問い続けること


なぜ? 
どうして?

仕事でも学びのシーンでも、千本ノックのように問い続けることが肝要なのだろうと思います。問うことから、考える行為が生まれ、考えることからアイデアやソリューションが生まれる。そして、その生み出された何かに対して、さらに問う。どうしてこうなるのだろう、どうしたら良いのだろう、ひたすら問いを自分にぶつけ続けることによって、考える力が養われ、答える力が身に付く。反復練習。

しかし日々の生活に流されていると「問いかける」ことが少なくなりますよね。そんなこと考える時間がない。心身共にリラックスして落ち着いた状況の中でなければ、ゆっくり思い巡らすことなんてできない・・・。いやいや。普通に生活している人の中で、一日のうちに贅沢にゆっくりとリラックスできる時間を持つことができる人がどれほどいるでしょうか。きっととても少ないと思います。では、どうすれば良いのか。意識して問いかければ良いのです。ええ、先程そのことに気付きました。

今から1時間程前、帰宅途中の電車の中で政治関係の本を読んでいました。いつものようにただ文章を目で追っているだけ。お決まりのマルクス・レーニン主義について記載されている箇所で、ふと、いつもと違う感覚を覚えました。「・・・この革命がどのような仮定から生まれてくるかといえば、それは近代資本主義の発展の結果必然的に到来するというのである・・・」という一文があり、瞬間的に「え?なんで?」と思ってしまったのです。「なんで、必然的に到来するの?」この問いが発生してから、そこから先が面白い面白い。なるほど、あまり興味の持てない分野でも、意識的に「問いかければ良いのか」と思いましたですね。

普段の通勤電車で、景色を見て歩いている時、仕事のメールを打っている時、これをしなさいと指示された時、取引先と話している時・・・どんなシーンでも「問いかける」ことを意識して習慣付けることができれば、考えに広がりと深みが出る。

これからちょっと意識的に取り組んでみたいと思います。

So what, so why.