理念(理想的概念)とハードウエア、ソフトウエアの関係


サービス、プロダクトを生み出す時は、理念、つまり「こうなるべき」という理想的な概念が先行すべきで、そこには壮大なイマジネーションによって形成される哲学と、テクノロジーのエビデンスが必要になります。

まず「こうなるべき」という理念を生み出し、それに従うことはとても重要ですよね。大木の根がしっかり地面を掴んで離さず、さらに地中に深く広がっているのと同じように、理念がなければ木も大きくなりません。太くて真っ直ぐな幹を伸ばして枝葉を張り巡らせていくためには理念が必要です。そのような理念に添い、そしてブレることなく枝葉を広げている企業の代表格が「Google」であると思います。

Googleは「世界中の情報をインデックスする」ことを理念にしています。そのために、まずは高度な検索エンジンを開発しました。そしてインターネットの世界は今やGoogleの検索エンジンなくてはほぼ何も出来ないという状態になっています。次に彼らは、その「インデックス」した情報を元に、(大袈裟に言うと)人々の生活を変えようとしています。ハードウエアをオペレーションするOS(Android)を開発し、そしてハードウエアそのものも開発することによってです。例えば、自動運転カーであり、ロボティクスであり、Google Glassのようなウェアラブルデバイスですね。

例えばGoogle Glassは、単純に言うと、ハードウエア、OS、アプリケーションで成り立っています。OSという基盤で動くアプリケーションがWiFiやBluetoothを経由してインターネット上から情報を引っ張り、Google Glassを装着している人の眼前に情報を映し出します。

飛行機を見れば、運行状況や運賃を表示し、ランチ時にストリートを歩けば、近くにある評判の店をリコメンドし、ゴルフ場に行けば、ピンまでのヤーデージを表示してくれる。

これらは全てネット上の情報とアプリを搭載したハードウエアとのハイブリッドです。自動運転カーも同じですよね。GPSとグーグルマップの機能、渋滞情報のハイブリッドです。もしGoogleがこのようなウェアラブルな世界、ハードウエアとネットとの融合の実現を「理念」としていたのであれば、手始めに検索エンジンを開発してネット上の全ての情報をインデックスしたことは「エクセレント」の一言に付きます(スタンフォードの学生であったセルゲイとラリーがそこまで考えていたのかどうかは疑問ですが)。なぜなら、飛行機の運行状況も、お店の評判も、ゴルフ場の情報も、すべてネット上に流れている情報な訳ですから。

なお、Google Glassに関する情報は以下のニュース記事で参照可能です。

グーグル・グラスは「秘書」 生活して分かった存在価値
ウエアラブル端末時代の幕開け(1)(日経新聞 Tech Frontline)

「こうなればいいのに」「こうあるべきだよね」
理念を生み出すためには、自問自答を日々繰り返すこと、「なぜ」をたくさん作ることがいかに重要であるかということを、このような事例は考えさせてくれます。脳も心もクローズではいけない。オープンであるべきですよね。

あえて「逆光ニスト」と名乗りたい(技術的な話は抜きにして)


「夕陽ニスト」「夕焼けニスト」というネーミングを良く見聞きすることがあります。

夕陽の写真をブログやSNSにアップしている人は多く、皆さん、その魅力に惹かれているようです。夕陽はいいですよね。自然界が生み出す壮大なグラデーション、一日が終わろうとしている瞬間の物悲しさ、なんとも言えないノスタルジックな光景・・・空が一番美しく見える瞬間だと思います。

しかし、僕はあえて「夕陽ニスト」ではなく、「逆光ニスト」と名乗りたいと思います。太陽がまだ高い位置にあったとしも、逆光で撮影することで、とても良い味が出たりします。カメラには詳しくないし、撮影機材はiPhoneオンリーですので、技術的な裏付けは一切ありません(笑)

