起きる出来事から、進むべき方向性が見えてくる


旧友のギタリスト Rob がロンドンから一時帰国して神戸でカウントダウンライブを行うというので、二人にとって馴染みの場所である元町の alchemy で飲むことにしました。この場所を切り盛りするのは数年前まで僕の英語の相手をしてくれていた陽気なアメリカ人先生 Paul です。そして、もう一人、Rob が最初に大阪に来た時に知り合ったという NZlander のネットワークエンジニアの Travor も合流、そして、たまたま来られたという紳士方も交えて(この方々の仕事がまた専門的でとても興味深い!) 楽しい再会となりました。

出身国も仕事もバラバラな人間がなぜだか一同に会して、すぐに仲良くなりFBなどで繋がっていく。こういうことが日常的に起きるので普通だと思っていましたが、考えてみると、ネット+スマートフォン+SNS がインフラとなったことによる恩恵です。

今年一年を振り返ってみると、とにかく、こういう繋がりとそこからの広がりが多かったように思います。仕事でもそうですが、動けば動くほど様々な人と出会い、繋がり、広がる。素直に誠実に、そういう縁を大切にしながら、感性の赴くままに動いて行きたいと思います。


大晦日まで掃除に精を出していました。
ガレージのコンクリートをケルヒャーの高圧洗浄機で洗いますが、なかなかの威力。コンクリートの色の違いがビフォーアフターです。

掃除機のダイソン、高圧洗浄機のケルヒャー。
専門特化型のメーカーの存在感が近年光ります。ゼネラルよりもスペシャル。一つの分野に特化する強さを学ぶことができます。

2015年に進むべき方向性を指し示しているかのようです。

土地や文化に合せたツールと、少子化について


人材不足だからか、植木屋さんも忙しい様子。

実家の庭木の剪定にいつも依頼している植木屋さんが年内に来れないということが分かり、そのまま庭を放置して置くわけにも行かず、伝いの道だけでも掃除をすることにしました。

実家は震災で一部損壊して建て直すまで、木造三階建ての旧日本旅館を改装した古い住宅で、庭も当時のままに日本庭園。苦楽園という場所は、意外と知られていないのですが、戦前の阪神大水害(1938年)まではラジウム温泉が湧き出ていて保養地として賑わっていた場所でした。1949年ノーベル物理学賞の受賞者、湯川秀樹博士も1933年から1945年の間、居住していた場所です。水害によって温泉の湧出が止まってしまってからは、住宅地として再開発されることになりました。その当時、大阪で事業を営んでいた曽祖父が隠居をきっかけに購入、移住したのが今の実家ということらしいです。

古い庭は土も痩せてしまうものです。

土が痩せるということは石畳の隙間も広がってしまうということ。そこに落ち葉が溜まっていくので、子供の頃から行なっている庭掃除も、年々「しにくく」なっています。

こういう時しか触れることがない数々の庭道具ですが、やはり、日本庭園には日本の掃除用具がぴったりです。落ち葉を掃き集めるのに、こんなに良いツールはないですね。本当に良く出来てる。

大小様々な種類の竹箒や熊手を駆使しながら、進めていきます。子供には子供用(小型?)サイズのものもありますが、仕上げはやはり、箒です。

土地、気候、風土、住宅。
どこの国でもそれぞれにぴったりのツールが存在しています。素晴らしいですね。


少子高齢化が進むと、人手そのものがなくなってくるもの。

我が家もまさにその典型で、昔は正月というと親戚が多数集まって宴会をしていたものですし、その準備として何日も前から女性陣はご馳走の準備をし、男性陣は一日以上かけて庭掃除などをしていたものですが、今ではすっかりそういう光景も見られなくなりました。

人口減と少子化の時代は、労働人口も減少するので、複雑化する社会構造と多忙化する仕事に対して反比例するように労働者も不足する。だから皆、休みもなく働かなくてはならない。その上、家仕事となると、範囲が広ければ広いほど手が回らなくなってくるのです。無論、年末年始だからといって休みはありません。トホホ。

それはさておき、大家族で住んでいたような大きな家や庭はもはや必要ではなくなり、これからは「重厚長大」なものは無用の長物となっていき、手が届く範囲での最適化されたものに変化していくのでしょうね。

