conscious+コンシャス

いやー・・・

飲んだ飲んだ。

二件目はジャンケンに負けて、

おごらせて頂きました。

あっさりとした勝負でした。

 

 

さて、本題に入ります。

ふとボディコン」という言葉を思い出しました。

バブルの頃、流行った言葉だ。

体の線を強調したタイトな服を来た女性達。

Body conscious girl.

英語の文法的にはおかしいと思うのだけれど、

つまり「体を意図的に意識している女の子」という意味が

近いのでしょう。ならば、

 

A girl is conscious of her own body.

 

これが、文法的には正しいのかな。

多分。分からないけれど。

 

コンシャス、

つまり、自覚があって、意識しているということは、

主観的な視点からその主体を見てそれを認知することで、

欠点や、ポジション、能力などを、自己で正当に判断し評価し、

そしてそれを良かれ悪しかれ意識することは

とても重要なことなんだと、特に最近思うのです。

自分の強みも弱みもひっくるめて、

しっかりと自覚している人間は、のびしろがあって。

わかってないと克服も出来ないし、きっと成長も出来ない。

僕は特に出来ていない部分が多いからこそ、

「のびしろ」も、人様に比べてかなり大目にありそうな気がする。

たくさんあるものは、贅沢に使って行こう。

成長に向けてやらなければならないことが沢山あるなら、

それを贅沢にやって行こう。

のびしろはまだまだ、たっぷりとありそう。

 

 

周りの環境や他の人は、

自分の代わりになってくれますか?

 

そんな問いかけを、

昔誰かにされたことがあったっけ。

自意識、自覚。

それがあるのは、自分という個だ。

自己が自己に対して問いかけ、

インスパイアする。

あー、なんだかな。

もう少し賢ければ良かったのに。

そんなこと、ふと考えることがあるけど、

諦めや不満とコンシャスは全く違いますね。

そんなことを考える、

体力的の低下を自覚する金曜日。

うわー、もう一週間終わっちゃった。

早い・・・

0から1へ

こんなに早く!

と、本当に驚いたのは、

次女コノハの出産の時でした。

 

2007年3月7日。

ちょうど一年前の今日です。

 

分娩室に入ってから4、50分。

え!?先生。

もう出てくるんですか?

そうよ。もう少し。

パパもこっち側に来なさい。

はい。

そう言って、僕は先生と同じ視点から、

娘の出産に立会いました。

僕はその時、人間の英知を超えた、

神の介入を感じずにはいられないような、

生命の誕生の神秘を感じました。

生まれてきたのは、

とても元気な女の赤ちゃんで、

長女のホノカのことを考えると、

同性の妹がいた方が楽しくて良いだろうな、と、

少し嬉しくなったのです。

こんな小さいのが、

一年でこんなになりました。

それでもまだまだちびっ子ですが。


 

 

あれからあっという間の一年。 

0歳から1歳になりました。

君には難しい言葉はいらないね。

まだ、もう少し大きくなったら、

難しい言葉をプレゼントしてあげよう。