荒廃ではなく、再生にベクトルが働く好例


人が離れ、放置された都市は段々荒廃し、犯罪の温床となり、あたかも「北斗の拳」のような世界になっていく・・・というのが良くある映画のパターンですが、実際は「人がいる限り、物事はポジに働く」というのが現実世界で起きていることかもしれません。例えば、財政破綻したデトロイトでは市バスや交通機関、ごみ収集など公共サービスがほとんど機能していないらしいのですが、ならば、ということで、市民主導での再生アクションが次々に生まれているとのこと。

この記事、まだ流し読みしかしていないのだけど、とても興味深いので備忘録がわりに掲載しておきます。「破綻都市デトロイトをスタートアップが救う!コミュニティ再生の鍵は「民間」にある」(Wired.jp)

というのも、先日書いた記事「人口減少に対応して、開発した宅地を「自然」に戻していくという試みは生まれてこないのか」に対しし各方面から色んな反響があったのですが、その中でも建築家の幼なじみが「デトロイトやマンチェスターなどでは、シュリンキングシティという構想が良く聞かれるようになってきた」と教えてくれ、「デトロイト、シュリンキングシティ、ああ、なるほどな。」とアンテナを少し高くしたところにこの記事が出たのですね。「成長」しか経験してこなかった都市部が直面する「減少と衰退」。「シュリンク」という言葉を見る時、都市社会の方針転換の必要性を示唆しているようにも感じます。

さてWiredの記事によると、デトロイトで起こっていることのポイントは、どのアクションにも行政が全く入っていない民間、市民主導ということ。

・市民主導型の法規制に全く縛られない再生ムーブメントとアクション
・極端に低い家賃を武器に、スタートアップスが集結
・廃墟を壊して緑化するなどの再生事業

MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんのブログも掲載しておきます。
「Shaka Senghor著『Writing My Wrongs』に書いた序文」

アプローチの仕方は種々あれど、僕の率直な感想は、「人間のいるところでは物事はポジに働くんだな」ということです。気力も失い、荒廃に身を任せて退廃的になって行くこともあるでしょう。もちろん、ネガな方向に行くケースも多々あることは歴史が物語っている事実ではあるけれど、記事の中の例にあるように、行政に頼らない市民主導のアクションというところに、人々の「問題意識」と「当事者意識」が見えて来ます。市の許可を受けずに魚の養殖事業を初めて貧しい人々向けに販売している会社が貧困層に感謝されているなど、最終的にはプリミティブでインデペンデントな思考が、社会の基礎を作るんですね。

それにしても、朝から元気になる良記事でした。
感謝です。

「なでしこキャリアフェア」に行ってみたい


4時、5時台起きの皆さん、おはようございます。台風の朝ですね。関西地方、風は強いけれど雲の切れ目から晴れ間がのぞいて来ました。関東地方、台風の進路にある皆さん、気をつけてください。

さて、告知です。
友人であるゼスト(株)の樫村さんが、英字新聞社のジャパンタイムズと共催するイベントが東京で開催されます。女性限定セミナーなのが残念。スピーカーも豪華ですし、海外で働きたいと考えている方は是非。

「なでしこキャリアフェア〜世界を舞台にはたらく〜」
11/2(土)13時半〜五反田ガレリアホール

以前、樫村さんと飲んでいる時に色々と話を聞いたのですが、今、海外で働きたいと思っている日本のキャリア層がとても増えているとのこと。その中には、大手、有名企業のエグゼクティブも多いらしい。就職先としては東南アジアなどの新興国が多いので、いくらキャリア層とはいえ、給与は下がりますよね。それでも、自費で海外で開催される就職イベントに行って情報収集される方も多いそうです。

ビジネスの前線で培ったノウハウと日本語が話せること、そして英語も出来る日本人の人気は高く、アジア諸国の企業は欲しいところも多いらしいし、日系企業の現地法人やブランチも、日本人を”現地採用”したいところが多いようです。現地の給与水準+αでも、十分生活は出来るわけですし、海外志向が強い方にとっては魅力的かもしれませんね。

