土地や文化に合せたツールと、少子化について


人材不足だからか、植木屋さんも忙しい様子。

実家の庭木の剪定にいつも依頼している植木屋さんが年内に来れないということが分かり、そのまま庭を放置して置くわけにも行かず、伝いの道だけでも掃除をすることにしました。

実家は震災で一部損壊して建て直すまで、木造三階建ての旧日本旅館を改装した古い住宅で、庭も当時のままに日本庭園。苦楽園という場所は、意外と知られていないのですが、戦前の阪神大水害(1938年)まではラジウム温泉が湧き出ていて保養地として賑わっていた場所でした。1949年ノーベル物理学賞の受賞者、湯川秀樹博士も1933年から1945年の間、居住していた場所です。水害によって温泉の湧出が止まってしまってからは、住宅地として再開発されることになりました。その当時、大阪で事業を営んでいた曽祖父が隠居をきっかけに購入、移住したのが今の実家ということらしいです。

古い庭は土も痩せてしまうものです。

土が痩せるということは石畳の隙間も広がってしまうということ。そこに落ち葉が溜まっていくので、子供の頃から行なっている庭掃除も、年々「しにくく」なっています。

こういう時しか触れることがない数々の庭道具ですが、やはり、日本庭園には日本の掃除用具がぴったりです。落ち葉を掃き集めるのに、こんなに良いツールはないですね。本当に良く出来てる。

大小様々な種類の竹箒や熊手を駆使しながら、進めていきます。子供には子供用(小型?)サイズのものもありますが、仕上げはやはり、箒です。

土地、気候、風土、住宅。
どこの国でもそれぞれにぴったりのツールが存在しています。素晴らしいですね。


少子高齢化が進むと、人手そのものがなくなってくるもの。

我が家もまさにその典型で、昔は正月というと親戚が多数集まって宴会をしていたものですし、その準備として何日も前から女性陣はご馳走の準備をし、男性陣は一日以上かけて庭掃除などをしていたものですが、今ではすっかりそういう光景も見られなくなりました。

人口減と少子化の時代は、労働人口も減少するので、複雑化する社会構造と多忙化する仕事に対して反比例するように労働者も不足する。だから皆、休みもなく働かなくてはならない。その上、家仕事となると、範囲が広ければ広いほど手が回らなくなってくるのです。無論、年末年始だからといって休みはありません。トホホ。

それはさておき、大家族で住んでいたような大きな家や庭はもはや必要ではなくなり、これからは「重厚長大」なものは無用の長物となっていき、手が届く範囲での最適化されたものに変化していくのでしょうね。

高齢化社会、人口減の時代に、住環境はどのように最適化されていくのでしょうか。この辺りを真剣に考えると見えるものもあるかもしれません。

さあ、今夜の神戸での飲み歩きを楽しみに、もうひと頑張りすることにします。