震災の日を無事に迎えることができた


1.17はいろんな意味でエポック・メイキングな日だ。
都市、街、人、それぞれが、
あの日を境に変化した。
最近開通した西宮、芦屋をつなぐ山手幹線。
夙川から芦屋の間、
芦屋と神戸をつなぐ一部、
古いお屋敷が並び、
本当にこんなところに道なんてできるかな、
ずっと、夙川カトリック教会の前で分断されているんだろうな、
と思っていたら、震災を境に、工事が一気に進み、
15年の歳月をかけて山手幹線が開通した。
街の整備事業や区画整理から、
店の歴史、家族の変化、ペットの寿命。
すべてにおいて、
震災を経験している人の口からは、
「この家は震災後に建てたからもう築14年やな」
「うちのネコが家にきたのは震災後やったな」など、
「震災」が、あたかも「戦前、戦後」と同じように、
時間を図る物差しの一つとして語られる。
それくらい、あの一瞬の破壊的な揺れは、
すべてを破壊し、変えた。
そして僕もあの時、
激震地域の真上にいた。
あの日を境に、遠くに引っ越した人達もいた。
西宮北口までは電車が走っていたから、
みんな大きな荷物を抱えて東に向かって、
線路を歩いていた。
ガス、電気、水道、電話、
すべてが破壊され、分断され、
トイレを流すのにみんな川の水を汲んだりしていた。
そう、水。
飲み水もさることながら、
トイレを流す水の確保は大切ですよ。
ライフラインがなくなった時の対応や教訓は
たくさん学んだ。

経験したことをすべて書くと大変な長さになってしまうけど、
この日ほど鮮明に覚えている一日もないな。
震災の記憶を風化させず・・・というけど、
実際の経験者にとっては風化させるどころか、
忘れることはできない日。
亡くなった同級生もいるし、
崩れた家の前で、茫然と立ちつくし、
涙する人達もたくさん見た。
近所の体育館や小学校は遺体安置所になり、
たくさんの棺が並べられていた。
その横で、たくさんの人達が避難していたっけ。
あの光景は今から考えると、
何とも言えない気持ちになる。
今、生きていることに感謝し、
これからの日々を大切に生きよう。
毎年1.17は、一年を生きていく上で、
思いを新たにできる日。
あれから16年か。