Sand and moon


砂漠には行ったことがないけれど、まるで砂漠にいるかのような風景。

月と砂漠(海もあるけれど)。

今週も忙しくなりそうです。
気合を入れてがんばって参りましょう。


何度か紹介していますが、このNicola ConteのPVがいかにも僕のイメージの中での砂漠なのです。アラビアンナイトのような。まあ、この方のPVはどれを取っても洒落乙です。

Nicola Conte – Mystery Of You

ゴルフ場で秋を満喫している


年間を通じて行っているスポーツと言うと、山登り、ランニング、そしてゴルフです。

さて秋晴れの三連休最終日、社内コンペ開催で滋賀県の瀬田ゴルフコースへ行ってきました。天気も気温も最高。ようやく秋らしい季節がやってきましたね。この季節でもかなり日焼けして帰ってきました。ちなみに、この社内ゴルフツアーは3月〜12月までの期間、F1と同じくポイント制で行われています。

一昨日のブログの通り、この夏シーズン7月〜9月のスコアは、46/48=94、47/49=96、46/46=92。ガラスの腰をかばってロクに練習もしていないのだけど、まあ調子自体は悪くない。この辺りでそろそろ80台出ないかな、と根拠のない期待に胸を膨らませながらスタートした前半のスコアは43。これは行けるんちゃうか?!と思っていると・・・

(チップインバーディの図)

はい、やってしまいました・・・後半。

ボギー、ダボばかりでパーなしの48。結局、43/48の91でラウンド終了。まあ、こんなもんでしょう。そりゃ練習してなけりゃ80台は出ませんわね。マラソンと同じで努力しなきゃ結果は出ませんです。

このツアーも残すところ、11月と12月の二回。年間獲得ポイントランキングも、もつれにもつれて、一体誰が優勝するか分からなくなって来ました。みんなも腕を上げて来ていますし、ハンデ上限なしのダブルペリアでやっているので、グロスのスコアが良くても悪くても、ハンデがはまれば優勝出来てしまうのです(今回、最高で80!のHCがついた子も。)いやー、面白いね。80台はまた次回に期待ということで。多分、練習はしないと思うけれど・・・(あかんやん

ちなみに12月の最終戦は社員旅行先のグアムで開催されます。さあシーズン終盤、盛り上がって来ました。やっぱり楽しいわ、ゴルフは。(社内コンペの回数が多くて関西ゴルフ部コンペ開催できてませんね・・・すいません・・・m(_ _)m)

という訳で、いつものように社内のゴルフ愛好会の皆さん、お疲れ様でした。

人口減少に対応して、開発した宅地を「自然」に戻していくという試みは生まれてこないのだろうか


戦後の高度成長期と人口増加による住宅需要を補うために山野を切り拓いて開発した宅地を、人口が減って誰も住まなくなったから自然の状態に戻して行く事業(あるいはビジネスモデル)って出来ないのだろうか、と考えています。人口減少時代に対応する「散らかしたものは元に戻しましょう」事業。子供の頭で考えても理にかなっている事だと思うのだけど。

ではまず、人口減少と住宅供給の矛盾から考えてみたいと思います。

世界的に見れば人口は増加して行くのですが、日本の人口は40年後には4000万人少なくなります。今の人口の30%が減るんですよね。国立社会保障・人口問題研究所の人口推計によると、日本は2008年をピークに減少期に入っており、2048年には人口が1億人を割り、2050年には9700万人、2060年には8700万人になるとのこと。つまり2030年(今からたった17年後!)以降は、毎年約100万人ずつ人口が減っていくことになるわけだから、そもそも家も土地もどんどん価値を失っていく訳です。住む人がいないんだから。

