自分の存在理由を消去するために全力を尽くすことが、子育て


土曜日は小学校でステージ発表会があったので、娘の勇姿を見に行ったのですが、子供の成長は早いですね。クラスの子たちも一年生(あるいはそれよりも前)から知っている子たちも多くて、ああ、みんな大きくなったなと感慨にふけりながら目を細めていました。嬉しくもあり、頼もしくもあり、少し寂しくもあり。

こういう風に考える時にいつも思い出すのが、以前、内田樹先生が書かれていたこの言葉。

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「子育ては苦役だ」という言い方も「子育ては至福だ」という言い方も、どちらも正しいと私は思う。苦役でありかつ至福であるような経験。もっとも人間的な経験はたいていそういう質のものである。親の仕事の目的は、子どもが「親を必要としなくなる」ことである。自分の存在理由を消去するために全力を尽くす。
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少し極論チックではありますが、少なくとも子育てはある意味矛盾であり、親はいつまでも子供と一緒にいたいと思って愛情を注ぐけれど、実は子育てというのは、親(自分自身)から一日も早く独立するために最善を尽す行為のことであるということだということについては、僕は納得です。

とはいえ、実際のところ親から完全に離れるか・・・というと大きくなってもそうでもないのかもしれません。僕も実家が近いから、ほぼ毎週末手伝いに行っていますし、願わくば我が娘達ともそのような良好な関係を保ち続けることが出来るよう、質の良いコミュニケーションとレスポンシビリティを果たして行きたいと思います。高学年になっても、まだまだ抱っこを求めてくる娘達ですが、これからどうなっていくのやら。笑

(こちらはピアノから帰ってくるなり、花の種を植えると言ってキャビネットをゴソゴソする次女)
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