「Shrink or keep原理主義者」でも美しいと思える街


建築物は大好きなのですが、人工的に造られた街、たとえば、ニュータウンなどの宅地や六本木ヒルズなどの複合施設はあまり好きではありませんでした。なんだか「いかにも」な感じがして。コンクリートで地面を固めて、どでかいゴージャスな建物立てて何するの?人口も企業も減っているのに、山を切り拓いて同じような家ばっかり建てて何考えてんだよバーカ、すら思うような考えの持ち主です。

この辺りの考察は、過去記事で惜しげもなく持論を展開していますのでご参照ください。

「人口減少に対応して、開発した宅地を「自然」に戻していくという試みは生まれてこないのだろうか」2013/10/13

「荒廃ではなく、再生にベクトルが働く好例」2013/10/17

まあ、僕はある意味で「Shrink or keep原理主義者」な訳です。特にエビデンスとなるロジックは持ちあわせていませんが。

そういう意味では、仕事やイベント、大学のサテライトに用事があって良く出入りするグランフロント大阪も「あーあ、なんだよ、このドデカイ建物は」と思っていてあまり好きではなかったのですが、先日初めて、中津側(北側)からアプローチした時に、おお、とっても美しいやん!と思ってしまったのです。いつも見慣れているはずなのに。

天気が良かったから?
自転車に乗っていたから?

原因は分かりませんが、とにかく「ああ、美しいなあ」と思ってしまった。

水辺では子供達が水着を着てバシャバシャと遊び、コリドーの日陰では外国人ビジネスマン達がラテを片手に談笑している。大阪という「どんくさい地方都市」(僕は地元民なので愛情を込めてこう言わせてもらいました)には似ても似つかないようなソフィスティケートされた光景が広がっているのです。

単に建物が美しいだけでは、きっと何も感じないと思いますが、例えば、そこに隠されたデザインの意義や機能性、街としての受け皿など、本当に良く考えられている。そういうところにきっと、良さを感じたんでしょうね。

嫌よ、嫌よも好きのうち、って事ですか。

深夜の楽しみ 〜 バーチャルトリップ


帰宅後、デスクの上にクレジットカード会社の会報誌が届いている時の嬉しさったら。

そして今号の特集が「ホノルル、ダウンタウン物語」だった時なんて。
ああ、至福の一時。

何年も行けていない大好きなハワイ、最後に行ったのが、3年前にLAXからの帰国便でHNLでトランジットした時だもんなあ。HNLから見るダイアモンドヘッドと、その空気に「ああ、ハワイだ」と感じながら、二時間程度滞在してすぐにNRT便で帰国したっけ。

今は事情が許さないので、とりあえず、会報誌でバーチャルトリップ。

(だから空港を3レターコードで呼ぶのやめろ)

スキルって一体なんだろう


最近コンタクトをいただいた某外資系企業のアメリカ人担当者から夜の約束の時間に電話があり、そのまま30分くらい話をしていたのですが、自分の経歴を色々と話す中で「自分のスキルって一体何だろうか」と、短時間で自問自答する良いきっかけとなりました。思い掛けず「自分の棚卸しをする」機会になったというか。

で、そういう風に自分で自分を棚卸してみると、僕は何も特別なスキルも才能もキャリアも持ちあわせていないんですよね。僕が持つ程度のITリテラシーなんて、最近のデジタル・ネイティブの子供達なんかは皆当たり前のように学習し、身に着けてくると思うので、「WEBが出来ます、プログラムが掛けます、システム設計が出来ます、アプリケーションが使えます」なんて、その子達が大きくなった頃には、もはやスキルではなくなっているでしょうし、英語にしたって、これだけネイティブレベルのバイリンガルが増えてくると、普通の英会話力もスキルとは言えなくなってくるでしょう。

では、スキルって一体なんでしょうね。

もちろん「スキル」という言葉の定義によっても受け止め方は変わって来ます。技能や能力、身体的な能力、資格などはスキルと呼ばれますが、ビジネスに限定して考えてみると、それがステークホルダーから必要とされるかどうか、重宝されるかどうかという「相対的な評価」と「希少価値」にあるような気がします。それは、技能でも、資格でも、学歴でもなく、ビジネスを成功させるために必要とされる能力なのではないのかな、と。

まあ、ビジネス上、必要とされるスキルというのは、特に立派な技能でなくても「有能なイエスマン」や「謝り上手」なども組織としては必要だったりするのですが、これから必要なのは、無から有を生み出せる力、ビジネスを拡大できる力、組織を引っ張る力、勘所を見分ける力、など、実に「分かりにくい能力」、定義しにくい能力なのではないのかなと考えました。これって、持って生まれたものも多いに関係すると思うし、経験に裏付けられることでもあるでしょう。

いずれにしても、僕の「分かりにくいスキル」を身につけるための模索は、まだまだ続きそうです。

たった半日で正常なリズムに戻れるとは


公私に渡る忙しさに加え、夏バテ気味の今日この頃。

週末にしか出来ないタスクが山積している中、コンディションがあまり良くないものだからやるべきことを先延ばしにしていると、知らず知らずの内に精神衛生に悪影響を及ぼしていました。まあ、早い話が焦りと苛立ちです。ただでさえ考えなければならないことが多いのに。

