今週はずっと在宅ワークをしていたのですが、登壇する技術セミナーの録画のために今日は一週間ぶりに出社。
社員の5割強が在宅ワーク中なので、フロアの半分は人がおらず、照明も落とし気味ですが、出社組のメンバーと一緒に話をしたり、たまたま近くにいらっしゃった取引先の担当者の方が立ち寄ってくれて、こちらも久しぶりにワイワイと話をしたり、良い気分転換になりました。コロナ禍で「人と会う」という今まで当たり前だったことがプレミア感満載の特別なことになっています。外で食事をするということもそう。
今まで当たり前だったことが当たり前でなくなった時に、その大切さを知る。
不思議な気持ちになりますが、これが時代の変わり目ということなんでしょう。
下の写真は、みんながちょっとしたミーティングで使うための、通称ビッグ・テーブル。奥のガラスの向こう暗闇は、30名が集えるセミナールームです。以前のようにオンサイトのセミナーが開催される日は来るのでしょうか。もうオンライン・セミナーが定着しまいましたもんね。
オフィスも使うところと使わないところが出てきました。
これも変化の一つということで。
月別アーカイブ: 2021年1月
ミニマリストとランナーという二つの属性が一つの人格に融合した時、何が起きるか
今日は本当にどうでもいい話を書こう思います。
なんの為になりません。
このブログを読んで下さっている方なら良くご存知のとおり、僕はウルトラマラソンやトレイルランニングを趣味とするランナーです。フルマラソンを10年前に完走し、ランニングを趣味としてから、体つきだけでなく多くのことが変わりました。
まず、早寝早起きという生活習慣。ビールは控えてハイボールに。そして服装。普段着は限りなくジャージに近い服装になり、機能性を重視するようになりました。そしてジャケット+パンツという仕事着もシンプルなものを選ぶようになりました。シューズも距離やロードの状態に合わせていろんな種類を揃えるようになりました。そして、脚の毛を剃るようになりました。レースの時は膝やハムストリングスにキネシオテープを貼るのですが、毛があるとテープがはがれやすくなるし、見た目も悪いからです。
よく自転車に乗る人はファッションの一つとして脚をつるつるにしますが、僕はランナーとしての誇りを持ってそのようにしています。
ところが、自分自身のもう一つの特性である「ミニマリスト」という人格が、このランナー特性と合わさせってしまって、毛剃りをどんどんエスカレートさせてしまっているのです。つまり、ミニマリストなので、必要最低限のもので暮らし、断捨離を良しとします。逆にいうと不要なものはすべて排除ということです。このような思考パターンですから、体毛になんの必要性も必然性も普遍性も感じません。必要がないということになります。したがってそれを黙々と排除しています。
ただいくつかデメリットもあります。まず、風呂の時間が長くなること。よく人から「そんなんなら永久脱毛したら?」と言われるのですが、将来的に体毛ブームが来るかもしれないので、それはしません。それに最初はめんどくさかったのですが、長年続けていると、毛剃が趣味のようになります。一種の気分転換ですね。
あと、銭湯で変な目で見られるということもありますが、まあ、人の目をあまり気にしないタイプなので、デメリットというほどでもないかな。ということは、ほとんどデメリットはないですね。
何を書いているんでしょうね。
ここまで付き合っていただいた皆様、ごめんなさい。
ようやく雨もやみ、この二日間は早朝ランに出ています。気分転換になりますし、身体を動かすと仕事にも集中できますから。
朝日がきれいです。
一緒に過ごす時間の価値
それはもう二度と帰ってこない一瞬の光のきらめき。
その時間はその時だけのもの、その瞬間はその一瞬だけで、再現性もないし、リテイクもできないし、巻き戻し再生することもできない。その代わり、その時間を「確かに過ごした」という事実は永遠に残る。その瞬間を一緒に過ごした相手がいるのであれば、それはたった一瞬であったとしても、一度きりの出会いだったとしても、その人と人生が重なったということになる。
そう考えると、誰と、どのように過ごし、どのような気持ちでその時間を送るかは本当に大切で。