普通に考えると40年後には、今建っている家の1/3、いや、今は住宅が大量在庫を抱えている供給過剰だから、ひょっとすると2戸に1戸くらいが空き家になるんですよね。移民政策、人口増加政策などを考えない限り、もう住宅地も、高層マンションもスッカスカになります。特に農村や郊外では顕著に現れるのでは。(総務書統計局のHP参照

今から40年後というと結構近い将来です。今から家を買って35年ローンを組んだとしても、もしかしてまだ払い続けているかもしれません。資産価値がなくなって、周りの空き地や空き家がタダ同然で売られているのを尻目に、小さな土地や家やマンションの高額なローンを払い続けるのなんて切な過ぎます。高度経済成長期に住宅が少なくなって、マイホーム志向が強まった世代に育てられた30代、40代はまだマイホーム志向の影響が強いのかな・・・。今でもすでに家は売れなくなって来ていますが。(ビジネスジャーナル:マンションなんて、買ってはいけない〜新築の9割売れ残り?人気エリアでもマンションが売れないワケ)。

話は変わりますが、週末ですから新築マンションの広告が山のように入ります。どこも販売に苦戦しているみたいで、「増税前の今が買い時、金利の低い今がローンの組み時」と煽っているのですが、そもそもデフレ時期にローン組むなというのは経済学的には当たり前(物の価値は下がって行くし、給料も下がり続けるのに、ローンの支払いはずっと変わらない。一般的に平均的な給与のピークは43歳くらい)の事を煽るのってどうなんだろう。そして極めつけは、「買っても分譲貸しとして貸せますから損はしません」という宣伝文句。ついにここまで来たか、という感じです。見るとマイナーな駅から徒歩15分の不便なところ。将来的に貸せる保障がどこにあるんだろう。うちは大阪、三ノ宮の両方に10分で行ける人気の駅から徒歩3分のところで賃貸マンションを経営していますが、それでも空きがあるんですよね。僕から言わせてみると、そんな立地のマンションで「買っても貸せるから大丈夫」というのは”詐欺”でしかありません。しかも結構高い家賃を設定してシミュレーションしているし。人口減少時代に住宅在庫は山積みの中、誰が借りてくれるの?と思うのです。もちろん、買い手も少なくなるので、売却も年々厳しくなるでしょう。今、資金が潤沢にある人は家を買っても良いと思いますが、無理なローンを30年以上も組むのは余りにリスクが高い。

この減少は何も住宅に限ったことではなく、グランフロント大阪のような新しいオフィスビルでも同じです。結局、今入居している企業のほとんどは、大阪の地場に自社ビルを構えていた会社が、それらを売却して入居しているか、半径数キロ以内のオフィスビルに入居していた企業が近所から移動して来たかしかないんですよね。人口と同じで、新しく会社が生まれる訳でも、外資系企業が大阪に進出してくる訳でもない(むしろリーマン以降、撤退している)。だから結局、入居率は30%台推移しているし、新しいビルがどんどん出来たとしても近所の古いビルがガラ空きになるだけなんですよね。梅田から盛り上がると、本町が過疎化するのと同じです。根本的に需要が増えないと、何の解決にもなりません。

さて、話が逸れてしまいましたが、子供の頭で考えても矛盾があり、近い将来、コンクリートと鉄くずだらけのゴーストタウンになることが分かっているものを新しく建設することはやめて、今あるもの(高速道路や橋梁など)を補修することと、人口が減少している地域の宅地や空き家をどんどん山野に戻す事業、自然復元事業を国レベルで推進してはどうでしょうか。

