・
仲間が南米に赴くとのことで、
ボスが会食の場を提供してくださった。
焼肉といえば、おなじみ「吟味屋」。
美味しい肉をいただきながら、
色んな話をした。
いつも思うことだけど、
視点は常に高いところに置いておきたい。
ドメスティックな視野は、人を成長から遠ざける。
自分で何かを決めつけ、限界を設け、
壁や枠を作ることは愚かなことだ。
ローリスクハイリターンはビジネスとしては基本だけど、
成長や広がりにおいてスモールやミニマムな考え方は
致命的な遅延を生み、時間を浪費する可能性が高い。
企業は人の生活を良くするためにあるのだと思う。
関わった人間がどんどん外に出て行き、
夢が実現できるように後押ししていきたい。
人が軸を残しながら外に出ていくことは、
企業としては最も望ましいことだ。
ネットワークが広がり、
グローバルへの足がかりができる。
別のところへどんどん繋がっていってくれる。
そしてそのハブが企業でいれれば嬉しいことだ。
スケールは小さくなるが、僕は事あるごとに、
「社内の人間とはわざわざ時間を取ってまで飲むな、
社外の人間と飲みに行け」と話している。
それぞれがそれぞれで外部にネットワークを作り、
散らばり、シナジーを生めれば最高だからだ。
僕自信も、ずっとそうし続けていることで、
種々のセレンディピティを経験した。
皆にもそれを経験してもらいたい。
・
そしてふと、視点を自分自信に落とす。
なんと小さく狭いことか。
思考も現実も、イヤというドメスティック。
考えれば考えるだけしんどくなる。辛い。
無駄に浪費している。
せめて、来年の目標は高いところに置いておきたい。
今、せめて出来ることは、
一日一日、無駄な時間を過ごすことなく、
できることを最大限に行い、一歩一歩進むことだけだ。
勢いとノリ、感覚だけで進めることができるのは
若いうちだけ。必ず限界が来る。
真価が問われる。
努力なくして飛躍なし。
ローマは一日にしてならず。
No pain, No gain.
月別アーカイブ: 2011年12月
通常のサイクル
・
今月に入って初めての、
まともに家にいる日曜日。
昨夜は夜中まで飲んでいたけれど、
今朝はちゃんと起きて、
溜りに溜まっていた整理整頓掃除を、
朝から集中的にこなした。
気になっていたけれど半月くらい手が
つけられなかった(付ける暇がなかった)ことを
一つ一つ片付けていく。
やはり、土日のどちらかは家でゆっくりする
時間を取らないといけない。
時間があればタスクを消化できる。
家もスッキリし、気持ちも軽くなった。
精神衛生面でも、生活に句読点を丁寧に
打っていくためにも、こういう時間は絶対に必要。
またこれから年末年始にかけては、
実家や家業の用事も出てくる。
休みに限って忙しいのはもはや宿命。
受け入れるしかない。
この辺りの時間の捻出も必要だな。
さて、
ランチは以前から行きたかった、
深江浜の「一生懸麺」で。
本格的なとんこつラーメンは最高に美味しかった。
子供たちも大喜び。
トイザらスに買い物に行き、
公園フリークの娘達のリクエストで。
そして帰宅後、
僕はまだうっすらと日があるうちに、
来週金曜日の宝塚に向けて、
最終調整のランニング出掛けた。
11kmを4.43/kmのペースで。
先週の筋肉痛や膝痛もなく、
まあまあ走れる。
なんとかなりそうで一安心。
怠慢かもしれないけれど、
とりあえず今日から木曜日は走らずにストレッチのみ、
仕事以外は予定もいれず、
体力温存しておきたいと思う。
いよいよ、
今月後半戦。
残り営業日数も少なくなってきた。
今週はとにかく、企画書と資料作成で
てんてこ舞いになる予定。
気合いでラストスパート。
7年
・
長女が17日で7歳の誕生日を迎えた。
つい昨日生まれたばかりだと思っていたのに・・・
あっという間に大きくなり、
今では小学一年生。
僕の好きな作家の先生が、
「親はできるだけ子供といつまでも一緒にいたいと
願いながらも、「親離れ」を教えなければならない。
親からできるだけ早く離れるように教えることが、
子育てであり教育である。」
ということをおっしゃっていて、
感銘を受けたことがある。
確かにそうだ。
周りからは「優しくて娘命のパパ」
と思われているかもしれないし、
確かにかわいがっているけれども、
僕もどこかで非常にクールに見ているところもある。
