梅雨時期の重たい身体を軽くするためには

人によって調子の良いシーズン、悪いシーズンはそれぞれあると思いますが、僕の場合は春先から梅雨時期にかけて低空飛行期に入ります。特にこの梅雨時期。身体が鉛のように重たい!

まあそんなことも言ってられないので、身体に鞭打って走ったりするのですが、全身におもりを付けてるかのようにダラダラとしか走れません。ランナーってどうしても「良い時」の自分のイメージがあるので、風を切って颯爽と走っている時の記憶と現状を照らし合わせた時に「なんでだろ」となるのです。毎年のことだから慣れればいいのにね。

一応、対処は色々としていまして。

まず暑さに慣れるためには、汗をかける身体をつくること。一年中走っているので基本的に代謝は良いのですが、やはり夏のジメジメした暑さはこたえます。そこでしっかり風呂に浸かり、半身浴をしています。

そして、キューピーコーワゴールドαプラスを飲んでいます。はい、分かってますよ。栄養補助剤なんて気休めだってことくらい。いつもバッグに持病の薬を大量に持ち歩いているので薬モノは嫌いなんですけどね、まあ、お守り的な意味で。

あとは飲酒をとにかく控えめに、睡眠はたっぷり。
ガンガン飲んで、めちゃくちゃ走って、とにかく元気元気!な諸先輩方には頭が上がりませんが、真似しようと思ってもできません。酔拳を使えたのは若い頃で、今はさっぱり。できるだけ身体に負担を掛けないようにしています(守りに入ってる時点でイヤ笑)

「そのうち浮上するだろう」くらいの気持ちで、今は我慢がまん。

できることを積み重ねて行って、この秋〜冬のウルトラマラソンシーズンに備えたいと思います。今年は12月の沖縄100kmウルトラマラソンをターゲットにするか!チャレンジ富士五湖100km秋の陣がもし開催されれば、それも!

こうやって楽しみな目標を持つのも、身体を軽くする方法ですね。

町中華とカツ丼の話

金曜日から週末を挟んで今日まで、忙殺の日々。

ブログを書く暇も気力もなく、あっという間に月曜日になってしまいました。平日週末関係なく予定を詰め込み過ぎなのが良くないのですが、関わっていることが多すぎるので仕方ありません。でもちょっと悲しかったのは、ここ一番で頑張らなければならない時に持病が出てしまい、余計に気が滅入ってしまったことです。

そんな時に救いになるのは、やっぱり旨い飯でしょう。
今日は町中華のお話です。

「町中華」

なんて良い響きなんでしょう。

僕は町中華が大好きです。どこに行っても良い雰囲気の町中華があれば必ず入ってしまいます。先週、羽田空港近くの穴守稲荷駅で出会った町中華もナイスでした。担々麺と炒飯のセット。もうね、佇まいも店内も客も、ザ・町中華。味も良し。こういうガッツリ系のを押し込むと元気も出るというものです。

片言の日本語を話す中国人がやっているという点もポイント高し。

そして、今日のランチは、カツ丼とざるそばのセット。
これぞサラリーマンの定番ランチでしょう!!

梅雨時期を乗り越えるためには、やっぱりカツ丼!

ガツンと食って、寝れる時はガツンと寝て、またがんばる。
ひたすらこれを繰り返すのが人生というものなんでしょう。

明日も取引先のラボで丸一日、実証実験。
7月は楽しみたくさん。
とにかくこの時期を乗り越える!

テスラ丸裸

テクノフロンティアでは、テスラ3が分解され、丸裸になっていました。

エレキとメカ専門の展示会ですから、EVがどんなもんかという話なのですが、まあ見ればわかりますが、筐体以外は基板とモーターとバッテリーの塊です。

これだけの基板が使われているのですから、もはや走るコンピューター。

技術の肝はモーターとバッテリーなんでしょうね。
もちろんセンサーや制御もありますが、これだけの重たい車両をラジコンのように動かすのですからね。

久しぶりにEMC界隈の方々や電子業界の方々、知り合いや取引先と顔を合わせて話すことができてとても楽しかったです。やはり生身は良いものですね。

一週間、おつかれさまでした。

皇居ランと美味しい蕎麦屋の話

仕事終わりに皇居ラン。
数え切れないほどの回数を走っているコースですが、一周5kmで適度なアップダウンがある皇居、久しぶりに走ってみましたが本当に良いコースですよね。5kmが短く感じますもん。

