良いものは自然と認められる

この週末、産学官民連携団体KNS(関西ネットワークシステム)の20周年記念大会が大阪の南港ATCで開催されました。20年!すごい。行政と民間、大学の縦割りの壁を取っ払って、フラットに横の繋がりをもち、様々な課題について議論を深め実践してきた世話人の皆さんには敬意しかありません。

さて、様々なセッションが繰り広げられる中、話題はやはり2025年大阪万博が中心。もう2年後に迫っているというのに、普通の人にとって万博はなんだか遠い存在だし、関西あげて盛り上がろう!という機運も甚だなし。そのような課題感から「どのようにして機運を醸成できるか」というキーワードを聞きました。

「機運醸成」
「チームみんなで」
「盛り上げて行きたい」

という言葉、良く聞きます。組織開発の現場でもしょっちゅう出て来ます。でもね、僕、この言葉に殊更ドライな見方を持っています。理由は簡単。人は誰かによって動かさるものじゃないし、人を自分の思うとおりに動かそうとしている人がいるのであれば、それはエゴでしかない。つまり、利害関係がない限り、人は自分が心から納得しなければ動きません。人が動く時、それは内発的動機に基づくもので、あくまで自己決定がベースになっているからです。ですから、人が良いと思うものなら、機運というものは自然に醸成されるし、参加したいと思うものなら、勝手に参加者が増えて盛り上がるものなのです。だからこそ「良いもの」を作ることが大切です。

少し話は変わりますが、最近、承認欲求を満たしたい、満たされたい、という子供のような大人を良く目にします。これに関しても先の話と同じで、自分を見てくれ、褒めてくれ、というのはエゴでしかない。自分が承認してほしいと思うとおりに、承認してもらえるわけではないんですよね。(子育てについては、褒めて認めて伸ばしてあげることが重要ですが)

だって、そもそも地球上では、人間の存在自体が承認されていないじゃないですか。地球にとって人間はいてもいなくてもどうでも良い存在。むしろ、どんどん数は増えるし、木は切るし、燃やすし、海は汚すし、同じ種族同士で殺し合いはするし。迷惑な存在といっても良いかもしれません。だから、生かしていただいているという謙虚な気持ちと感謝、借りた物はお返しする、という気持ちが必要なんですよね。

またまた話は変わりますが、僕はゴルフのある環境で育ち、その影響で長年ゴルフを趣味としているのですが、このスポーツも承認欲求が満たされない代表格だと思っています。いくら練習しても、風、地形、天候によって思うように行かないし、クラブやボールも言う事を聞いてくれない。思うようにスコアが出ない。だからと言って、道具や人のせいにも出来ない。あくまで自分の問題。日々精進し、自分の腕を磨き、そして、自然に挑む。それを繰り返す。だから「ハマる」んですよね。

そもそも人を動かすことはできない、自分の思うとおりに認めてもらえるわけでもない。そう考えると、気持ちが楽になります。人や環境に何かを求めるのではなく、自分を磨くことに集中できますもんね。周りのことも気にならない。

たまにはこういう視点を持つことも大切ではないかな、と思います。

ブログを書き始めて18年が経過しました

関西地方は、梅雨の晴れ間。
雲の切れ目から少しだけ青空が見えたりして、蒸し暑くも気持ちの良い一日です。湿度の高い空気に、漬け込んだ大量の梅の香りが混ざり合い、漂ってきます。

気づけば6月ですが、6月といえばこのブログの誕生月です。2005年の6月からスタートして、丸18年。19年目に入りました。ブログの良いところは、過去のアーカイブを見て、その時の自分が何を考え、何を書いていたのかを振り返れることです。当然、世の中も自分の考えも、時間の経過と共に変化してきました。30代は成長一辺倒、努力一筋の筋肉質な考え方だったのが、より本質的に物事を捉え、答えを得るよりも「問いを立てる」ことを重視するようになってきました。

「問いを立てる」ためには、普段から自分の思考力と判断力を訓練しておく必要があります。そして判断力の精度を上げるためには、良質かつ膨大なインプットによる知識のプールが必要です。自分の場合、ここ数年、ネットから情報を収集するのではなく、本や論文から収集することを心掛けるようになりました。

