放出からブレイクスルーへ

放出といっても、大阪の地名「ハナテン」ではない。

ほうしゅつ である。

 

 

あるCIに関して。

考えを巡らせてためていた単語、キーワードの数々。

一つ一つが繋がった水曜日の夜。

まだ粗削り

だけれども。

これから皆でブラッシュブラッシュ。

煮詰めて煮詰めて、不純物を取り除いて精錬して、

そこから純度100%の至極の「玉」を見出す。

 

 

第一回目のブレークスルーは予想外に早くやってきた。

 

ただ、これからの精錬作業が大変。

 

もうちょっと。

 

というよりは、

 

 

もっと、もっと、もっと。

 

 

現状満足はこのフェーズにおいては命取り。

今こそ、メタ認知能力の出番である。

  

  


 

 

キーワードを放出しながら、

生ビールを三杯。

すきっ腹に流しこむ、枝豆と炒り銀杏が美味しい。

でもなんとか、-4.5kgは維持。

計量日まであと一週間。

ラストスパート。

待ってろガム島(←古)。

コンセプチュアル・ジャンキー

専門的な話ではなく、本当にシンプルな話で。

本質

というのは、

どんな対象にも必ず備わっているもので、

ついにそれを見出した時に、

対象が持つ無敵の武器を手に入れることだと。

 

 

それは言葉でも、デザインでも同じで。

 

 

ジャック・ウェルチも言うように、

例えば企業のミッション・ステイトメントというのは、

シンプルかつ具体的なもの、

会社の玄関に額に入れて飾っておくものではない。

 

何かあったら、必ずそこに帰ってこれるように。

 

ああ、そうだったね。

僕たち、こうだったんだよね。

 

 

そんな感じで肩を叩き合えるような、

まさに、「したい」「こうなりたい」ということの本質。

誰がみてもすぐに理解できる、平易な言葉で。

 

例えば、それは製品名であり、会社名なのだろう。

 

 

対象物を徹底的に丁寧に、分解して解体して、

そのものが持つ

「結局何がいいたいの?」

というコンセプトを見つけるのは、

佐藤可志和が得意とするところだと個人的には思っているのだけれど、

これって、本当に大事だな・・・と最近つくづく思う。

 

かっこいい。

きれいなデザイン。

 

 ・・・なーんて、結果論であって。

 

どれだけコンセプチュアルか。

徹頭徹尾、コンセプチュアルか。

 

もう、本当に。

 

最近、コンセプトジャンキー。

大丈夫。ジャンキーなの自覚はしてるから。 

あと一週間でブレイクスルーはあるのか。

ちょっともう。

Thought innovation あるのみである。

気付けば、このブログ。

「ほぼ日」ならぬ、ほぼ毎日更新で丸2年が過ぎていた。

更新が抜けた時と言えば、

2006年のグアムと、2007年正月の3日間と、

先月のハワイ。そして来週からまたグアムで抜ける予定。

海外と正月以外、休むことなく続いているのは、

れっきとしたジャンキー、または真性露出狂の証拠か。

でも、自分では正直、

左欄のアーカイブの各月の数値が愛おしくもある。

よくまあ、しょうむないことばかり書いているものだと。

今のところ辞める予定もないので、

気が向いたら31歳ジャンキーの戯言に、

引き続きお付き合い下さいませ。

一人称

東京にいるストイックなデザイナーに、

「tomo-kはどうして、

自分のことをぼくというのか」

と聞かれる。

どうしてと聞かれても、困る。

とりあえず、

「ピーターパン・シンドローム」

とだけ答えておいた。

ブログでもメールでも、話をしていても、

確かに自分への呼称は「僕」である。

ただ、弟とか、地元の連れとか、

仲の良い男友達なんかには例外的に「俺」を使う。

一人称は、とても不思議だ。

あまり社交的な場での言葉遣いにはあかるくないのだけれど、

この年にもなると、オフィシャルな場では、

「私」というのが適当なのだろう。

通常は、「僕」。

友達といる時は、「俺」。

これらにどういう違いがあるのか分からないが、

ニュアンスの問題のような気がする。

僕は(あ、やっぱり僕だ)、幼稚園だか小学校だか忘れたけれど、

同級生の中で一番

「オレデビュー」

が遅かったような気がする。

「オレ」

という言葉はとても悪い言葉なんだ、と思っていた。

だから、友達の前で恐る恐る

「オレさー、、、」

と言ったのが母親に見られているのが分かった時、

とてもバツの悪い思いをした。

そんな自分を見ていた母は、

口は真一文字に結んでいたが、

目は笑っていた。

娘二人の父親になった今、

この母の優しい目の意味が分かる。

 