下記の写真は週末のジョギングの際に撮ったものです。
まだ陽は若干高めですが、逆光で撮影することでとても美しい写真になった(気が)します。

しかもこの時は10kmのタイムアタック中でしたので、ペースを落とす訳には行かず、走りながらパチリ。さすがiPhone、ぶれないですね。ちなみにこの時は、10km:46:58, 04:42/kmラップでした。

まだ太陽が高い時間でしたので、逆光ではなく順光で撮った写真はこちら。

目に映る実際の景色は、まだこんなに明るかったのです。
これぞ逆光マジック。

更に進化させると、こんな風にもなります。
以前Facebookにアップした、神戸の須磨水族館で撮影したピラルクの写真も紹介しましょう。
逆、裏、といった「反対」の極地。

このような写真を好んで撮影する人を「逆光裏面至上主義者(GUSS)」と呼びます(勝手につけた)

という訳で、今日は「逆光はいいよね」という、それだけのお話でした。

「子どもに夢を託すな」のリクナビCMについて感じる違和感


このブログを読んで下さっている方は良くご存知の通り、僕は日々、youtubeを仕事のBGMにし、好きな曲をブログで紹介し、曲探しのためにも使っているので、毎日アクセスする大好きなサイトの一つです。そんな、僕の生活になくてはならないyoutubeですが、近頃、残念なことにリクナビNEXTの「子どもに夢を託すな」というCMが頻繁に流れます。

このCMを見て、

「ああ、そうだよな、おれ、自分の人生をあきらめて子どもに夢を託し過ぎてたな、いっちょ転職でもして夢を追うか。」

なんて思う大人が一体どれだけいるのでしょうか。よくあるホームドラマに出てくるサラリーマンのくたびれたお父さんはそういうキャラの人が多そうですけれど(「花より団子」の牧野つくしの父含む)、少なくとも僕の周りには一人もいないんですよね。だからか分からないけれど、このCMには、とても違和感(ネガティブな方)を感じます。ほんと、不思議。本当にサラリーマンってみんなそうなの?マジで?


というのも、周りにいる同年代の友人たち、年上の方々、みんな多かれ少なかれ、年齢関係なく何かに挑戦し続けている人ばかりなんですよ。仕事も遊びも楽しんでいるし、とてもパワフルで魅力的。取引先もそう。そりゃ年齢相応に落ち着いておられる方もいるけれど、人間的にも面白くてチャレンジングな方が多い。意外な趣味を持っていたりね。

僕はランナーですが、近頃のマラソン大会はエントリー開始と同時に締め切りというくらい人気で、40代、50代の方もガンガン練習して必死で走り、ゴール後は最高の笑顔で仲間たちとビールを楽しんでいる。マラソンって「克服型」のスポーツでめちゃくちゃしんどいんです。それでもこんなに人気なのはなぜでしょう。「定員一万人」の地方の大会でもエントリー開始から数時間で締め切りになってしまうのはなぜ? それだけチャレンジ好きな大人が多いからですよね。また、60歳をとっくに超えているけれど、僕の母は仕事で使う訳でもないのに、実家に帰るとなぜかいつも英語と中国語のCD聴いてるし。父もいつも勉強している。(ちなみに、両親から夢を託されたことは一度もない)

サラリーマン = 疲れて、ヨレヨレ、夢もなし

こういうイメージは一体誰が作っているのでしょうか。
僕もサラリーマンという立場ですが、子どもに夢を託すつもりは一切ない(先日の「自分にはコミットして、他の人にはコミットしない」という記事にも少し書きました)。当たり前ですよね、一度しかない自分の人生だからこそ、自分の納得出来るような生き方を常に模索しているし、夢を追い続けていたい。一分一秒無駄にしたくない。同じように子どもの人生は子どもの人生。いきなり「パパの夢、お前に託した」とか言われても迷惑千万でしょう。

僕は、子ども達には「早くパパのように好きなことを見つけてガンガン突っ走ってね」という感じなんですよね。きっと、そういう親の方が圧倒的に多いと思いますよ。ほんと、このCMに出てくるドブネズミ色したスーツ来て虚無感に包まれて夢遊病者のように歩いている大人たち(男女共に)って、TVの画面を通してしか見たことないんだよな。酔いつぶれて駅で寝ている人は良く見掛けますが。