これらを解消するためには、しっかり時間を取ってタスクを消化すること。そして、自分に架している事を粛々と行うことですね、オンリーワンかつナンバーワンのソリューション。

今朝は海の見えるカフェでコーヒーを飲んでゆっくりし、昼過ぎに帰宅して家の片付けと掃除(自分の持ち場)を徹底的にし、服と靴のメンテンナンスをして、仕事をし、夕陽を眺めながらの10kmランニングに出掛け、家族がナイトバザーに行っている間に、網で牛肉を焼き、午後から仕込んでおいた胡瓜漬に最後の仕上げのごま油をスッとかけてアテにし、凍らせておいた角瓶でハイボールを作って、好きな音楽を掛けながら公共経済学の本を読み耽る。最近は財政学、特に公共経済の本を読んでいます。

やっぱり週末はこれですよ、これ。
たかだが午後からの半日で正常に戻ることが出来る。

平日に出来ないことをやる事の幸せ。
まさに、精神安定剤。


海辺は赤トンボがたくさん飛んでいました。
まさか、秋・・・ではないよね?

CASIOPEA vs T-SQUARE – Midnight Circle (Main Camera)

夜風に吹かれて


仕事を終えて帰宅し、そのまま駅で家族と合流して盆踊りの会場へ。

夏の海風に吹かれながら、階段に座って飲む缶ビールの美味さと言ったら!

そうこうしている内に花火が始まりました。
地元芦屋の花火大会。

規模は小さいけれど、毎年欠かさず開催してくれる夏の風物詩です。

旨い蕎麦は塩でいただく


夏本番。最高気温37度。今日も暑い一日でした。
こういう時期になってくると、冷たいものをスルスルっといただきたくなります。今日は昼も夜も蕎麦。しかも、昼、夜共に、大阪で最も好きな蕎麦屋のうちの二つに行くという贅沢さよ。

さて、昼は中津にある「ころころ蕎麦」で有名な、大淀信州そば で。

この冷たい、ころころ蕎麦がめちゃくちゃ旨いんです。
夏場はかなりの頻度でこれを食します。

そして夜は、北新地の、そばよし大幸庵「玄」にて。

瑞々しい蕎麦を、まずは何も付けずに口に運ぶ。
蕎麦の風味が口いっぱいに広がる。至福の時。

そして次に「雪塩」を出してもらい、蕎麦にふりかけていただく。この食べ方は、まさに、ここのT社長直々に教えていただいたもの。塩が好きなので(サラダもオリーブオイルとハーブソルト、焼肉はもちろん、とんかつも塩で食べる)、「好きなものを同時にいただく」という贅沢さ。

そして最後はつゆにつけて、そば湯と共に。

お店の板さんと話をしていると、本当の蕎麦好きは「水」につけて食べるそう。聞いたことありますね、水蕎麦。新そばの季節などは風味を楽しむためにするそうです。いやあ、奥が深いというか、粋というか。

大阪も、今日紹介したニ店舗以外にもミシュラン星付きで有名になった「たかま」や、今日亭など、美味しい蕎麦屋がありますね。
今日も美味しいものをご馳走様でした。

サステイナブルな事業(企業)とマインドセットの関係


ある事業がサステイナブルであるかどうかを判断する一つの基準は、やはり「理念」にあると思います。なぜ、この事業をしなければならないのか。どういう意義があるのか。

マネジメント層だけでなく、働く人すべてが自問自答すべき課題です。だって、それぞれの人生があり、時間は限られているのですから。そこまで死ぬ気で考えてやっているかどうかです。そこまで、自社の製品やサービスについて理解しているかどうか、です。

でも現実はどうでしょうか。「食うために働いている」という人のなんと多いことか。これってとても寂しい現実であると同時に、経営者からすれば「都合の良い真実」と言うことも出来ます。少し過激な意見ですけれど、そういう人々がいなければ、会社組織は成り立ちませんよね。給料を与える人と、給料をいただく人。自分の時間を切り売りして給料をいただく人がいなければ、会社組織は成り立たないしリスクを負っている経営者の給料も出ないし、自由もない。少なくとも、皆が「有限の人生の中で、明日死ぬとわかっていて何を行うか」と考え始めると、資本主義経済は成り立たなくなるのです。

人生は有限ですから、自分の限られた時間(=命)を賭してまでそれをやる意義があるのかどうかということを日々自問自答しなければなりません。その理念が大義名分であって大いに結構なのです。更にディティールに落として考えると、迷った時、困った時に帰ることが出来る絶対的な真理=コンセプトが必要で、そこに共感できる人間集団が一番強いということになります。


ですから危険なのは、「稼げる」「儲かる」という事だけにコミットしないことですね、稼げる、マネーをゲット出来るということに重点を置くと、稼ぐことが出来なくなった時(あるいは稼げないと分かった時)に、人は離れてしまいます。稼ぐ、儲かるということはとても大切ですが、そこにコミットすることの基盤のいかに脆弱なことか、ということです。

