、ある意味「修験道」のようなものだと考えています。とにかく、勉強。日々、勉強。そして、仕事はその「修験道」の一つであるべきだと思うんです。経営者であれ、サラリーマンであれ、公務員であれ、仕事から学べることは計り知れない程多い。何かに不満がある人は、大抵「受け身」なんだと思います。置かれている立場、環境、景気、法などを言い訳にする。いや、そんなの、自分の力でどうにでもなると思うんですよね。自分に足りないところが何かを自覚し、過去と現在を照らしあわせて今すべきことを粛々と行う。ただ、それの積み重ねなんだと思います。山登りと良く似ていて、前だけを向いて黙々と登り、たまに後ろを振り返ると、ああ、もうここまで登って来たんだ、という実感に浸ることができる。それと同じなのでは。

充足感、満足感、欲求というのは、ひとそれぞれ違います。
ちなみに今の僕にとっての欲望は、誰もいない湖畔に一人で行って、星の王子様や、モモや、果てしない物語などの児童文学にどっぷり浸ること。星空の下で活字にどっぷり溺れる。素晴らしいな。

あ、誤解を招いてしまいそうなので、あえて追記しておくと、企業は利益追求であるべきです。間違いなく。利益を追求しなければ会社である意味がない。正しく商売をする。それが長く強く商売を続ける秘訣であると思います。

そんなこんなで自己矛盾、社会に対する矛盾を感じていると何もかもリセットしたくなって、数ヶ月ぶりにビールを買って帰りました。昨年10月以来、家では炭酸水しか飲まないようにしているので、本当に久しぶり。そんなこともあって、こんな支離滅裂な記事をエントリーすることになってしまいました。まあ、たまにはいいか、ということでご了承いただければ幸いです。缶ビール2本で、バランスが取れた。

それでは、明日もがんばりましょう。

読書は畑を耕すのに似ている


本を読むことをは畑を耕すのに似ています。
特に専門書や学術書の最初の1ページは、あたかも広大な荒野を耕し始めるような感覚。最初の一鍬をいれるのに力がいります。そして、これから始まるであろう開墾作業に対して、期待、不安、楽しみが入り混じった不思議な感覚を持って、1ページづつめくっていくのです。

畑を耕すかの如く最初は力が必要です。通読の一回目は固い地面をほぐす作業。二回目、三回目と、どんどん地面はほぐれて柔らかくなって行き、畝を作ったりして、自分なりの畑に仕上げることができるんだろうと思います。


昨夜から新しい専門書に手を出し始めました。

これがまた全然違う分野の本なもんだから、まさに荒野を耕す感覚。でも楽しい。脳みその使っていない固くなった部分も同時に柔らかくしているような感覚。いつも柔らかい頭でスタンバイしていて、どんなものが来てもスッと入るように準備ができていればいいんだろうけど、そうもいかないのが現実。ちょっと無理をしてでも、柔らかく耕して行きたいと思います。

疲れてボーっと呆けてしまうことがないように。


(先日のSCにて)

これだけやっておくと気が楽だ


帰宅後、精神的にも体力的にも余裕があったので、靴磨きとアイロン掛け。
共に何も考えずにただ黙々と作業に没頭できること、進捗が目に見えやすいという意味で良い気分転換になります。きれいになった靴やシャツを並べて眺めているとそれだけで達成感を得ることができます。

また、週の始めにこれだけやっておくと残りの四日間が楽。というのも、月〜金までで靴は3足、シャツは5枚くらいでローテしているのですが、週の後半になればなるほど仕事も立てこんで帰宅時間は遅くなるし、飲みの予定も入りやすい。週頭にちゃんと一週間分のものを整えて置かないと、後半になってヨレヨレのものを着るはめになってしまうのです。いつもパリっとしている訳ではないけれど、薄汚くなっているものを着たり履くのは精神衛生上、良くない。


それでも更に気持ちに余裕がある時は、勉強机の整理。これも先程と同じ理由で、一週間のスタートを首尾よく切るために必要な儀式のようなものです。今夜はその両方が出来たので、大変満足。

しかし、「勉強机」って大人になったらなんて言うのでしょう?書斎のデスク?仕事机?うーん、どれもしっくり来ないな。そもそも書斎なんて立派な部屋でもないし。机というのは、その人の生活や習慣、人となりが出るものだと思っています。そう考えると、一言で「机」なんて簡単な表現で済ますことができるようなものでもないような気がしますね。千差万別。何かぴったりの表現を見つけることができれば、と思いますが眠たいのでやめておくことにします。

