手紙の効果はいかに


運動会は10月のイメージでしたが、子供が小学校に行くようになり、運動会=春のイメージになりました。今時の小学校は5月に行うところが増えていますもんね。昨夜は仕事で徹夜明けだったのですが、最高の天気にテンションも上がり、元気に運動会へ!!

朝、娘が家を出る前、こっそりと手紙を書いて渡してあげました。名付けて「後ろの人に追い抜かれず、前の人を追い抜く方法」。走り方のポイント4つの極意。リレーに出場する娘、思うような走りが出来ずに少しだけ悩んでいたのです。僕も時間を取って走りを見てあげることができれば良かったのですが、なかなか時間が取れず当日を迎えてしまいました。その手紙をカバンに入れて先に家を出た娘、後から聞くと教室でその「極意」を読んだとのこと。走る時も意識していたそう。そのポイントが効いたかどうかは分かりませんが、リレーでも良い走りをしていました。子供が頑張っている姿というのはいつでも感動するものです。

さて、そんな楽しい運動会ですが、うちは長女と次女で違う小学校に通っているので、一年で二回も運動会に参加できるのがありがたいところ。その他の行事も!それぞれの学校で仲良くしているファミリーや子供達もいて、ランチ時間もそれぞれの楽しみ方がある。ちなみに、来週は次女の小学校で運動会。今からめちゃくちゃ楽しみです。


で、僕の方も一睡もしていませんでしたが、親子競技の綱引きで本気になったり(二連勝!)、ノンアルコールビールでピクニック気分を味わったりして楽しみましたが、夕方帰宅と同時にバタン。その後の記憶がありません(笑)お陰で頭もすっきり、今朝は6時から溜まりに溜まった用事を片付けています。

さて、今日も良い天気ですね。
皆様も良い日曜日を。

三年の時を経て黒船が来襲 Square日本上陸


ジャック・ドーシー(Twitter創業者、同い年だよ、おい)が開発したあのスマートフォンカード決済の「Square」がついに日本上陸。

「Square」が日本上陸–スマホをカード決済端末に(C-net)

このブログでも、2011/6/23の記事「〜Square〜 Smart Phoneの可能性」で取り上げています。あれからもう二年。Squareのサービス開始から三年。Squareのことを知った当時の興奮は今でも覚えています。tech系、サービス系のニュースは日々膨大にリリースされているものの、「これはイノベーティブだ」と思えるものは少ない。その中でもこのサービスを知った時は本当に鳥肌が立った。昨日のことのように覚えています。ついに、来たか。

北米地域以外では初の海外進出となるという点も興味深い。それが日本であったことも嬉しいことではあります。ドーシー氏はその理由について「経済力、市場規模、成熟度などいくつかの基準に照らして選んでいる。日本の経済は成長しており、中小企業も非常に多い」(C-netの記事より)と述べています。

一方で、僕の先の記事でも書いているように「なんや言うてもシリコンバレーが中心」。この数年でゲーム以外ではLINEが(ゲームも流行っていますが)ようやく日本初の世界的サービスになりましたが、Squareのような革新的サービスはやはりシリコンバレーからの輸入という現状に代わりはありません。

実はあまり知られていませんが「coiney.com」という日本版Squareと呼ばれるサービスもあります。黒船に負けず、こちらもがんばって欲しい。

しかし、この年齢で世界を変えるサービスを二つも立ち上げているジャック・ドーシー。比べるものでもありませんが・・・単純にすごい。

朽ちるものが放つ美しさ


「荒野で朽ちていく飛行機」の風景があまりに美しい件について

出典:wired.jp 「荒野で朽ちていく飛行機の風景:ギャラリー」

美しさの要因

意外性と対比。
最新のテクノロジーを搭載した飛行機がなぜ、このような場所で朽ち果てているのか。キラキラの金属物が突如出現するという自然と文明の対比。

時の流れの実感。
人工的に破壊された訳ではなく、悠久の時を経て、酸化し、劣化し、風化していく様。

人工物はやがて自然に還るという自然の摂理。
自然は悠久だが人間が作ったものは朽ち果て、やがて自然に還り、その一部となる。

人が作るものは、基本的に自然界に存在しているものからしか生み出せない。人工物が自然に還るというのは至極当然であるのですが、都会で日常生活を送っているとその実感を掴むことができない、というより、機会がない。このような写真はその摂理が現実として存在するという真理を思い起こさせるものとなります。