冷たいという意味ではなく「親としての責任」を果たし、
子供達が大人になってからしっかり自立して
物事を考え、判断し、愛情深い子になってほしいという
気持ちの方が強い。
そのためにできることをしたいと思っている。
なかなか子供たちとゆっくり過ごす時間を取れないけど、
今のところ(多分、うちの妻がすごいんだと思うが)、
パパとは逆で「良い子」に育ってくれている。
(このまま反面教師でいようかな)
7年前、娘が誕生して僕の人生は変わった。
今、彼女がいなければどういう生活をしていたか。
想像ができない。
これからも健やかに、人に優しく自分に厳しく、
全てを愛情の目で見つめ、物事の本質を見抜く考えを
身につける子に育って欲しいと思う。
・
今日は、姉妹でこんなの作ってました。
チョコの家。
かわいいキットがあるんですね。
Happy Ami Wedding
そして昨夜は海鮮
・
一日前の記事に引き続き、
飲み日記を。
昨夜は海鮮系。
梅田から東に行った中崎町の
旬菜「あかり屋」。
ここは僕も以前から大好きな店の一つ。
新鮮で旨い魚介がリーズナブルに味わえる、
居酒屋。
まずは刺身盛り合わせと、
旬の牡蠣フライ。
遅いけれど、
牡蠣フライは今シーズン初かもしれない。
旨かった。
カニも出てきた。
カニ味噌は大好物だ。
これに身をつけて食べる。
そして海鮮となめこの鍋。
大ぶりの蛤が美味しい。
とろみが効いていて体があたたまる。
こちらも最高。
一月末に社員の一人が結婚するということで、
昨夜は奥さんを連れての顔合わせだった。
初々しい二人、幸せいっぱい。
本当に良い夜だった。
・
今夜も忘年会。
分かっていることではあるけれど、
夜の時間が全て埋まると、
種々のタスクと飲みがトレードオフになる。
色々と積み残してるな・・・うーん。
年末にかけて仕事も忙しい。
飲み会は今週に全てぶち込んで、
明後日の日曜から翌週木曜までは一切予定を入れていない。
タスク消化に集中!ということももちろんあるが
(来週は年末のプレゼンに向けて企画祭りだ)、
今年最後となる大会、23日の「宝塚ハーフマラソン」に向けて、
酒抜き+体力温存という意図もある。
今年の集大成。
準備が出来ていないので難しいかもしれないけれど、
ハーフ1時間40分切りを目指したいところだ。
ご当地グルメ
・
ブログには書いていなかったけれど、
今週は月曜日~土曜日まで飲み会6連続。
水曜日は、
IT業界の馴染みのメンバーが久しぶりに集まり、
忘年会を天神橋筋5丁目の「一松食品センター」で
開催した。
ここの「ホルモン かわむら」は、
兵庫県氷上のご当地グルメ「鍋ホルモン」の
大阪第一号店。TVでも取り上げられているらしい。
たまたま社内に氷上出身のデザイナーがおり、
この鍋ホルモンの話をすると良く知っていた。
地元に帰省すると必ず行く店らしい。
味の方は・・・非常に旨い。
濃い目の味付けでガツンと来る。
ビールのお供にうってつけ。
最後はうどんで〆。
大満足だ。
二軒目は、
大分名物、ジョニーのからあげ。
ここも良くメディアに取り上げている人気店。
もちろん僕は初入店だ。
写真は撮り忘れたけれど、ここも旨かった。
あと、安い。
久しぶりに集まるメンバー、
皆それぞれ専門分野が違うために、
話の一つ一つが刺激的、とても勉強になる。
コラボも生まれる。
数年前までは、
定期的に交流会を開催していたが、
皆忙しくてなかなか組織立っての開催は難しくなっている。
でも集まるとやはりいい。
次は新年会。
今から楽しみだ。
・
打ち合わせ帰りに通過した
茶屋町では一万人のキャンドルナイトが
開催されていた。
作品はどれも独創的で素晴らしかった。
レビューvol.3 きっかけ
・
三日連続マラソンネタの最終回。
なぜフルマラソンを目標にしたのか。
そもそも、
2年くらい前からダイエットと健康管理をかねて
ランニングは行っていた。
元々走るのは好きだし、
時間に縛られずに手軽にできる運動として
ランは最適だったから日頃から走るようにはしていた。
本格的に取り組み始めたのは、
昨年のGW明けくらいから。
今まで病気しらずだったのだが、
腎炎にかかってしまい一週間自宅待機(入院は全力で回避した)。
そして10月にはメニエールも発病(今はかなりマシ)。
これは良くない。