誰に対しても出来るだけ優しく、愛情深くいたいと思うし、自分にできることがたとえスプーン一杯分のことだけであったとしても、喜んでそれを差し出したいと思う。それが思いやりというのものなんだろうなと。助け合うということはそういうことなんだろうなと。
先日、母のことをブログに書いたことで、本当に多くの方から共感のコメントや励ましのメッセージをいただきました。「母のこと」(2021/01/22)
自分の気持ちの整理のために独り言として書いたことが、こんなに多くの方に読んでいただけるなんて。感動しました。そして、掛けていただいたどの言葉も温かくて心に沁み渡り、誰もが一度や二度は大切な人を見送るという経験をしているのだなと分かり、心強くなりました。本当にありがとうございます。
ほぼ昏睡状態の母の介護を続けながら、すべての瞬間を愛おしく感じることができています。赤ちゃんのように、うん、と、ううん、しか言えなくなってしまった母ですが、息子の声でちゃんと目を開いてくれる。笑ってくれる。この一瞬一瞬がかけがえのない時間です。これは事実として永遠に残り続けるのだろうなと思います。
母のこと
あまりこういう私的なことを書くのもどうかと思ったのだけど、そもそも私的なことしか書いていないブログを15年以上も続けているのに何を今さらと自分につっこみを入れたりしながら。
今年に入って母が何回か危篤状態になり、それでも奇跡的な意識回復を繰り返す中、実家に行って手を握ったり脚をさすったりしている時は母の顔を見たり時折会話もできるので安心するのだけど、母の側を離れると心配で心配で、もうどうにもならなくて。
帰る時に、お母さんまた来るねと言うと、意識がある時は目を開いてくれて、小首をかしげて困ったように笑いながら、知ちゃんありがとう。おやすみ。と言ってくれる母の顔を毎日ずっと引きずって過ごしている。そういう気持ちをどこにも出せないので、ブログに書くしかなくて。
すいません。
2017年10月に末期の膵臓がんと診断され、そこから本人のがんばりと、家族の支えと病院の先生や友人たちの励ましのおかげで奇跡的に3年以上も生きている母。どこの病院の先生や、民間治療の先生や看護師さんや理学療法士の方が異口同音に3年以上生きている事自体がもう奇跡です、こんな人みたことないです、と言われ続けて、困ったなあと言いながらも嬉しそうにしていた母。
それでも病の進行と抗がん剤治療の(副作用も含めた)限界も来て、昨年12月からは本人の意向もあり、治療もやめて民間の先生方に教えていただいものを使いつつ緩和ケアを続けながら自宅で過ごしている。お母さんは家が大好きだし、広い庭に植えている好きな花の手入れも大好きなので、好きなものに囲まれているのが一番いいと思っているみたい。もう一ヶ月の間、大好きな庭には出れていなけれど。
僕としてはこれだけ生きてくれたことに本当に感謝しているのだけど、さすがにろうそくの火が細くなっていく中で、その小さな火を消すまいと、辛いながらも懸命に生きている母を目の当たりにし、ふとした瞬間に自分が幼い頃から今に至るまでの母との思い出をずっと辿っている自分がいるのに気づく。母は背が高くて、きれいで、強かった。そして、今も強く生きている。
正義感が強く、曲がったことが嫌い。納得しなければ動かず、融通が効かずに「ややこしい」ところも、長男である僕はそっくりそのまま受け継いでいて、自分で嫌になることもある。母との違いは、彼女が使用人がたくさんいる大きな家の守られた環境で育ち、ある意味そのままの母でいることを良しとしてもらえたことに対し、僕のように社会に出て揉まれてそれなりにコミュニケーションの仕方や、人との関わり方などを学んで多少丸くなったくらいの違いで、底流の部分はほとんど同じなんだろうなと思う。似ているからこそ、たくさんぶつかった。ただし母は人に優しかったし、いろんな人を助けていた。そして本人は自分の弱さを、ちゃんと強さに変えていた。
3年4ヶ月前の2017年10月のあの日のことを僕は一日も忘れたことはない。出張中で、中央線に乗って東京駅に向かっている電車の中で携帯電話が鳴った。みると母だった。普段仕事中に電話なんて絶対に掛けてこない母なのでびっくりして小さな声で電話を取ると、ちょっと話があるの、と。お母さん、僕いま電車に乗ってるんだ。ちょっと待っててね。次の駅で降りるからすぐに掛け直すね、と神田のホームで母に電話を掛け直した。
