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ワインと美味しい野菜をたくさんいただいたほろ酔いの深夜に、20年生きた猫の話をしようと思う。
先週、祖母が大事に飼っていたヒマラヤンのボク君がなくなった。
長毛種の割には20年、良く長生きしてくれた男の子だった。
今から20年前というと、僕は高校生で祖母は65歳。今となっては65歳だった頃の祖母は想像できないけれど、今、僕がこの歳になって思うことは「みんな若かったな」ということだ。まだ祖父も健在で、仕事も現役だったし、ゴルフも教えてくれたりして元気だった。
その頃、ちょうど親戚の叔母さんのヒマラヤンに子猫がたくさん生まれたからというので、色んな人がやって来ては欲しい子猫からもらって行ったそうなのだけど、一番最後に残った子が、ボクだった。引取先がないから、ということで祖父と祖母のところにやって来た。ふわふわで、手のひらに乗るくらい小さくて、でも、生まれた時から上手になくことができなくて、基本的に無言。やっとないたと思ったら絞り出すような、か細い声で「あ゛〜」といった。ボクがおじいちゃんになるまで、基本的にずっとなくことが出来なくて、静かな猫だった。
祖父はどんな名前を付けようかと思って考えていたらしいのだけど、ボクは男の子だし、気の利いた名前を付けれるようなハイカラなタイプでもなかったので、そのまま「ボク、ボク、」と呼びかけていたら、そのまま「ボク」がその子の名前になった。それから「ボク」という名前はどんどんと変化していった。祖父はその子猫を相当かわいがっていたので、愛情を込めて、「ボクタン」「ボクタンさん」と呼び、最終的には「タンさん」となった。祖父は「ボク」を「タンさん」と呼び、僕は「タンさん」から更に派生させて「タンコ」と呼ぶようになった。
ボクがやって来てから2年後に阪神大震災が起きた。元々旅館の一部だったような、木造3階建ての大きくて古い家屋は一部損壊〜半壊し、隙間だらけ。震災直後からボクの姿は見えなくなった。ぐちゃぐちゃになった家の片付けに行くと、祖父も祖母もボクを探していたけれど、ただでさえ大きな家、部屋もたくさんある。古い家具もいっぱい置いてあり、押入れも多くて、とにかく物が多い。「どこかの部屋で下敷きになっているかもしれない」というので、弟とおっかなびっくり家具を持ち上げたり、物をどけたりしながら家中を探したが見当たらない。ボクは元々なくことも出来ないので、生きていて助けを求めていたとしても分からないし返事もできない。祖母はそれを心配していた。するとある時、家の外にある溝の中で微動だにしないボクを誰かが見つけた。おびえて、ずっと、コンクリートの溝の中でじっとしていたらしい。無事に見つかったから良かったものの、その時にボクは蚤を連れて帰って来た。
それから月日が経ち、家の建て替えと共にボクは祖父母と一緒に引っ越しをし、祖父は震災後にくも膜下出血で仮の住居に居た時に倒れた。祖母はそれから祖父の入院や看護、旧家の倉庫の片付けや新築の家への引っ越しや片付けなどに追われていたため、ボクと一緒にいる時間も少なくなった。でも、家に帰ればボクがいる。きっと、祖母にとってボクは夜一人でいる時の話相手になっていたのだと思う。
祖父はそれから何年か経って亡くなった。脳出血の後遺症で話すことも出来なかったし、何年も病院や介護施設で過ごしていたので、あれだけ可愛がっていたボクと一緒にいた時間は実は短かったのだと思う。祖父がなくなってから、本当の意味で祖母はボクと二人暮らしになった。とはいえ、新築の家は二世帯住宅だったので、二階には両親(数年間は僕も住んでいたが)と、震災後に両親の家にやって来たチンチラのティッちゃんもいたので、寂しくはなかったと思うが。
ボク君とティッちゃんは一度か二度程しか顔を会わせたことがない。ティッちゃんは昨年亡くなったのだけど、十数年、同じ屋根の下にいたのに、面白い話だ。会うとお互いびっくりして喧嘩するかも、ということだったので、それぞれ階を別々にして暮らしていた。ティッちゃんが先になくなり、当たり前だけどボクもどんどん歳をとっていく。今夏の前くらいから一気に弱り始めて、祖母はボクのことをとても心配していた。20歳だし、どこかで祖母も覚悟はしていたのだろうと思う。
一ヶ月程前に、祖母がこう言った。
「ボクが亡くなったらどうしようかと考えている」。
ちょっと前までは、祖母は私が先に亡くなっって、ボクがその後に亡くなったら、芦屋川のペットの霊園に連れて行ってあげてな、と言われていたのだけど、どうやら、祖母はボクが先に亡くなると感じたらしい(ちなみに祖母はとても、とても元気だ)。それから、祖母は考えに考えて、二週間前に結論を出した。ボクはもう自分で歩くことの出来なかったけれど、二週間前に僕が最後にボクに会った時、奇跡的に歩いて台所まで出てきたのだった。「きっと、最後の挨拶や、これが最後になるだろうから、抱いてやってな」と促され、あんなにコロコロで大きくて重たかったのに、やせ細って軽くなったボクを、僕はギュッと抱っこした。その時、祖母は「色々考えたんやけどな、庭に埋めようと思うんや。」とポツリと話してくれた。僕は黙って、うなずいて賛成した。
ボクが祖母の元に来てから、色々あった。震災もあったし、祖父が倒れて介護の日々が続き、その中で数年は僕の家族と一緒に暮らし、娘たちも生まれて賑やかになったり色々あったけれど、祖母の癒やしはボクだったんだと思った。
庭にボクを埋めたら、いつでもおばあちゃん、会いに行けるもんね、と僕は言った。
そして、ボクは、先週のある日、眠るようにして亡くなったらしい。それまでに父が庭に深い穴を掘って準備をしていた。ボクはそこに埋められ、上に石が置かれた。亡くなったのを知ったのは、二日後だった。祖母からメールが来た。あんなにクールに冷静に装っていた祖母なのに、ボクの死を知らせるまでに二日かかったんだと思うと、すごく悲しくなった。一昨日祖母に会いに行った時、祖母は気丈に振るまっていて、ボクの話をしようとはしなかった。淡々と、ボクの残りのカリカリ(餌)はこの人に持って行ってあげて、と、言付かったりもした。でも祖母は最後に、「なんや、物忘れしたような感じがするわ」とポツリと言った。
「なんや、物忘れしたような感じがするわ」
この言葉に、祖母とボクの20年間が凝縮されているような気がする。色々とあった中で、ボクと祖母との関係の深さは、推し量ることができない程、深い絆で結ばれていたのだと思う。そして、ボクはなかない猫だったけれど、祖母の話を毎晩、毎晩黙って、目を見つめて聞いていたのだと思う。
ティッちゃんが亡くなった時も、すごく悲しかったけれど、祖母のボクが亡くなった先週は、特にこたえた。ペットはいずれ亡くなる。そこも含めて、みんな家族なんだ。
あれからずっと、僕は時間さえあれば空を見上げている。今、こうして文章を書いているのも、芦屋川のベンチだ。真夜中のベンチで、色々と思い出しながら書いていると、涙が止まらなくなってしまっている。
ありがとう、ボク。
祖母のところに来てくれて。