荒廃ではなく、再生にベクトルが働く好例


人が離れ、放置された都市は段々荒廃し、犯罪の温床となり、あたかも「北斗の拳」のような世界になっていく・・・というのが良くある映画のパターンですが、実際は「人がいる限り、物事はポジに働く」というのが現実世界で起きていることかもしれません。例えば、財政破綻したデトロイトでは市バスや交通機関、ごみ収集など公共サービスがほとんど機能していないらしいのですが、ならば、ということで、市民主導での再生アクションが次々に生まれているとのこと。

この記事、まだ流し読みしかしていないのだけど、とても興味深いので備忘録がわりに掲載しておきます。「破綻都市デトロイトをスタートアップが救う!コミュニティ再生の鍵は「民間」にある」(Wired.jp)

というのも、先日書いた記事「人口減少に対応して、開発した宅地を「自然」に戻していくという試みは生まれてこないのか」に対しし各方面から色んな反響があったのですが、その中でも建築家の幼なじみが「デトロイトやマンチェスターなどでは、シュリンキングシティという構想が良く聞かれるようになってきた」と教えてくれ、「デトロイト、シュリンキングシティ、ああ、なるほどな。」とアンテナを少し高くしたところにこの記事が出たのですね。「成長」しか経験してこなかった都市部が直面する「減少と衰退」。「シュリンク」という言葉を見る時、都市社会の方針転換の必要性を示唆しているようにも感じます。

さてWiredの記事によると、デトロイトで起こっていることのポイントは、どのアクションにも行政が全く入っていない民間、市民主導ということ。

・市民主導型の法規制に全く縛られない再生ムーブメントとアクション
・極端に低い家賃を武器に、スタートアップスが集結
・廃墟を壊して緑化するなどの再生事業

MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんのブログも掲載しておきます。
「Shaka Senghor著『Writing My Wrongs』に書いた序文」

アプローチの仕方は種々あれど、僕の率直な感想は、「人間のいるところでは物事はポジに働くんだな」ということです。気力も失い、荒廃に身を任せて退廃的になって行くこともあるでしょう。もちろん、ネガな方向に行くケースも多々あることは歴史が物語っている事実ではあるけれど、記事の中の例にあるように、行政に頼らない市民主導のアクションというところに、人々の「問題意識」と「当事者意識」が見えて来ます。市の許可を受けずに魚の養殖事業を初めて貧しい人々向けに販売している会社が貧困層に感謝されているなど、最終的にはプリミティブでインデペンデントな思考が、社会の基礎を作るんですね。

それにしても、朝から元気になる良記事でした。
感謝です。