出張中にごめんね。知ちゃん驚かないで聞いてね。お父さんにもおばあちゃんにも、Sちゃん(僕の弟)にも、まだ誰にも言ってないのだけど。お母さん、膵臓がんみたい。それもすごく大きな。お父さんには話すけど、きっとショックを受けてどうなるか分からないから、まず一番に知ちゃんに話しておきたくて。お母さん、もう本当にあまり長くないかもしれない。
明るく気丈に振る舞っていたけれど、その声はやっぱり弱々しかった。そして少し泣いていた。その日から今に至るまで、家族みんなで母を支え、いろんな決定をし、母が大好きな八ヶ岳の家にも身体が許す限り季節ごとに通ったし、いろんなところを一緒に旅行した。そして、闘病中の母から多くのことを学んだ。
いつかはこうなると思っていたし、この3年で覚悟も出来ているつもりだった。今はもうあとどれくらい一緒にいれるのかを指折り数えるようになっている。話が出来る時もあるけど、今日のようにまた意識がなくなって危篤状態になる時もある。僕はずっとお母さんと一緒にいたい。でももう叶わないかもしれない。寂しいし、悔しい。もうあんな困った顔で無理やり笑顔を作らせたくもない。がんばってほしいけど、がんばってほしくもない。自分の中で混沌とした思いがずっと渦巻いている。そして、一人でいると涙が流れてしまう。
先のことは考えない。
お母さん、待ってて。また明日も手を握りに行くから。
追伸:
出たり抜けたりしている自分の仕事のフォローをしてくれている会社の皆さん、予定を調整させてもらっている仲間の皆さん、色々な励ましの言葉を掛けていただいている皆さん、本当にありがとうございます。力になっています。感謝です。
もちろん、いつも母の傍にいてくれる僕の愛する家族たちにも。
明るく前向きな言葉っていいですよね。自然と頬が緩み、気持ちが前を向く。
冬場は味噌ラーメンが欲しくなります。
今日はラーメンを食べながら考えたことを書いてみたいと思います。
今年に入ってから特にですが、取引先とのメールのやり取りで「がんばりましょう」「乗り越えましょう」など、前向きな言葉が文末で飛び交うようになっています。お互い状況を気遣い合い、労り、励まし合う。
これってすごくいいことだと思うんですよね。状況の良し悪し問わず、垣根を越えてみんなで励まし合い、前に進む。自分が経験してきた中では震災後の光景を思い出します。そうやっていつの時代もみんなで力を合わせて乗り越えてきたんですよ。
うちの会社は、ガチガチのエレクトロニクス・IT業界にいるので、コロナ禍の影響を受けている訳ではないのですが、それでも先行き不透明な時代、閉塞感は感じます。業界団体の会合でも、この状況を乗り越えるために様々な意見交換がされています。個人レベルでも感染防止に気を付けながら生き抜いて行かなくてはなりません。困っている人もたくさんいるのも知っています。人によっては今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなるというストレスもあるでしょう。
ちょっとした気遣いや励ましの言葉がいつも以上に心に染みる時期ですね。
みんな元気で、無事に乗り越えましょう。
前向きな言葉で、自然と前を向けますね。
今日のハイライトは30km走できたことと、作った八宝菜がとても美味しくできたこと
前日のワクワクをそのままに朝は5時に目がぱっちり。今日はロング走だ!嬉しい!予定どおり6:30に家を出て、まだ暗いなか国道を大阪方面に向かって走り出しました。
今朝の予定は、芦屋から淀屋橋まで走り、ラン友たちと合流して大阪城をぐるりと一周して淀屋橋でゴールするという30km走です。RadikoでFMを聴いて走りながら26年前の今日という日に思いを馳せました。様々な震災のエピソードがイヤフォンから流れてきます。今こうして走れるのも命あるおかげ。感謝しかありません。
朝焼けが美しい武庫川を渡り、
淀川を渡り、
梅田の高層ビル群を見ながら、
中之島を通って、
淀屋橋に到着。先に到着していたラン友さん二人と合流して、三人で大阪城ぐるりと一周してきました。今朝はランナーさん多かった!夜の外出が自粛している分、昼間に活動しようということでしょうか。
僕としては、国道で大好きなラン友さんと会えたし、大阪城でも同じチームのラン友さんを見かけたし(後でLINEで「走ってたよねー」っと盛り上がりました)、なんだか出会いの多さに幸せな気分になりました。皆さん、ありがとう!