仕事して疲れるのなんて、ゴルフして疲れるのと同じで当たり前じゃないのかな。スコア良ければ大喜びするし、大叩きしちゃえば落ち込むし。それを、「ゴルファーは皆、元気がない生き物である」と言われているような気がしてしまうんですよね。もちろん、ゴルフと違って「金を稼ぐ」というのは大変なこと。だからって、残りの人生諦めて子どもに夢を託すか?そして子どもに「夢を託すな」って言われるような、情けない大人になっちゃう大人ってそんなに多いの?

「いやいや、それは勝ち組の発想だよ」となるんでしょうか。確かに色々とありますよ、生きているんだから。うまく行くこともあれば、失敗することもある。絶望もある。でも、そこと「夢」は別の問題だし、ましてや転職(結局、リクルートは転職してもらわないと儲からない仕組みになっている)と直結する?


先の「サラリーマン=疲れてヨレヨレ夢もなし」というイメージは結局、「ネガティブキャンペーン」の典型ですよね。視聴者はポジティブなニュースは信用しようとせず、ネガティブな事を信用しがち。共感は良いニュースよりも、悪いニュースの方が得やすい。

【ポジ】
日本は素晴らしい国だよ!老若男女関係なく、みんなとっても元気で明るくがんばってるよね!メシは旨くて、寿命は世界一長い。日本人であるというだけで所得額の世界ランキングでトップ10%に入っているし、仕事は忙しいっていうけれど、祝日なんてめっちゃ多いし、自然は美しく、遊ぶところもたくさんあるし、どんなことだってチャレンジ出来る環境がある!そりゃ色々と問題はあるけど、どこの国だって同じだし、総じて最高だよ!

というイメージと、

【ネガ】
日本は元気がない。長引く不況で疲弊し、ブラック企業ばかりで社員はみんな「社畜」と呼ばれて、休みなんて全然なくて残業残業の日々、うつ病増加、自殺多し。なんとかがんばって働いても海外から移民めちゃ入ってくるから、英語出来なければ未来もない。原発問題もあって放射能で汚染されてるし、地震多いし、税金アップ。日本ってこれから先、どうなるんだろ。

どっちの情報を信じる人が多いか。
明らかに前者より後者の方なんですよね。でも例えば、「日本人=働き過ぎ」というのは真実ではない。まず、先進国の中でも休日と祝日がめちゃくちゃ多い。それに、基本的に働く時間と所得は比例します。逆にこれだけ働いているから、GDP三位の経済大国です。働き過ぎというなら、アメリカや世界のエグゼクティブはどうなるんだ。寝ませんからね、彼ら(成功するため恐ろしいほど働く、世界のハードワーク経営者8選)。でもその分、億単位の収入を得ている。お金いらないから時間が欲しい、というのなら、そういう生き方をしましょうという感じ。それも人の価値観に委ねられている。

いずれにしても、このCMにとっても違和感を感じていたら、同じように感じている方が他にもおられるようでした。切り口はバラバラですけれど。

「子どもに夢を託すな。」リクナビNEXTのCMはなぜ気持ち悪いのか – 常見 陽平

「子供に夢を託すな」CMうぜぇよ 現実的な人間に価値はないのか?あと、ガキに言わせるあざとさやめろ – ウェブはバカと暇人のもの

是非、リクナビと広告代理店の担当者の方、CM流して、無責任に「転職=バラ色の人生」と促しても良いから、少しは、みんなが見て元気が出て、良い気持ちになれるようなCMを作ってください。炎上マーケとか狙うのではなく。せっかくのクリエイティブがもったいないと感じます。「そういう風に思うあなたはターゲットではありません」と言われても、これだけネット広告での露出が多ければ、責任も大きいと思うんだけど・・・。

もちろん、「このCMを見て感動した!」という人もたくさんいます。上記はあくまで僕の個人的な見解です。いずれにしても賛否は脇に置いたとしても、クリエイティブはネガティブよりも、ポジティブな方が良いと思うんです。ネガティブな感情って、何も生まないでしょ。