また極私的には、ナウシカ原作のコンセプトと言われている、自然と科学文明の対立、文明の破壊と再生を連想させます。また飛行機が朽ち果てていく様は、ナウシカ原作に登場する数々の古びた軍用機(バカガラスなど)も思い起こさせ、ファンとしては何ともいえない感傷に浸ることができます。ちなみにwired.jpに掲載されているディートマー・エッケル氏の写真は、全て不時着機で、乗組員は救助されたというもの。そこに死はない。

いずれにしても、廃墟や朽ち果てていく人工物などが放つ魅力は、人間の死生観、哲学と多分にシンクロするところがあり、考えさせられます。

朽ち果てるものは美しい。

人に教えることを意識しながら学ぶ


朝6時から長女の勉強を見るということが習慣化して来ました。

きっかけは、彼女が塾に通うになってから。算数と国語の宿題をたくさん持って帰ってくるのですが、分からなかった問題だけを残しておき、パパに唯一会うことが出来る朝に教えてもらうのです。

僕は教える際、とにかく分からない問題があればその内容を紙に書けと言っています。下手な絵でも何でも良い。例えば、「お父さんとお母さんとA子ちゃんと弟の年齢を足すと、ちょうど100歳になります。お父さんと弟の年齢を足した数とお母さんとA子ちゃんの年齢を足した数は同じです。弟は6年前に生まれ、4年前、弟の年齢の3倍がA子ちゃんの年齢でした」という文章題があるとします。一問目は「弟の今の年齢は何歳ですか」というもの。二問目は「A子ちゃんの今の年齢は何歳ですか」、三問目は「お父さんとお母さんの今の年齢は何歳ですか」。

一問目は分かったとしても、二問目、三問目は小学3年生には少し難しい。文章をさらっと読んだだけでは内容を理解しづらいこともある。でも、文章題というのは、問題の中にヒントがたくさん潜んでいるものです。そこで、自由帳などに絵を描かせる訳です。家族4人の絵を描き、与えられているヒントを書き込んで行く。そうすると、全体像が見えてきます。某◯◯ハイスクールの先生ではないですが「数式ではない、言葉です」という通り、問題の意味と意図をすばやく把握できる子供というのは、頭の中で情景を思い浮かべることが上手な子なんだと思います。絵を描かせるのは、そのための訓練だと思っています。慣れてくれば、そのうち紙に描かずとも頭の中だけで整理しながら読み解くことができるようになるでしょう。

もう一つのポイントは、人に教える事を想定して、自分が学ぶということ。自分は理解出来ている問題を、分からない子にどのように説明するか。こういうことを意識すれば、問題の意図を理解しやすくなると同時に、記憶にも焼き付けやすい。人に何かを教える時、教えている側の方が頭を使いますよね。時として絵を描きながら教えたりもするでしょう。そう意識すると、自然と問題の意図を理解できるようになります。アウトプットを意識したインプット、という訳ですね。

もちろん僕はプロの教育者ではなく、ただの「お父さん」ですから教え方に間違いも色々とあるでしょうが、そういう訳で、今は教えることが僕にとって、とても楽しいことになっています。懐かしさ半分、先生になったような感覚半分。また、娘を見ていると、しっかりしているな、とも思います。僕が小3の時はどうだったか、と考えると朝早起きして勉強なんてしてなかったよな、何も考えていなくて、うんこみたいな子供だったよな、と思うのです。いいオッサンになった今でもあまり変わっていませんが。


今日は読み応えのある記事に二本出会いました。

INTERVIEW この10人のイマジネーションが、日本に変革をもたらす:VOL.4_福山太郎【wired.jpより】

育った家庭環境も大きく影響しているとは思いますが、まずやってみよう、と向こう見ずに挑戦するチャレンジ精神、年齢関係なく見習うべきですね。

社員旅行で眺めた日本(NewsWeek 日本語版より)