体力が低下しているに違いないという危機感から、
運動して内蔵から元気になることを目標に
毎週一回は走ることにした。
走っていると気持ちいい。
一人の時間だし、思考の整理になる。
運動不足も解消できる。
汗をかくと「体内の老廃物」が全て出て行くような感覚になる。
しかし、何か物足りない。
どうせ走るなら、何か目標を決めようと思った。
年末は毎年、次年の目標を決めることにしている。
そこで考えてみた。
かなりハードルは高いけれど、
2011年はフルマラソンに挑戦してみよう。
そう思った。
その当時は相当無謀な目標だった。
しかし言ってしまった以上、やらねばならん。
そこから具体的な計画を立て始めた。
(詳細は昨日の記事)
ハードルが高い方が気合が入る。
自分に負けれられないし、言い訳できない。
達成できてもできなくても、全て自己責任。
恐ろしいけど分かりやすい。
元々、メンタル弱いし、自分にも甘い性格。
なんとなく何でもそれなりに出来てしまう
器用貧乏なところも中途半端で嫌いだった。
それに加え、何も目標がなく体力の低下を憂い、
なあなあに年齢を重ねていくことだけは避けたい。
そんな人生面白くもなんともない。
自分の性格を変えたいがため、
ここ数年ずっと取り組んでいることがある。
しんどいこと、面倒くさいこと、後回しにしたいことは
全て「日常生活の習慣としてしまう」ということ。
当初はとてつもなくしんどかったけれど、
この取り組みのお陰で「習慣化する」ことは得意になった。
(ちなみにブログも丸6年以上ほぼ毎日続けているが、
これも習慣化に成功した事例の一つだ)
一度習慣になれば楽。
睡眠、食事、仕事、と同じ感覚で、
ランを日々のルーチンに組み込むことにした。
そして、ハーフやフルと行ったレースは、
明確な結果が出る。そう、タイム。
日頃のランニングでも距離だけでなく、
kmラップを測るようにする。
レースに出れば公式タイムが記録される。
不確実な世の中にあって、
自分の努力=明確な結果 が出ることは、
分かりやすい達成感に繋がる。
結果として、
目標にしていたフルマラソンを無事完走できた。
これは大きな自信につながった。
今回の件で、
来年以降も「自分にとっては高過ぎると思う目標」を
設定しようと思った。立ててしまえば、
やるしかない。来年の目標も定まりつつあるけれど
(今度は勉強の方ね)高い目標を設定するつもり。
なんとかなる。
この目標を達成するために、
また習慣化してしまえば良い。
思えば、毎日のタスクが増えることはありがたい。
日々を充実させつつ、
一歩一歩レベルを上げていくことができる。
走ることはこれからもずっとつづけて行きたい。
(来年は4月までにフル一本、ハーフ一本にエントリー)
それと並行して、
これからも自身のスキルアップを
継続して行きたいと思う。
年が明ければ36歳。
まだまだ何もできていない。
出来ることを着実に、かつ時間をかけて
積み重ねていくだけだ。
また来年の今頃を
充実した気持ちで迎えることができるように。
初マラソンレビューvol2:その時何が起こったか
・
昨日の続きを。
(ランニングブログのようになってしまい、
興味のない方には全く面白くない内容かもしれませんが、
もうちょっとだけお付き合いください。笑)
さて、まずは前置き。
本年初頭、
2011年の目標として掲げた「フルマラソン完走」。
目標を完遂するに当たり、
フェーズを区切ってトレーニングする計画を立てた。
具体的にはフルまでにハーフマラソンを2本走り、
月間トレーニング目標として50km以上を走行するというもの。
このブログを読んで頂いているからは良くご存知の通り、
平日は遅いし飲みも多いし土日も予定をビッシリ入れる
「貧乏性」のワタクシ。
トレーニング時間の捻出が難しいと思われたけれど、
とにかくやってみることにした。
まず始めに、
4月の芦屋国際ハーフにエントリーして感触を確かめ、
月間50km~70kmを目標にランニングを継続。
(芦屋では初ハーフにしては1:47という好成績をマークした)
熱い夏場も熱中症に気をつけながら乗り切り、
なんとか10月を迎えた。
10月はフルの前哨戦となる諏訪湖ハーフマラソン(10/23)が
控えている。
諏訪湖マラソンは、
いつも訪れる八ヶ岳ベースのお足元ということもあって