緊急時に重宝する荷物の多さ


あっという間に一週間が過ぎ去り、土曜日です。
気持ちの良い天気ですね。

さて、僕は仕事中はもちろん、プライベートで出掛ける時にもPCとイーモバは必ず持参しています。もはや身体の一部。まあ、どこに行くのも大抵同じバッグを持って行くので、せいぜい本のタイトルや資料が変わる程度で、中身は常に同じです。散髪に行くときも、歯医者に行くときも、持参物は変わらない。なぜそんなに重たいものを持ち歩くのか?と聞かれても、明確な答えを持ち合わせていません。なぜだろう。

まあ、外出先で少し時間が出来た時に本を読んだりメールチェックが出来るからでしょうか。持っていないと不安だからとか。もしかすると、ジプシーや遊牧民の血が流れているのかも。

さて、今日は、朝から歯の治療に行ったのは良いけれど、そういえば家の鍵を持っていないことに気づきました。先週、ジョギング中に落としてしまったのです。家族はピアノのレッスンに出かけているため、家に入ることができない。

そこで家族が帰ってくる時間までカフェで仕事をすることに。今、まさにそうしている瞬間ですが、こういう時に、荷物が多いと暇を持て余さなくて良いですね。

さて、今日のBGMのコーナーです。
(いつからシリーズ化したんや)

休日らしいアコースティック。
このまま、マイアミやナッソーに飛びたい気分になります。

Acoustic Alchemy – Playing for Time

それでは、皆様も良い週末を。

機能ではなく、体験を売る


家電、デバイス、ソフトウエアは機能を売るのではなく、体験を売り、ライフスタイルを想像させる。

機能をアピールしても、今やテクノロジーと消費者との間には大きなディバイドが存在するように思います。「Retinaディスプレイ」と言われても、一般消費者は何のことか分からないかもしれないし、wi-fiとBlueToothの違いを知っている人も少ないでしょう。

そこで、上手にブランディングをしているメーカーは、消費者がそれを購入することで「とても素晴らしい事が起こる」というイメージを上手に想像させます。「かっこいい」「このデバイスがあれば、こんな素敵なライフスタイルが実現するんだ」と思わせるように「体験」を売っているのがAppleのお家芸。BtoC製品は特にこの「体験」が重要ですね。

Apple – iPad Air – TV Ad – Your Verse

)

メーカーはどうしても、「これすごいでしょう!」「これいいでしょう!」「他社と比べてこんなに良いですよ!」と自前のプロダクトがいかに優れているかを強調しがちです。そりゃそうですよね、自信を持ってリリースしている製品だし、その製品を作るために大きな投資をし、いかに売って、早く投資回収をして利益を生むかにフォーカスしてしまいます。しかし、今の時代は大きな声で宣伝しても仕方ない。いくら自分達が良いと思っていても、相手がそう思っているかどうかは分からない。テクノロジーと消費者の間にはディバイドが存在するし、世の中にモノが溢れている時代、目も肥えています。

「体験」をいかに売るか。
いかに「イメージ」させるか。

これ、当たり前のことに思えますが、
実はとても重要なキーワードですね。

自分にはコミットして、他の人にはコミットしない


今週に入ってから、早起き生活をスタートさせています。っていってもまだ三日目。シーズン毎にやってくる「朝型月間」の到来です。暖かくなって布団から出やすくなって来たということもあるのと、後は気分的に。

早起きすることの効果は、先人の「早起きは三文の徳」ということわざにある通り様々な形で実証されていますし、自分も朝が好きということもあって常日頃から意識していることではありますが、なかなか「毎日」という訳にはいかない。特に飲み会が重なるシーズン、寒い冬の季節、習慣的に夜が遅くなるパターンに入る場合などはおろそかになってしまいます。

