なにがしあわせかわからないです。 ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。

昨夜、なんとなくNHKのSONGSを見ていたのですが、宇多田ヒカルが自身の生い立ちと家庭環境、その上に形成された世界観を語る時に、「銀河鉄道の夜」に出てくる燈台守の言葉に影響を受けたと語っていて驚きました。実は、僕も大好きなのです。

なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。 〜 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

彼女の場合は、どこに行っても転校生、明日いきなりNYに住むよ、来月日本に帰るよ、というような、目先どうなるか分からない不確実な生活を世界レベルで経験しながら成長したという、ある種のアイデンティティの欠如をベースとしたものだと想像するのですが、僕の場合は、一つひとつの選択の正しさを後ろ盾してしもらえる言葉として励みにしています。

過去を振り返った時に、あの時の選択は本当に正しかったのだろうかと思うことがあります。

人生というのは小さな選択と決定の連続で、その時その時の必死で一生懸命の積み重ねが今に至るのであれば、過去の自分をしっかりと肯定してあげることが、今とこれからを生きるための糧となるのではないのかなと思います。

それが願わくば、「ただしいみちを進む中でのできごと」であり、「峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつ」になれば良いなと。辛いことも、悲しいことも、その先の「なんだか分からない幸福」に近づけるのであれば、乗り越えていけますし。

夕方涼しくなった頃、走りながらこの文章を反芻していました。

さあ、7月スタートです!
 
 
  

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