高齢化社会、人口減の時代に、住環境はどのように最適化されていくのでしょうか。この辺りを真剣に考えると見えるものもあるかもしれません。

さあ、今夜の神戸での飲み歩きを楽しみに、もうひと頑張りすることにします。

納会で締めくくる一年の企業活動


営業最終日です。
皆様、今年も一年お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。この勢いそのままに来年もビシッと参りましょう。

さて、オンオフの切り替えはしないと公言しているとはいえ「納会」はいいものですね。一年の区切りをしっかりつけている気がして。最後の大掃除をして職場を清め、納会で今年一年の企業活動を終える。しっかりと、丁寧にカレンダーを塗りつぶす。そんな感じがします。

今年も楽しく笑いながら仕事ができました。来年からは更に新しいメンバーも加わりますし、人材難の時代ですが、あの手この手で着実に増員計画は進行中です。海外展開を戦略の中核に据えているため、来年も早々に米国出張となります。しっかりと基盤作りをしていきたいと思います。

とにかく、今年も良い一年になりました。
感謝です。

経済格差が埋まらない原因について、恐らく今もっとも説得力がある理論


「経済格差」「格差社会」「富の集中」

これらの言葉を今年は本当に良く聞きました。それだけ社会的に、また世界的に深刻な問題となっているということですね。一昔前は「一億総中流」と呼ばれていた日本社会でも、その格差はますます深刻になっています。

経済的不平等の専門家であり、今年大ヒットした「21世紀の資本」で有名なフランス人経済学者でトマ・ピケティによると、富裕層に富が集中する理由はこの図にシンプルに表現されているとのこと。

長期的にみると、資本収益率(r)は経済成長率(g)よりも大きいため、富の集中が起こる。資本から得られる収益率が経済成長率を上回れば上回るほど、それだけ富は資本家へ蓄積されます。その富が公平に分配されるのであれば良いのだけど、そうはならないから、格差社会が生まれるという訳ですね。恐らく、富の不平等という問題について、今もっとも説得力がある理論だと思います。

先日のTEDの動画がありましたので、ペタっとしておきます。

またlogmiでも分かりやすくまとめられていたので、こちらもどうぞ。

金持ちはなぜずっと金持ちなのか?–話題の経済学者トマ・ピケティ氏が、富の格差が起きるホントの理由を解説(logmi)


久しぶりにまとまった距離を走りました。20kmランです。小雨が降り始めましたが、せっかく家を出たのだからとがんばって走りました。5’30″/km ペースで1時間50分。その間、今年の振り返りと、来年の目標についてアレコレ考えていました。

今年の反省点は、色々と風呂敷を広げてしまったことと、時間を贅沢に使ってしまったことです。

来年は、本来すべきことにだけ集中し、それ以外の諸要素は出来るだけ取捨選択しながら排除し、身軽にしていくこと。これに尽きるな、と走りながら考えていました。取捨選択、断捨離、身軽。そして、シンプルにすべきことだけに集中する。

よし、がんばろう。

どこかの企業に就職すれば「一生安泰」と思っている人などいるのだろうか


ハフィントン・ポストのある記事を読んだ時に、ちょっと「あれ?」となったので書いておきます。

人気ランキング上位の日本企業に就職して一生安泰に過ごせると考えているのなら、今すぐ考えを改めた方がいい(Huffington Post)

この記事、「グローバルキャリア」が大切であることと結びつけられていますが、その理由として日本市場がシュリンクし、世界の中でのプレゼンスが低下すること、インターネット等によるグローバル化が進むということ、想定外のことが起こることが普通の世の中になっている、ということが挙げられていますが・・・

全て当たり前のことですよね。

この記事の筆者はアパレル業界の親分であるワールドの執行役員であり、これまでのキャリアを見ると米国生まれで外資系企業の第一線を渡り歩いて来られた方なので、その辺りの事情は熟知されておられるはずですが、今の学生を見て、あえてこの「当たり前」のことを伝えなければならないと危機感迫られて書かれたのであれば、学生(あるいは教育)が、かなり深刻な問題を抱えていると言えそうです。

「グローバルキャリア」とは読んで字の如く、グローバル社会での経歴や職業という意味ですが、グローバルキャリアを目指せと言われた時に学生さんは具体的に何を行わなければならないのでしょうか。語学は必須スキルとしたとしても、じゃあ、外資系企業に就職すれば良いのか、日本企業に就職すれば良いのか意見は別れるところです。

