差はどこから生まれるのか


日本企業は世界で勝負できない、
IT系、ネット系でAppleやGoogleのような
会社は日本から出てこない、とよく言われます。
でも、大手から中小ベンチャーに至るまで、
「志を高く」昼夜問わず必至で稼働している
企業はたくさんあります。
世界で勝負せなあかん、と
息巻いている会社ほとんど今はどの企業も
「そう思っている」のではないでしょうか。
これだけ働く日本人、
どうしてイノベーティブなものが生まれにくいのか。
生まれたとしても世界に広まりにくいのか。
どこもがんばっているのに。
要素はたくさんあると思うんだけど、
そこには、「視野の狭さ」があるのではないのかな、
と思うのです。
言い換えると、判断基準となるものの範囲が狭い。
小さい。自分の狭い世界の中だけで判断してしまう。
要するに考え方が「島国」チックで、
その「島国」的発想を持っている無数の会社が、
それぞれの地域でクラスタになっているような感覚
なのではないかな、と思うんです。
それは昨日エントリーした、
「Life in a Day」の記事の続きになります。
つまり、地球上には60億の人間がおり、
日本の市場なんて1/60だということ。
経済規模だけで言えばもっと大きいけれど、
それでも狭い。
その狭い中のさらに狭い地域、環境、
取引先との小さい関係の中だけで、
物事を判断し、決定し、評価しがちになってしまう。
世界はもっと多様で個性的であるにも関わらず、
その世界を知らないから判断の材料を、
「育ってきた環境」「自分の経験」
「目に見えるもの」「感覚とイメージ」に頼ってしまう。
もしその「自分の目に見える、イメージできるところ」だけで
判断していれば、その世界以上は、絶対に広がらない。
成長がない。
木箱(価値と判断基準の広さ)で育てられた、
四角いスイカみたいなものです。
一地方の一中小企業、
同じ地方の取引先に褒められる会社でしかない。
また仮に日本で一番だったとしても、
あくまで日本で一番でしかない。
日本企業が世界の企業トップ20にも入れないのは、
そこだろうと思います。
Appleなんてキャッシュで
東芝と日立を買収できるんですから。
そのAppleですら、世界で一番ではない。
例えば、新卒採用。
「合う人間」をいれて会社のカラーに染め上げるという発想。
その会社が仮に50人で年商15億円の会社だったら?
うまく新卒社員を染め上げたとしても、
50人15億を稼ぐ会社の中でしか働けない社員が育つだけ。
それ以上のブレークスルーはない(変わらなければ)。
ずっと現状を維持し続けるのが会社の目標であれば、
それでもいいけれど、「現状維持=衰退」という方程式を
あてはめれば、もうそこからは衰退しかない。
もしそこに収まらない能力の社員が出てきたら、
すぐにやめて大きな会社に移るでしょう。

ボーダレス、という言葉は、
意味合いだけでは「境がない」という簡単な
イメージになりますが、実はもっと深い。
一昔前、人々の世界感なんてせいぜい、
「住んでいる地域」「家族・親族」
「職場、取引先」「職場の中」くらいのものでした。
国の情勢や世界情勢なんて、
TVの向こうの世界、それだけのもの。
そんな狭い世界で育っているから、
地域や地元での結束は強いけど、
価値観、世界観が狭い。
でも今は時代が違うのではないかな、と思うんです。
「Life in a Day」を見ていても、
エジプトのネット規制の問題を見ていても、
FacebookやTwitterの世界の広がりは、
想像以上に広いし、フラット。
本当にグローバルな会社、
超速の成長を続けるイノベーティブな会社には、
人種国籍性別年齢を問わず、
ありとあらゆる文化的背景を持った人間が働き、
とてつもなく自由な発想で、働いている。
子育てをしながら働いている日本女性の横で、
インド人や中国人が働いているような環境。
自分の想像を超えたアイデア、
世界で受け入れられる製品やサービスは、
このような環境の中からしか絶対に生まれない、
と思います。
やはりどうせ仕事しているのなら、
もっと自由に、もっと大きくやりたいですよね。
まずは自分が変わることから始めます。