ネットの情報はあくまで「速報値」として利用するけれど、時代の流れを掴み、今、なぜこういうことが起きているのかを分析するには、100年スパンでの経済史や歴史を学ぶことが必要です。瞬間瞬間を点で判断するのではなく、リニアに右方向に進む、直線的な時間軸の中での一事象と捉えた方がいい。俯瞰した物事の見方をしていれば、根無し草のように振り回されたり一喜一憂することもありません。ネットでは「それらしいこと」は発信されているけれど、薄くて価値のない情報が溢れているので、玉石混交の中から玉を拾い集めるのは困難です。

これから先をどのように生きるかについては、昨夜、同じ年の友人と飲みながら一つのヒントを得ることができました。友人は、55歳を一つの区切りとして(僕たちの年齢でいうとあと8年後です)、その時に「自分はこうなっている」とイメージしているそうです。確かに彼女は今でも仕事で成功しているし、「脳は騙されやすいのよ」と言っていることから、なりたい形を具体的にイメージをすることを普段から心掛けているのでしょう。

僕の場合、自分が「こうなりたい」とか「ああなりたい」とかを考えることが非常に苦手です。なぜなら人生の目標というものがなく、あったとしても、健康でありたいとか、社会のお役に立ちたいとか、漠然としたものしかないのです。でも、ただ漫然と生きるよりは何かしら目標があった方が良いなとも思うので、これは今年の宿題にしたいと思います。


さて、毎年、ブログの周年を迎えるに際し「僕はここでなにかしらをずっと書いています」と決意表明をしているのですが、今までなんとかその言葉どおりに続けてくることができました。そして、これからも僕はこの辺境の地でなにかを書き続けるでしょう。

いつも独り言に付き合ってくださる皆さまへ感謝の気持ちをこめて。
19年目もどうぞよろしくお願いいたします。


抗わずに受け入れると楽になる

6月に入りました。梅の収穫シーズンです。
 
我が家の庭には、三本の梅の木があります。その内の一本は斜面に立っているので収穫することは困難なのですが、それ以外の二本からは毎年、たくさんの梅を収穫します。

今年は嬉しいことに、きれいで大ぶりの梅が多かったです。出荷できるんちゃうか、というくらいたくさんの梅を収穫することができました。

農薬も肥料もなにもあげず、勝手に生えてるだけなのに、季節になると実をつける。僕たち人間はそれを見て、今年は大きいな、小さいな、豊作だな、不作だな、と言っているだけで、与えられるものをそのままいただいているだけなんですよね。

自然のまま、という言葉の大切さを最近特に感じています。
 
ありのまま、とか、抗わない(あらがわない)とか、自然体、とか、様々な表現ができるかもしれません。自然の恵みをそのままいただくのと同じで、身体や、環境の変化なども、そのまま受け入れると楽ですよね。

僕の場合、病気の影響で、体温が上昇すると発熱する(免疫暴走してしまう)ということが分かってきました。例えば、お酒を飲んだり、ランニングなどの激しい運動をすると、もれなく高熱を発熱します。また、疲労や、緊張も良くないようです。一度発熱すると一週間は続くので、割と細かな用心が必要です。

走って飲むということが趣味だったので、この二つが同時に出来なくなっていることは残念なことではありますが、「抗わない」こと、受け入れること、そして、別の楽しみを見つけることで変化に適応していくことが心身ともに健康に過ごすことの秘訣だと思います。そういえば、先週は東京に四日間出張していたのですが、すべての会食をノンアルで過ごしました。いや、これ、全然楽しかった!飲めなくても全然楽しい。むしろ健康的だし、新たな発見です。

そういえば、今朝たまたま目に止まった蛭子能収さんの記事、まさに自然体やなあ、と思いました。

「“蛭子さんの人生相談”最終回「言いにくいことを言い出すには?」

自分のしたいことに嘘がない。ダメ人間で何が悪い。
この開き直りとも言える自然体が、キラキラSNS時代の中にあって、より一層際立ちます。こうでなければならない、こうすることが成功の秘訣、そんな外部の情報に一切影響されず、無理せず、かっこつけず、(人には迷惑を掛けないように)自分に正直に我が道を歩んで行きたいものです。

より本質的に

二週間ほどブログの更新が空いてしまいました。

前回の更新後、仕事が急に忙しくなってことに加え、またまた39℃の発熱が始まり、今も継続中です。一度発熱すると長く続くんですよね、しんどいし、不思議。この病気は何がトリガーで発熱するのか分かりませんが、心当たりがあるとすれば、少し元気になって数km走ってしまったことと、アルコールを飲んだことでしょうか。