仮に外資系企業に就職したとしても、それが中国籍なにか韓国籍なのかアメリカ籍なのかによって変わるだろうし、外資系企業の日本法人(あるいは日本支社)に就職したとしても、彼らの目的は日本でビジネス展開(グローバル市場の中での one of them)をするために日本に進出している訳であって、そこに就職したとしても、日本で骨を埋めることなってしまう可能性も大いにあります(上司は外国人であることも多いけれど)。逆に日本企業でも、大中小零細問わず、海外売上の方が国内売上を上回っている会社もたくさんあるので、要は「自分の目的」に応じて企業を選ぶこと、選んだ会社で「グローバルキャリア」(と呼ばれるもの・・・)を目指せるかどうかが条件になりますね。必ずしも、海外に出たり、外資系に就職するだけでは不十分ということです。

どんな仕事をしていてもどんな会社に就職しても、能力がある人間は重宝されるものです。「能力」とは、どんな仕事をしても必ず結果を出せる力とでも定義できるかもしれませんが、グローバルキャリアを目指そうが目指さまいが、「能力」のある人間はおのずと自ら生きていく道を選択し、より高みを目指すために幾つもの会社を渡り歩いたり起業したりしてキャリアチェンジをしていくでしょう。語学が必要であれば語学も習得するでしょうし。

「どこぞの企業に就職すれば一生安泰である」というのは、せいぜい戦後の高度成長期のみ通用した訳であって、もう何十年も昔から、もはやその考え方は誰にとっても幻想にしか過ぎないと思うのです。アメリカの大企業であろうが日本の大企業であろうが、潰れる時は潰れるし、シェアが低下してシュリンクするし、マージされるし、企業が存続していても本人が仕事が出来ないならリストラされる。その可能性はドメスティックであろうがグローバルであろうが関係ないと思うのです。

だからこそ「一生安泰」なんて言葉は世の中のどこにも存在しない。もし仮に、今の学生(社会人も含む)の中で、まだそんなことを思っている人がいるとすれば、それはにわかに信じられないことだし、あえてその考え方に警鐘を鳴らす必要があるのだとしたら、これはちょっとした驚きです。

いつの時代も必要なのは、どこであろうが結果を出せることを目指して成長し、生活力や生命力も含めて「強い個」になることが重要ですよね。それが個でなく、チームや組織であったとしても「強くある」のは言うまでもありません。もちろんこの記事に書かれていることは正しいのですが、なんだか少し驚きと違和感を感じてしまいました。

泥酔時に原風景を思い出すのはなぜだろう


先週から続いた七夜連続飲み会もようやく一区切り。23〜25日までは休肝日に設定して、26日〜30日まで五夜連続飲み会で今年も締め括りとなりそうです。

毎年12月の始めには「今年こそは忘年会を減らす!」と堅く心に誓うのですが、なんのなんの。一体いつになったら減って行くのでしょうか。とはいえ、いろんな方との会食は本当に楽しいし刺激になることも多いので、とても楽しみにしています。心斎橋、梅田、福島、三ノ宮、神戸、芦屋。また改めてグルメ記事で良かったお店をまとめてみたいと思います(覚えていれば)


泥酔した時に原風景が見える(あるいは思い出す)人ってどれくらいいるでしょうか。少なくとも、僕は深酒をした時に必ず見える風景が二つあります。それはいずれも「本」にまつわる風景です。ひとつは、小さい頃に住んでいた家の大きな書棚の前で本を読んでいる風景、そして二つ目は、通っていた幼稚園の図書室で、やはり本を読んでいる風景です。

先日もやはり、その風景を思い出しました。神戸で二軒飲んだあとに芦屋に移動してから更に二軒目のバーでの出来事です。普段は本を読んでいる風景しか見えないのだけど、なぜか読んでいる本のタイトルまで出て来ました。それは、「雲の中のにじ」という本です。大きな書棚の中にあったこの本が好きで良く読んでいました。この本のことは2012年11月11日の記事でも書いているので引用してみたいと思います。

