リアル旅人算


落ち着いて走れるジョギングスポットを見つけたとの記事を先日書きましたが、広い競技場の周りを左回りで走っていると、反時計回り(右回り)で走ってくる若いランナーとすれ違いました。

通常トラック競技は左回りなので、外周とはいえ僕もそのセオリーどおりに走っていたんですね。皇居ランも左回りが暗黙の了解です。右回りのランナーは見かけたことはありません。まあ皇居のようにランナーが多いところはともかく、一般道では特に決まりはないので、どちらでも気持ち良く走れれば問題はないのではないかと思います。

さて、彼と僕はほぼ同じペースで走っていたようで、一周する間に二回、決まったところで彼とすれ違います。アナログ時計で言うと2時と8時の位置です。何周も走るものですから、5周したとしても10回はすれ違う訳で、そりゃお互い意識しますよね。2時、8時を基準としているものですから、あ、ちょっと食い込まれた、とか、よし、7時まで食い込んでやったとか。

そんなことを考えていると、旅人算を思い出しました。小学校の時にやりましたよね?懐かしいでしょ?小学生の娘を抱えている身としては、旅人算、植木算、鶴亀算・・・など、懐かしの「◯◯算」を教える機会が多く、すぐにそんなことを考えてしまいます。

思わず彼に、「これってリアル旅人算だよね!そう思わない?」と声を掛けてしまいそうになりました。無論、お互い真剣に走っているので実行はしませんでしたが、きっと向こうもそう思っていたに違いありません(?)

さて、英文の海に浸かる前に、腹ごしらえです。

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花火観覧の新しいカタチ


諏訪湖の花火大会がBS-TBSで生中継されていました。

僕は東京でTV観覧、娘たちは現地の諏訪湖で観覧していたようです。TVで花火を観覧する家族と現地で見る家族。新しい時間シェアのカタチなのかもしれません。

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競技花火というのがあります。

諏訪湖花火大会でも競技があるのですが、様々な課題に対してどの花火が一番適切で美しかったか。それを競うのです。戦後70年経った今、あの当時にどうして爆弾を花火に変えて競わなかったのか。心から、そう思います。

絡まれやすい


同じところを走るのは景色が変わらないので好きではありませんが、ステイ先の近所に、何周走っていてもあまりストレスを感じない場所を見つけてからは、ほぼ毎日、夕か夜に走っています。

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生得的なものかは分かりませんが、見ず知らずの人によく絡まれます。絡まれるというのは、喧嘩を売られるということではなく(むしろ喧嘩は一度も売られたことはないのですが)、声を掛けられたり、チャチャを入れられたりするのです。

今日も大汗をかきながらグルグル走っていると、ベンチで寛いでいるオッサマ、隣にマウンテンバイクがあったので恐らくサイクリストと思われる方から声を掛けられました。

「もうちょい、ピッチ上げて行こかー」



(し・・・知らんがな!!!)

と心の中で叫んだものの、素直にピッチを上げた僕です。
ホント、日々の暮らしの中で、どうでも良いことがたくさん起こるものです。

今日も一日お疲れ様でした。

現代社会は真面目になり過ぎたのかもしれない


お盆休みに入っているからか、都内の電車も空いています。ホテルに戻り、PCをカチカチしながら横目でTVを見ていると、植木等さんの特集番組がBSで放映されていたのでタスクそっちのけで思わず釘付けになってしまいました。

その中でもとても興味深かったエピソードが、僧侶であった父、植木徹誠さんの話です。よく知られたことなのかもしれませんが、僕は知りませんでした。
彼は戦時中にも関わらず、

「どれだけ卑怯な手を使ってでも、逃げて隠れても、行きて帰って来い」
「戦争は集団殺人」
「人に当たらないように鉄砲を打つこと」

と一目はばからずに説いてまわり、刑務所と寺とを行き来していたという。そんな自由奔放ながら本質を見据える父の影響を植木さんも随分受けたといいます。植木等さんがスーダラ節を歌う前、「俺は二枚目で売り出したいのに、こんなふざけた歌を歌わないといけないんだ」と徹誠さんに愚痴った時、こう言ったそうです。

「地球が存在して人間が生きている限り、この”分かっちゃいるけどやめられない”という生活はなくならない。これは言い得て妙だ。そういう物を真理という。時代が変わっても変わらない。これは素晴らしい!」

