今まさに帰阪中なので、帰阪という言葉について出来るだけ浅く考えてみる

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一週間の横浜滞在を終え、鉄路にて帰阪中です。

ちなみに「帰阪」というのは「大阪に帰ること」ですね。

厳密に言うと、僕の家は兵庫県の阪神間に位置しているので「帰兵」や「帰神(神戸)」(聞いたことない)が正しい表現なのかもしれないけれど、少なくとも新幹線で「新大阪駅」に帰るので、「帰阪」という言葉を使うことにします。

東京や大阪などの大都市は、「上京」「帰京」「来阪」「帰阪」「入洛」などという言葉を割と良く使うと思うのですが、興味を持って調べてみると、各地域により地名の最初の文字や後ろの文字を取って「帰◯」「上◯」「来◯」などということは良くあることなのだそう。

【参考】『帰名』とは…こういうこと?(OK wave)

(例)
帰名=(名古屋に帰ること)
来福=(福岡側から見て相手が来ること)
帰仙=(仙台に帰ること)
来沢=(金沢側から見て相手が来ること)

などなど。
もちろんこれらは地域毎に便宜上使っている言葉でしょうから、全国的レベルで認知度が高い訳ではないでしょうけれど、各地域毎に調べてみると面白い結果が出そうですね。

という訳で、今日はこの辺で。
 
 

 
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消しゴムはやっぱりSTAEDTLER


一人でいると、自然に規則正しい生活になります。

しなければならないことが決まっているし、イレギュラーが発生しないので、オンタイムよりもシステマチックに動ける感じ。仕事中はイレギュラーが発生しまくりますからね。「この次はこれをして、その後はこの打ち合わせをして・・・」というスケジュールなんて、一通のメール、一本の電話でいともたやすく崩れてしまいます。

こちらでは夜に帰ってくると、ジョギングをして、近所でご飯を食べるか買うかしてホテルでPCをカチャカチャする。飲む前にセンシティブな案件は先に片付けておき、それが終われば、好きな音楽を掛けてお酒を飲み、リラックスしてこなせるような仕事や書き物は寝るまでの時間に行う。

ああ、規則正しい!!

たまにFBをのぞいては、お盆休みの楽しそうな写真を見て癒やされたりね。

もちろん、取引先の中ではお盆休み関係なく動いているところも多いので、普段と変わらずメールもバンバン飛んで来て、いきなりその対応に追われるということもありますが、ピリッと効いたスパイスのようなものと思えば、それも味わい深いものです。

無機質であるが故の美しさ


ハフィントン・ポストに、1935年当時のモスクワの地下鉄駅の写真が掲載されていたのでとても興味深く見ました。

1935年。モスクワ。地下鉄駅(画像集)

旧ソ連という社会主義の盟主であり冷戦時代にアメリカと技術発展で凌ぎを削った国の地下鉄の駅は、80年前であるにも関わらず近未来的なイメージさえさせます。だって、今の地下鉄駅と変わらないし、スタイリッシュなエスカレーターは現代のものよりも洗練されたイメージ。モノクロであるがゆえの美しさもあるかもしれません。

一方、当時は、当然ながら社会主義国家ですから「革命の敵はすべて抹殺」という大粛清時代でもあります。この無機質な美しさの裏側には、幾万もの血が流されているという時代の暗闇も垣間見ることができます。


無機質な美しさは、個人的な好みでもあるのですが、映画で言うとやはり「ガタカ」を挙げておかなければならないでしょう。

この映画については何度か触れていますが、とにかく惹かれるのは、アンドリュー・ニコルの美しい世界とマイケル・ナイマンのノスタルジックな音楽でしょう。

自分のブログを検索していると、2006年の10月に簡単なレビューを書いていました。ちょっとピックアップしておきます。

近未来、遺伝子の優劣によって人生が決まってしまう、無機質で定められた悲しい世界。その悲しさすら美しさに変える映像美。ロケで使われた、フランク・ロイド・ライト設計の、マリンカウンティシビックセンターの、重厚かつ、曲線の美しさ。全てが夜か、セピア色の夕日に照らし出された世界。リアルに描写された、人間の内面の心の葛藤や劣等感が、スタイリッシュな世界の中で、より際立つ。レトロ・フューチャー的コンセプトを徹底的に視覚化した美術。