因果関係が証明された訳でもないので対処の方法はないのですが、やっぱり、走ることと飲むことは当面の間、休止ということになりそうです。このままランナー引退、ということだけは避けたいので、そのためにも自重します。

そういうわけで今週は全然動けてないのですが、解熱剤を飲むと一時的に熱は下がるので、会議やミーティングはすべてこなせています。仕事に関しては、アフターコロナの時代が本格的に始まり、より事業を「本質的」に見直したいというオファーが多く寄せられています。マーケット全体を通して言えることですが、右肩上がり成長への期待はなく、必要なものを必要なだけ買うこと、必要な分だけ稼ぐこと、そして、必要な仲間とだけ過ごすことというような、より本質的ともいえる雰囲気をすごく感じます。数字目標や組織拡大といった目標は意味をなさず、上場企業以外は中期経営計画を立てることなんて無意味なんじゃないのかなと思うようになってきました。だって、計画立てても達成できないでしょ。

とはいえ、会社としては売上を上げて、利益を確保していかなければならない。そのために、今まで教えられてきた「目標を立てて実行する」というプロセスを回すんですけど、これ数字面ではあまり意味のないことなんじゃないかなと思うんですよね。本当に世の中にとって価値があり、必要とされる製品は勝手に売れます。でも、その会社が売りたいと思って販売数目標を立てて、達成できなければ、無理やりディスカウントしたり、お願いして買ってもらうような製品ってそもそも存在しなくていいですよね。

企業の売上と利益は、為替と金利の影響で上ブレもするし、下ブレもする。だからベンチャーのように資金調達してIPO目指す、みたいな会社って本当にすごいよな〜と思うんです。僕なら怖くて出来ない。日本って国そのものが長距離走の文化なので、敵味方関係なく殴り合って短期決戦、強いものだけがWinner!みたいなビジネスは向いてないと思うんですよね。

話が逸れてしまいましたが、より本質的に、自社の強みと「こういう価値を提供したい」という役員の想いを棚卸しをし、社員と顧客と蜜にコミュニケーションしながら良い製品やサービスを本当に必要な人にだけ届ける、という当たり前のことがより求められていると思います。製品やサービスを顧客と向き合って磨き上げること。今進行中の依頼は、そういう芯の通ったプロジェクトばかりですので、こちらもやりがいを持ってお手伝いすることができています。

最後にこの二週間で撮りためたバラの写真を掲載しておきます。
もう散っちゃったかな。

バラつながりでバラのお菓子

自ら扉を開いておく

「自ら扉を開いておく」

自分が人のお役に立てるかもしれない数少ないことのひとつが、「自ら扉を開いておく」ことかなと思っています。言葉にするのが難しいのですが、先に自分から話すことで、相手に安心感を感じてもらう、というような意味でしょうか。

たとえば、朝、ジョギングや散歩中にすれ違う人には、必ず笑顔で「おはようございます」と声を掛けるようにしています。すると、ほとんどの人が挨拶を返してくれます。挨拶することって気持ち良いですよね。でも、こういうことは頭では分かっていても、自分から声を掛けるのは勇気のいることです。恥ずかしい、相手にどう思われるだろう、めんどくさいことは出来るだけ避けたい。様々な感情が先走ってしまって、なかなか動けない。でもこちらが動く(=開く)と、相手もちゃんと開いてくれるんですよね。

なぜこういうことを書いているかというと、いろんな方からいただいたメッセージに気付かされることがあったからです。

先月からブログで体調不良のことを少しづつ書いていましたが、意外にも多くの方に読んでいただき、たくさんのメッセージをいただきました。僕は自分の考えや感じたことを、このブログで2005年から18年に渡って書き続けているのですが、あくまで個人の日記だし、無名の人間が辺境の地でぶつぶつ独り言を言っているようなものなので、誰も読んでいないだろうと思っていたので驚きでした。そして、いただいたメッセージの多くが「実は自分もこのような病気を抱えていて」とか「同じような経験をしたことがあるので、とても共感できます」とか、表には決して出さない、見えないようなことを、話してくださるのです。これには力や元気をいただきました。

