放的な屁 シリアナ編

どうも、

今日も仕事用のズボンを一本しか持っていない男二人に挟まれて

仕事をしていたtomo-kです。

お疲れ様です。

その男二人。

屁でも放つと破れそうなズボンにそろそろ限界を感じ、

定時後、お店にお手を繋いで向かっておりました。

全然関係ありませんが、

「放屁」という言葉には勢いを感じませんか?

何せ、放つのですからね。

SF小説などで、

未来の人間は脳が発達して他の部位が退化し、

火星人のようなクラゲスタイルになると書いてありますが、

もっともっと「放つ」方のポテンシャルが高くなれば、

放屁の自己推進力で飛ぶことが出来るのではなかろうか、と、

そんなことを考えてしまいます。

恐らく何かの間違いでそっちの方に進化してしまった人間は、

悲しいかな、脳はソフトボール大に縮小され、

逆にシリアナがロケットみたくなってしまうのでしょうね。

地球温暖化よりも、そっちの未来の方が、

「不都合な真実」として目を背けたくなってしまいます。

脳というものは不思議なもので、

アイデアが出ずに仕事で少しスランプに陥ってしまうと、

おおよそ仕事には何のプラスにもならないことばかり

考えてしまうのです。

これも脳の退化でしょうか。

それともシリアナの進化でしょうか。