もう山野を切り拓いての宅地造成はしない。
逆に必要のないものは壊すか放置して、環境保護区に指定して国が管理し、どんどん山野に戻す(住みたい人がいれば、適正価格で売却)。そうすることで土地や住宅の需給のバランスが取れて価格も健全な水準で安定するし、資源も無駄にならないし、環境にも良い。消費者をあの手この手で騙してローンを組ませて利子を払わせて搾取し、今だけの利益を確保して無理やり経済を回そうとするのであれば、マイホーム減税や住宅ローン減税をなくして税金を少し高くしても構わないから、その分、「散らかしたものを自然に戻そう事業」に補助を出すこと、医療や環境、テクノロジー分野に注力して、未来の日本を作る方にシフトチェンジすれば良いと思うのですが。ちょっと過激な考えでしょうか。

朝5時に起きて明日のことを思う


おはようございます。
今朝も5時起き、ゆるい朝にぴったりの曲を聴きながら、涼しくて爽やかな朝を楽しんでいます。

先週は台風による蒸し暑さと悪天候により体調急降下。もうこの湿度最悪やと塞ぎこんでいたところ、ようやくこの週末になって秋らしい涼しさになって来たため、体調も気分もかなり回復しています。季節柄、運動会のところも多いようですね。うちは春に全て終わっているため、この三連休はゆっくりと過ごしています。昨日は書き物を進めるために娘たちを連れて図書館篭り。

仕事、勉強、スポーツ、全てにおいて良いシーズンになって来ました。


年間を通じて社内コンペも行われているため、ゴルフは相変わらず月に一度くらいのペースで回っています。そして明日もゴルフ。昨夜は、ちょっと気分転換にうちっぱに行って来ました。腰に負担がかかるので、最近は練習をせずにラウンド前に30球だけ打つのですが、たまには良いか、ということで60球だけ(少な)。

スコアの方ですが、夏場の直近3回のゴルフのスコアを見ていると、46/48=94、47/49=96、46/46=92 と来ている。スコアは悪くはないのだけど、季節も良くなって来たのでそろそろ80台が欲しいところです。明日は上手くハマってくれるといいのだけど。

それでは、今朝はこの辺で。
皆様も良い日曜日をお過ごしください。

ソーシャルシティと概念先行型


wired.jpの「ソーシャルシティ グランフロント」の記事を読んで、概念先行型の典型だなと思ったので、頭の中に浮かんだことを酔った勢いでツラツラと書いてみたいと思います。ちなみに、10/28(月)にグランフロントで開かれるWiredイベントには早速申込みました。ただ単に何かが見れる、何かが体験できるというセミナーやイベントにはほとんど興味が沸かないのですが、その中でも概念や哲学が先行し、形のないビジョナリーな要素が見え隠れするようなイベントには、すぐに食いついてしまいます。

(ちなみに、記事の途中で寝落ちしてしまったため、朝から続きを書いています)

さて、グランフロント大阪は「街と人がつながるソーシャルシティ」というコンセプトのもとに作られた街(昔風に言うと近未来型)ということですが、まさに「将来こうなるべき」という理想モデルを先行して実装している街だと思っています。僕はこの概念先行については結構ポジな意見を持っているし、そもそも新しいものを生み出す時こそ、フォワードは概念先行型であって、バックヤードはエビデンスに基づいた実現可能(もしくはプロトタイプで既製されている)な状態で、そのバランスが上手く取れていることと、先行し過ぎてハイリスクにならないように、いつでも実行可能な状態に持っていくべきであるという要素が重要だと常々思っているからです。

記事に書かれていたように、「モノを買うだけでなく、何かを発見したり交流できるコトを楽しめる街」に、という点も非常に概念的。じゃあ、その「街と人がつながるソーシャルシティ」とは具体的に何なのか。ITリテラシーが高い人間はまだなんとなくイメージは出来るかもしれないけれど、圧倒的多数の人間はピンと来ないはずです。でも、こういった「街」(粗い言い方ですが、駅直結巨大ショッピングモールと言った方が良いかも)のメインターゲットはTVや雑誌などの流行に敏感な層が来るはずで、そのレイヤーが街に来てはお金を落としてくれるコアユーザーだったりする訳です。ガラケー持った人がまだ日本人口の半分以上を占める中で、果たして「ソーシャル」の恩恵を受けることが出来るがどうか、が問われてくると思います。もしかするとICカードも持っていない層が、デジタルサイネージやカードポイントの恩恵をどこまで受けることが出来るのか。