楽しみだったし、とても気合が入っていたため、
かなりハイピッチでランニングを重ねた。
しかし、それが仇となり「ランナー膝」に・・・。
つまり、膝が痛くて走行不可能、
歩行もままならないというもの。
当初は半月板も疑ったけれど、
整骨院の先生に診てもらったところ、
筋肉の痛みということで「時間薬」が効くと聞き、
キネシオテープを貼って膝を補強。
日頃はストレッチのみでレース当日まであまり無理せず、
ランのペースも落とした。
迎えた諏訪湖本番。
膝に若干の違和感が残っていたものの、
なんとかペースも落とさず走りきり、
自己ベストの1:43をマーク。
これが自信になった。
日頃のランでも10km~15kmくらいは
楽に走れるようになった。
膝の痛みも和らぎ、
11月は月間走行92kmをマーク。
12月に入ると忙しかったり忘年会シーズンがスタートしたり、
バリ旅行に行ったりと、走る時間を全く確保できないまま、
12月11日の奈良マラソンを迎えた。
・
さて、前置きが長くなったけれど、
初のフルマラソン、そこで何が起こったか。
簡単だけど時系列に追ってみる。
【スタートから21km地点まで】
準備不足で焦る気持ちをなんとか押え、
事前走行を無理しなかったお陰か。
はたまた、炭水化物多めの食事を意識していたのが
良かったのか、スタート直後から気持ちよく走れた。
コースもフラット。
平城京跡や奈良公園、春日大社といった観光名所を見ながらの
走行は気持ちいい。加えて沿道で繰り広げられる
太鼓や演奏の数々、皆さんの声援にもパワーを貰える。
カメラにピースをし、
手を差し出してくれる沿道の園児達や
少年野球チームの小学生達とハイタッチをし、
老人ホームや介護施設の前に車椅子を並べて
応援してくれているじいちゃんばあちゃん達に
手を振りながら走る。
楽しくて楽しくて仕方がない。
応援してくれる全ての人に感謝しながらランを楽しんだ。
これぞ大会の醍醐味。
要所要所に設置している給水所では
必ず水分補給し、配られる飴(塩熱飴という)をなめ、
こまめにエネルギーチャージ。
トイレにも一度行ったかな。
21kmまでは割と楽に走り、
1時間45分程度で通過。
この辺りでゲストの有森裕子さんともハイタッチ。笑
【21km地点~35km地点まで】
ここからが大変だった。
21kmを超えると未知の領域。
しかも折り返しの天理からは
山登りがスタートする。
この辺りから足と尻にハリを感じ始める。
天理大学で配られているぜんざいをいただき、
給水所ではバナナやチョコレート、水分を補給、
ストレッチ。
それでも登り坂がスタートすると
腿がつってしまい、ついに足が止まってしまった。
急いでストレッチをしてちょっと休憩し、
また早足で歩き始める。
足がつっては止まる、少しマシになったら走り始める。
ひたすらその繰り返し。
結果的に25km~35km辺りまでが
本当に辛かった。
体力は十分にある。気力もみなぎっている。
しかし、足が「物理的に」動かない。
後ろからはランナーがどんどん追い越していく。
皆辛い顔だけど、なんとか走っている。
しかし、自分は・・・足が動かない。
精神的にも肉体的にも極限まで追い込まれた。
1km1kmがとてつもなく長い。
普段であれば屁のような距離でも、
こんなに長く感じるなんて。
なんとか山超えを果たし、残り10km。
この辺りで4時間のペースメーカーに遭遇。
そして昨日の記事で書いた
おばあちゃんの笑顔の励まし。
ここから、
ただ気力のみで「4時間以内」を目標にし始めた。
思えば、この「ラスト10km」が、
マラソンの洗礼だったのだと思う。
月初からの疲れや走り込み不足、そして、
初マラソンという経験不足。
全ての要因が如実に現れた瞬間だった。
【35km地点からゴールまで】
アップダウンも緩やかになり、
コースはフラットに。
残り7km、6km、5km・・・
若草山が近づいてくる。
ゴールが近づいている証拠だ。
この辺りになると、「マラソンに詳しい」沿道の皆様から、
「このペースなら4時間切れるぞ!」
「3時間55分切れるぞ!がんばれ!」という檄が飛んでくる。
その励ましの言葉を信じ、また、
4時間ペースメーカー君の位置を気にしながら、
足を引きずるように走る。
正確に言うと、足は相変わらず言うことを聞かず、
痛みも激しい。
動くのは上半身だけだ。
