いつの時代も燃える種目がある


運動会のシーズンですね。
娘が小さかった頃は春の運動会に違和感がありましたが、もう何年も経験しているので、今となっては「春=運動会」が定着しています。それにしても素晴らしい天気で、まさに「運動会日和」でした。

とにかく毎年燃えるのが、リレーと騎馬戦、そして親子競技です。

特に騎馬戦の起源は明治の西洋体育の導入時に遡るようですが、見ているだけでも本当に燃える。競技として分かりやすいからかもしれないですね。最近では安全性の観点から色々と考慮されているようですが、娘の学校でも教育実習の若手先生方を含め、係のご父兄方でしょうか、たくさんの方が騎馬の周りを囲んで安全を確保しておられました。それでも、児童と観客も一体となって盛り上がるのが、この騎馬戦なのです。伝統は続けて行って欲しいですよね。

親子競技は三種目あります。玉入れ、大玉送り、そして綱引き。
僕は身体が大きくて筋肉質ですので、問答無用で綱引きです。綱引き以外の種目に出たことがないという「ガチ腕力系」です。でも、この綱引きも燃えるんだな。父兄が一体となりますし。

いやいや、とにかく楽しい一日でした。
明日は日焼けを気にしながらの一日になりそうです。

これ以上の贈り物があるだろうか


怒涛のごとく過ぎ去った今週の締めくくり、すべての業務を終えて帰宅すると・・・思いもしなかったギフトが届いていました。

世界一のブレンデッドウイスキー。
最高峰のジャパニーズウイスキー。
琥珀色の聖水。(←!?)

数々の称号で呼ばれる銘酒、響12年です。
こんな嬉しい贈り物はないよね。

ちなみに僕はシングルモルトも大好きなのですが、響12年はまた別格。IWSC、ISC、WWAなど、各コンペティションで金賞を受賞し続けている世界一のジャパニーズウイスキーは、普段は手が届きにくい高級酒。

特別な時以外は滅多に口にしないものですが、響12年の芳醇な香りが大好きで、これを世界一のウイスキーに導いたサントリーのブレンダー、輿水さんのサイン入りの本まで持っています。

いやあ、嬉しいなあ。
いつ開封しようかと思っているのですが、このまま開封せずに置いておくかも・・・(笑)いやいや、少しづつ、大事に大事に楽しませていただくことにいたしましょう。感謝!!

今年はどうも縁がないらしい


東京出張時の楽しみと言えば、新幹線の車窓から見える富士山。

関東にいる人にとってはそんなに珍しいものではないと思うのだけど、関西人にとっての永遠の憧れは富士山を完全な姿で見ることだったりするのです(tmk調べ)。今年に入ってからも、何度も往復している大阪〜東京間ですが、まだ一度もお目にかかれていない。ついでに言うと、隠れた富士山ウォッチスポットである八ヶ岳ベースの山梨側からもまだ見ることが出来ていない。

一体どうなっているのだという気持ちを抑えつつ、今朝の富士山がこれです。

やっぱりな!!!!

ね!?こうなるでしょ?
ちなみに、この写真の中の富士山がどこにあるのかと言うと、ラピュタに出てくる「竜の巣」のような雲に覆われておられます。縁がないとはこのことだ。昨年は勝率高かったんだけどな。まあでも、取引先のダンディ社長に品川駅でばったり会ったり、紹介いただいた方がとても素晴らしく今後のビジネス展開が面白くなったりと、人との縁はたくさんありましたので、これ以上を求めるというのは贅沢というものでしょう。

次回は再来週。
次のタイミングに期待したいと思います。

関係ないですが、午後から雨の予定だった東京。
しかしありがたいことに雨にも会わず夕陽も美しかったので。

多摩川の写真です。

いかにも資本主義経済やなあ、という感想しか出なかったニュース


いかにも資本主義経済の実体を良く表しているなと思った記事です。
最近こういうの多いですね。

イギリス富裕層1000人の資産総額、GDPの3分の1に (huffington post)

たった1,000人で88兆円の資産があるとのこと。不動産も入っているでしょうけれど、まあ、「資本家が支配するのが資本主義経済である」という実体を非常に良く表していますね。大切なことなので二回言いますが、資本主義は資本家が支配します。資本家は金を使うのではなく、金を使って金を増やします。使うのではなく、貸して増やします。彼らが消費している金は庶民層とさほど変わらない。多少衣食住で格差があったとしても、保有資産の格差に比べれば微々たるもの。