でも、自分はいつまで経っても子供でいるような気がする。

 

ピーターパン・シンドローム

 

口から出任せだったけど、

あながち間違っていなかったかもしれない。

 

週はじめ、色々

月曜日、業界ネタをメモしてみる。

 

なぜ「ニコ動」は盛り上がり、「Second Life」は過疎化するのか

 

「Second Life」、「Twitter」、「ニコ動」。

 

上記三つを、

「同期」、「選択同期」、「疑似同期」と分類して、

時間軸の観点から考察しているのが面白い。

 

激しく同感する点、多数。

 

 

 

業界話とは、全く関係ないのだけれど、

「時間+環境+人」

その時でしか成しえなかった、

理由付けできない種々の要因が重なって、

奇跡的な「もの」を生み出すことがある。

それは、宇宙や生命の誕生という壮大な次元から、

「人と人の出会い」というミクロな次元まで。

ぼんやりとした、

グレーの壁に挟まれた気分のような昨夜。

自己内における「矛盾」は、

自己との対話においてでしか、

解決できないからややこしい。

そんな時に、

奇跡と言われる一枚。

Bill Evans Trio
Waltz for Debby

今から46年前。

1961年6月25日、

ニューヨークの名門ジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」での録音。

ベースのスコット・ラファロはこの10日後に亡くなってしまう。

僕は専門的なことは何も分からないけれど、

同日に録音された「Sunday at ・・・」とこの一枚は、

たぶん、あまりに有名な奇跡の一枚。

 

 

いつもピンチの時に救われているので、

何となく紹介してみました。

 

ちなみに仕事場での、

今のBGMはこちら。

Kaskade
Here and Now

こちらも定番中の定番なんだけれど、

仕事がはかどるのは、

やっぱり美メロハウス。

 

 

ヒトって面白い。

 

無意識のうちに、

TPOで聴く曲もかえている。

夜中まで

出掛けたり、寝たりしていたら、

あやうく更新が抜けてしまうところであった。

土曜日は19時まで会議をした後、

急いで宝塚行きの電車に飛び乗る。

宝塚ホテルの裏側の「はんや」という店で開かれている、

地元の友人達との飲みに合流。

 

僕が着いた頃にはもうスタートから一時間程度経過していて、

男ばかり7人が既に皆出来上がっていた。

時間制限飲み放題コースとかにするから、

こうなるのである。

S一さんが、

仕事で関東に引っ越す。

  

そのための送別会。

 

皆昔っからの付き合いだけど、何かあればすぐに集まる。

それにしてもみんな、歳をとった。

あの頃と何にも変わらない。

ちょっとは大人になれよー

って思うこともあるのだけれど、

皆が好き勝手言いたいことが言えるのも、

気の遣わない、このメンバーだからかもしれない。

きっと職場や家庭では、

もうちょっと大人を演じなければならにのだろうから。

そんなことを、

皆の屈託のない笑顔を見ていて思った。

二件目はカラオケ。

歌のチョイスで年齢がばれる。

同年代が歌う歌は、学生時代の懐かしい曲ばかり。

二時間半程歌ってから、深夜のガストになだれ込む。

 

 

グダグダ話しをしていると、

気付けば二時半。

 
とても楽しい夜だった。 

 

 

良く飲んだ次の日は娘達を連れて出掛けたり、

祖母から頼まれた用事をするも、

夕方ソファでゴルフ見ながら寝てしまっていたら、

いつの間にか8時半になっていた。

もう娘達もお風呂に入れてもらって寝ていた。

そんなこんなな日曜日。

日がとても短い

神戸の西、垂水に向かう車中からの景色が

僕は好きである。

須磨を抜けたあたりから、

国道二号線は海沿いを走る。

明石海峡大橋、淡路島も見渡せる、

絶好のドライブロード。

時間は13時半だというのに、

もう夕暮れの日差し。

明日は出勤日である。

昨日のエントリーでも書いた、

三分間スピーチを考える。

 