それでは、今日はこの辺で。
明日も充実した一日となりますように。

Lounge Beats 3 by Paulo Arruda | Deep & Jazz

クルマを降りて歩いてみよう


昨日は良い天気の一日でした。
陽気に誘われ、普段クルマで移動するところまで歩いて行くことにしました。目的地は市立図書館。クルマを運転していると気づかなかった、例えば、新しい店が出来ていたりだとか、道がきれいになっていたりだとかに出会うことがあります。

お、こんなところに喫茶店さんがあったんだ。
入ってみると本格的なコーヒー屋。自家製焙煎の豆も売っていました。

住んでいるところは、山へも海へも徒歩20分くらいで行くことができます。これから暖かくなる季節、歩けるところへは歩いて移動するのも良いかなと感じました。


新たな一週間が始まります。
今週も、一つ一つ丁寧に。

メニューを決める行為は、脳の瞬発力に繋がる


仕事、幼稚園のイベント、歯医者、片付け、勉強。
残作業をすべくカフェに入っています。
チルアウトとは程遠い土曜日だ。

その時、何を食べるのか、何が食べたいのか。
人は生まれてからずっと一日三度かそれ以上、食事をしています。社会人になり外食が増えると、自宅にいる時と違って「自分でメニューを選択する」ということを迫られる機会が増えます。

食べたいものを選択する際、まず自分の本能の声に耳を傾ける。しっかり濃いものを食べたいのか、あっさりしたものがいいのか、パン系がいいのか、ご飯系がいいのか、麺系がいいのか。和食か洋食か中華か。これらの内的要因に耳を傾けなければなりません。一旦、ここで答えを出しておく。

それから外的要因を分析する。食事の時間はどれくらい取れそうか、食事の後の予定はどうか、にんにくは避けたい方がいいか、揚げ物やお好み焼き屋など、服に油の匂いがつく店はどうか、満腹でもいいのか、次の予定に備えて腹五分目でいいのか。近くに該当する店はあるのか、ないのか、予算はいくらか。

これらの要因を内的→外的の順に取捨選択し、その中の最大公約数を実現できるものをベストアンサーとして選択する。特に、出張時や外出時など、時間がない時には、これらの一連のフローを短時間で処理して決定する訳ですから、臨機応変能力(そんな能力あるのか)が知らず知らずのうちに鍛えられているような気がしますね。脳の瞬発力。


週末はやっぱり良い天気であるべきですね。
明日も良い天気になりますように。

それでは皆様も良い週末を。

たとえ起きていたとしても、なんともならないこともある


昨日のエントリーで、「「いつも大体なんとかなっている」は、慢心につながる(寝坊)」という記事を書きましたが、起きていたとしても失敗することはありました。朝令暮改のようで、なんともお恥ずかしい。

業務を終えて0時発の電車に乗り、ボーっと考え事をしていると降りるべき駅で降りるのを忘れ、三ノ宮まで行ってしまったのです。運良く折り返しの終電があったので良かったものの、あまりの失態ぶりに自分でも焦った。笑
寝過ごすならまだしも、そもそも起きてる訳ですしね。何かに没頭するほど沈思黙考していた訳でもなく。
ちなみに、今まで電車で寝過ごしたことは一回だけしかありません。しかも終電の新快速、気づいて降りた駅の周辺には何もなく、タクシーで帰るのももったいなかったので、探して探してようやく辿り着いたネットカフェ(ということにしておいてください)で仮眠して始発で帰ったこと。この一回だけですから、今でもその時の状況は良く覚えています。
逆に泥酔して気持ち悪くなり、途中の駅で下車してそこからタクシーで帰る(書きながら恥ずかしい)ことはあったとしても「降りそびれる、寝過ごす」ということは皆無に等しい。しかも酒も飲んでなければ寝てもいない。イッツ・ア・ミラクル。

もしかして疲れの影響かもしれませんが、この週末もタスクと予定がびっしり真っ黒な状態なので、休もうにも休めず・・・でもなんとか時間を作ってゆっくりしたいものです。

長くて短い一週間が終わりました。いつの間にか3月に入っています。
外は寒いですが、気分は春ですね。

皆様も良い週末をお過ごしください。