一方、富裕層ではない層は金を消費します。衣食住、教育、すべてでインカムの大部分を消費します。家計はプラスマイナス0かマイナスです。年収500万の人が4000万の家を買うために、借り入れ(借金)をしますが、その時点で、マイナスのスタートです。住宅ローンなどの融資の元となる金は、銀行に貯蓄している富裕層の莫大な資産です。つまり、一般市民は富裕層から金を借りて家を建て、35年間、利子を払いながら返済を続けるのです。一生親方を逆転できない丁稚奉公のようなものですね。その上で階級社会ですから、どうにもハイエラルキーの上層には行けないという現実もあります。寂しい話ですが、それが資本主義経済の現実です。問題は、将来的にそれらの富がどういう風に分散されていくかという点でしょうね。

「分散」という言葉を使ったのは、ある意味、自然淘汰というか、経済の流れや時代ごとのシステムの変化によって自然に分散されていくようなイメージです。戦後に財閥解体された日本のようなイメージですね。今はまた格差が広がって来ていますが。

分配というと、富裕層や国の意思が働きますが、先日の記事で紹介したとおり、富裕層はどんどん富を守ろうとする傾向にあるようですから(分断された社会 ー まるでSF小説の世界だ)、今後どのようになっていくのか注視が必要です。

英国、米国の事例が最近クローズアップされますが、日本も時代は変わって来ています。一億総中流というのは崩壊し、日本はまだ恵まれているよねーっというのもいつまで続くか分からないので、自分の身は自分で守るという思考にシフトすべきですね。考えさせられます。

ただし、こういう世の中が「社会として進歩しているのか」という観点から論じれば、いやむしろ時代を逆行しているよね、という風にしか感じません。言ってみれば、ここまで格差が生まれるというのは封建時代や、王侯貴族が現役であった時代ですからね。どんだけ時代逆行してんだ。成熟した社会というのは、一体どのような社会なのか、その辺りがキーでしょう。

見慣れた景色でも、違った見え方がして味わい深い


昨日、10年以上の付き合いがある部下の結婚式に参列しました。
場所は芦屋浜。

いつもジョギングをしているコースに位置する式場に入ったのは初めてですが、海沿いを意識してか、地中海風の建物もとても良い雰囲気です。

結婚式のスタイルは色々あれど、どれも幸せに溢れていて、参列する度に「ああ、いいものだなあ」と思いますよね。「祝福する」「感謝する」という、素敵な想いがたくさん集まると、大きなプラスのパワーになるという良い例だと思います。なんていうのか、場の空気がとても良いんですね。

対照的に、会社近くのランチ時の弁当屋(ほっ◯ほ◯か亭の中でもあそこだけ特別?)や、満員電車の空気が良いと感じたことはありませんもん。そう考えると、人も空気もパワーも、気持ちがすべて。プラスの気持ちを持ち続けて行きたいものです。

話がそれましたが、新郎新婦、末永くお幸せにね!

自分は何者なのかを確認する = 進んでは立ち止まるという行動の必然性


先週末にホームセンターに行き、トマトの苗を二つ(ミニトマトとアイコ)とキュウリの苗を一つ買って来ました。それから一週間、トマトには小さな実が月初め、キュウリのつるも伸び始めました。

植物や野菜を育てるというのは、マラソンやダイエットに似ていますよね。毎日同じことの繰り返し。毎朝、水をやって観察する。追肥したり、日陰を作ったり。決められたことを習慣的に繰り返していけば、彼らは実りを与えてくれます。人間が出来ることなど、決められたことを行うことだけで、実りは彼らの生命力あってのもの。人間は、ただ、水を運び、過ごしやすいように環境を調え、食事を運ぶ「給仕」のようなものですね。
がんばってお世話をさせていただくので、実りを与えてくださいね。


「自分は何者である」と自信を持ってはっきり言えるというのは、自分にとっても、周りの人間にとっても気持ちの良いことです。気持ちが良いということは、違和感がないということ。でも、どれだけの人間が「違和感のない生き方」を出来ているのか。本当に心から「したいことをし、結果として稼ぐ」ことが出来ているのか。