この映画には大好きなCITROENのDSが出て来ます。
ユマ・サーマンが乗るからまた一段と味わい深い。
まさに名車ですね。

遠回りであることを、あえて肯定してみる


物事の本質を知るということは、たやすい事ではありません。

かつての偉大な哲学者や、かのポール・ゴーギャンがそうであったように、 本質=nature というのは、詰まるところ「自分は何のために存在していて、どこから来て、どこへ向かうのか」というような、人間の知能で考えても絶対に分からないような哲学的なところに行き着いてしまうからです。普段の生活において、毎朝起きる度に、そんな事を考えていると身が持ちませんよね。極論、「どうせ人はいつか死ぬんでしょ・・・」というネガティブな思考へ走ってしまう危険性も秘めています。この考え方はとても脆くて、ちょっと自分自身のコンディションが悪ければ一瞬で刹那的な方向へいざなうドラッグのようなものです。

さて、健全なコンディションの人間の場合、極論への近道に進まなくても自分自身の「curiosity」(好奇心)を満たすことを優先させる方法は色々とあります。例えば、大きな括りの中での本質を知りたくて、まず多方面に興味を分散させてから一つの点に集約していくような動きを取るというのも楽しいことです。仮に、直接的に自分自身の効用(例えば、仕事や、利益に直結するようなこと)に関係しなかったとしても、自身の枠の中で広げられる枝葉の中で分野を広げていくというのは、知的好奇心を満たす上ではとても楽しいことだと思っていますし、自分も極力、そうするようにしています。

(出典:wikipehia)※火星探査ローバーの「curiosity」。モビリティの中で最も好き。


良いか悪いかは別にして、このような考え方は基本的には「遠回り」ですね。人の命は有限だというのに、利益に直結しないことにどうしてあえて時間を使うのか。

意味ないやん。その時間もったいないやん。仕事する時は仕事して、ゆっくりする時はゆっくりしようや。そんなん、学生の時に終わらせておこうや。

色々な意見があると思います。でも、このような疑問にはハッキリと答えることができます。それはずばり、

「快感だから」。

あらかじめ断片的に保有していた情報(それはあくまで断片的なのでどことも繋がっていない隕石のようなもの)が、新しく入った情報が媒介となりどこかの惑星と繋がる。シナプスとシナプスが結合される感覚は、まさにパズルのピースがパチっとハマったような感覚を覚えます。だから、仮にそれが遠回りだという自覚はあったとしても(いや、実際あるんだけど)、それでも枝葉を広げて行く作業というのは止められないんだな。いつかどこかで破綻するかもしれないけれど。という訳で、僕はいつも出来るだけ自分の専門分野とは違う文献を読むようにしていますし、社内の人間には「出来るだけ社外の人間と飲みに行くように」と薦めています。世界は広い。だからこそ、自分の世界も広げなくてはならない。

さて、少し肩の力も抜けたので、ハイボールでもやりながら、友人たちのタイムラインでも眺めて楽しい気分にでもなりましょう。それでは、今日はこの辺で。

旅ランというライフワーク


腰痛悪化のために少し休憩していたランニングですが、徐々に快方に向かっているため、筋肉をほぐし、汗を流してデトックスするために、久しぶりに走って来ました。滞在しているホテル近くの多摩川河川敷です。

こちらは等々力陸上競技場ですね。

途中から雨が降り出したので切り上げてきましたが、それでも、やっぱりランは気持ちいい!!!しっかり汗を流した後は、ビールとハイボール。ここで飲まなきゃ痩せるのになあ。酒量が多いのが弱点ですね。