社員旅行で初めて日本を訪れた中国人4人による座談会です。自分達が中国に対して持っているイメージと彼らから発せられる言葉には大きな隔たりがあるとも感じました。純粋に、そう思ってくれていて嬉しい、という気持ちになります。メディアから入ってくる情報だけでイメージを固定化するのは良くないとも思いましたね。いつでも答えは現場にある。

「無敵ワード」について非常に浅く考察する


これを使えば、周りの人間が「NO」とは言えない言葉ってありますよね。

例えば、アメリカでは、仕事を切り上げる時や飲みの誘いを断る時に「家族」という言葉は絶対的な強さを誇ると聞いたことがあります。「家族と・・・」とか「家族が・・・」というキーワードを出せば、100%全員を納得させることが出来るというもの。まさに大富豪におけるジョーカーのような存在。家族カードは有効な切り札ですね。

日本では、飲みの誘いを断る時は「仕事」カードが、仕事を切り上げる時は「家族カード」がそれぞれ有効なような気がします。飲みの誘いに「家族カード」を切るのはなんとなく照れくさい、「お前、尻に敷かれてるんだろ」と言われてなんだかかっこ悪いという、誤った意識があるに違いありません。

ちなみに、当社も家族カードと仕事カードは有効に働きます。言い換えれば、家族も仕事も大事にしましょう、という意識の表れですね。もちろん、ウソはいけませんよ。皆それぞれ事情がありますので、正直に説明すれば大丈夫です。
このように、誰もが「それは大切にすべきであろう」と認識している言葉は有効です。

しかし、これらを差し置いて一番強いのは、生理現象にまつわるキーワードでしょう。
「ちょっとトイレ行って来ます」などは強力。生理現象には逆らえない、誰も止めることが出来ない、自分が逆の立場でも止めて欲しくない、ということを、皆が暗黙の内に承知しているからです。

更に強力なのは「ちょっと気持ち悪くなったので吐いて来ます」。周りが相手を心配すると同時に、恐れ、恐怖心を与えることができるからです。それでもその場が許してくれない時は、「放屁」カードを切りましょう。間違いなく、無敵です。それ以上もありますが、ここで論じるのはやめておきます。

後半はかなり主旨が変わって来ましたが、また別の「無敵ワード」があれば紹介したいと思います。(思考が小学生レベル

まるで箱庭のような街


小さなエリアに色んな要素をギュッと詰め込んだ、箱庭のような街、芦屋。

家から歩いて5分で人々が散歩やジョギングをしている芦屋川に、同じく5分で車やバスが行き交う駅の北側にアスセスできます。家族が友達の家に遊びに行っている間、僕は自宅に引きこもっていたのですが、気圧の関係で鈍重な頭を少しでもすっきりしたいと思い、気分転換にコーヒーが飲めるところへ家出しました。

フルオープンに開かれた店、タイピングに疲れると時折目を上げて目の前を行き交う人や、ホテル竹園前のタクシー乗り場に降り注ぐ雨を眺めたり。雨の日はいいですね。静かだし、軒下にいる安心感が心地良い。

ほぼ予定通りにスケジュールをこなすことができました。
明日からまた新たな一週間が始まります。

気持ち新たに、5月後半戦、がんばって参りましょう。

環境を整えることと、会いに行くには理由がある、ということ


来週末に提出のレポートがあり、今日は朝から図書館にでも出掛けて一日閉じ籠ろうかなと思っていたのですが、朝から娘たちがバレエに出掛けているので、結局自宅に閉じ篭っています、今のところ。

自宅に篭るメリットは、移動に費やす時間を削減できること。ただしデメリットも。眠たくなったらすぐにソファでコロンと昼寝が出来てしまうのですね。これは問題。そのために、人の目がある公共の場所に出掛けていく訳です。以前にも書きましたが、そこに行くと「それしか出来ない」環境に強制的に身を置くことになります。「それしか出来ない」ということは素晴らしい。