もちろん、人それぞれ価値観はあると思います。リスクヘッジを掛けながら安定を望む人もいるでしょう。飛び出さなくったって、給料いただきながら、責任を回避できるポジションを希望する人もいるでしょう。そこはインディヴィヂュアルな観点であるため、良し悪しの判断はできません。

しかし、企業がサステイナブルであるためには、コンセプトとマインドセットがとても大切であるということを、ほろ酔いの頭で考えていました。

“Acquisition” か”Engagement”か


ある記事を見て少し考えさせられたので、ご紹介。

Why Customer Retention Is More Important Than Acquisition (mashable)

顧客の引き留めが新規顧客の獲得よりも重要なのはなぜ?という内容。予算配分はどうすればいいの?という疑問や、”Acquisition” か”Engagement”か、パワーシフトするタイミングは?など、様々な場面で直面する課題ですね。


mashable IMAGE: CLICKZ

上の記事では、顧客獲得コストと既存顧客に対するエンゲージコスト(こんな言葉ないよね)を数値にして出して比較し、最終的には「顧客をリテンションしましょう!」という結論です。しかし、これはマーケット、企業のシチュエーションによって全然違いますよね。

そもそもスタートアップスのアーリーステージでは顧客そのものが少ないので、少数顧客とエンゲージメントしてエバンジェリスト(あるいはインフルエンサー)としてどんどん広めてもらうための施策を考えても投資回収速度が遅い。それでも我慢して続けるか、または顧客獲得単価(CPA)や広告費用対効果(ROAS)を見ながら広告予算の配分を決めて投下していく方に注力するか等、そのサービスの市場規模、また、会社の体力を睨みながら、いつまでにいくらプロフィットを生まなければ持たないのか、など逆算しながら考えなければなりません。

一般的には、世の中、レッドオーシャン市場が圧倒的に多いと思うのですが、同じレッドオーシャンでも、その製品がコンシューマー向けなのか、企業向けなのかによっても全然違います。前者の場合は拡散力の速さを期待できますが、後者の場合はせいぜい口コミで広がるのは非商用利用者の間(もし居た場合に限る)だけで、企業間での情報交換や拡散は生まれません。横の繋がりで広がるということは少なく、業務向けは縦割りで閉じられていますよね。「どこどこの企業が導入しました」というのは一対一の営業トークで安心感を持たせるために使える武器ではありますが。

まあ、どちらの場合も、エンゲージメントも獲得も必要であるというのが僕の結論ですが、制約が色々とあってどっかしか注力できない、というのであれば、全体市場規模とターゲットとなる”Currently Addressable”な市場規模を睨みながら、会社体力とシフトチェンジの「ポイント」がどこにあるのかを見極めなければなりませんね。手法よりも、「見極めのタイミング」がすべてだと思います。スタートアップスの場合は、フットワークの軽さしか武器がない訳ですから、いつでも方針転換してもOKという柔軟なマインドセットも必要。早期高収益を求めるか、長期ロングテールを求めるか。後者の場合はそれなりのポテンシャル市場規模が必要であることも忘れてはならないですね。

軍港・呉を感じる


夏空の広島からの更新。

昨日の引続き、田舎で過ごす連休最終日。
今日は呉港に初訪問しました。

呉と言えばかつての軍港。
今でも海自の基地や造船所、そして大和ミュージアムが観光客を集めています。

海自資料館・「てつのくじら」

大和ミュージアム

「艦これ」ブームですが、まさに呉は「This is the right place」ですね

街を海自の教育隊員が歩いていたりして(呉には海自の教育隊がある)、軍港を感じさせます。

「のどかな」という言葉の意味について考えてみる

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のどかな◯◯・・・と言えば、「田園風景」と繋がるくらい、「のどかな田園風景」という言葉は日本人にとって馴染み深いものです。

本日、日本海からの帰りはまさに田園風景の中をドライブしながらなのですが、田畑で働く農家の方々を見て、自分達がイメージする「のどかな・・・」とはまた違う印象を受けました。この炎天下の中、一生懸命働いていておられるからです。どこか「のどかなんだ」と思いながら辞書を引いてみると、幾つかの意味があることが分かりました。

1 静かでのんびりとして落ち着いているさま。
2 空が晴れて、天候が穏やかなさま。うららかなさま。
3 ゆったりとくつろぐさま。急がないで気長に構えるさま。
(デジタル大辞泉:出典)

なるほど、僕が思っていた「のどかな」という言葉の意味は、上記の「3」だったのですね。当たり前のことですが、農業は自然を相手にしているので年中無休365日営業(農閑期はあるものの)であること、祖母の家も兼業農家だし、友人も無農薬野菜の農家であったりするので事情は良く知っている。だから「田園であるからこそ、みんなあくせく働いてお米作ってるんだぞ!」と思っていたのが、1や2のように、様子や天候を表す言葉でもあったのです。

このように、言葉のイメージはとても主観的であることが分かりますよね。
自分の中で決めつけることがないよう、しっかり言葉本来の意味を覚え、語彙を増やす努力をしようと思い新たにしたのでした。

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