前回の旅ランは、二ヶ月前のミネソタ州と、シリコンバレー、そしてロサンゼルスでした。今回の東京滞在でもラングッズ持って来て良かった。旅ランの魅力に憑かれたら、もう中毒になりますね。最高です。

夏の風物詩:一家離散


お盆休みに入っているところも多いのではないでしょうか。
今年の我が家は一家離散。パパは東京で大学の講義のため一週間一人暮らし。娘たちは、祖父母に連れられて八ヶ岳の山荘へ行き、家内は地元で悠々自適という構図。いかにも我が家らしい離散ぶりです。

出張や海外など、一週間単位で娘たちと会えないことは良くあるとは言え、それはそれでなかなか寂しもの。今は、facetimeやLineなどでWeb-conが出来るだけ良い時代になったという感じでしょうか。

ちなみに、一人暮らし中のアイテムとして、やはりどこに居ても良質の音が聞ける「A33」を持参しています。これ、本当に良いわ。

ちなみに、A33のレビュー記事はこちらから。


8月は「人の命」について考える機会が多くあります。

終戦、日航機墜落事故。
最近では、エボラ出血熱から今朝のロビン・ウィリアムスまで(泣)。

この人は明日も生きているはず。
今日と同じ日が明日も続くはず。

これらのことすら改めて考えることもないくらい、人間って意識のどこかで、今日と同じような一日が明日も過ごせると安心しているところがあると思います。でも、誰が明日のことなど予想できるでしょうか。たった一日、たった一晩で、平和な日常が一転してしまうこともある。だから、家族や仲間や友人たちには、いつも感謝の気持ちと愛をもって接していたいと思います。

明日死ぬかのように生きろ、永遠に生きるかのように学べ

上記の有名な格言があります。
自己を奮い立たせるための言葉としてはとても素晴らしいし、僕も座右の銘にしている一つではありますが、いつでも死ぬ覚悟を持って生きられるというのは、まあ、残される可能性がある人々にとっては辛いものですね・・・

それでは、また明日。

テクニカルなアイデアはその土地の文化や生活習慣によって醸成される


wire.jpの記事から。

スマホとつながる車載ディスプレイ:どんなクルマも「戦闘機のコックピット」に

車のダッシュボードに取り付けるとフロントガラスを車載ヘッドアップディスプレイ(HUD)に変える499ドルの装置が、2015年から出荷される予定とのこと。

車載系のアプリやSPとの融合、車が保持するビッグデータ活用、そしてGoogle Carに代表されるビッグデータ活用など、最近のtech界隈は自動車周りのトピックが多いですね。ちなみに、このヘッドアップディスプレイを開発しているスタートアップスの Navdy という会社の about us はとてもナチュラル、かつ、上品でインテリジェントを感じさせるので、個人的には好きです。

Navdy: Feels Like Driving In The Future

車載系、あるいはテスラモーターを筆頭に自動車系の Tech Reader がどんどんバレー界隈から出てくる理由は、やっぱり車社会、車文化アメリカというバックグランドですね。当たり前だけれど。

二ヶ月前にシリコンバレーに出張した時も、移動はもっぱらレンタカー。車がないとまず生きて行けないと言っても過言ではない。とにかく移動は車なんです。

(シリコンバレーでの運転風景)

土地が広いから駐車スペースも整備されているし。それだけ通勤、仕事に車を使うことが多いと、その中で過ごす時間も必然的に増える訳で、

この時間を使って何か出来ないか?
車にストレージされている種々のデータを有効活用できないか?
スマホをもっと効率よく操作する方法はないの?

