武器が錆付いてきた。

仕事観や人生観など、真面目なことばっかり書いてても

どうなんだろうか?と思いながらも、

いざ、おもしろいことを書こうと思っても、

何も出てこない最近の自分に気づく今日この頃です。

↑(前置き長い)

たまに、数ヶ月前の日記などを読み返した時、

結構おもろいことを書いてたりするので、

自分が書いていることなのに、悔しい気持ちで一杯になります。

何でこんなことになったんだろう。

原因を検証していると、ある重大なことに気づきました。

以前は、

「何かブログのネタになるようなことないかなー。」

と、愛くるしいおめめをパチクリさせながら、キョロキョロと

人間ウォッチングにいそしんでいたものですが、

最近は移動中の電車の中でも、歩いてるときでも、

人間ウォッチングはおろか、「おもろいこと」をまったく意識せず、

ただただ本を読むか、沈思黙考するか、

素敵な女性を愛くるしいおめめで追うかしかしていません。

このような状態ですから、ブログのネタも、

落ち着いたものになってしまいます。

僕はブログを書く時、特に誰かを意識している訳ではないので、

結局、書いてる内容が、自分の心の状態を良く反映している訳で。

ビジネスブログではなく、こんな日記的なブログは、

正直に自分の状態が現れますね。

鏡みたい。

あえてムリせず、オモシロくない自分で行こうと思います。

皆様、どうぞこれからも温かく見守ってやってください。┏o

自分の前だけ見てればいいのかな。

小、中学生の頃って、「浮く」っていうことに、

すごく敏感な時期がありましたよね。

「うきたくない」「皆と同じことしないとだめだ」

「あまり目立ちたくない」

なんていうのか、脅迫観念のような。

大人になるにつれて、自然にそんな感情はなくなってくるんだけど、

それって一体なんでだろう。

特に仕事に関しては、

自分を信じてやってかないと、逆に不安っていうのもあるし、

人を信じて付いて行くなんてのは、もっと不安だし。つまり、

「周りの人間と歩調を合わせてやっていくことが不安」

という逆の現象が起こってしまう。

当然、周りの人間よりも、先に進めば浮くし、

仕事も人一倍すればいい意味でも悪い意味でも目立つし。

結局、自分の道は自分で切り開かなければ

ならないんだろうな、と。

よく、フリーランスや独立してやってる人達に会うけど、

彼らはもっとその意識が強いでしょう。

組織に属していれば、「集団心理」が働いて、

少々のことは不安に感じない。

今、自分の部署が少々ヒマでも、来月の給料が減ることはない。

でも、単独プレーヤーだと、

ヒマ=食えない

に直結するんですよね。

物事に対する取り組み方が、意識が、全然違う。

組織の一員であっても、

常にそれくらいの「危機感」と「恐れ」は捨ててはいけない、

と半分寝ながら思いました。

眠すぎるので、文字校正ナシで入稿します。

朝読み返したらびっくりするかも。フフフ(>_<)

心に響く今日の一言。part2

今日読んだ本から。

「デザインというものはおもしろい言葉だ。

外観のことだと思う人もいる。

本当は、もっと深いもの、

その製品がどう働くかということなんだ。

いいデザインをしようと思えば、

まず、『真に理解する』必要がある。

それが何なのか、

でつかむ必要があるんだ。」

決して妥協を許さない、ジョブスらしい言葉ですね。

話は変わりますが、

最近、つくづく「この仕事してて良かった」と思うことがあります。

共に働く、各分野のクリエイターやアーティストの

「心」が入ってる仕事を見て、

感銘を受け、とても刺激になるからです。

「心」が入ってる人の仕事はすぐに分かる。

見た瞬間、まさに「心に響く」からです。

スキル、年数は関係ない。

要は「心」が入ってるか、そうでないか。

その逆もあります。

残念だけどそうでない人の仕事もすぐに分かる。

そうなると、その人に必要以上のことを

指示しなければならなくなり、

言う側、言われる側、体力気力だけ消耗し、

双方幸せではありません。

指示するこちら側も、彼らのモチベーションを上げるために

余分な気を遣わなければならなくなってしまいます。

双方の気持ちが一つになると、いいアイデアがたくさん出てくる。

まるで気の合う仲間とのキャッチボールのように、

阿吽の呼吸で、ミットにバシバシいいボールが返ってくる。

たとえ疲れていても、まだ投げていたい!と思うようになります。

「心」

書くと一文字だけど、

本当に奥が深いです。