(深夜の記事を今朝、改題しました)
どうも、31歳をとうに過ぎているのに、
いまだに自分探しをしているtomo-kです。
一昨日SEと話をしていまして、
「ほんとに賢い人って、本質見抜ける人やんね」
っていう話で盛り上がっていたのですが、
いかんせん、
客観的に「ある事象」の本質を見抜けたとしても、
「自分」という「個」の本質を見抜くのはとても難しいのです。
「ある事象」に対する本質も、
非常に主観的というかインディビデュアルな観点になってしまうので、
「はい、これ正解。」という答えも怪しいのに、
それが「自分」になると、既に主観的な「個」としての存在を、
さらに主観的に見てしまうので、これまたとてもややこしい気がします。
そこで。
信頼できる人を目の前にして、
自分の口から出るアウトプットを、鏡に反射させるように
インプットして自己確認を行うケースもあるのですが、
「鏡」になっている人(ならされている人)にとってみれば、
「だからなんなんだよ」というような
これも眉をひそめるような迷惑な話でしょうね。
昨晩は茶屋町某所の座敷でそんな話をしていたのですが、
こんな子供に付き合ってくれる方は、眉をひそめるどころか、
やさしい目で見てくださいます。
器がでかいというのか、
なんというのか。
でも、感謝すべきことですねー。笑
一昨日のダンディー紳士が最後に残した言葉。
「世の中変えるのは、
よそ者、若者、バカ者だよ。はっはっはー」
とおっしゃっていた言葉が印象的で。
正解かどうか、視点をどこにおくか、という問題はさておき
どうやらこの言葉のように
色々シンプルに考えた方がよさそうですね。
シンプルに。
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内田先生の「メチャもて日本論」
こちら です。笑