この辺りが、概念先行型のリスクに成り得ると考えています。概念はOKだし、哲学的にも「街はそうなっていくべき」というのもその通りなのだけど、でも、お金を落としてくれるお客さん達がついて来てくれるのか。5年、10年後にはもっとこのような仕組みが浸透していき当たり前になっていくのだろうけど、一方、日本は超高齢化社会に突入する訳で、おじいちゃんおばあちゃんがセグウェイのような小型モビリティを操って3Dフォログラムを見ながら、ソーシャルリコメンドされた情報を元に街を堪能することができるのか、この点をどのように考えているのかというのも知りたいポイントではあります、うん。

しかし「ただ街をつくっただけでは時間とともに経年劣化していきます。われわれが目指しているのは、そうならない、人とともに成長していく街です。」この言葉、理想ですよね。いずれにしても、これからの日本は人口減少に加え、超高齢化社会が待っている訳で、大阪の駅前一等地、しかもオフィスと商業スペースという点で言えばまだまだ「成長していく」要素は多分にあるものの、まずは、オフィス入居率30%の現状が今後どうなるのか、ここにも期待です。

一方、郊外のタワーマンションしかり、分譲型のニュータウンしかり、あんなに家立てても住む人がおらず数十年後には空き家だらけ、資産価値も0になって行くという状況の中で、建設はいつまで続くのでしょうか・・・。日本も移民政策でもとって人口増やさなければ、数十年後には日本の至るところで空き家だらけのゴーストタウンが生まれるだけになると思うのですが。まあ、建て続けなければ仕事が回らない色んな業界の都合も理解はできるのですけど、なんだか矛盾を感じます。そこで使っている鉄骨や人件費を、劣化問題が発生している高速道路や橋梁の補修に使えばいいのにね。

メディア掲載と Maker Faire Tokyo 出展告知


プライベートブログにも関わらず、
少し仕事絡みの話が続きますが今日も少しお付き合いください。

10月に入り、プレスリリースラッシュが続いています。
お陰様でマイナビニュースや、ExciteニュースライブドアニュースにはCADソフトウエア初のグッドデザイン賞・受賞のニュースが、Sankei Bizでは、今月末の東京、大阪でのセミナー開催をニュースで取り上げていただいています。この後、Quadcept英語対応バージョンリリースのニュースも取り上げられることと期待しています。

クラウドタイプの業務ソフトウエアということ、業界初のサブスクリプションライセンス型ということで注目していただいていますが、本当にやりたいことは「世界のものづくり業界を下支えすること、そしてイノベーションを起こすこと」ですので、これからもまだまだ「今までにない発想で」取り組んで行きたいと気持ちを引き締めています。


告知ついでに11/3(日)と4(月)に日本科学未来館で行われる「Maker Faire Tokyo 2013」(メイカーファーレ) にスポンサーとして出展しますので、興味のある方は是非ともご来場ください。シルバースポンサーとしてQuadcept社も参画しています。当日は私もブースにいますし、無償デモンストレーション、ステッカーもありますので、ぜひどうぞ。

Maker Faire Tokyo のオフィシャルサイトはこちらから

ちなみに Maker Faire とはなんぞや?という方のために、オフィシャルサイトから概要を抜粋してきました。

“Maker Faireは、地上最大の(DIYの)展示発表会です。家族で楽しめる、発明と創造と役に立つ情報がいっぱいの展示会であり、Makerムーブメントのお祭りです。そこは人々が自分で作った物を見せ合う場所であり、自分が学んだことをシェアする場所でもあります。