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「雲の中のにじ」という庄野英二氏の古い児童書が大好きでした。1965年頃に書かれた本で、ネットで検索してもほとんど見つからないような本です。誰の物だか、家の古い書棚に置いてあり、表紙に書かれた砂漠の中を走るジープの絵や、「ベイルート」や「バグダット」といったいかにも中東の異国の街の名前や、突然の大雨で積んでいたパンが水を吸って膨れ上がって、といった冒険的な要素が幼少の知的好奇心をくすぐっていたように思います。内容もほとんど覚えていないのですが、今から考えると不思議な本でした。児童書という割りには重たい内容だったと思うし、登場人物もドイツ人と日本人と・・・男3人でベイルートからバグダットをジープで目指しながら、それぞれの戦時中の行軍経験を含め、今までの人生に思いを馳せるという内容で、聖書の言葉もたくさん出て来て・・・というような感じだったと思います。


中東や砂漠の風景というのは、僕の中では幼稚園の図書室のイメージです。ミッション系だったので海の星会館(だったけな)という建物が幼稚園内にあり、そこで読んでいた本はベツレヘムへ向かう砂漠の道を行く三人の賢者達の話でした。夜の砂漠に光る星一つ。とても素敵な風景です。昨日のブログで紹介したNicola Conte – Mystery Of YouのPVで使われている映像の風景とも重なります。影絵の中で浮かぶモスクや城や星や飼い葉桶や・・・あの世界はまさに幼少好きだった世界。
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そして先日ついにこの本を手に入れました。
かなり酔っ払ってはいたのですが、iPhoneで検索してAmazonで中古を売っていることを確認(50年前の本なのにラッキーだった)。すぐに購入したのです。

そうそう、これこれ。
僕にとっては30年ぶりの再会です。古い本だから黄ばみもありますが、全然OK。

さあ、年末年始の楽しみが増えました!!

Nicola Conte – Mystery Of You

時代に逆行して行こうと思う


仕事よりも休日の方が忙しいことで有名な小生です、こんばんは。

今年は27、29も出勤のため、年内に家にいる時間が極端に少ない。平日よりも休日にしなければならないことが多い僕にとっては、こうなってくるとタスクのやりくりが大変。会社で仕事をしている時の方がどれだけ楽かって話ですよ、本当に。

ハードワークとスピードが要求される現代においては、時代に逆行しているような感じですが、誤解のないように言うと仕事も「ちゃんと忙しく」しています。PCとiPhoneとEmobileがあれば仕事ができる種類の人間にとっては、時間にも場所にも拘束されない訳で、「仕事とプライベート」を分けることは随分前にやめました。人生の中ですべき事は全て仕事であり、趣味である。こんな考え方でいると、いらないストレスから解放されるので楽ですよ。

とはいうものの、これから益々休日が忙しくなりそうなので、ある意味で「時代に逆行」して行きたいと思います。


という訳で、年末の大掃除に十分な時間が避けないので、早起きして色々とがんばりました。昨夜は1時半まで飲んでいたのだけど、すっきりと起きて、まずはベランダの掃除から。ウッドパネルを外して掃き掃除をしていきます。

気になっていた物置の中も整理しました。

そして、窓拭きと室内の掃除、溜まっていたアイロン掛けと靴磨き。
いやーちょっとは肩の荷が降りた感じ。

やるべき事が少しは片付いたので、夕方のランニングも気持ち良く走れました。

正しい方向に導いてくれる羅針盤


普段の生活の中で生じた誤差を調節する方法は人それぞれに違うと思いますが、僕の場合は、それがランニングとブログです。

10km、20kmを一人で走っている時って、結構「暇」なんです。イヤフォンで音楽を聴いても、人間ウォッチングをしても暇つぶしにはなりません。かと言って、スマフォやPCや本を見ながら走る訳にもいかない。そういう状況だからこそ、普段は時間がなくてゆっくり考えることができないようなこと、例えば、仕事や今後の方向性といった中長期の問題から、一週間あった出来事までを、熟考し、評価し、反省するのに良い時間になるのです。

不摂生な生活が続くと、ダイレクトに走りに影響が及びます。ランナーは誰もが「楽に走りたい」と願っているので、辛い走りになると「ああ、飲み過ぎたかなあ、もっと節度ある生活にしないとなあ」と反省します。今週は仕方なかったけれど、来週以降はちゃんとしようと思ったり、仕事のことでも、ああしよう、こうしようと熟考します。

時間がないというのは、悪ですね。
物事を考える時間がなければ、成長もありません。成長がなければ成功もあり得ない。一週間のうちに、数時間でもそういう時間を取ることは絶対必要だと思います。そして、考えたことをアウトプットするための手段、それがブログなんですね。