雨の昼下がりです。

昨夜はカフェでひたすらライティングをした後、疲れを取るために電車に乗って苦楽園のthe Barnsへ行き・・・やはりというか予想通りというかウイスキーを飲み過ぎてしまいました。ここには飲み過ぎるために行っているようなものです。途中から親父のようなマスターも巻き込んで、ほとんど会話もせずに一緒に僕のボトルを飲みましたが、起床時の頭は鈍重。それにしてもマスターにこれを言うと嫌がるかもしれないけれど・・・親父みたいな人だな。だから僕は、通っているんだろうな。ある店に通うということは、ウイスキーが飲みたいからではなく、お店の人に会いに行きたいと思っているから。会いに行くには理由がある。気まぐれで神出鬼没で行けば飲み過ぎてしまうけど、歓迎するしない関わりなく、いつも店を開けてくれているマスターに感謝。


あまりに雨の昼下がりが気持ち良いので、そろそろ出掛けようかとも思っています。
Nicola Conte が 雨の日に心地良すぎる。

Nicola Conte – Other Directions

ここにいるのだ、という確認作業


秒速で過ぎ去った一週間。

今朝は早起きして次女の授業参観、今は長女のピアノレッスンに来ています。昼夜問わず目まぐるしく時間が過ぎ、目の前の光景がどんどん変わっていく。そんな一週間でした。

土曜日の午前中、聞こえてくるピアノの音色に耳を傾けながら、一週間の振り返りを行うのがとても心地良いです。時間の流れ方が全然違う。ホッとする。地に足が着いた感じ。逃げてはないけど、訳も分からず走りまくってどこまで逃げたのか分からないけど、誰も追いかけて来なくなってバタッと倒れこみ「ああ、自分、ちゃんと生きてるな」と再確認した時に味わう安堵感に近い感覚w


昨夜は某企業が主催される250人規模のパーティーに参加させていただきました。

難波で飲むのは久しぶり。いつもと違う場所、環境に身を置くというのも変化があって良いものです。グラス片手に一階〜最上階のテラスまで行き来しながら色んな方と話し、盛り上がりました。めちゃくちゃ喋っていたので声がかすれています。いや、酒やけかな。

終電で帰り、芦屋で一杯。地元は地元で面白いもので、のぞく店、のぞく店にいつもの常連の皆様がいて、家に着くまでにビール一杯で何件か回って帰る挨拶回り状態。楽しいな。

こんな子にも出会いました。

それでは皆様、良い週末を。

この戦略の意味も良く理解できる


adobeがCSの提供、つまりパッケージソフト販売を打ち切り、CC(Creative Cloud)オンリーの提供とするニュースが業界を賑わしています。現場レベルで考えると、CSは引き続き継続して使用可能なものの、向こう5年でいわゆる「サブスクリプション型」がスタンダードになるのは容易に想像できるところです。CCが下位互換を考慮してくれれば尚良し。

米アドビ、ソフト販売「中止」の先にある野望(日経新聞より)

この戦略の意味も、ユーザー、メーカー双方の側から良く理解できる。

メリット面だけ強調すれば、ユーザー側は使用したい時にだけライセンスを申し込めば良い。上記の記事が言うように、高額製品を安く使えるということはプロユースの製品を業界外の人でも低価格で使用可能なわけで、これは使い勝手が良い。またプロダクションなど制作サイドに取ってみても、常時ソフトを確保しなくても、例えば、FLASHやAfterEffectなど案件に依存するものについては一時利用で制作費用として仕入れて経費計上することも可能。一方メーカー側はどうか。「いつでもアップグレードが可能」というのはオフェンシブ面の建前であったとしても、販売、売り切りの商売ではなく、「裾野を広げる」ことに寄与すること、そして、月額での売上見通しが立つということは、属人的な販売ではなく、サステイナブル(もはや死語か)な数字確保に繋がるに違いありません。つまり、Qごとの決算に今までのように一喜一憂しなくて良い、ということになります。