日が沈む直前の空も美しかった。
気持ち良く2周10km。ちょうどいいです。

さて、ここからは蕎麦のお話。
表参道の蕎麦の名店、青山 川上庵。店構えも良い。


蕎麦好きに連れて行ってもらったのですが、美味しかった。僕も蕎麦にはこだわりを持っている方ではありますが、なかなか。

いい蕎麦屋で必ずオーダーする蕎麦味噌。
蕎麦の実の食感と風味も良く、酒が進みます。

名物クルミだれせいろ。

つゆがクリーミーで冷たくて、これはこれで蕎麦ととても相性がいい。蕎麦もしっかりと硬めに冷水で締めてあり僕好み。調べてみると食べログTP5000のお店みたいですね。

うん、とても良いお蕎麦屋さんでした。

走って、美味しいもの食べて、しっかり仕事する。
出張族の日常が少しだけ戻ってきたような気がします。

父の日だったんだ、と後で知る

昨日から出張で東京に来ています。
今週は金曜日までこちらに滞在です。

皇居の近くにある定宿のホテルにチェックインすると、フロントの方が「松田さん、約半年ぶりでしょうか。おかえりなさい。」と笑顔で声を掛けてくださいました。なんかこういうの嬉しいですよね。

さて、時間差投稿になってしまいましたが、先週の日曜日は父の日だったんですね。僕が日曜日にゴルフに行くことを知っていたのか、土曜日の夜に娘たちからサプライズプレゼントをもらいました。

父の日なんてまったく知らなかったので、本当にびっくり!!

娘たちからの手紙はいつもらっても嬉しいものです。

自分以外は全員女性で、ピンクとハートとスイーツが溢れているような家ですが、いつも賑やかで本当に楽しい!いくつになっても甘えてくれる娘たちはパパにとってかわいくて仕方がなく、本当にありがたいなあと思っています。

ブログ開設17年目。この一年で自分が関わる世界が劇的に広がった理由を考えてみる

毎年6月はこのブログの誕生月です。
このブログを書き始めたのが、2005年の6月。

誕生してから丸16年になり、17年目に入りました。思えば長いことやってるものです。書き始めた当初、自分が20代だったなんて信じられません。あの頃、僕は29歳で、長女は生後6ヶ月でした。それが今や、ね。月日が経つのは早いものです。

ブログを書くことは今どき流行らないとは思いますが、僕個人として続けて来て良かったなと思うのは、29歳から今までの歩みがしっかりとログとして残っているということです。

その時どんなことを考え、選択し、決定してきたのか。その積み重ねで、仕事の幅が国内から海外に広がって行き、仕事の内容も変わり、できることも増え、セミナーや講演会や大学の授業に登壇し、自分の立場も、関わる会社の数も増え、走る距離も走る場所も、ゴルフの回数も一緒に回るメンバーも、出会う人々の数も、様々な勉強会やコミュニティを通じて生み出す価値も、本当に色んな変化が起こってきました。

それらすべてが、若い頃には想像もしなかったくらい素晴らしいものばかりです。一つだけ言えるのは、その当時の僕に今の僕はまったく想像できなかったということです。ここから学べることは「自分の価値観と意思決定の軸だけしっかりしておけば、別に目標なんて決めなくて良い。結果は必ずついてくる」ということです。

今年一年の振り返り

コロナ禍が深刻になり始めた昨年3月に激しく体調を崩してしまいました。飛行機で国内外を飛び回る出張生活の疲れが出たのか、それとも、コロナ禍による世の中の激変に身体が過剰反応してしまったのか分かりません。ただ、その時の苦しみの中で僕は勝手にこう言い聞かせていました。

ちなみに今は、自分の身体が色々とアップグレードする前の脱皮のような状態だと理解していて、捨てるものと、新しく身に着けるものの間(はざま)を楽しんでいる状態とでもいいましょうか。とにかく、過渡期なんだろうなあと日々実感しています。(2020/03/02)

【笑って読んでください】一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうなあ。(2020/03/02 記事)