特に誰に向けて書いているものではありませんが、自分が書いた内容に誰かが反応してくださることで、お互いの健康上の悩みを話したり、共感し合えることが、本当に大きな力や慰め、安心感になります。表向き分からないし、外からは見えないんだけど、皆それぞれ自分の荷を抱えて生きてるんですよね。そういうことをぽつりと話し合える相手や場があるだけでも安心できるし、安心感というのが、一歩前に踏み出す原動力になるのだと思っています。

体調の方ですが、たくさん検査をした結果、幸い生死に直接関わるような悪いものは見つからず、ちょっとややこしい病気だけど上手に付き合っていけばなんとかなるようなものでしたので、ゆっくり時間を掛けて向き合って行こうと思っています。

いくつかある持病リストに、一つ仲間が加わったような感じですが、今できることを少しづつ積み重ねて行こうと思っています。

人との関わり、時間、深度について

このGW、皆様いかがお過ごしだったでしょうか。
僕の方は元々、大学生になった長女と一緒に信州蓼科から伊豆方面への旅行を計画していたのですが、予期せぬ体調不良で早々にキャンセル(娘ははじめたばかりのバイトが楽しいらしく、全然いいよ〜と言ってくれました)、主に自宅で連休を過ごしました。

体調も良くなってきたので、自宅からほど近い山や公園、植物園に毎朝のように通って、自然の中を歩き回りました。スマホは持っていましたが、主に花や木の写真を撮るだけ。SNSやネットニュースからもできるだけ離れるようにしていました。

あとは、本をたくさん読みました。
5冊以上読んだかな。印刷された本だけでなく、自分が今関わっているプロジェクトに関係しそうな論文(現代的コモンズ、自立分散化など)も含めるとかなりの文字数を読み、インプットしました。向き合ったのは、木々草花と、鳥のさえずり、風の音、自分の呼吸、そして、文献。静かだけれど、精神的にはとても充実した休暇でした。

僕は基本的に「人好き」なので、人との関わり合いやコミュニティの重要性を常に意識しながら生活していますし、コミュニティの運営や参加も積極的に行っています。でも、ちょっとだけ気分を変えてインプットに集中してみようと、SNSから少し離れてみたんです。

人との関わり方について面白い記事がありました。養老孟司先生は、子供の自殺という問題について日経ビジネスでの連載でこのように述べています。

「人間の相手ばかりしているから死にたくなる」

それにしても人といる時間が多すぎるんですよ
2万人くらいの死にたい人の話を聞いてきた坂口恭平さんは、人の苦労というのはすべて他人との関わり合いのなかにあるとしています。

「養老孟司氏、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?」
日経ビジネス 2022/05/20

一部抜粋していますので、前後の文脈を読んでいただきたいのですが、僕自身はこの感覚に非常に強い共感を覚えます。人は何をしているのか、自分は人からどう思われているのか、なぜ「本人」がいるのに「本人確認するのか」。

働く環境、住む環境も「人との関わりの多さ」に影響を及ぼしているかもしれません。

この休暇中に読んだ本の中の一冊に、隈研吾さんの「建築家になりたい君へ」がありますが(建築学生の長女に買ってあげたのですが、パパが先に読んで一日で読了してしまいました)、その中で、資本主義経済は、生産性、効率性を求めた結果、都市にコンクリートのハコを作り、そこに人を閉じ込めた、という文脈があります。確かに人がロボットのように働くことで経済成長はしたかもしれない。でも、それは人にとって良いことだったのだろうか。ハコに閉じ込めて管理することは、人間にとって大きなストレスとなることも広く知られています。

コロナ禍が始まった2020年の春、慶応SFCの安宅先生は「開疎化」という言葉を良く使っておられました。それまでは「密」で「閉」が良しとされていましたが、感染症から身を守るためには、「開」で「疎」であるべきだと。これは物理的空間の話ですが、人と人との関わり方にも関係しそうです。巨大都市に人が集中し過ぎると、24時間人の存在を気にしながら生活しなければなりません。でも、人との関係も疎結合することで、良いバランスを取ることができるかもしれません。

人好きな自分ですが、この連休中はあえて、自然の中で自分と向き合うことによって、大きな成果が得られたと思います。これからキックオフする複数のプロジェクトの骨子と、すべきことが見えた気がするし、断片的に分散していた自分の考えがデフラグされ、整理されたように思います。