クラウドの登場で企業にとってはITツールを「所有」ではなく「利用」するという意識が高まっています。当初、クラウドとうのはネットワーク・インフラ及び一部ASPサービスに適用して使う言葉でしたが(クラウドの登場で高額なイニシャルコストと、保守、「情シス」担当者が必要ではなくなりますよね、というのは聞き慣れた営業トークですね)、このようなパッケージソフトウエアについてもサブスクリプションライセンス形式の普及により、資産ではなく経費として計上することが可能になりました。一方、日本の会計上、利益が出ている時は予算を使い果たすことを目的に、その間に資産を増やして償却する、という経営学上の概念が対税金対策としても生きる訳で、企業としてはランニングコスト増加はなかなか頭の痛い問題ではありますが、先に述べたように、仕入計上すれば良いということで、薄く見積書に載せても良いレベルの金額になりました。

当社も新製品に関してはサブスクリプションオンリーの提供を行なっていますが、上記を考えるとオプショナルペイメントとして年間一括払いなどのアニュアルライセンスを設ければ良い訳で、後は購買の意識改革というところに依存するのでは、と考えています。

もう一つの論点として、ソフトウエアがなくなるということは、代理店も近い将来かなり淘汰されるのでは、ということが想像できます。高額ソフトウエアはディストリクト毎の代理店が販売とサポートを行うのが常でしたが、ソフトウエアはWEBからDLし、サブスクリプションで必要時に必要なライセンスだけ支払えば良い、ということになると、直販のプレゼンスがどんどん増していく訳です。つまり、サービスと営業は必要なくなる。こうなると付加価値を提供できない代理店は相当厳しくなります。大塚商会などは、その点を見越してかどうなのか「たのめーる」など独自サービスを展開していますが、さすが、という感じでしょうか。

これから、ビジネスはより、直販と個人間の取引に寄って行きます。スクエアなどのカード決済システムしかり、グーグルウォレットでのメール送金しかり、誰でもいつでもクレジットカードの取扱店になることができ、送金を行うこともできる。企業としてはオンリーワンの付加価値をいかに提供できるか、つまり本当の戦いがこれから本格的に始まる、という訳ですね。

魚のいる池で釣りをする


なかなかの勢いでバタバタしていて、更新も滞りがち。
少し一息ついたので、息抜きです。


少し古いデータではありますが、EDA(Electronic Design Automation)業界のマーケット別売上を見ていると、日本と欧州がほぼ同じ、日本を除くアジアが約1.2倍、北米が日本の2.5倍ほどの規模があります。参照しているデータは2011年Q2までのものなので、ここ1年半で日本、欧州の市場は更にシュリンクしているでしょうから、A-pac、USがこの業界では主要な市場であることは間違いありません。日本、欧州の元気のある会社に関してはマネジメントと事務方の機能だけ残して海外生産の比率をどんどん上げている可能性もあります。

日本にいると、どうしても目先のことしか見えずに意思決定してしまいがちですが、開発現場にツールを提供している海外メーカーの動向を見ていると、日本は市場として重要視されていないという現状が分かります。最近、この業界で色んなスタートアップスがありますが、日本をターゲットにしているサービスも見当たらない。

要因としてざっくりと、
1,日本で英語版のツールはほぼ売れない。
2,ガラパゴスと言われるように、市場が閉鎖的で特殊

WEBからの直DLでOKのものでも、サイトに価格さえ掲載しておらず、日本では代理店を通してしか購入できないツールもあるという現実、Googleでさえ日本のブランチでは営業担当と代理店を設置しているということ、などなど。もちろんこれだけ決めつけることはできないと思いますが、こういうところに日本のマーケットの特殊性を垣間見ることができます。しかし、郷に入れば郷に従えということで、日本+その他(中国のように商習慣が特殊な国もありますが)というように考えなければなりません。

魚のいる池で釣りをするというのは当たり前のことで、向こう一年間のロードマップを考えています。つまり、メインマーケットを北米+A-PACに据えて展開していかなければブレイクスルーはないということ。闇雲に戦略を練ったり、数を打てば当たるというものでもなく、現実的に物事を見ていなければなりません。まずは釣りの仕方を覚えなければ。