午後からは実家に母の見舞いに。
今日はなぜか元気で会話もできたし、テーブルでイスに座って食事もしていました。寝たきりで会話すら出来なかったのにびっくり!
父と帰省中の弟の夜ご飯のために八宝菜を作ったのですが、自分でもびっくりするくらい美味しくできました。母も食べたいというので、具は少なめにしてお出汁をメインに取り分けてあげると、美味しい美味しいと言って食べてくれました。嬉しかった。
ここでも、命あることに感謝です。
明日からもしっかりがんばって生きます(行きます)。
美味しいカレーに出会ったり、明日30km走れると考えただけで、もう最高の気分
生きていて面白いなあと思うのは、日常のちょっとしたことで気分が上がったり、目の前の景色がバラ色になることです。本当にちょっとしたことでも。
今日ランチに入ったスパイスカレー屋さんの、キーマとチキンのあいがけカレーがめちゃくちゃ美味しかったことや、明日の朝、自宅から大阪城まで30km走ることとか、もう目の前にあることなのに考えただけで最高!
今日は一日会社で仕事でしたが、駅までの帰り道も、電車の中も、そんなことを考えるだけで心はウキウキ。ちょっとしたことで気分は上々。
意識している訳ではありませんが、セルフ・テンションコントロールって大事ですね。
弱さを見せると人は助けてくれる
病で弱っている母を、90歳を越えてまだまだ元気な祖母や、叔母、父や弟、そしてもちろん我々家族や友人たちが一生懸命看病しているのを見ていると、弱った時に人って助けてもらえるのだなと実感します。
若くて元気な頃は尖っていて人の世話にはならないと、(もし仮に)本人は思っていたとしても、やはり弱れば周りの人間が助けてくれる。もちろん仲良くて良い関係の家族や仲間がいるということが前提になるのでしょうけれど。人は一人では生きていけないのですよね。
これは会社組織でも同じなんです。
自ら弱さを見せることが出来る人は組織で用いてもらえます。表面を取り繕ったり、良く見せようとしているにも関わらず、結果としてボロが出る人のことではありませんよ。自ら弱さを認めて自ら伝えることができる人のことです。
「自分はここは苦手です。その代わり、この分野は任せてください。人一倍がんばります」と言えるかどうかです。優秀なマネジメントがいる組織では、その人の弱点を知らずして適材適所、最適配置は実現しませんので、そういう人を組織は用いやすいのです。
逆に、弱さを見せれない人は、組織で活かせてもらえません。この人の弱点は何か、逆に強みは何かが分からない。とりあえず、雰囲気で愛想がいいので営業させておくか、きっちりしてそうなので経理をさせておくか、となります。でもそれが本当の自分でない場合は、パフォーマンスを発揮できませんよね。働く本人もストレスです。
ただ、人って弱さを見せることに異常に抵抗します。弱みを見せたくない、すごい人と思われたい。弱みを握られるとなめられる。それこそ、弱い人の発想です。弱みを握られたと萎縮し逃げるのではなく、弱さを知ってもらえた、受け入れてもらえたと感謝し恩返しできる人が本当の意味で強くて優しい人なんですよね。
より本質的な世の中になった時、自分を良く見せようと思う人、去勢を張る人、八方美人はこれから没落していきます。
謙虚な気持ちで弱さをさらけ出すこと、オープンであること。そして、人の弱さも受け入れてあげること。それこそが本当の強さだし、そういう人たちがいてこその「強みを活かす組織」となるわけです。
みなさんどうされていますか?自宅での楽しいインプットの方法
緊急事態宣言の発出により、自宅にいる時間が長くなりますね。