 
 

「Knowing what I know.」

という言葉がある。

文字通りには、

「私が知っていることを知っている。」

 

脳の機能の一部で、「メタ認知能力」という。

現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。(wikipedia参照)

自分を少し外から客観視できる能力も、

メタ認知の一部である、と、茂木先生が言っていた。

「違和感」を感じることも大切なことだと。

「違和感」を感じ、その心の声に正直に従って行動すれば、

仕事の内容も改善されるだろうし、

「天職」にも巡り合えるかもしれない。

メタ認知能力を測定する方法も

wikipedia にあるのでご参考までに。

スピーチのネタは、

このメタ認知能力に決定。

それにしても、

最近、自己矛盾にさいなまれている。

「そんなこと」に気付いているだけでも、

まあ良しとすべきか、

もう一歩踏み込んで考えるべきか。

脳がパンクしそう。

久しぶりに家飲みでアーリータイムズ。

この酔いがとても気持ちいい。

続おっさん劇場

うちの会社には、

月に一回の全体会議がある。

その会議において、

持ち回りで「三分間スピーチ」をフリートークで行うのだ。

お題は自由。

プレゼンでもトークでもスピーチでも良い。

制限時間は三分。

一回の会議で4,5人がスピーチを行うため、

2ヶ月から3ヶ月に一度は周ってくる。

明日の土曜日はその全体会議の日である。

今日が休日のため、

昨夜、会社に一人で残ってネタの準備をしていた。

すると、会社に一本の電話が。

ディスプレイを見ると、

クライアントの懇親会に出向いていたKであった。

近くで飲んでいるとのこと。

「隠れ家和食、樅」でKとZと合流する。

話の流れは昨夜の酔っ払いオッサン劇場。

皆、それぞれ酔っ払いにまつわる

「すべらない話」を持っているものだ。

 

 

中でもZから聞いた話。

 

 

 

 

酔っ払いのおっさんが立って寝ていた。

つり革を持って、グラグラグラグラしている。

あまりに揺れるものだから、

ズラが取れてしまい、

前の座席に座って寝ていた高校生の膝の上に落ちた。

もちろん二人共熟睡のため、全く気付かない。

ある駅に着いた時、

アナウンスを聞いた高校生が目を覚ました。

彼が降りる駅だったのだ。

ドアも閉まりかけている。

我に返って飛び起きた彼は、

膝に乗っている何か(実はおっさんのズラ)を急いで鞄に突っ込み、

電車から飛び降りたとのこと。

 

 

  

 

帰宅した後の二人の様子が想像出来るだけに

余計におかしい。

人間のとっさの行動から、

とんでもない笑いが生まれるということはよくある。

今日も何か面白いことに出会えますように。

車内のおっさん劇場

コンテンツとして最も面白い部類にカテゴライズされるのが、

酔っ払いのおっさんではなかろうか。

人は酒に酔うと、

普段の人柄からは想像できないような一面を露出する。

例えば、昨夜。

飲みの帰りに乗った終電にて。

 

 
 

途中の駅から乗ってきたサラリーマン風のおっさん(推定年齢58歳)

シャキッと歩いて来たのはいいのだが、

倒れこむようにドカンとイスに座った。

隣の大学生男子二人の尻が5cm浮く。

 

ファーストインパクトで乗客の心を掴んだおっさん。

 

うわー、酔ってるなー(←tomo-kも酔っている)と思って、

視線を膝の上の本に落とすと、

 
 

ガツン!

ガツン!

ガツン!

 
・・・えー?

今度はなに?

 

目を上げると、

おっさんは窓ガラスに後頭部を打ちつけ始めた。

え?大丈夫?

心配になって見ていると、

・・・ヘヘッツ


ヘヘヘヘヘヘッツ!!

フフフフフッーー!!


↑(真顔)

えーーー!?( ̄□ ̄;)

おっさんの自虐的な怪気炎で、

隣の大学生とOLが噴き出してしまう。

 

 
 

やれやれ、おっさん。

出来あがってるね。

日頃のうっ憤を、飲んで発散させてるんだね。

 

でも、あまり強く打つと、

大変なことへの引き金に繋がり兼ねないからほどほどにね。(^∇^)

んなことを思い、

おっさんの怪気炎を微笑ましく見ながら、

また視線を本に落とすと、

ド・・・
ドレ・・・


ドレ ドレ ・・・



ドレミ -----ド!!!!!