出展するMakerは、技術愛好家からクラフト作家、農家、ガレージの機械いじり愛好家など多岐にわたり、年齢も経歴もまちまちです。Maker Faireの使命は、このコミュニティを、楽しませ、情報を提供し、結びつけ、より大きくすることにあります。

最初のMaker Faireは、カリフォルニアのサンマテオで開催され、2013年の8回目には、800組を超えるMakerと12万人以上もの来場者が参加しました。もう1つのフラッグシップイベントであるWorld Maker Faire New Yorkは、3年間で500組を超えるMakerと5万5千人以上もの来場者を迎えるまでに成長しています。”

クリス・アンダーソンの「MAKERS―21世紀の産業革命が始まる」をお読みになられた方は良くご存知かと思いますが、3Dプリンターのコモディティ化や専門ソフトウエアの簡易化などにより、誰でもメーカー(Maker)になれる時代がやって来つつあります。そのムーブメントを一同に介したものがMaker Faireなのです。

当社の製品はまだまだプロユースの業務用アプリケーションではありますが、「ものづくりを下支え」したいというモチベーションの中には、こうしたムーブメントの裾野を広げて、ものづくり業界全体を活性化したいという気持ちがあります。もちろん、出来ることは少ないのですが、少しでもお役に立ちたい、そして我々の製品をもっと知ってもらいたいという気持ちでいっぱいです。

職業スキルに関する調査


Wall Street Journalから。
「職業スキルでスペインとイタリア最低、成長の足かせに トップは日本=OECD」

OECDがいうとことの「職業スキル」って一体何なのか、と思って調べて見ると、文部科学省が「OECD 国際成人力調査 – 文部科学省」という調査レポートをPDFで公開していました。調査の目的は、

「16歳から65歳の成人を対象として、社会生活において成人に求められる能力のうち、読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力の3分野のスキルの習熟度を測定するとともに、スキルと年齢、学歴、所得等との関連を調査。OECDが実施する国際調査であり、今回が初めての実施となる。24か国・地域において、約15万7千人を対象に実施。」

ということで、職業スキルとは「読解力」「数的思考力」「ITを活用した問題解決能力」の三点とのこと。もちろん、仕事をしていく上でこの三点は基本スキルであることに変わりはなく、(サンプリング調査であるとは言え)日本人はOECD加盟国の中で一番スキルが高いということです。この中から見えてくるのは、日本人は高い職業能力についてのポテンシャルを有しているということ、一方で経済成長が停滞している理由の一つとして、そのスキルを最大限に活かす(特にITの整った環境での問題解決能力)ことができる環境がまだまだ改善の余地があるということです。いずれにしても、このようなマクロ視点での包括的な調査というのは、「中から見ている」と見えてこない点もあったりしてなかなか面白いものです。一方で、ミクロ視点で考えると非常に具体性が掛けるのもこの種の調査の特徴の一つでありますので、一企業としてどう取り組んで行けば良いのか、という意味においては全く別角度で考えなければなりません。


最近の新卒採用の大きな特徴は、学内セミナーが主流になっているらしいです。ナビや合説、フェアによって不特定多数の学生を集めて母集団を形成し、そこから選考していくというフローではなく、大学を絞り、OBやOGをリクルーターとして送り込み、学内で小規模の個別セミナーを開催して学生と直に話をしながらマッチングさせて行くというやり方。うちも先月、大阪某大学の学内セミナーで企業説明会を行いましたし、来月は京都で行う予定にしていますが、出展する企業としてもコストは掛からないし、じっくり話合いながら採用できるという意味ではミスマッチも極力防げるのではないか、と考えています。いずれにしても組織は人なりという意味で採用活動については継続的に行わなければなりませんし、強い組織が人を作っていくという点は重要な要素なのですが、新卒、中途のこだわりなく、良い人とのマッチングは続けて行きたいと思っています。という訳で当社は今、下記の人材を積極的に募集していますので、興味がある方ご連絡を。
babyice5122[アットマーク]gmail.com

