僕たちは広くて大きな世界を見るよう教えられ過ぎたのではないだろうか

ほら、猫だって窓の外を眺めているだけで幸せそうだよ。スマホも持っていないけれど。

常に何かを追いかけ何かにを追われ、人の目と評価を気にし、ダウンサイジングよりもスケールアップを良しとし、持たないよりかは持つ方を優先し、小さな世界よりかは大きな世界を見るように教えられてきた。

そう教えられすぎて、そうならなくちゃいけないと思い過ぎてきたのではないかなあ、とYoutubeの北欧暮らしのチャンネルをボーッと眺めながら考えるのです。

窓辺の猫は、何も持っていないけれどとても幸せそうだし、眠たくなったら心地の良い場所を探して寝ることができるような時間と自由を持っている。でも、人間は何かを手に入れようとして背伸びして、でも届かなくて、無理に手に入れようとするけれど、計画通りに行かないことが発生した時に破綻し、絶望する。自分で自分に足かせを掛けているかのように。であれば、元から自分の手の届く範囲の中で満足し、出来ないことは無理にせず、出来ることをその範囲の中だけでやればいいんじゃないかな。

今年の暮れになって、相変わらず自分で自分を苦しめている人もいるし、自分の選択の結果、何かに追われ続けている人を見るにつれて、ああ、もっと楽にできるんじゃないかなと思うのです。本質的な部分で、思考転換の時期に来ていると思います。小さな世界でもいいから、手の中に収まる幸せを考えましょうよ。