ドッドッド

レドミー レ!!!♪



ド♪ ド♪ ド♪



おっさんよ・・・

何の歌やねん!!!

ヽ(;´Д`)ノ

この駄目押しの

「ドレミレ・シャンソン」で、

大学生二人組の内、一人が席を立って、

歩き回りながら抱腹絶倒。

片割れ大学生は席に座ってゲラゲラ。

OLさんはかわいらしく顔を下に向ながらも、

憤死。

tomo-kも我慢できずに憤死。

おっさんはその後も、

自分が周囲を爆笑の渦に巻き込んでいるのに全く気付かず、

ド・レ・ミ

のみの歌詞で熱唱を続けましたとさ。

おしまい。

お口直しに、昨日のきれいな夕焼けをどうぞ。

 

お口直しに、

コロナビールをどうぞ。

季節を感じる写真としたい願望

もうこんな季節。

神戸の旧居留地はルミナリエの建設真っ最中だった。


 

これが着々と組み上がって行って、

美しいアーチになり、無数の電球が実装されて

あの溜息が出るくらいの光を放つのだろう。

  

 

 

昨夜はプロモーション関連の打ち合わせ。

 

スタイリッシュでファッショナブル、

かつクールで尖った「ちんどん屋」である。

スモールスモールで、

身の丈レベルからスタートしよう。

立ち位置は違えど、各業界のアングラ野郎どもが、

何か美しいものを作ろう。

ビジネス的観点からではなく、

「したい」観点での切り口を今は大切にする方が良い。

 

ブレストというのは、

その場で否定意見を述べてはいけない。

とにかく各々が思うことを、

口から出まかせでもテーブルの上にぶちまけることが肝要なのだ。

 

 

点と点が線となって繋がることを信じよう。byジョブズ御大

 

キーワードは、「人(或いはメディア)が勝手に広告」

(巷ではバイラルプロモーションとか格好の良い言葉で表わされているが)

広義の意味での「メディア」としての存在感。

 

箇条書きをするのは、

備忘録代わりのためなのである。

 

 

それにしてもみんな濃いなー。

大好きである。

捨てんといてー ←(え?

整理しながら読める本

ようやく「アルファ・ドッグカンパニー」を読み終える。

通勤時間の車内で読める時間は、

往復36分。

朝は集中できるのだけれど、帰りは寝てしまうことも多く、

読書にまとまった時間をとることの難しさを実感する。

購入してから完読までどれくらいかかったかは

ちゃんと計測していないのだけれど、

結構かかっちゃったような気がする。

この「アルファ・・・」は久々のヒットだった。

出てくるのは、中小企業。

しかも、自転車屋、クッキー屋、

靴下メーカー、アイスクリームショップ・・・

いわゆる「アナログ」な企業ばかりである。

MBAホルダーなど一人もいなくても、

顧客サービスを最優先に考えてアイデアを形にしていく様は、

もう、ヒントの宝庫であった。

至極まっとうなことであるし、

普段から我々も考えていることと共通するのだけれど、

「実際に実行しちゃう」潔さ。

そこはまだまだマネしなければならない余地が

残されているであろう。

WEB、IT系の企業にこそ読んで欲しい一冊。

D. フェン, 宮本 喜一
アルファドッグ・カンパニー (講談社BIZ)

さてさて今日から新しい本へ。

MM様から頂いたこちら。

佐藤 可士和
佐藤可士和の超整理術

机の整理整頓、家の掃除片付けは得意なのだが、

脳内の整理はあまり得意ではない。

こちら、

つまりは情報をそぎ落として精錬を重ね、

「物事の本質を見抜く」という、整理。

「本質を見ること」

社員や周りの人間にはよく話すことなのだが、

これは自戒を兼ねて語っていることもよくある。

上手に「整理」できれば、

無駄な時間をなくすのはもちろんのこと、

思考をシンプル化でき、ジャッジスピードも速くなる。

制作する成果物も「的を射ている」訳だから、

ロスは最小限に収まる。

 

身につけれるよう、ちょっと勉強します。