【ソフトウエアエンジニア】
C#、WPF、C++に関するスキルと実務経験

【WEBプログラマ】
LAMP環境、Rubyに関するスキルと実務経験

【マーケティング】
英語(読み書き)が堪能で、コミュニケーション能力が高く、業務系ソフトウエアの業界に造詣の深い方

20年生きた猫の話を書いてみたいと思う


ワインと美味しい野菜をたくさんいただいたほろ酔いの深夜に、20年生きた猫の話をしようと思う。

先週、祖母が大事に飼っていたヒマラヤンのボク君がなくなった。
長毛種の割には20年、良く長生きしてくれた男の子だった。

今から20年前というと、僕は高校生で祖母は65歳。今となっては65歳だった頃の祖母は想像できないけれど、今、僕がこの歳になって思うことは「みんな若かったな」ということだ。まだ祖父も健在で、仕事も現役だったし、ゴルフも教えてくれたりして元気だった。

その頃、ちょうど親戚の叔母さんのヒマラヤンに子猫がたくさん生まれたからというので、色んな人がやって来ては欲しい子猫からもらって行ったそうなのだけど、一番最後に残った子が、ボクだった。引取先がないから、ということで祖父と祖母のところにやって来た。ふわふわで、手のひらに乗るくらい小さくて、でも、生まれた時から上手になくことができなくて、基本的に無言。やっとないたと思ったら絞り出すような、か細い声で「あ゛〜」といった。ボクがおじいちゃんになるまで、基本的にずっとなくことが出来なくて、静かな猫だった。

祖父はどんな名前を付けようかと思って考えていたらしいのだけど、ボクは男の子だし、気の利いた名前を付けれるようなハイカラなタイプでもなかったので、そのまま「ボク、ボク、」と呼びかけていたら、そのまま「ボク」がその子の名前になった。それから「ボク」という名前はどんどんと変化していった。祖父はその子猫を相当かわいがっていたので、愛情を込めて、「ボクタン」「ボクタンさん」と呼び、最終的には「タンさん」となった。祖父は「ボク」を「タンさん」と呼び、僕は「タンさん」から更に派生させて「タンコ」と呼ぶようになった。

ボクがやって来てから2年後に阪神大震災が起きた。元々旅館の一部だったような、木造3階建ての大きくて古い家屋は一部損壊〜半壊し、隙間だらけ。震災直後からボクの姿は見えなくなった。ぐちゃぐちゃになった家の片付けに行くと、祖父も祖母もボクを探していたけれど、ただでさえ大きな家、部屋もたくさんある。古い家具もいっぱい置いてあり、押入れも多くて、とにかく物が多い。「どこかの部屋で下敷きになっているかもしれない」というので、弟とおっかなびっくり家具を持ち上げたり、物をどけたりしながら家中を探したが見当たらない。ボクは元々なくことも出来ないので、生きていて助けを求めていたとしても分からないし返事もできない。祖母はそれを心配していた。するとある時、家の外にある溝の中で微動だにしないボクを誰かが見つけた。おびえて、ずっと、コンクリートの溝の中でじっとしていたらしい。無事に見つかったから良かったものの、その時にボクは蚤を連れて帰って来た。

それから月日が経ち、家の建て替えと共にボクは祖父母と一緒に引っ越しをし、祖父は震災後にくも膜下出血で仮の住居に居た時に倒れた。祖母はそれから祖父の入院や看護、旧家の倉庫の片付けや新築の家への引っ越しや片付けなどに追われていたため、ボクと一緒にいる時間も少なくなった。でも、家に帰ればボクがいる。きっと、祖母にとってボクは夜一人でいる時の話相手になっていたのだと思う。