しっかり腕を振って足を前に出させる。
周りから見ていると「変な走り方」を
していたに違いない。競歩チックというか。
沿道のカメラマンにダブルピースをする余裕も、
手を差し出してくれる人達とタッチをする
余裕もなくなっていた。
でも自分に言い聞かせていたことは、
「かっこ悪くても走りきってやる」ということ、
そして「ここまで来たら自分を信じるしかない」
ということだけだった。
大袈裟かもしれないけれど、
「走った距離はウソをつかない」という言葉だけを頼りに
ただひたすらがむしゃらにゴールを目指した。
というか、他に頼るものが一切ないのだ。
沿道の声援、自分が普段から呪文のように唱えていた、
「走った距離はウソをつかない」という言葉。
友人からマラソン前にもらった、
「大丈夫!今まで走った貯金が効くよ!」と
いうメールも思い出した。
今までの自分と、今、五感で感じられるもの全てを
走るエネルギーに変えるしかなかった。
奈良公園に入る。
ラスト3km。
この辺りから、寒さを感じ始める。
気温が下がった訳ではない。
汗ビッショリのはずなのに、寒い。震える。
あまりに寒くて腕を組んだりさすったりしながら
走っていた。
後から聞くと、体力を全て使い果たした時に起こる
現象らしい。自力では体力を回復できない状態になるそうだ。
これが本当なら、僕の体力は39km地点辺りで底をついたと
いうことなのだろう。
残りは文字通り、「気力のみ」で走っていたことになる。
実際、ラストの2kmくらいはどのように走っていたのか
あまり覚えてない。
ゴールの競技場が見えてくる。
最後の登り坂。
ペースメーカーはまだ後方だ。
必死でゴールを目指した。
競技場に入る。ゴールゲートが見える。
あとはタイムのみ。そしてゴール。
ゲートをくぐる時、
最後の力を振り絞って、両手でガッツポーズをした。
結果は、先の記事の通り。
奇跡的に3時間54分というネットタイムでゴール。
初マラソンでサブフォー達成の瞬間だった。
【ゴール後】
ホッとしたと同時に、涙が溢れそうになった。
フィニッシャータオルと完走メダルを首にかけてもらい、
足を引きずりながらヨロヨロと歩いて
フィニッシャーゲートでバナナとスポーツドリンクをもらう。
格好悪いが、
気が緩むと大声を上げて泣きそうになる。
完走した皆様からは、爽快感と達成感がすごいよ!
と聞いていたけれど、僕の場合、それを感じたのは、
ゴール後30分を経過してからだった。
今思えば、ゴール直後は達成感というよりも、
ラスト10kmの辛さを思い出していたのだと思う。
嬉しいけど泣きたい。複雑な気持ちだった。
他のランナーの皆様と一緒に
道端にへたり込み、しばらく動けず、呆然自失。
(ゴミ箱の後ろしか空いていなかったので、
そこにしゃがみ込んでいた 笑)
体が冷えるので立ち上がって更衣室を目指しながら
妻に電話をし、応援してくれた皆様に報告するため、
TwitterとFacebookに結果を投稿した。
(皆さん、ありがとうございました)
【まとめ】
普段からマラソンを走っている皆様からは、
何をそんな大袈裟な・・・(^-^);; という
内容かもしれません。(苦笑
しかし、自分の「ありのまま」の実感を、
まだ記憶が新しい内に「記録」として残してみました。
ランナーとしてはまだまだひよっこだけど、
とりあえず今年の目標を無事に達成できたことを喜び、
走ることと、マラソン大会の素晴らしさを実感しています。
レースから二日経過しましたが、
筋肉痛が癒えたら、すぐにでも走りたい気持ちで一杯です。
(まあ、12/23には宝塚ハーフ、
3月には篠山ABCマラソンが控えていますが・・・)
足が動かなくなった後に歩いていたとしても
完走はできたと思います。
でも、今は「あの時あきらめなくて良かった」と
心から実感しています。
今回の記事が、
これからフルマラソンを走る皆様に少しでも
勇気と励まし、そして、参考になれば、と願っています。
さて、明日はの記事では、
そもそもなぜ、フルマラソン完走を目標にしたのか、
ということを書いてみたいと思います。
奈良マラソンレビュー vol.1
(これから3日間に分けて、
初フルマラソン参加の感想を備忘録として
記載する予定です。)
・
初のフルマラソン参加となった、
「第二回奈良マラソン」。
前述の通り、
