何かを始めるのに遅すぎることはない


今日も小休憩時に30分。

以前からずっと温め続けてきたことを今年は実行しようかと考えています。
実際、それをスタートするには相当の準備と周りの理解が必要なのだけど、
一歩踏み出さないと何も始まらない。

最短で向こう6年の計画を立てています。
これは相当勇気がいることです。今まで、その高い壁と長い道のりに恐れ慄き、意欲に蓋をしてきたのですが、最近になりスッとブレイクスルーしました。自問自答を繰り返す中で、「今、36歳。6年後はまだ42歳か、そう考えると全然若いな。」とオプティミスティックに考えられるようになったんですね。今はこういう事情だから無理とか、云々かんぬんと言うのは全て言い訳でしかなかったんだな、と思えるようになりました。何もしないで後悔することだけは避けたい。そして、冷静に計画を立てて考えてみると、実現可能だと判断したのです。ここ数年、自分の中で色んな壁にぶつかっていて、それを解決するためにはこの方法しかない、と結論付けました。
まあ、あれですよ。事業を始めるとか独立する、といった類のものではありません。自分のスキルを補完するために勉強し、関係する組織の中でポテンシャルを更に発揮したいと思っているだけのことです。

問題点の抽出作業はずっと前から行っているのですが、それを解決するための手段についてオプティミスティックに考えられるようになったきっかけは二つあります。

一つは周りの友人達の影響。
同級生が新しいことを始めたり、先輩が留学したり。40歳手前になって更にスキルアップとキャリアアップに励み続ける上昇思考の強い人が身近にたくさんいて、そのような人達に囲まれていると、否応なしにインスパイアされます。人間は環境に大きく依存しますよね。例えば英語を習得したければ英語圏に住む(日本人がいないとこね)のが一番早いのと同じです。この点については最近「周りに恵まれているとは」という記事で酔っ払った状態で色々と書きました。

二つ目は、マラソンです。
え?マラソン?と思われるかもしれません。
昨年の暮れに初めてフルマラソンを走り、二回目は今年の3月に走りました。昨年の正月に「フルマラソン完走」という目標を立てた時、自分の中でも「これは相当高い目標を立てちゃったな」と思ったものです。どうしよう、と。でも、言った手前引き下がれません。それ相応の準備をし(走るのは楽しいけれど、決して楽なことではありません)、なんとか完走できました。足を引きずりながらだったけれど、両方4時間以内で完走できたんですね。ああ、人間ってやってやれないことはないんだな、と確信しました。そして、走った距離は嘘をつかない、とも思いました。

努力をすれば努力をした分だけ返ってくるのがマラソンです。それは全てに共通して言えることだと思っています。もし、自分が昨年の走った期間(準備期間)を別のことで過ごしていたとしたらどうだったかと思うとゾッとします。TVを見たり酒を飲んでゴロゴロしたりして過ごしていたでしょうね。何も生み出しません。悪い性格なのかもしれませんが、その「隙間をいかに建設的なことで埋めるか」ということが自分の中で強迫観念のようになっています。でも、それで良かったと思っています。結局は積み重ねるしかないんですよね。

おっと、ちょっと時間を超過してしまいました。
続きはまた今度。