祖父はそれから何年か経って亡くなった。脳出血の後遺症で話すことも出来なかったし、何年も病院や介護施設で過ごしていたので、あれだけ可愛がっていたボクと一緒にいた時間は実は短かったのだと思う。祖父がなくなってから、本当の意味で祖母はボクと二人暮らしになった。とはいえ、新築の家は二世帯住宅だったので、二階には両親(数年間は僕も住んでいたが)と、震災後に両親の家にやって来たチンチラのティッちゃんもいたので、寂しくはなかったと思うが。

ボク君とティッちゃんは一度か二度程しか顔を会わせたことがない。ティッちゃんは昨年亡くなったのだけど、十数年、同じ屋根の下にいたのに、面白い話だ。会うとお互いびっくりして喧嘩するかも、ということだったので、それぞれ階を別々にして暮らしていた。ティッちゃんが先になくなり、当たり前だけどボクもどんどん歳をとっていく。今夏の前くらいから一気に弱り始めて、祖母はボクのことをとても心配していた。20歳だし、どこかで祖母も覚悟はしていたのだろうと思う。

一ヶ月程前に、祖母がこう言った。

「ボクが亡くなったらどうしようかと考えている」。

ちょっと前までは、祖母は私が先に亡くなっって、ボクがその後に亡くなったら、芦屋川のペットの霊園に連れて行ってあげてな、と言われていたのだけど、どうやら、祖母はボクが先に亡くなると感じたらしい(ちなみに祖母はとても、とても元気だ)。それから、祖母は考えに考えて、二週間前に結論を出した。ボクはもう自分で歩くことの出来なかったけれど、二週間前に僕が最後にボクに会った時、奇跡的に歩いて台所まで出てきたのだった。「きっと、最後の挨拶や、これが最後になるだろうから、抱いてやってな」と促され、あんなにコロコロで大きくて重たかったのに、やせ細って軽くなったボクを、僕はギュッと抱っこした。その時、祖母は「色々考えたんやけどな、庭に埋めようと思うんや。」とポツリと話してくれた。僕は黙って、うなずいて賛成した。

ボクが祖母の元に来てから、色々あった。震災もあったし、祖父が倒れて介護の日々が続き、その中で数年は僕の家族と一緒に暮らし、娘たちも生まれて賑やかになったり色々あったけれど、祖母の癒やしはボクだったんだと思った。

庭にボクを埋めたら、いつでもおばあちゃん、会いに行けるもんね、と僕は言った。

そして、ボクは、先週のある日、眠るようにして亡くなったらしい。それまでに父が庭に深い穴を掘って準備をしていた。ボクはそこに埋められ、上に石が置かれた。亡くなったのを知ったのは、二日後だった。祖母からメールが来た。あんなにクールに冷静に装っていた祖母なのに、ボクの死を知らせるまでに二日かかったんだと思うと、すごく悲しくなった。一昨日祖母に会いに行った時、祖母は気丈に振るまっていて、ボクの話をしようとはしなかった。淡々と、ボクの残りのカリカリ(餌)はこの人に持って行ってあげて、と、言付かったりもした。でも祖母は最後に、「なんや、物忘れしたような感じがするわ」とポツリと言った。

「なんや、物忘れしたような感じがするわ」

この言葉に、祖母とボクの20年間が凝縮されているような気がする。色々とあった中で、ボクと祖母との関係の深さは、推し量ることができない程、深い絆で結ばれていたのだと思う。そして、ボクはなかない猫だったけれど、祖母の話を毎晩、毎晩黙って、目を見つめて聞いていたのだと思う。

ティッちゃんが亡くなった時も、すごく悲しかったけれど、祖母のボクが亡くなった先週は、特にこたえた。ペットはいずれ亡くなる。そこも含めて、みんな家族なんだ。

あれからずっと、僕は時間さえあれば空を見上げている。今、こうして文章を書いているのも、芦屋川のベンチだ。真夜中のベンチで、色々と思い出しながら書いていると、涙が止まらなくなってしまっている。

ありがとう、ボク。
祖母のところに来てくれて。