12月に入って諸々忙しく、
全く走れなかったし、忘年会やバリの疲れが
残っていたりしたために不安でいっぱいの参加。
それでも、
大会特有の「雰囲気」や、
家族や友達からの応援メールに励まされて
スタート前には否応なく気持ちが盛り上がる。
タイムなんて二の次三の次で、
とにかく無事に5時間以内で完走することを目標にした。
スタート前にウォームアップする皆様。
恒例の「行ってきますポーズ」。
緊張。
そしていよいよ一万人のランナーと共にスタート。
大会は一種のお祭り。
ご当地キャラのせんと君を始め、
多数のキャラが応援してくれる。
鹿や観光客がたくさんいる奈良公園を抜けて
天理を目指す。
観光地を抜けて走るのは気持ちいい。
事前練習をしていなかったのが
功を奏してか、前半21kmまではいいペース。
1時間45分くらいで通過。
ここから登り坂に入る。
とくに折り返し地点までは山越えで、
アップダウンが多い。
天理で折り返し、またも登り坂へ。
25kmを過ぎると腰、膝、腿になんとも言えない
ハリを感じ、走るのも精一杯。
結果的に25kmから35kmまでが一番辛かったかも
しれない。
未知の領域、30km地点。
登り坂の中腹。
ハリと痛みがひどくて、
給水所でしっかり補給したり、
トイレで休憩してストレッチをしたり、
要所要所に設置されている救護テントで
アイシングスプレーを借りたりしながら、
なんとか35km地点まで到達した。
この辺りで、「4時間」のペースメーカーが
後ろから追い越して行った。
4時間なんて全く考えもしなかったけど、
あと10km踏ん張れば、4時間切れる(サブ4ですね)かも!!
と思い、気力で走り始める。
止まり、また、走り。
沿道の皆様の声援をこれほどありがたく思ったことはない。
途中で足がつって止まってしまうと、
沿道のおばあちゃんが「もうちょっとやから
がんばりんさいな!!」と優しい笑顔で
声をかけてくれたことは忘れない。
泣き顔で「おばあちゃんありがとう!がんばるわ!」
とお礼を言い、また引きずるように走り始める。
今思うと、あのおばあちゃんがいなければ、
サブ4は達成できていなかったかもしれない。
今、思い出しても泣けてくる。
保育所の園児たちが手を叩いて応援してくれ、
おじいちゃんが大きな声をかけて背中を
文字通り押してくれたり、ハイタッチしてくれる。
各地域の太鼓チームの皆さんや地元の学校の
吹奏楽部の皆さんの演奏、そして、
一緒に歯を歯を食いしばって走る仲間のランナー達。
全てにパワーをもらって、最後の5kmを走りきる。
特にラスト3kmは震えが止まらず、足もしびれて
感覚がない中、気力だけでゴールを目指した。
(後から聞くと、震えは体力が底をついた状態の
時に起こる現象らしい)
競技場まではあまり覚えていない。
ただゴールを目指して走った。
もはやタイムはどうでも良かったが、
無事に完走。
あの状態で完走できただけでも感無量。
しかし時計を見てびっくり。
「3時間56分!!」
目を疑うと共に、
あの辛さを乗り越えた後のホッとした気持ちと感動とで、
涙があふれそうになった。
これが証拠です。
ちなみにネットタイムは「3時間54分」!!!
信じられない。
アマチュアランナーの皆様が登竜門とする
「サブ4(4時間切り)」を初マラソンで達成できたのは、
本当に嬉しい。
皆様の声援や応援のメールのお陰だと心から思う。
そして、決してあきらめなかったこと自分を
今回だけは誉めてやりたいと思った。
妻に電話すると、
「え!?そんな早く走れたん!?
奈良公園で遊んだ後、今は子供たちとマクドに
いるよ!?」との返答。笑
妻も5時間くらいと予想していたらしく、
びっくりしていたが祝福してくれた。
というわけで、
完走後の記念撮影はボランティアの方にお願い。
着替えを済ませ、一人でマラソンエキスポが
開催されているフェア会場にて津山ホルモンうどんと
缶ビールで家族が来るのを待った。
B級グルメ屋台が一杯。
本当に辛かったけど、
それを上回る達成感。
走ってる最中は「もう二度とやだ」と思っていたけど、
こうして完走すると、また走りたいと思うから不思議だ。
とにかく良かった。
これにつきる。
次のブログでは、
もう少し具体的なトレーニングの方法や、
フルマラソンを完走できた理由など、自分なりに
記しておきたいと思う。