当社もいよいよ本格的に在宅ワークの社員が増えますし、僕のように出勤していても仕事が終わればどこにも寄らずまっすぐ帰宅。だってお店も20時とか21時までしか開いてないんですから。当面、国内の出張の予定もなくなりました。仕方ないですよね。
今朝、シリコンバレーの取引先とZoomで繋いでオンラインカンファレンスをしていたのですが、もうなんだかこの感じ(WEBカンファレンス)が普通になっちゃったよね、展示会とか海外出張とか、もうこの先なくなっちゃうかもね。と。ワクチンを打ったり集団免疫が出来たとしても、この先もオンライン、バーチャル、リモートがスタンダードになって行くような気がします。特にビジネスに関しては。
旅ランナーとしては寂しい限りですが、まあどうしようもないので、この期間を最高のインプットの期間にしたいと思っています。仕事以外で僕が今取り組んでいるのはこちら。
・読書
積読になっている本を片っ端から片付けていく。一番てっとり早いインプットの方法ですね。
・ランニング
普段から走ってますけど、出張旅ランが出来ないので「地元のいいとこ再発見!」のランを楽しんでいます。最近は神戸の観光地ランがお気に入りです。もちろんゴールは温泉や銭湯です。
・料理
元々、料理は趣味なのですが、この期間にあらためて。調味料や出汁の見直しをしたり、レパートリーを増やしたり。
・昔のドラマ
Amazon Prime で「孤独のグルメ」をシーズン1から見ています。もうね、僕はこの手のドラマが大好きなんですわ。根っからの食べ歩き好きなんでしょうね。
・オンラインイベントへの参加
所属しているコミュニティのオンラインイベントには出来るだけ参加するようにしています。離れていても刺激や学びをもらえる!とても楽しい時間です。
・棚卸し
これはいろんな意味で。ミニマリストなので持ち物は少ないのですが、「目に見えない持ち物」の棚卸しですね。必要なものと不要なものを切り分けて断捨離をする。目に見えないものってどういうものかというと、例えば、思考を何にフォーカスするか、どこに時間を使うか、誰と過ごすか、など色々あります。このように整理することによってできた頭と感情の隙間に、新しい風を入れていく。常に前に進み続けるためのプロセスのようなものです。
皆さんはどのように過ごされていますか?
母と庭木とミネストローネ
この三連休は本当に良い天気でした。
高台にある実家で母のためにミネストローネを作りながら、時折キッチンの窓から眼下に広がる景色を眺めています。庭木が風に揺れるのが見えますが、音はなく、とても静かです。
年末から年始にかけて、母の容態が急激に悪化し一時はどうなることかと思いつつ毎日実家に通っていた日々ですが、母自身の気力体力の強さと、家族全員で交代しながらの看病で今ではテーブルで食事ができるくらい回復しました。いつどうなるか分からない状況に変わりはありませんが、作ったものをおいしいおいしいと言って食べてくれるのは嬉しいものです。どうでもいい話で笑ってくれたり。楽しく幸せな時間です。
そんな中、朝はランニング、午後や夕方から実家という形でこの連休を過ごしていました。走る方は地元でのラン、神戸でのラン友さんとのロング走。二日間で41km。実家では、ベッドサイドでの読書や仕事がはかどりました。
寒さは厳しかったのですが、それ以上に空の青がとてもきれいで。思わず走りに出て、スマホのセルフタイマーで自撮りです。このブルーは冬ならではですね。寒さに勝って外に出たご褒美です。
また明日から多忙な日々が始まりますが、しっかりチャージすることができました。