初マラソンレビューvol2:その時何が起こったか


昨日の続きを。
(ランニングブログのようになってしまい、
興味のない方には全く面白くない内容かもしれませんが、
もうちょっとだけお付き合いください。笑)
さて、まずは前置き。
本年初頭、
2011年の目標として掲げた「フルマラソン完走」。
目標を完遂するに当たり、
フェーズを区切ってトレーニングする計画を立てた。
具体的にはフルまでにハーフマラソンを2本走り、
月間トレーニング目標として50km以上を走行するというもの。
このブログを読んで頂いているからは良くご存知の通り、
平日は遅いし飲みも多いし土日も予定をビッシリ入れる
「貧乏性」のワタクシ。
トレーニング時間の捻出が難しいと思われたけれど、
とにかくやってみることにした。
まず始めに、
4月の芦屋国際ハーフにエントリーして感触を確かめ、
月間50km~70kmを目標にランニングを継続。
(芦屋では初ハーフにしては1:47という好成績をマークした)
熱い夏場も熱中症に気をつけながら乗り切り、
なんとか10月を迎えた。
10月はフルの前哨戦となる諏訪湖ハーフマラソン(10/23)が
控えている。
諏訪湖マラソンは、
いつも訪れる八ヶ岳ベースのお足元ということもあって
楽しみだったし、とても気合が入っていたため、
かなりハイピッチでランニングを重ねた。
しかし、それが仇となり「ランナー膝」に・・・。
つまり、膝が痛くて走行不可能、
歩行もままならないというもの。
当初は半月板も疑ったけれど、
整骨院の先生に診てもらったところ、
筋肉の痛みということで「時間薬」が効くと聞き、
キネシオテープを貼って膝を補強。
日頃はストレッチのみでレース当日まであまり無理せず、
ランのペースも落とした。
迎えた諏訪湖本番。
膝に若干の違和感が残っていたものの、
なんとかペースも落とさず走りきり、
自己ベストの1:43をマーク。
これが自信になった。
日頃のランでも10km~15kmくらいは
楽に走れるようになった。
膝の痛みも和らぎ、
11月は月間走行92kmをマーク。
12月に入ると忙しかったり忘年会シーズンがスタートしたり、
バリ旅行に行ったりと、走る時間を全く確保できないまま、
12月11日の奈良マラソンを迎えた。

さて、前置きが長くなったけれど、
初のフルマラソン、そこで何が起こったか。
簡単だけど時系列に追ってみる。
【スタートから21km地点まで】
準備不足で焦る気持ちをなんとか押え、
事前走行を無理しなかったお陰か。
はたまた、炭水化物多めの食事を意識していたのが
良かったのか、スタート直後から気持ちよく走れた。
コースもフラット。
平城京跡や奈良公園、春日大社といった観光名所を見ながらの
走行は気持ちいい。加えて沿道で繰り広げられる
太鼓や演奏の数々、皆さんの声援にもパワーを貰える。
カメラにピースをし、
手を差し出してくれる沿道の園児達や
少年野球チームの小学生達とハイタッチをし、
老人ホームや介護施設の前に車椅子を並べて
応援してくれているじいちゃんばあちゃん達に
手を振りながら走る。
楽しくて楽しくて仕方がない。
応援してくれる全ての人に感謝しながらランを楽しんだ。
これぞ大会の醍醐味。
要所要所に設置している給水所では
必ず水分補給し、配られる飴(塩熱飴という)をなめ、
こまめにエネルギーチャージ。
トイレにも一度行ったかな。
21kmまでは割と楽に走り、
1時間45分程度で通過。
この辺りでゲストの有森裕子さんともハイタッチ。笑
【21km地点~35km地点まで】
ここからが大変だった。
21kmを超えると未知の領域。
しかも折り返しの天理からは
山登りがスタートする。
この辺りから足と尻にハリを感じ始める。
天理大学で配られているぜんざいをいただき、
給水所ではバナナやチョコレート、水分を補給、
ストレッチ。
それでも登り坂がスタートすると
腿がつってしまい、ついに足が止まってしまった。
急いでストレッチをしてちょっと休憩し、
また早足で歩き始める。
足がつっては止まる、少しマシになったら走り始める。
ひたすらその繰り返し。
結果的に25km~35km辺りまでが
本当に辛かった。
体力は十分にある。気力もみなぎっている。
しかし、足が「物理的に」動かない。
後ろからはランナーがどんどん追い越していく。
皆辛い顔だけど、なんとか走っている。
しかし、自分は・・・足が動かない。
精神的にも肉体的にも極限まで追い込まれた。
1km1kmがとてつもなく長い。
普段であれば屁のような距離でも、
こんなに長く感じるなんて。
なんとか山超えを果たし、残り10km。
この辺りで4時間のペースメーカーに遭遇。
そして昨日の記事で書いた
おばあちゃんの笑顔の励まし。
ここから、
ただ気力のみで「4時間以内」を目標にし始めた。
思えば、この「ラスト10km」が、