人間って、善かれ悪しかれそういう生き物だと思います。仕方がない。それが真理と言われれば、それが真理なんでしょう。僕も健康なのか不健康なのか、ストイックなのかレイドバックなのか訳の分からない生活をしている訳ですが、これもすべて「分かっちゃいるけどやめられない」ってことなんですから。さて、僕のことはどうでも良いのですが、植木さんの名言をご紹介します。

「実現しそうにないことを口にして、もがく。その時、生きているって実感があるんじゃないの?」

色々と口にするだけして、もがき、しんどい思いをしている時って、確かに生きているって実感はありますね、嫌っちゅうほど。たまにはマドルスルーの渦中にいる自分も褒められたい、肯定されたい。人に褒められなくても、自分で自分に「お疲れさん」と言ってあげたい。

現代社会は、きっと真面目になり過ぎたんだろうと思います。意識が高くなり過ぎた。がんばるのは当たり前、稼ぐのも当たり前、飲むのも当たり前。その当たり前のことをするのすら難しく、複雑になってきたのかもしれません。

もっと単純であっても良いのではないか、そういうことを学ばされているような気がします。

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旅先で、まず初めに探すもの


プライベートかつ自分一人で学びが目的の旅において、まず探すのはスーパーです。

お惣菜コーナーが充実していたり、デパ地下のような感じで多店舗が同居しているような駅直結型であれば尚良し。こういうところは閉店間際になるとお惣菜が割引になりますからね、一人だし本やスマフォ片手に食べるだけのことなのでファーストフード以外の惣菜テイクアウトが一番良いのです。

ちなみに、今回のステイ先の近くには駅直結の「スーパー+多店舗+飲食店街」があり、とても便利。ちなみにこちらは、本格中華のお惣菜屋さんで買ったもの、通常1パック450円のものが、閉店前に行くと2パックで520円(ほぼ半額!)になりますのよ、奥様。オホホホ。

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美味しい。ちなみにここは唐揚げやビーフンも抜群です。

またスーパーがあれば、酒や炭酸水に困ることもありませんし、日用品もコンビニに比べて安いし便利そのもの。たまに気取ったところに行きたければ、そういうところを探せば良いし、何でも出来てどうにでもなるのが一人旅の良いところでしょうね。

そして、もう一つ。
ジョギングロードも忘れてはなりません。

国内であろうが、海外であろうが、どこにでもウエアとシューズを持参しますから、走れるところの確保は必須です。欲を言えば、大きな公園や海沿いのジョギングロードのようなところがあれば尚良し。とはいえ、道路さえあればどこでも走れますので、交通が少ないところ、歩道が広いところを探し、Google Maps片手に走るようにしています。

今回も少し良さ気なコースを見つけたので、ジョグってくることにします。
それでは、また。

各自、個人合宿


当初「一家離散」というタイトルにでもしようかなと思ったのですが、やめました。「離散」と言うと少し暗いイメージになってしまいますが、我が家のお盆は、各自がそれぞれの立場で目標に対して前向きに取り組む時期になるからです。そういう理由で「各自、個人合宿」。これが一番しっくりきます。

さて、このお盆休みですが、娘たちは両親に連れられて八ヶ岳の別荘へ行き、宿題と自然学習、妻は自宅で子供がいない間に家の用事と静養、僕は勉強のために東京に来ています。この一週間、英語漬けの日々を送る予定。会話は良いがライティング力が弱いと米国の取引先から小馬鹿にされていますので、来月のシリコンバレー出張に向けてテコ入れです。

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今週は同時進行で仕事も動いていますので、なかなかハードな一週間です。


しかし、大きくなったとはいえ、子供たちと一週間以上会わないというのはやっぱり寂しいものです。海外出張時は一週間から10日間くらい会わないのは当たり前で、子供たちもすっかり慣れて「あ、パパまたどこかに出張してるー」って感じのサラリとしたものですが(女子って怖い)、問題はパパだよ、パパ。

日航ジャンボ機墜落事故から30年。
Yahoo!Newsの記事を読み、ぐっと来たりするのです。

日航機墜落事故から30年、機長の娘が思いを語る(Yahoo!News)