結局その後、4月は毎日のように微熱が続き(PCR検査は二回とも陰性)、わずか2ヶ月で体重が8kg減少しました。この期間は本当にまったく走れない日々が続きました。

でもようやく夏になり身体も回復してくると、そこから徐々に自分の考え方も、周りの環境も大きく良い方向に変化していきました。ああ、これが「アップグレード後の自分なのかな」と徐々に思えるようになってきました。今までの自分はどこか生き辛さを感じていたのですが、急に視界が開けたというか。そして、同じような価値観を持つ仲間がどんどん増えてきました。引き寄せられてるというのでしょうか。2019年〜2020年まで本当に苦しんだのですが、産みの苦しみを乗り越え、ようやくアップグレードできたようです。長かったし苦しかったけど、ようやく出口にたどり着いた。辛かったけど、諦めずに頑張ってきて良かった。

昨年末にはこのようなことを書いています。

枠にはめ込まれるという窮屈な価値観や、お金や土地や地位を持っている人がえらいという旧時代の価値観は消えてなくなります。「勝ち組、負け組」の定義は、その人が今、幸せと感じているかどうか。

所有よりもシェア。密よりも疎。囲い込みや制限よりも開放。物質的な幸福より精神的な充足。管理よりも信用、お金よりも人とのつながり。

今まで生きづらさを感じていた人が、これからは生きやすくなる理由について(2020/12/30 記事)

みんな違ってみんな良いという価値観。人を大切にし、働き方の選択ができる会社が伸びるということを書いた時、僕がすべきことはこれだなと確信しました。そして、今年2021年の年頭に掲げた目標は「儲からないことに一生懸命」というテーマです。そして、本当にそのことを実践してきました。

今年に入って母を亡くし、辛い日々もありましたが、春以降、すべてがうまく回るようになって来ました。それも劇的に。数えるとキリがありませんが、仕事はもちろんのこと、社会課題と国際問題を解決するために大学と行政が中心になって提言する勉強会に参画させていただいたり、ベンチャー企業やスタートアップスのアドバイザーの依頼も増えました。本気で変えたい、本気でこうありたい、という人たちのお役に立てることができるのは本当にありがたいことです。

そして、これらはコロナ禍による「オンライン・コミュニケーション」の中で生まれたものです。オンラインがここまで定着しなければ、僕は毎週のように東京に行かなければならなかったでしょう。でも、オンラインだからこそ、時間と場所を選ばず、様々な人と繋がることができました。

最近本当に思うのは、この大きな変化の中で、波に乗れた人と乗れなかった人の差があまりに開いてしまったことです。毎日笑顔でニコニコいる人と、暗い顔をして、こんなはずじゃないのにと眉間に皺を寄せている人にくっきり別れてしまいました。自分はどっちにいるでしょうか。何が間違っているのでしょうか。もし間違っているのなら、なぜ変われないのでしょうか。これはみんなが自問すべき課題だと思います。

僕はもうね、とにかく毎日ワクワクしています。
来年なんて一体どうなっているだろう。どんな素晴らしい未来が待ち受けているだろう。楽しみで仕方ありません。

そんなこんなで、17年目に入ったこのブログですが、まだまだ続けて行きたいと思っています。大した内容もなく、ネットの過疎にいるようなサイトですが、17年目もお付き合いいただければ幸いです。

数の原理というものはやはり存在する

実家の片付けをしていると、母が保管していた物の中から昔の写真がたくさん出てきたりして、自分がまだ幼かった時代の光景を懐かしく思い出すことがあります。

僕はたかだか45歳ですが、わずか40年で世の中の風景はガラリと変わってしまいました。いつの時代もそうなのかもしれませんが。

昔住んでいた実家の写真が出てきました。この母屋は阪神淡路大震災で一部損壊してしまい、今は同じ場所に家を建て替えたのですが、この頃は母屋の奥にも曽祖父が住む家があり、そこに正月などは親戚が集まっていたのでした。

その頃の写真もたくさんあって、子供が多いから親戚も多く、たくさんの人が大広間に並ぶ大皿料理の卓を囲み、ワイワイとしているのを見ると、活気あふれたあの時代のパワーを感じます。

例えるなら、集団でダンスを踊りまくるハチャメチャなインド映画に通じるくらいのパワーというか。

資本主義の根底となっている数の原理というのはやはり存在しますね。
ただ、人口減少時代にあってはそうも言ってられないし、人がひしめくような光景からも一年以上離れてしまいました。

数に頼らない新しい経済のあり方と社会を創造していきたいところですが、やはり数というのはパワーを生みますね。そして、そんな昔を懐かしんでいる自分も、とてももどかしかったりします。もっとがんばれ、自分。