この世の中で成功する(=地位・名声・富をゲットする)ということは、今の世の中で形作られている仕組み、例えば、経済の仕組み、政治の仕組み、資本主義の仕組みを十分に理解し、そのシステムの上を上手に渡り歩くことができる人のことを言います。基本的に、定量化された結果は「得るお金の量」によって評価される。その量によって、生活の質が左右される。「幸福度」という定量化できないものは、内面の満足から得られるものであると思うけれど、それは相対的な評価ではなく、あくまでインディビデュアルな評価ですよね。どちらに重きを置くかはその人次第です。

前者について考える時、定量化された結果を得るための手段は「仕事」にしか過ぎない訳ですから、大人になれば誰でも「仕事」という生業から離れることはできません。向き不向き関係なく、誰もが働かなくてはならない。有能な人、才能があるとされる人は、その仕事を上手に行うことができます。それは、この世の中を形作るシステムを良く理解しているということですね。

僕自身は、人間なんて、いくら偉そうにしたりイケてるように見せたりしても、所詮アミノ酸の固まりであると思っています。(過去記事「人間は、ただのアミノ酸である」を参照)その中で、誰とか、何かとか、と比べたり、競ったり、喧嘩したりすることは無意味なことだと思っています。それよりも、自分がいかに納得できるか、いかに自然でいれるか、正直に認めることができる方が気持ちの良い生き方ができる気がします。

しかし普段は「仕組みの中に組み込まれている」ので、めちゃくちゃ忙しい。時間がない。進むしかない。でも、そこに違和感があるから、立ち止まる。その立ち止まる時間を確保するために、毎朝5時に起きているようなものだな・・・と思い始めました。この時間だけは、仕事に直結しないことを自由に取り入れることが出来るからです。それは、人間としての必然性です。

今朝に限っては、山積した仕事のタスクを消化するために5時に起床したのですが、結果的に、仕事とは無関係(つまり金に直結しない)本を読んだり、物思いに耽ったりしているんですから、そもそもビジネスには向いてません。はい、あっさりと認めます。

最近、向いていないことを素直に受け入れようと思っています。こういう考え方、こういう人間もどこかで何かの役に立つかもしれない。決められたことをちゃんと行う有能なイエスマンとしての素質は全く持ち合わせていないし、そこで満足を感じることができる素養もないので、組織の一員としてはやっていけない人材ではありますが、どこかで何かにはなるかも。

そんなことを考えていると、タイミング良く内田樹先生のこの記事に出会いました。先週、読もう読もうと思ってリーディングリストに入れたまま忘れていたのです。

半分あきらめて生きる ー 内田樹の研究室

賛否両論あると思いますし、「身も蓋もないことを説得力ある仕方で書く人」という評価もありますが、僕は10年以上前から内田先生の考え方やテクストは好きで読んでいます。違和感なく、スッーっと入ってくる数少ないオーサーですね。

それでは、今日はこの辺で。
皆様も良い日曜日を。

風になびく


娘たちのピアノレッスンがてら、夙川の鯉のぼり。
風にゆらゆら気持ち良さそう。

自然の中では時間がゆっくり流れますね。
ここでは「遅い時間軸」なのかも。
ホッとします。


夙川もそうでしたが、今日もたくさんのハイカーと出会いました。
シーズンですもんね。

芦屋川から見える六甲の山に、
今日はどのくらいの人達が登っているのでしょうか。


こちらもゆっくり時間が流れるような曲です。
Flower Records から Feel vol3、懐かしいですね。
“Far East Easy Listening”です。

FLY – ORIGINAL / M.O.K. feat.CHIJIKA

複数の時間軸を自在に行き来できる、という説について


本当に集中している時は、一時間が5分のように、ニ時間が10分のように感じられるものです。今日の夜がまさにそんな感じ。切羽詰まって駅前のカフェに駆け込んだのが21時過ぎ。そこから鬼のようにタイピングをして時計を見たのが23時。その間、約二時間でしたが、まさに「え!?まだ10分くらいしか経ってないんじゃ・・・」という感覚に陥りました。

時間の速度というのは面白いものですね。


その件についてですが、先日、友人と話をしているとこんなことを言っていました。

時間の流れが速い時、遅い時ってあるよね。
あれ、物理的に時間の流れそのものが、本当に速かったり遅かったりするんやと思うねん。実は、人の人生の中で時間軸は何本も走っているんじゃないかな。速く感じる時は、速い流れに身を置いていて、遅く感じる時は、遅い流れの上にいる。そういった、速度が違う何本もの時間軸を、人は無意識の内に自在に渡り歩くことができていて、その繰り返しが人生なのんじゃないかな。そう考えると、今の自分が本当の自分かどうかも分からないし、客観的に自分を見ることが出来て面白いねん。