まだまだ試行錯誤が続くでしょうけど、より良い社会の実現に向けて微力ながら力を傾けていきたいと思っています。

新緑が眩しい季節になりました

桜の花が散り、新緑が美しい季節になってきました。

冬の寒さを超えて、花を咲かせ葉を茂らす木々のパワーを見ていると「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉を思い出します。目に見えて何かを行うことも成果を出すこともできない。でも、見えないところでしっかりと根を張る。心を鍛え、精神を強くすることが「根を張る」ことに繋がるのかもしれません。こういうプロセスを経て、また新しい自分、アップグレードした自分に出会えるのでしょう。

そういえば、同じことを三年前にも書いていました。
「一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうな」2020年3月2日

少し歩けるようになったので、近所の植物園までゆっくりウォーキングに行きました。歩いたのは3週間以上ぶりでしょうか。病気の影響で自分でもびっくりするくらい動悸と息切れがひどく、一ヶ月前までガンガン走っていたのが信じられないくらいの状態ですが、これはもう仕方ない。こうして外を歩けるだけも大きな大きな進歩です。

ここ一週間を振り返ってみると、数ある検査の中で一番プレッシャーになっていた気管支鏡の検査も終わり、ほっとしています。鎮静剤がちゃんと効いてくれたので(個人差があるので、全然効かない人もいるんですと脅されていました・・・笑)、寝ている間に検査が終わった感じで、これは本当に良かった。苦しまなくてすんだ。

あと、35年ぶりに入院というものをしました。一泊二日の検査入院だったので噛みしめる暇もなかったですが、でも、病院というのはあまり気持ちの良いところではないですね・・・とはいえ、本当に良くしていただきました。大学病院だったのでスタッフの方も若い方が多く、みなさん親切で。医療従事者の方に感謝です。

これで予定されていた検査はすべて終了し、GW明けに今後の治療方針が出る予定です。少なくとも、今の状態が維持できれば、運動はともかく仕事をする分には問題なさそうです。
仮に以下のようにコンディションを段階分けするとすれば、

1,日常生活は問題なくできる
2,体調によっては外に出れる
3,身体は動かないけど、頭は働く
4,寝たきり

今は、3と2の間、2.5くらいのところ。うん、上出来、上出来。
小さなことからコツコツと。

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前回のブログを見ていただいた皆様から、本当に多くの気遣いや激励のメッセージをいただきました。一つひとつのお言葉から本当に元気をいただいています。心を寄せていただいていることがどれだけ大きな力になるか。心から感謝しています。

大丈夫。全部そのまま受け入れよう

 この春は元気だな、ひょっとしたらこのまま行けるかもしれないな

そう淡い期待を抱いていた矢先に高熱がドカンと出て早2週間が経過。4月の発熱というのは2020年に始まり今年で4年目。春の風物詩のようなものだけど、今回は熱が高過ぎたことと倦怠感があまりに辛いので、精密検査を受けたら(コロナ、インフルはもちろん陰性)、別のものが見つかりそこから紹介状を持って色々な専門病院で検査続き。すべての結果が出るのはGW明け。

仕事も出張もトレランもゴルフも会食も、発熱と入院で全部キャンセル(関係各所ごめんなさい)。また今年もか・・・

落ち込もうと思えばいくらでも落ち込める。

予定のキャンセルや延期の連絡をさせていただくのは本当に申し訳ない気持ちになるし、5月のウルトラトレイルに向けては体調が悪いなりに昨年末から順調にトレーニングを重ねてきたのに、体重はこの2週間で5kg減り、体力も筋力も落ち、今は1kmも走れない。一ヵ月後のウルトラトレイルなんて想像すらできない。

でも、これが僕の人生だ!!

大丈夫。全部そのまま受け入れよう。僕の場合はありがたいことに持病の色々で心を鍛えていただいてる。健康じゃない人の気持ちも分かるし、動きたくても動けない人の気持ちも痛いほど分かる。人生、思い通りに行かないことの方が多いのも知っている。命は儚いし、いつどうなるかも分からない。だから、もし身体では負けても、心と想いだけは負けないように。そして、今出来ることを一生懸命するように。

幸い、今年は桜満開の時期が元気のピークだったので、近所の名所を何度も花見ランすることができたし、今回、色々と見つかったお陰で、徹底的に調べて治療してもらおうと思っています。そして、かならず復帰するし、一ヵ月後も、絶対走ってやる。

