複数の時間軸を自在に行き来できる、という説について


本当に集中している時は、一時間が5分のように、ニ時間が10分のように感じられるものです。今日の夜がまさにそんな感じ。切羽詰まって駅前のカフェに駆け込んだのが21時過ぎ。そこから鬼のようにタイピングをして時計を見たのが23時。その間、約二時間でしたが、まさに「え!?まだ10分くらいしか経ってないんじゃ・・・」という感覚に陥りました。

時間の速度というのは面白いものですね。


その件についてですが、先日、友人と話をしているとこんなことを言っていました。

時間の流れが速い時、遅い時ってあるよね。
あれ、物理的に時間の流れそのものが、本当に速かったり遅かったりするんやと思うねん。実は、人の人生の中で時間軸は何本も走っているんじゃないかな。速く感じる時は、速い流れに身を置いていて、遅く感じる時は、遅い流れの上にいる。そういった、速度が違う何本もの時間軸を、人は無意識の内に自在に渡り歩くことができていて、その繰り返しが人生なのんじゃないかな。そう考えると、今の自分が本当の自分かどうかも分からないし、客観的に自分を見ることが出来て面白いねん。

細かい部分は違うかもしれないけれど、その話を、僕は概ねこのように解釈しました。

「概ね解釈した」というのは、このロジックが自分にとってはあまりに衝撃的な考え方だったからです。複数の時間軸がパラレルで走っていて、自分が自在にその軸を飛び回っているとすると、どれが本当の「軸」なのか分からなくなりますよね。

今、この瞬間の自分だけが、自分である。

過去の記憶は?
未来は?
このまま、一つの時間軸がずっと繋がっていくのではないの?
確かに時間の流れに速度(体感)の変化はあるものの、
個体としての自分は老化していくし、歳も取って行くよね。
それってどう考えるの?
え?

こんな感じでポカンとその話を聞いていました。
深いことは分からないけれど、事実として「速い流れと遅い流れ」という時間軸が存在するのは事実かもしれませんね。少なくとも、日々の生活でそう実感することが多々あるのですから。

いずれにしても、視点を変えた捉え方というのはとても面白いものです。

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