細かい部分は違うかもしれないけれど、その話を、僕は概ねこのように解釈しました。

「概ね解釈した」というのは、このロジックが自分にとってはあまりに衝撃的な考え方だったからです。複数の時間軸がパラレルで走っていて、自分が自在にその軸を飛び回っているとすると、どれが本当の「軸」なのか分からなくなりますよね。

今、この瞬間の自分だけが、自分である。

過去の記憶は?
未来は?
このまま、一つの時間軸がずっと繋がっていくのではないの?
確かに時間の流れに速度(体感)の変化はあるものの、
個体としての自分は老化していくし、歳も取って行くよね。
それってどう考えるの?
え?

こんな感じでポカンとその話を聞いていました。
深いことは分からないけれど、事実として「速い流れと遅い流れ」という時間軸が存在するのは事実かもしれませんね。少なくとも、日々の生活でそう実感することが多々あるのですから。

いずれにしても、視点を変えた捉え方というのはとても面白いものです。

It will be a refreshing change of pace


グッとペースを上げて集中し、たまに立ち止まって顔を上げ、周りを見渡してみる。ペースを上げている時は目の前のことしか見えず、視野が狭くなるけれど、一つのことを完遂する時は、イヤフォンで耳を塞ぎ、PCにかじりつくと良いパフォーマンスが発揮されますよね。

でも「あ、何か忘れているかも・・・」と不安になる時もある。そんな時は、顔を上げて周りを見渡してみる。例えばメモ書きを見たり、メーラーを開けたり。電話や打ち合わせで否応なしに顔を上げざるを得ない時もありますけれど、それが「今、自分がどこにいて、何をしなければならないのか」を確認するための良いきっかけとなったりします。

そんなことを繰り返していると、今日がもう5月の真ん中であるということに気づきました。今年に入ってから、2月と3月は「存在したのか?」というくらいあっという間に過ぎ去って行き、さあ4月に入って心機一転!と思ったのも束の間、5月後半戦て(笑)今年は一体どうなっているのだ。そりゃブログの更新も飛ばしがちになるわ。

6月は展示会に海外出張と、こちらもしっかりと予定を管理しなければあっという間に流されていきそうですので、今からしっかりタスク管理しておきたいと思います。(とは言いつつも、暴風雨のようなメールと電話の嵐に振り回されているんですけれど)


気分転換には良質の音楽を。

やっぱり季節柄、Sabrina Malheiros ですね。

この爽やかさが彼女の”House,jazz,samba”を融合させた”nu bossa”の真骨頂かと思っております。今日はスピード感がたまらないこの一曲を。

Sabrina Malheiros – Bobeira (2011)

気分は、Ipanema beach。

次の時代が見えてくるネタ二つ


少し前のニュースになってしまいましたが、こんな記事が話題になりました。ブログで書こう書こうと思っていて時間が過ぎてしまったニュースです。

自治体、2040年に半数消滅の恐れ 人口減で存続厳しく
各種推計、政策見直し迫る

全国1800市区町村の内、896が2040年に消滅する可能性があるとのこと。市区町村は半分に減ってしまうとのデータです。ネットの片隅で細々とこのブログを営んでいる僕でも、以前から「シュリンクする日本」「人口減による住宅供給問題」などを取り上げては身も蓋もない持論を展開している訳ですが、この「市区町村消滅」という記事は大局的な人口減少問題の一つの側面ですね。

人口減でインフラを維持できなくなった自治体から、今後ますます都市部へ人々が移動するでしょう。そうなると置き去りにされた地方はどうなるのでしょうか。この辺りがポイントとなってきそうです。農地として他国移民に解放するか、それとも、手付かずの自然に戻すか。一方、都市部を超ハイテク都市にして、人間が住む環境と自然とを切り離してしまうか。ちょっと色々と考えると次の時代が見えてきそうな気がしますね。


こちらはハイテク分野。
テックはウェアラブルデバイスへと向かっていますが、これはルパンが持っていそうなリングですね。

指輪で様々な家電やゲームをリモコン代わりに操作できます。
てか、ここまで来ると人間って本当に動かない生き物として退化して行きそうです。SF小説に出てくるような、脳ばかりが大きくて、体がクラゲみたいな火星人のようにはならないようにしましょう。エクササイズ、エクササイズ!(笑

それでは今日はこの辺で。