この冬場、少し早起き生活から遠ざかっていました。復帰のきっかけもなかなかつかめない。そこで、「僕は早起きしますよ宣言」を発動しました。「今週から5:50に起きて、朝の一時間半は仕事と勉強をしますよー」と家で宣言する。そうすると、後には引けない。自分にコミットするための手段です。

でも、意外な副産物もあります。それを聞いていた娘たちが「へー、パパそうなんだ」と興味を示し始める。そんな態度を見て「お?興味ある?僕は6時から勉強することにするけれど、君たちどうする?」というと「わたしたちもー!」となりました。

実はこの反応は想定内。毎朝ギリギリに起きてきて、TVの前でダラダラしている娘たちを見ていて、これは面白くないなと常日頃から思っていたのです。しかし何かを強制させるのは好きではない。自分にはコミットしても、人にはコミットさせたくない。強制は自分のポリシーに反するし、きっと彼女たちも面白くないはず。

そこで「お、興味ある?僕は明日からするけれど、もしかして、一緒にしちゃう?一緒にする人は手を挙げてー」と言うと、「はーい\(^o^)/」となるですね。自分から手を挙げた以上、そこには自己責任が伴うことを彼女たちも理解している様子。「パパは起きるけれど、君たちは起こさないよ。もしするなら自分達で起きて来てね」と念を押します。そうすると、自分達で目覚ましをセットして本当に起きてくる。

こんな感じで、毎朝6時から三人で色々とやっています。僕は僕の勉強をするし、娘たちは娘たちで勉強していて、分からないところがあれば聞いてくる。昨年も一時期こんな感じでやっていたのですが、やっぱり朝型は良いですわ。気持ちいいし、昼も夜もすっきりしたまま過ごせる。そりゃ多少は朝が辛い時もあるけれど、言い出しっぺの責任というか、相乗効果というか、自分だけじゃない「連帯感」に引っ張られるというか。

そんな訳で、ちょっと続けてみたいと思います。


今、まさに駅中カフェでPCをカチカチとやっているのですが、BGMはスピード感のあるヘヴィなJAZZを聴いています。何かに没頭したい時はやっぱり indigo jam unit でしょう。

indigo jam unit “Rush” first live take@JZ Brat

)

一貫性を保つために、時間を掛けて醸成させていく


しっかり醸成させなければ良い酒が出来ないのと同じで、言葉や思考もしっかり時間を掛けて醸成させなければ、良いものは生み出せないと思っています。

ふとした瞬間に立ち止まり、過ぎ去ったある時点での出来事や、今後の事などを考えようとした時、また、何かのテーマに対しての答えを導き出そうとした時など、「冷静に、じっくりと時間を掛けて考えなければ・・・」、「客観的に見なければ・・・」、という一種の強迫観念にとらわれることが多々あります。

日常生活の中で、瞬間的に何かを判断することが多いからかもしれません。仕事では、日々膨大に押し寄せる電話やメールの対応に追われていて、ある意味「頭」で考えなくても事務的に処理する事、あるいは瞬間的に判断することが身体の隅々にまで根付いている。またこのブログもそうですが、毎日の更新に拘っているところがあるので、そのとき考えていることを15分、20分で殴り書いて更新してしまうことも多い。時々しっかり時間を掛けて書くこともあるけれど、そんなことは週に一度あるかないかなので、ほとんどが薄っぺらいものとなってしまっています。


先ほど「強迫観念」と書きましたが、人は誰でも自分の考えや発する言葉に一貫性を保ちたいと思いますよね。でも、時として短絡的に考えてしまったり、日頃から自分の内にある「持論やロジック」と少しシンクロするところを見つけては、都合良く「connect the dots」してしまうこともあります。瞬発的かつ直感的な判断が正しいこともあるかもしれないけれど、後になってブレそうで怖いし、その時々で考え方が変わったり、先延ばしになることは「根拠がない=考えがない」のと同じことなので避けたい。

果たしてそうなのか?
何かを見失っていないか?
自分にとって都合の良い解釈ばかりしていないか?
本質はどこだ?

