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お盆休みに入っているからか、都内の電車も空いています。ホテルに戻り、PCをカチカチしながら横目でTVを見ていると、植木等さんの特集番組がBSで放映されていたのでタスクそっちのけで思わず釘付けになってしまいました。
その中でもとても興味深かったエピソードが、僧侶であった父、植木徹誠さんの話です。よく知られたことなのかもしれませんが、僕は知りませんでした。
彼は戦時中にも関わらず、
「どれだけ卑怯な手を使ってでも、逃げて隠れても、行きて帰って来い」
「戦争は集団殺人」
「人に当たらないように鉄砲を打つこと」
と一目はばからずに説いてまわり、刑務所と寺とを行き来していたという。そんな自由奔放ながら本質を見据える父の影響を植木さんも随分受けたといいます。植木等さんがスーダラ節を歌う前、「俺は二枚目で売り出したいのに、こんなふざけた歌を歌わないといけないんだ」と徹誠さんに愚痴った時、こう言ったそうです。
「地球が存在して人間が生きている限り、この”分かっちゃいるけどやめられない”という生活はなくならない。これは言い得て妙だ。そういう物を真理という。時代が変わっても変わらない。これは素晴らしい!」
人間って、善かれ悪しかれそういう生き物だと思います。仕方がない。それが真理と言われれば、それが真理なんでしょう。僕も健康なのか不健康なのか、ストイックなのかレイドバックなのか訳の分からない生活をしている訳ですが、これもすべて「分かっちゃいるけどやめられない」ってことなんですから。さて、僕のことはどうでも良いのですが、植木さんの名言をご紹介します。
「実現しそうにないことを口にして、もがく。その時、生きているって実感があるんじゃないの?」
色々と口にするだけして、もがき、しんどい思いをしている時って、確かに生きているって実感はありますね、嫌っちゅうほど。たまにはマドルスルーの渦中にいる自分も褒められたい、肯定されたい。人に褒められなくても、自分で自分に「お疲れさん」と言ってあげたい。
現代社会は、きっと真面目になり過ぎたんだろうと思います。意識が高くなり過ぎた。がんばるのは当たり前、稼ぐのも当たり前、飲むのも当たり前。その当たり前のことをするのすら難しく、複雑になってきたのかもしれません。
もっと単純であっても良いのではないか、そういうことを学ばされているような気がします。