母のこと

あまりこういう私的なことを書くのもどうかと思ったのだけど、そもそも私的なことしか書いていないブログを15年以上も続けているのに何を今さらと自分につっこみを入れたりしながら。

今年に入って母が何回か危篤状態になり、それでも奇跡的な意識回復を繰り返す中、実家に行って手を握ったり脚をさすったりしている時は母の顔を見たり時折会話もできるので安心するのだけど、母の側を離れると心配で心配で、もうどうにもならなくて。

帰る時に、お母さんまた来るねと言うと、意識がある時は目を開いてくれて、小首をかしげて困ったように笑いながら、知ちゃんありがとう。おやすみ。と言ってくれる母の顔を毎日ずっと引きずって過ごしている。そういう気持ちをどこにも出せないので、ブログに書くしかなくて。

すいません。

2017年10月に末期の膵臓がんと診断され、そこから本人のがんばりと、家族の支えと病院の先生や友人たちの励ましのおかげで奇跡的に3年以上も生きている母。どこの病院の先生や、民間治療の先生や看護師さんや理学療法士の方が異口同音に3年以上生きている事自体がもう奇跡です、こんな人みたことないです、と言われ続けて、困ったなあと言いながらも嬉しそうにしていた母。

それでも病の進行と抗がん剤治療の(副作用も含めた)限界も来て、昨年12月からは本人の意向もあり、治療もやめて民間の先生方に教えていただいものを使いつつ緩和ケアを続けながら自宅で過ごしている。お母さんは家が大好きだし、広い庭に植えている好きな花の手入れも大好きなので、好きなものに囲まれているのが一番いいと思っているみたい。もう一ヶ月の間、大好きな庭には出れていなけれど。

僕としてはこれだけ生きてくれたことに本当に感謝しているのだけど、さすがにろうそくの火が細くなっていく中で、その小さな火を消すまいと、辛いながらも懸命に生きている母を目の当たりにし、ふとした瞬間に自分が幼い頃から今に至るまでの母との思い出をずっと辿っている自分がいるのに気づく。母は背が高くて、きれいで、強かった。そして、今も強く生きている。

正義感が強く、曲がったことが嫌い。納得しなければ動かず、融通が効かずに「ややこしい」ところも、長男である僕はそっくりそのまま受け継いでいて、自分で嫌になることもある。母との違いは、彼女が使用人がたくさんいる大きな家の守られた環境で育ち、ある意味そのままの母でいることを良しとしてもらえたことに対し、僕のように社会に出て揉まれてそれなりにコミュニケーションの仕方や、人との関わり方などを学んで多少丸くなったくらいの違いで、底流の部分はほとんど同じなんだろうなと思う。似ているからこそ、たくさんぶつかった。ただし母は人に優しかったし、いろんな人を助けていた。そして本人は自分の弱さを、ちゃんと強さに変えていた。

3年4ヶ月前の2017年10月のあの日のことを僕は一日も忘れたことはない。出張中で、中央線に乗って東京駅に向かっている電車の中で携帯電話が鳴った。みると母だった。普段仕事中に電話なんて絶対に掛けてこない母なのでびっくりして小さな声で電話を取ると、ちょっと話があるの、と。お母さん、僕いま電車に乗ってるんだ。ちょっと待っててね。次の駅で降りるからすぐに掛け直すね、と神田のホームで母に電話を掛け直した。

出張中にごめんね。知ちゃん驚かないで聞いてね。お父さんにもおばあちゃんにも、Sちゃん(僕の弟)にも、まだ誰にも言ってないのだけど。お母さん、膵臓がんみたい。それもすごく大きな。お父さんには話すけど、きっとショックを受けてどうなるか分からないから、まず一番に知ちゃんに話しておきたくて。お母さん、もう本当にあまり長くないかもしれない。

明るく気丈に振る舞っていたけれど、その声はやっぱり弱々しかった。そして少し泣いていた。その日から今に至るまで、家族みんなで母を支え、いろんな決定をし、母が大好きな八ヶ岳の家にも身体が許す限り季節ごとに通ったし、いろんなところを一緒に旅行した。そして、闘病中の母から多くのことを学んだ。

いつかはこうなると思っていたし、この3年で覚悟も出来ているつもりだった。今はもうあとどれくらい一緒にいれるのかを指折り数えるようになっている。話が出来る時もあるけど、今日のようにまた意識がなくなって危篤状態になる時もある。僕はずっとお母さんと一緒にいたい。でももう叶わないかもしれない。寂しいし、悔しい。もうあんな困った顔で無理やり笑顔を作らせたくもない。がんばってほしいけど、がんばってほしくもない。自分の中で混沌とした思いがずっと渦巻いている。そして、一人でいると涙が流れてしまう。

先のことは考えない。
お母さん、待ってて。また明日も手を握りに行くから。


追伸:
出たり抜けたりしている自分の仕事のフォローをしてくれている会社の皆さん、予定を調整させてもらっている仲間の皆さん、色々な励ましの言葉を掛けていただいている皆さん、本当にありがとうございます。力になっています。感謝です。

もちろん、いつも母の傍にいてくれる僕の愛する家族たちにも。