街ブラ・ランの極意

コースを決めず思いのままに走る街ブラ・ラン。
決めるのは走る距離だけ。コースは決めない。目についた路地に入ってみたり、走ったことのない道を走ってみたり。心が向くままに。

自分のコンパスがどこに向いているのかを客観的に知ることができるのは面白いものです。

海が好きなのか、山が好きなのか。森が好きなのか、川が好きなのか。建築物が好きなのか、商店街が好きなのか。飲食店が好きなのか、金物屋が好きなのか。古い町並みが好きなのか、新興住宅街が好きなのか・・・

花に蜂が吸い寄せられるように、自分が行きたいところをブラブラと街ラン。
面白そうな店があれば入ってみたり、素敵な公園を見つければベンチに腰掛けてみたり。

最近気付いたのは、自分は大きな木に興味があるようです。

大きな木がある森には特に吸い寄せられます。じっと見上げてみる。木漏れ日に目を細めてみる。なんだか気持ちが落ち着きます。それは悠久の時の流れを感じるからかもしれません。あと、地域に密着した商店街も好きだなあ。車がバンバン走る四車線の幹線道路から一本中に入ると商店街が現れたりします。以外なほど、たくさん人が歩いていたり。生活を感じますよね。

【ラウンドレポ】1903年(明治36年) 創業。日本最古のゴルフ場、神戸ゴルフ倶楽部での非日常な体験

日本のゴルフ発祥の地であり、日本最古のゴルフ場。


それが1903年創業の神戸ゴルフ倶楽部です。

日露戦争の前年である明治36年に、イギリス人貿易商A.H.グルームによって開場されました(詳しくはWikipediaを参照)。今のように車も道路もない時代、当時は神戸の町から籠にのって標高700mのゴルフ場までエッサエッサと山道を運んでもらってプレーをしていたようです。

僕は普段、このゴルフ場を東西に突っ切る、ネットで覆われた六甲山縦走路をトレランしながら「いつかラウンドしてみたいな、一体どんな人がメンバーなのかな」と思いを馳せているのですが、なんとこの度、僕が所属するクラブのメンバー仲間の方にお誘いいただきラウンドすることができました!なんという幸せ。まさか憧れの聖地でラウンドできるなんて!

今までも色んなゴルフ場に行っていますが、普通のゴルフ場とは何もかも全く違うこの雰囲気。118年の歴史をビシバシ感じることができ、未だに幸せな余韻に浸っています。観光客かというくらい、たくさん写真も撮ってきましたので、ブログに書き残しておきたいと思います。

ヴォーリズ建築、近代化遺産に指定されている木造のクラブハウス

練習グリーンからクラブハウスを望む

木造のシンプルなクラブハウスは、ヴォーリズの設計。現在は近代化遺産に指定されています。受付を済ませたあと、親切な職員さんにロッカーに案内していただきました。

ロッカーも木製で、鍵はついていません。

空いているところはどこでもお使いください、とのこと。
僕は34番を使わせていただきました。

トイレと浴場の入り口。
すべてが必要最低限。とてもシンプルです。

こちらが休憩室。
館内はまるでゴルフ博物館のようでした。

創立者グルームさんの胸像。

バーもありました。
昔はプレー後にここでメンバー同士、一杯やりながら親睦を深めていたのでしょうね。

使えるクラブは10本まで

通常コースで使えるクラブは14本までですが、パー61の神戸ゴルフ倶楽部では、10本までに制限されています。クラブハウスで、自分のバッグから専用バックに積み替える必要があります。この時のクラブ選択もまた楽し。

練習場は、2打席の鳥籠形式でボール打ち放題。
前後に人がおらず、まったく混むことがなさそうなゴルフ場ですから、十分なのでしょうね。

アプローチ、バンカー、パッティンググリーンもあります。

練習グリーン脇の小屋。
昔の試合の様子や、砂をローラーで固めたサンドグリーンの写真が。

六甲山の地形をそのまま活かしたコースは、山そのもの

さて、いよいよプレー開始です。

神戸大学の現役学生2名が我々のグループについてくれました。伝統的に神戸大学の男子学生がキャディのアルバイトをしているようです。ゴルフ部の学生かと思っていましたが、全然違うらしい。それでもコースのことを良く知っていて、親切で、爽やかな青年たちでした。一人は工学部の電気電子学科とのこと、スカウトしておきました(笑)
今は学生30名ほどがキャディとして在籍している様子です。