マラソンの洗礼だったのだと思う。
月初からの疲れや走り込み不足、そして、
初マラソンという経験不足。
全ての要因が如実に現れた瞬間だった。
【35km地点からゴールまで】
アップダウンも緩やかになり、
コースはフラットに。
残り7km、6km、5km・・・
若草山が近づいてくる。
ゴールが近づいている証拠だ。
この辺りになると、「マラソンに詳しい」沿道の皆様から、
「このペースなら4時間切れるぞ!」
「3時間55分切れるぞ!がんばれ!」という檄が飛んでくる。
その励ましの言葉を信じ、また、
4時間ペースメーカー君の位置を気にしながら、
足を引きずるように走る。
正確に言うと、足は相変わらず言うことを聞かず、
痛みも激しい。
動くのは上半身だけだ。
しっかり腕を振って足を前に出させる。
周りから見ていると「変な走り方」を
していたに違いない。競歩チックというか。
沿道のカメラマンにダブルピースをする余裕も、
手を差し出してくれる人達とタッチをする
余裕もなくなっていた。
でも自分に言い聞かせていたことは、
「かっこ悪くても走りきってやる」ということ、
そして「ここまで来たら自分を信じるしかない」
ということだけだった。
大袈裟かもしれないけれど、
「走った距離はウソをつかない」という言葉だけを頼りに
ただひたすらがむしゃらにゴールを目指した。
というか、他に頼るものが一切ないのだ。
沿道の声援、自分が普段から呪文のように唱えていた、
「走った距離はウソをつかない」という言葉。
友人からマラソン前にもらった、
「大丈夫!今まで走った貯金が効くよ!」と
いうメールも思い出した。
今までの自分と、今、五感で感じられるもの全てを
走るエネルギーに変えるしかなかった。
奈良公園に入る。
ラスト3km。
この辺りから、寒さを感じ始める。
気温が下がった訳ではない。
汗ビッショリのはずなのに、寒い。震える。
あまりに寒くて腕を組んだりさすったりしながら
走っていた。
後から聞くと、体力を全て使い果たした時に起こる
現象らしい。自力では体力を回復できない状態になるそうだ。
これが本当なら、僕の体力は39km地点辺りで底をついたと
いうことなのだろう。
残りは文字通り、「気力のみ」で走っていたことになる。
実際、ラストの2kmくらいはどのように走っていたのか
あまり覚えてない。
ゴールの競技場が見えてくる。
最後の登り坂。
ペースメーカーはまだ後方だ。
必死でゴールを目指した。
競技場に入る。ゴールゲートが見える。
あとはタイムのみ。そしてゴール。
ゲートをくぐる時、
最後の力を振り絞って、両手でガッツポーズをした。
結果は、先の記事の通り。
奇跡的に3時間54分というネットタイムでゴール。
初マラソンでサブフォー達成の瞬間だった。
【ゴール後】
ホッとしたと同時に、涙が溢れそうになった。
フィニッシャータオルと完走メダルを首にかけてもらい、
足を引きずりながらヨロヨロと歩いて
フィニッシャーゲートでバナナとスポーツドリンクをもらう。
格好悪いが、
気が緩むと大声を上げて泣きそうになる。
完走した皆様からは、爽快感と達成感がすごいよ!
と聞いていたけれど、僕の場合、それを感じたのは、
ゴール後30分を経過してからだった。
今思えば、ゴール直後は達成感というよりも、
ラスト10kmの辛さを思い出していたのだと思う。
嬉しいけど泣きたい。複雑な気持ちだった。
他のランナーの皆様と一緒に
道端にへたり込み、しばらく動けず、呆然自失。
(ゴミ箱の後ろしか空いていなかったので、
そこにしゃがみ込んでいた 笑)
体が冷えるので立ち上がって更衣室を目指しながら
妻に電話をし、応援してくれた皆様に報告するため、
TwitterとFacebookに結果を投稿した。
(皆さん、ありがとうございました)
【まとめ】
普段からマラソンを走っている皆様からは、
何をそんな大袈裟な・・・(^-^);; という
内容かもしれません。(苦笑
しかし、自分の「ありのまま」の実感を、
まだ記憶が新しい内に「記録」として残してみました。
ランナーとしてはまだまだひよっこだけど、
とりあえず今年の目標を無事に達成できたことを喜び、
走ることと、マラソン大会の素晴らしさを実感しています。
レースから二日経過しましたが、
筋肉痛が癒えたら、すぐにでも走りたい気持ちで一杯です。
(まあ、12/23には宝塚ハーフ、
3月には篠山ABCマラソンが控えていますが・・・)
足が動かなくなった後に歩いていたとしても
完走はできたと思います。
でも、今は「あの時あきらめなくて良かった」と
心から実感しています。
今回の記事が、
これからフルマラソンを走る皆様に少しでも
勇気と励まし、そして、参考になれば、と願っています。
さて、明日はの記事では、
そもそもなぜ、フルマラソン完走を目標にしたのか、
ということを書いてみたいと思います。