フィルターを通して

「薔薇のない花屋」

最終回をリアルタイムで見るため、

珍しく21時前に帰宅しました。

このドラマ。

どう斜めに見ても、真正面から見ても、

娘とかぶってしまって、毎回非常に複雑な気持ちになります。

辛い場面が多くて。

最終回はまあハッピーエンドだったようなので良かったのですが、

僕のように、「我が子」というフィルターを通して雫ちゃんを見、

同じような気持ちになった人は少なくないのではないでしょうか。

最近、色んな場面で「娘達」というフィルターを通して物事を

見ることが多くなってきました。

 

このまま行けば、「お父さんは心配症」の「佐々木光太郎」

のようになってしまいそうで怖いです。

あそこまで行けば、ある意味ファンキーかつクレージーですが、

どうも、最近「男」として角が取れてきたような気もするのです。

 

 

という訳で、決めました。

 

僕はもっともっと男として「悪く生きる」ことにします。

(↑知らんがな)

 

 

やっぱり、どう斜めに見ても真正面から見ても男ですから。

 

悪いことばかりすることにしましょう。

 

ハードボイルドならぬ、エロボイルドになることにします。

(↑知らんがな 2回目)

 

乞うご期待。

メッタにしないメタ認知

仕事帰りに、会社裏のおでん屋さんへ。

少し、堅い話ばかりなのだけれど、

「自分という人間を一番良く知っているのは自分」

ということなのです。

前向きに働く力と、後ろ向きに働く力とがあります。

「違和感」を感じるということは、

どこかで、何かがミスマッチしているということ。

それは理想と現実かもしれないし、

回りからの評価と、自己認識している能力の差かもしれません。

力が前向きに働くと、

その差を埋める努力をおのずとしますから、

自然とステップアップすることができるように思います。

人生、死ぬまで勉強ですねー。