このような自問自答を繰り返し、意識的に客観視するようにし、特に急いで答えをだす必要がない場合、また、考えても答えが出にくい種類の問題などは、結論を急がずにしっかり醸成させたいものです。そのためには時間も必要だし、目に見えるメモ書きだけじゃなく、歩いていてもボーっとしていても直ぐに思い出せるように、脳みそに付箋を貼っておくような訓練も必要かもしれませんよね。

という訳で、今夜も酒場の与太話よろしく、
殴り書きでやり過ごしたいと思います。

朝雑記


1.17 と 3.11 という日はどうしても忘れられない日です。今日は3年目の3.11。関西にいると、東北はどうしても遠い場所で、行ったことも数回程度。でも自分も阪神大震災を経験しているため、状況がシンクロします。悲しみや体験はものすごく個人的な経験だけど、改めて、継続的にできることを考えて行きたいと思います。

ちょうど、ビートたけしさんの震災直後に語った言葉の全文がYahoo!で公開されていたので、改めて。

ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」

「人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。」


今週から早起き再開。
少し暖かくなってくるだろうという期待をこめてコミットしたのですが、昨日からめちゃくちゃ寒いやないですか・・・。昨夜は社内のフットサル(苦手分野)、そしてその後の打ち上げで帰りが遅くなってしまいましたが、6時前に起床して机に向かっています。まあ寒いけれど、その分、得るものは大きいですね。

それでは今日も一日がんばりましょう!

人は移動する生き物だ


マラソンランナー同志は変な結束力というか絆のようなものがあり、ゴルフ好きやダーツ好きのそれとは違う、何か別の要素で結ばれているような気がします。やはり苦しみや達成感などを共有しているからでしょうかねえ。

それはさておき。
来月のハーフマラソンで夢の「100分切り」を目指している僕としては、実際に100分を切った方からのアドバイスはとても頼りになるもの。先日、フルマラソンで3:30を目指すのなら、3時間、3時間半のLSDが有効、ハーフマラソンで100分切りを目指すのであれば、10Kmのタイムトライアルやインターバルでスピードを意識した練習が重要、ということを教わりまして。

早速今日、10kmのタイムアタックをしてみました。フルマラソン明けだったので、無理をせずに4’48″/kmラップで10km。少しのインターバルを挟んで、今度は1kmを早いペースで走ってみました。その時は、4.15/km。なるほど、こういう練習をしていれば良いのか、とあれこれ考えてやっています。

来月の大会では「ファミリー3kmの部」というのもあり、娘たちも出場します。今日はその練習も。


ネット時代になって、自宅に居ながら何でも出来る(事足りる)時代になりました。一昔前までは、ネット社会の進歩によって「巣ごもり現象」が発生するのではないかと予想されていたこともありましたが、いやいや、なんのなんの。
ネットを基盤に仕事をしている僕ですが、少なくとも休日はほとんど家にはいません。今日もランニングから帰った後、ランチに出掛け、三ノ宮にいき、夕方から夜にかけて隣り駅のスタバで書き物を。

動き、移動し、人に会い、外でコーヒーを飲み、本を読む。

人は移動する生き物ですね。

では、今週も一週間がんばりましょう。

梅の花が咲き始めた


実家の梅の木、花がチラホラと咲き始めました。

いくら寒くても、3月になれば梅の木はつぼみをふくらませ、4月になれば桜の木は花を咲かせる。木々は季節のうつろいを良く知っていますね。


「三寒四温」という言葉があります。この言葉について、僕は今まで「寒さと温かさを繰り返しながら春に向かう」ということを意味していると思っていたのですが、本来の意味は違うようです。元々は、中国東北部や朝鮮半島北部の冬の気候を表してるようで、日本の冬でこの現象が起こるのは、年に一回くらいだそう。

しかし、最近では意味合いも変わって来ているようで、三省堂の四字熟語事典にも「気候がだんだん暖かくなる意にも用いる」とあるので、使い方としては間違っていない様ですが、知らずに使っている言葉って他にもきっとたくさんあるんでしょうね。たまには、四字熟語事典でもパラパラめくっておかないと。