というような事を考える人が多くなるのも当然ですよね。
僕も大好きなHBS出身の古賀洋吉さんがファウンダーを勤める「Drive Mode」も、その一つだと思います。シリコンバレー界隈の自動車事情については、こちらの記事をご参照ください。

シリコンバレーの車とITについてよく聞かれる話

逆に日本は電車文化(?)だから、通勤電車内の時間の有効活用を考えても面白いかも。スマホ、本、新聞に取って代わる物を考えてみようかなー。アイデアジャンキーの皆様、良いアイデアあれば教えてくださいね。(笑

ちょっと川の様子を・・・ではなく、図書館の様子を見に来ている


台風が兵庫県を直撃しており、今まさに「暴風雨」という状態。

こんな時は家で大人しくしていれば良いのだけど、田んぼや用水路の様子を見に行きたいと思うのが人情というものですね(やめなさい)。しかし今日は娘たちと図書館に行く約束をしていたので、今こうして暴風雨の中、図書館に来ています。こんな時はきっとガラガラだろうなと思っていたけれど、普段の週末と同じく意外と人がいるんだな。ブースで勉強している人も多いし。

まあ考え方によっては、道中の安全だけをしっかり確保しておけば、家にいるのと同じですからね。図書館だったら勉強も捗るし、本もたくさんあるから家にいるよりも退屈しないかもしれません。特に今日のような二日酔いの日には、この静けさと紙とインクの香りがとても心地良い。


昨夜は地元の同窓会的な集まりがあり、たくさんの旧友と楽しい時間を過ごすことができました。スタートが18時半ということもあり6時間以上は飲み続けていたので、まあ後半はかなり酔ってしまっておりましたが・・・とにかく楽しかったです!皆さん、ありがとうございました。

色々と話をして分かったのですが、ありがたいことに意外と拙ブログを読んでくれている友達もいるようです。10年近く個人ブログを運営しているので「恥ずかしさ」なんてものはないのですが、社会的立場や、会社の肩書などを全く気にすることなく、本当にプライベートブログとして、持論や趣味や感じたことをツラツラと毎日書いているので、意味不明な内容も多々あるのは重々承知。昨夜も「たまに何を書いているか分からない」とご指摘も受けましたが、まあ、そうでしょうね・・・自分で読み返しても、内容を理解するのに時間がかかることもあるくらい(苦笑)。専門的、かつ、技術的な内容ならまだしも、概念や、哲学的な内容も読み手を気にせずに書いているにも関わらず、そのように読んでいただいているのはとても嬉しいです。ありがとう。

さて、今日の一曲はこちら。
雨の日はしっとり目で。

Bonnie Raitt – I Can’t Make You Love Me

音漁りと読書の土曜日


台風と腰痛が良いきっかけとなり、今日は一日を自宅で過ごしています。

この時間を有効に活用して、溜まっている家の仕事をこなし、積読になっている本を読む。たまに「ああ、あれどうなってるんだろ」と思って調べ物をしたり。例えば、コルコバードのキリスト像はどうやって建設されたんだろう、などの、一体何がトリガーになったのか全く分からないようなこと、ふと頭に湧いた疑問の答えを探すべくネットを調べたりするのが良い気分転換になったりするのが、休日らしい良いところ。

で、こうして色々とやっていると、子供たちもゴソゴソと色んなものを持って集ってきます。

物を置く隙間がないよ。


それ以外の楽しみといえば、BGMとなるような音漁りですね。
今日は雨ですので、しっとりとこんな名曲を聴いていたりします。

akiko – Love Theme From Spartacus

「魔女の一撃」の一歩手前

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慢性腰痛持ちの悩み、それは定期的に訪れる腰に走る激痛。
幸い、今回はギックリ腰までは行かないものの、その直前でギリギリ留まっている感じ。もっと分かりやすく言えば、ギックリ腰と取り組んでいて土俵際まで追い詰められたけれど、うっちゃりを決めたという感じ。だからなんとか今回は、朝イチは動けなかったけれど、お昼からはちゃんと会社に行き、夜は送別会で楽しく飲むことが出来ました。まあ、安静にしておかないとね。

ギックリ腰は、ドイツ語で「Hexenschuss」。魔女の一撃といいます。経験したことない人は分からないと思うけれど、この表現は、本当にピッタリ。見えない相手に後ろからバットで腰を一撃されたかのような感じなのです。腰痛は、人間が二足歩行をし始めた時からの病だと思うので、これはこれで受け入れないといけないですね。


(wikipediaから引用)
 
 
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