雲の一部に夕焼けが映る


用事で来ている病院で、短時間に二度も「お見送り」の場面に遭遇しました。

どちらもとても高齢の方で寿命を全うされたかのように見受けられましたが、親族や病院スタッフに見送られている様を見、生と死は隣り合わせ、死ぬと物質的な肉体は電池が切れたロボットのように動かなくなるのだという当たり前の事実を改めて考えさせれました。昔の人はその様を見て、魂だけが肉体を抜け出してどこかに浮遊することを想像したり、あるいは死後の世界に思いを馳せたりしたのでしょう。命は儚い。だから尊い。そんなことを考えさせられました。

待合の時間に外を眺めていると、竜の巣のような、巨大な入道雲の一部に夕焼けが映り、とても不思議で、幻想的な光景を目にしました。

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運動後の飲酒はトレーニング効果を打ち消すと聞いて


どうも、美味しく飲むためだけに走っているエンジョイ市民ランナーの僕です。

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ハフィントンポストにこんな記事が掲載されていまして、愕然としております。そりゃもちろん、アルコールは身体に良くないことは重々承知、しかし走った後の酒があまりに美味しく(走っていなくても美味しくて)、フルマラソン完走直後にビールを一気飲みすることを一芸にしているくらいですが、やはり、この記事は堪えましたね。耳がとても痛い。

運動後の飲酒はトレーニング効果を打ち消す(ハフィントンポスト)

上記はペンシルバニア州立大調べですが、運動する人ほど酒を良く飲むということにも触れられています。体育会系=酒を良く飲むというイメージができていることからも分かりますね。記事の中には、博士の以下のようなコメントも掲載されていますが、

「今後は、なぜ人は運動するとお酒を多く飲むのか解明したいと思います。おそらくは、運動後のご褒美としてより多く摂取してしまうか、もしくは身体を活発に動かしていると、より多くアルコールを消費する機会に遭遇するのかもしれません。私たちが、アルコールと身体活動の関係を理解すれば、アルコールの消費を抑えながら運動を促進する、新たな介入方法を設計できます」(記事抜粋)

先生、「かもしれない」じゃなくて、そうなんです、本当にそのとおりなんですよ。ご褒美だし、機会も増えるし、間違いありません。いいところ突いてくるなー!!(←誰

ランナーに特化すると、こんな記事も出ていてとても参考になります。

ランナー的お酒のたしなみかた(ジョグノート)

量は控えて、食事と一緒に飲むこと、ましてや運動後の酒はもってのほか、という感じ。

しかし夏場なんて酒の楽しみくらいしか走るモチベーションが生まれないのに、一体どうしたら良いのでしょうか。飲むために走っているとはいえ、やっぱりハーフやフルで楽に走れるに越したことはないし。こういうワガママランナーには、それこそ意識改革が必要ですね。僕はビールを飲んだ気分になりたくて、水ではなく、炭酸水を飲むようにしているのですが、タイムを上げたり、楽に走りたいと思うのであれば、やっぱり、色々と気を遣わなければなりません。

エンジョイ市民ランナーの良いところであり、悪いところは、ワガママなところです。笑

爆弾を花火に変えるチャンスなど幾らでもあっただろうに


神戸の花火大会。

海上で打ち上げられる花火をメリケンパークから観覧するのが毎年のイベントです。迫力満点の花火を見ていると、人類の歴史上、爆弾を花火に変え、戦争を競技に変えて競い合おう、むやみやたらに人を殺すのはもうやめよう、そういう動きにならなかったのが不思議でなりません。

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闇雲に平和主義を唱えている訳ではなく、軍事力はあくまで安全保障上の抑止力として必要かもしれない。あるいは、世界的に武器をすべてなくし、核拡散防止条約の代わりに、核や爆弾を花火に変える条約をすれば、人はもう残酷な仕方で死なずに済むと思うのです。理想主義なのは理解していますが。ただ、戦争はあまりに悲惨すぎる。 でも人類史上、世界はずっと、平和であり得たことはないのです。

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なんとかならんのか。

しかし、花火は美しい。
花火大会を支えている行政、スポンサー企業、スタッフ、ボランティアの方々に感謝です。

街としての適切な大きさ


どこに住んでいても、「地元」というのは落ち着く場所です。

「適切な大きさの街」というものがあるとして、仮に定義付けするとすれば、一つは物理的な距離としての大きさであり、もう一つは人と人との距離であるのではないでしょうか。そういう意味においては、芦屋はまさにそう。店と店の距離も近いし、人との距離も近い。

しかしそれは、それぞれの店が「ゆりかご」のような役割を果たしているからに他なりません。大人であっても、ゆりかごで揺すられたい時があるのですから。

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