ベッドに横たわり天井を見上げながら、そう思って腐らず、たまに庭に出て、日ごとに開く花の数が増えていくモッコウバラにパワーをもらってます。何かを主張するわけでも求めるわけでもなく、必ず春には花を咲かせてくれる植物の強さってすごいですよね。あと、ずっと寝ているのもしんどいので、少しづつ仕事をしながら明治維新の本ばかり読んでいるのですが、今が令和だということを忘れそうです。(PCを打つのもしんどいので、このブログもかなりの時間を掛けて書いています)

お取引先や仲間たちにはご迷惑、ご心配をおかけしておりますが(激励のメッセージ、ととても励みになっています!)、必ず復帰しますので、もうしばらくお待ちください!!

思い(想い)の役割とは

どちらかというとロジカルに物事を考えてしまうタイプなので、精神論とか「思いの強さ」という考えは苦手だったんですね。でもWBCなどを見ていて思ったのは、思いの強さが最後は勝つということなんだなと。

というのも、ここ一番の勝負どころって誰にでも色々とあるじゃないですか。大切なプレゼンであったり、商談であったり、テストであったり、レースであったり。それに向けて事前にしっかりと準備して本番に備えるわけです。でも、当日になって体調不良やなにかしらの不可抗力が起こり、思い描いたような「完璧な状態」で臨めることの方が少ない。そこで、がっかりして意気消沈するか、諦めずに挑んでいくかが勝負の分かれ目になると思うんですよね。思いの強さは、ここで出てくるんだなと感じています。すごく漠然とした言い方ですが、思いが強いか弱いかでその先の未来が決まるんだなと思うんです。

4月という時期は、個人的に体調を大きく崩す時期でして、今年も先週末からガクンと来てしまいました(ブログの更新ができなかったのはそのためです)。今までと違うのは、単なる高熱だけではなく、精密検査の結果、来週から別の病院で検査入院までしなければならない事態になってしまったこと。病院の先生方が本当に親身になってくれて、早めに動いていただいて良かったなあと思っています。関係各所には予定のキャンセルや調整で多大のご迷惑をおかけしています。

なんだか予想もしないようなことが次々と襲ってくると、気持ちが前向きになれないんですよね。もともと計画どおり動きたい性格だし、キャンセルとか延期とかすごく嫌なので、なんでこうなるんだろと意気消沈して腐ってしまいそうな自分の気持ちと格闘しています。ここで冒頭の話に戻りますが、今こそ思い(想い)の強さが大切だなと。ピンチはチャンスといいますが、良い機会だと思って、自分でしっかり気持ちを前に持って行きたいと思っています。身体は仕方ないとして、心を鍛えることはどんな状況でもできますもんね。

目の前に広がる景色を丁寧に記憶に残す

今年の桜は早い開花で話題になりました。

桜満開の中をジョギングするのって本当に気持ちいいですよね。今年は天気が良い日が続いたこと、時間も自由に使えるようになったということもあり、例年以上に桜を楽しむことができました。

朝の夙川

朝の北山植物園

時期の早い遅いはあるとはいえ、春先に一斉に桜が開花することで一年の終わりと始まりを意識することができます。また春がやってきた、来年の桜の季節までにはがんばろう。そんな感じでしょうか。

学校でも企業でも、4月はじまりというのは一年のスタートという意味では良いですよね。あともうひとつは地域を意識するということ。特に僕はランナーなので、近所をあちらこちら走ることで、その地域の良さを桜をきっかけに再認識することができます。

そういえば面白かったのは、花見ドライブに祖母と叔母を連れて行った時に二人口を揃えて「今年の桜は花が小さいな〜」と言っていたことです。僕は「桜は桜」だと思っているので、花の大きさ小ささなんて意識したことがなく、この視点は新鮮でした。毎年の桜を、なんとなくではなく、丁寧に見ているんだなと感心しました。目の前に広がる景色を丁寧に観察して記憶に残すって素敵なことですね。

今日、入社式のところも多かったのではないでしょうか。

新社会人も新入生も。君たちの人生を拘束するものは何もない。
仮に人生を拘束しようとする人・事が現れるのであれば、それは君たちの人生にとっては不要なもの。とにかく何にも邪魔されず、何か夢中になれるもの、何か打ち込めるものを見つけて、やり抜いて。

自分の人生は自分で作る!
無限の彼方にさあ行こう!