どうせなら何かを生み出そう


「仕事」という言葉を定義する時に、よく前提条件として「受」か「能」かのどちらかに分類されます。

通常、仕事の多くは物理的には「受」のものがほとんどです。リクエスト、リクワイアメント、レギュレーションがあらかじめ定められており、それには大抵「納期」というものがあり、それらが重なってくると否応なしに生産性を上げなければなりません。精神的には「追われる」「忙しい」という状態になります。とにかく処理能力を向上させ、効率的に品質を保ちながら生産しなければなりません。当たり前のことです。

しかし、それが果たして良いことなのかどうか、未来に繋がるかどうかという点については疑問符がつきます。仕事=処理=生産性ということであれば、そこにクリエイティビティ(創造性)が存在する余地は極めて小さくなるから。それが受動的か能動的かと分類されるのであれば、処理は「受」で、クリエイティブは「能」と言えるかもしれません。仕事に取り組む時、創造性を意識しながら行わなければ、それは単なる作業で終わってしまいます。

とはいえ、その中でもクリエイティビティを意識することはできる。どんな仕事でも「工夫とアイデアと創造性」を持つことはできますよね。ちょっとした工夫。プラスアルファの提案。一歩踏み込んだテクノロジー。僕も常にそういうことを意識しようとは思いつつ、なかなかそうはできないのが反省点です。常にクリエイティビティを意識しながら取り組めば、「羽のない風力発電機」も発明できちゃうんですよね。

未来の風力発電機には「羽がない」(Wired.jp)

どうせ一日に10時間以上仕事をするのであれば、その中から何かを生み出さなければもったいない。そう思っています。