フィルターで濾しとった後に残るもの


音楽の素晴らしいところは、人の気持ちを高揚させたり、落ち着かせたり、懐かしい風景を掘り起こしたり、苛立たせたり、と、とかく面倒くさい人間の様々な感情に作用し、導いてくれるところだと思う。

この時期特有の、年末から年始にかけて予定が次々に埋まって行くような時、カレンダーが埋まっていないと落ち着かないという僕の性格の一面である「前のめりな部分」は満足を感じるのだけど、一方で時間に流されないようにしなければという小心な気持ちを制御するためには、やはり音楽の力を借りねばならない。

それを聴くということは、自分が今立っている足元を確認すること、言い換えるならば、正しい居場所に導いてくれるための羅針盤のような役目。


Bill Evans というジャズピアニストが奏でる曲がとても好きで、何かあれば(何もなくとも)いつも聴いている。繊細で、その先にはもう何もなく、何も見えないのではないかと思うような完成された域。こういう人はその才能と引き換えに、何かを負っている。Bill Evansの場合は、退廃的な生活による肝硬変だった。

51歳で亡くなった時の死因は肝硬変ならびに出血性潰瘍による失血性ショック死。永年の飲酒・薬物使用で、肝臓に過剰な負担がかかっていた。それはジーン・リースをして、「時間をかけた自殺」というべき人生。(wikipedia参照)

そんな彼の曲の中で、僕が一番好きなのは1958年の二枚目のアルバム「Everybody Digs Bill Evans」に収録された奇跡の一曲「Peace Piece」。本人をして、もう二度とこの演奏はできないという再演不能の名曲。

少し触れるだけで壊れてしまいそうな、脆くて儚い糸のようなもの。
それがフィルターで余分なものを濾しとった後に残る真理。

Bill Evans “Peace Piece”

なんだか、色々なことがどうでも良くなってくる。