アップダウンというより、牧場の中でプレーしているようでした。
山上にあるので、風が吹いたら大変だろうなあ。

ブラインドホールもたくさん。
学生キャディが丘の上でボールの行方を見守ってくれています。

あと、フェアウェイを外れてブッシュに入ったらおしまいです。
行ったことはありませんが、全英オープンの舞台となるスコットランドのゴルフ場はこんなブッシュなんだろうな・・・と思います。ラフも長くて強く、一度入れたらプラス一打、二打は覚悟しなければなりません。

段々畑のようなコース。
ショートホールはほとんどが200ヤード。そして、ほぼ砲台グリーン。
全体的に難易度は高いです。

面白かったのは、メンバーさんがふらりと来て、一人でセルフプレーをしていること。一人で楽しいのかな?と思ってみていましたが、黙々とプレーしている方を三名ほど見かけました。

お楽しみのランチタイム

10ホールを終えた時点で(普通は9ホールでハーフなのですが)ランチタイム。次のスタートまで時間の制限もありません。ランチを楽しみ、スタートしたい時にする、という感じです。普通のゴルフ場とは全然違います。どちらかというと海外のゴルフ場のスタイルに似ていますね。

レストランのテーブルでは、クラブのスコアカードを模した紙のクロスが敷いてあります。
記念に持ち帰りました。

ヒレカツをチョイス。
カツがとても柔らかくて、とても美味しかったです。

プレー後に記念撮影。

なんとお土産に記念のキャップをいただきました。
これはちょっと自慢できます。

日本のゴルフの歴史そのものを語る神戸ゴルフ倶楽部。

職員さんもとても親切で、色んなことを教えてくださいました。
僕のようにプレーよりも歴史や文化に興味がある人間にとっては最高の環境で、今でも幸せな余韻に浸っています。

こういう歴史を経験できるのは幸せなことです。
ご同伴者のみなさま、ありがとうございました!

一年先に何をやっているかなんて分からないし、決めなくて良い

金曜日の夜、心地良い風が吹き込んできます。

日中は暑かったですが、仕事が忙しくてずっと自宅に引きこもり。唯一のリフレッシュは風呂上がりの夜に窓を全開にして涼むこと。あー気持ち良い!


ふと自分のキャリアを振り返ってみて思うのですが、一年先に何をやっているかなんて自分でも分からないし、逆に決めなくていいなと思うのです。自分の場合、仕事面ではITや技術の枠は基本的に出ないものの、その中で新しい分野に進出しては誰かに引き継ぎ、また新たな分野に進出して切り開いては誰かに引き継ぐ。

こういうことを何年もずっと繰り返してきたように思います。
だから来年どんな仕事をしているか分からないし、それがまた楽しいと思える。不安はない。今までもずっと成功してきたじゃないか。

直接仕事に関わらないプライベートの活動でも、いつの間にか色々なコミュニティに属している自分がいます。今年のプライベートのテーマ「お金にならないことに一生懸命」を地で行っていると、新たな出会いやお声掛けもたくさんいただき、社会課題を解決するために大学が中心となっている産学官民連携の活動に参画したり、新たな地域コミュニティに参加したりして毎月のように新しいネットワークが繋がり、出会いの中から新たな人脈も生まれています。

不思議なのは、これらは自分から動いて獲得したというよりも、敷かれたレールの上に乗っているというような感覚なのです。自分がしていることは、根本の芯だけをぶらさずにしっかり持っているということだけ。勝手にレールが目の前に敷かれている感じ。

あとはレールに乗るだけで、何もしない。
焦りもしないし、どこに行きたい、という目標や目的地も持たない。

良い意味でこだわりがない。

自分はこうありたい (こうなりたい、ではなく)、こういう社会にしたい、こういう価値観で生きて行きたい。そこさえ間違えなければ、成長曲線に勝手に乗せてもらえるような感じです。株と同じで、好きな会社を見つけて投資したら、あとはほったらかしにしておくといつの間かすごい利益が出ていたというのと似ています(ちょっと違うか)

そういう意味で、来年の目標とか数年後の目標とか決めなくて良いのではないかと思っています。その時その時で起きる出来事、開かれる道、出会う人々を大切にするだけ。

それだけで上手く行くと思えば、肩の力が抜けて、とても楽になります。
明日はどんな出会いがあるのか、何が起こるのか。

ワクワクしますし、毎日をとても楽しく過ごすことができています。